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「何でこっち優先しちゃったんですか?」
太陽が傾き始めた夕方ごろ、互いの家は同じ方面なので駅から降りて二人で一緒に並んで帰ってきている時の事。しっかり俺に服を買ってもらい、手にはその服が入っている紙袋を持ったトウマが尋ねて来た。
どうやらトウマは俺が恋人よりも自分の予定の方を優先したことについて、買い物再開した後ずっと疑問に思っていたらしい。
「トウマの詫びツアーだったからなぁ、今日は。トウマ優先でも自分の気は引けないよ」
「一久さんの気はいいとして、彼女としては自分の予定を切られたわけですから、あまり良い気分ではないでしょうけどね。それに、話をよくよく聞いてみると母親の方を優先したって事になってるみたいですし」
「あそこでトウマ出したら余計ややこしくなるだろ、色々嘘ついて架空のトウマを作らなきゃいけないわけだし」
「別に滅多にこっちに来られない親戚が来ていて、そっちを優先したいって言えば良かったんですよ。まぁ、いつだって『自分が一番』ってタイプの彼女さんなので、結果は変わらなかったと思いますけどね」
「やっぱ怒ってるかなぁ、面倒くさいんだよなぁ機嫌損ねると」
「つくづく付き合い続ける理由の少ない彼女さんですね、そんなに良い彼女ってわけでもないでしょう?」
「損得で付き合ってるわけじゃないし、それなりに情があるしね…。まぁでもこんなん…」
「「付き合ってるとは言わない」」言うと思いました」
トウマは俺の言うことが分かっていたのか、声を揃えて同じ事を言った。
「片一方が我慢してる関係なんて遅かれ早かれ壊れますよ」
「それはまぁ…そうだね」
「まぁ、一久さんと彼女さんの関係性がどうなろうと知った事じゃないんですけどね」
「…トウマは、やっぱり久美はやめておいた方が良いと思う?」
「セフレなら良いと思いますよ、顔良しスタイル良し、抱くには持ってこいでしょうね」
「そういう下品な話じゃなく…」
「ただ、恋人としては微塵も可能性のない女性ですね」
「やっぱりトウマもそう思うか…」
「ただ単純に、一久さんには合わない女性だと思いますよ。彼女と付き合うには、一久さんは良い人過ぎる。優しすぎるんですよ」
「優しくなんか…」
「言葉を誤りました。甘いんですよ、一久さんは」
「甘い?」
「可愛いからって、相手に敬意を払えないバカに時間を使ってる暇なんて無いんですよ。20代でする恋なんて半分は遊びでしょうが、一久さんには正直似合いませんよ、遊ぶには一久さんは完璧すぎる」
「俺褒められてんの?」
言葉だけを取れば褒められているのだろうが、いかんせんトウマが怒り口調で話しているので説教を受けている様な気分になる。いや、様ではなくそうなのか。
「全く…。顔もそこそこ良くて、良い大学にも通っていて、性格も良いのに何であんな低スペックを…」
「わ、分かったよ…久美の話はやめよう、もうやめるから…」
「あんな女の話なんかしてないんですよ!全部あんたの話です」
「いって!」
怒り過ぎて遂に俺の尻を蹴りやがった。
俺の為を想って怒ってくれているのか、単純に俺の彼女が気に食わないだけなのかよく分からない。
「そ、そんな事よりトウマは彼氏作んないの?」
「作りませんし、作れません。今はとにかく金ですから」
「仕事が忙しいと?多分頼めばお駄賃くらい出すよ?母さんなら」
「あれだけ働きやすい環境で働けてるのは奇跡に近いんですよ。一回ゴミ屋敷の家に派遣されたときは死ぬと思いましたね。まぁそのおかげで虫とか色々平気になりましたけど」
「それは嫌だね…」
「というかお爺ちゃんお婆ちゃんが施設に入らなきゃいけない時、少しでも私からお金を出せる様にしておきたいんですよ」
そう話し始めたトウマは少し悲しそうだった。
分かっている、そんな事にならない方が良いに決まっている。けれどもし仮にそうなった時、お金がなければ施設に預けることも出来ない。
病気になったら入院費も出てくる。少しでも余裕があった方が良い。
「でも、親戚とかはいるんでしょ?その人たちが何とかしてくれるんじゃ…」
「義理と恩の前でそんな事言えますか。例え孫からお金なんか受け取れないとか言われたとしても、こちらにも譲れないものがある。ここまで育ててくれた人たちに、ほんの一縷でも返せないんじゃ両親に顔向けできないんですよ」
トウマの覚悟はとても強かった。小一時間、いや数日使ってもこの芯は揺るがすことは出来ないだろう。
「だからそんな現を抜かす余裕はないんです」
「ふーん、そっか。じゃあ、俺と付き合えば良いんじゃない?」
「は?」
「え?」
ポっと口からとんでもない言葉が出てきた。
それについて俺もトウマも驚いて同じ顔をしながら向かい合う。
「何言ってるんですか一久さん」
「何を言ってるんでしょうね…」
「え、冗談ですよね?」
「え、あ、うん。もちろん…!なんか…うわ、びっくりした…。急に出てきたから口から…」
「気を付けてくださいよ…。私にも驚くっていう感情はあるんですから…」
「いやごめん、ホントごめん。びっくりしたぁ…」
何故そんな言葉が出たのか、本人にさえ分からないその問いは記憶の奥の奥の方へ仕舞う様にした。別に考えなくても良いことだと思ったからだ。
しばらく歩いていると自宅が見えてきた。
俺のよく分からない発言のせいで変な空気になってしまったが、とりあえずこの間の恩は返せた一日だったと思う事にする。
「あ、そうだトウマ」
「なんですか?」
「これ、あげる」
俺がそう言って差し出したのはペンギンのキーホルダーだった。
北極に住むには向いてなさそうな青い顔と鼻水を垂らしており、人が寒がっている時の縮こまった動きをしている随分とデフォルメの効いたもの。
「なんですかこれ」
「買い物してるときに買った。今日の詫び」
「詫び?」
「ほら、色々トラブル起きたし」
「詫びてばっかですね。…こんな可愛いの私に似合いますかね?」
「可愛くないから大丈夫だよ」
「フォローのチョイス間違ってますよ」
ボーイッシュな格好を好むトウマには不釣り合いだし、カバンとかに付けるにしても浮きそうだなぁと、面白半分で買ったものだったがキーホルダーを親指に引っ掛けて顔の前に持ってきてマジマジ見ている彼女の顔は、予想以上に喜んでくれた。
「良いですね、なんか面白くて愛らしい顔をしていますし」
「気に入ったの?」
「ええ、カバンに着けますか」
トウマはリュックサックを一度下ろし、キーホルダーをリュックの一番目立つ場所に付ける。思った以上に喜んでくれて、冗談で買ったとは言いにくい雰囲気になってしまった。
「ありがとうございます、こんなにプレゼント貰っちゃって」
「それは良かった。…プレゼントって言葉で思い出したけど、トウマって誕生日いつなの?」
「月曜ですよ、明後日ですね」
「え!?そうだったの!?」
「えぇ、なので今日奢ってもらって色々文句言って来たら誕生日が近いんでって言い訳考えてたんですけど…。文句ひとつ言わない一久さんはやっぱり甘いですよ」
「そうだったんだ…。知らなかった、ごめん」
「言ってなかったんですから別に気にしなくていいですよ、それに忘れてるかも知れませんけど、私はただの家事代行スタッフなんで」
これほどの我儘普通は言えませんよ、そう言ってトウマは笑った。
確かに、それもそうだ。それもそうだけど、勝手に友達だと思っていた俺としてはそのセリフはあまり嬉しいものではなかった。現実に引き戻されるには十分すぎる言葉。
「では、さよーなら~」
「うん、お疲れ様」
自分の家へと帰っていくトウマの後ろ姿が見えなくなるまで、俺は家の中に入ることはなかった。
「え?うん、元気にやってるよ。うん…え?こっちに来るの?…いや別にいいけど…え?一久さんに会う?そんな急に?えー…」