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「随分と盛り上がったようですね」
「え?」
「酒臭いです」
「ごめん」
「まぁ、ベロベロに酔ってないのはせめてもの救いですかね」
レンタカーを借りて迎えに来てくれたトウマの運転は、くっだらない用事で夜遅くに呼び出された怒りのせいでかなり荒かった。
凄いのはいつも吐くギリギリのところで目的地に到着するところだ。加減を分かっているのだ。
「酒、強いんですよね」
「んー周りが弱いせいで、俺の酔いが回る頃にはみんな酩酊して帰れなくなりそうだから、強制退去みたいな感じで」
「へぇ、友達を想ってって感じですか?」
「まぁ」
「友達思いですね」
「そんな事無いよ」
「そうですね、その程度が思いやれるなら営業時間外で金銭も発生しない時間帯に幼気な年下の女の子に迎えに来させるような事、シナイデスヨネ?」
「はい…おっしゃる通りです。僕はゴミクズです」
「ゴミクズに失礼ですよ。彼らは再利用出来ますけど、一久さんは燃やされて埋められて、そこから何も生み出せないただの人間なんですから」
いつもよりめちゃ怒ってる。
「今日は一段と怒ってるね…」
「別に。読んでた本がすごい面白くて続きの巻を手に取ろうとした瞬間に一久さんから電話がかかって来たってわけじゃないので」
「そうだったのか…」
トウマは本が好きだ。
一度休憩中にリビングで読書をしているトウマにちょっかいを出したら、ちょっかいの一発目で背負い投げをされた痛みを思い出した。
「彼女、来てたんですか?」
「何で?」
「女モノの香水の匂いもします」
鼻が良いのかな、トウマは。
「あー…うん、今日急にね」
「なるほど」
「今日は男だけの楽しい会話が出来ると思ってたんだけど…。まぁ仕方ないかって友達にも気を使わせちゃった」
「死んだ方がいいですねぇ」
「…それは俺?」
「何言ってるんですか」
「だよね、流石に彼女が身勝手過ぎ…」
「どっちもに決まってるじゃないですか」
「…さいで…」
トウマは淡々と俺と俺の彼女をディスった。別にこれは今不機嫌だからではなく、トウマと俺の彼女の属してきた場所が違い、系統も違うからだ。
トウマは孤高で、独りが好きな人間。
対して久美は必ず誰かがいなきゃ何もできないし、やる気も起きないタイプで、誰かに過剰に支えられて生きている人間。
直接二人が会ったことはもちろん無いが、トウマの方には久美の話をしているので、話を聞いている限りの彼女を辟易しているのが分かる。
「そういう、常に誰かに依存していないと自分を保てない人間は嫌いですね」
「まぁ、トウマは嫌いそうだね。俺の彼女」
「別に最終的な判断は一久さん次第ですけど、彼女と結婚する気なら相当気合入れないといけませんからね」
「…んー…正直、そろそろ別れようと思ってる」
「おや、意外ですね。なんだかんだ生易しい情で付き合い続けるかと思ってましたよ。それで今更別れられないくらいまで行って結婚、数年後に子供作って離婚…そこまで予想していたのに」
「ひっどい予想立てられたなぁ…。いや、正直決断したのはついさっきなんだけどさ」
「さっきかい」
「うん、実は前々から今日一緒に行きたいって言ってたんだけど、男だけで飲みたい時もあるからって断ってたんだ」
「で、強行突破されたと」
「そうだねぇ…」
「ま、お好きにどうぞ」
トウマはあまり興味なさそうに言った。もし良い彼女だったらここで止めたりするのだろうか?それとも、普通に俺の恋愛事情に興味なんてないんだろうか。無いんだろうなぁ。
「トウマは好きな人いないの?」
「いるわけないじゃないですか」
「いやいや、20歳でしょ?好きな人の一人や二人いてもおかしくない」
「まぁ、手のかかる年上のおにーさんがいるんでね」
「…いや、まぁそんな奴の事は気にせずさ…」
「そうですね、そう思えればいいんですけど。いかんせん手のかかる野郎でしてね、そのおにーさんってのが」
「大変すいません…」
しばらくトウマの機嫌を取る事に必死だったせいで気付かなかったが、車は家路ではなく全く別の方向へ走っている事に気が付いた。
「あれ?これどこ向かってんの?」
「海ですね」
「な、何で…?」
「急に東京湾が見たくなったんですよ。東京湾っていうか、レインボーブリッジとか、武骨な工場とか色々」
「それは…何?何の目的で?」
「癒し…ですかね?普段車通りが多いところがガラガラだとテンション上がりません?心を無にして安心して走れるっていうか、流れてく景色見てると」
「へぇ…いやまぁ何となく分かるけど。トウマがそういうタイプだとは思わなかった」
「20歳ですよ、私もそこら辺の女子と一緒です」
もう『女子』ではないか、と自分で言った言葉に自分で笑ってしまうトウマだった。
車はどんどん走っていき、トウマはあっという間にお台場海浜公園に着いた。
「トウマ、実は結構ここに来てるだろ」
「ええ、まぁ」
「どうりで手際が良いと思った。一人で来てんの?」
「一緒に来る友達も恋人もおりませんで」
「…今度から行く時は俺呼んで」
「何でですか?」
「心配だからに決まってんでしょ」
「いや、今まd…」
「今まで何も起きなかったから大丈夫とかじゃない、良いね?」
「……良いですよ」
「よろしい」
「…今ようやくただの人間からゴミクズにレベルアップしました」
「あー良かったぁ」
本当に良かった。
しかし終電のない今の時間帯、周りにいる人たちは車で遊びに来てる筈だ。しかしみんな、酒を飲んでないとは思えないくらいのテンションの高さだ。
いくら住宅が遠いとはいえ、大声で笑っては走り回っている。見る人によっては楽しそうとか思うのだろうか。
「面白くないですか?」
「何が?」
「日々どれだけの重圧に耐えて仕事してるのか知りませんけど、それをこんな真夜中にお世辞にも綺麗とは言えない海で発散しようとしてる。そう思って見てると…ねぇ?」
「性格悪い視点だなぁ…。トウマの労働環境がああなる程じゃないって事の裏返しって捉えればいいのかな?」
「私、今彼らと同じ場所にいますけど?」
「あーやっぱり…」
「まぁそれは冗談ですけどね。いくら真夜中に呼び出された仕返しとはいえ、承諾も得ずにこんな所に連れて来て…雇用されてる身としてはやらかしちゃってる方ですから」
「俺も俺で無茶してもらったから、これに関しては何も言えんよ。というか、雇用してるのは俺の母だから」
「となるといよいよ一久さんが私を迎えに寄こしたのは…」
「いいじゃん友達だろ?」
俺がそう言うと、トウマは少し目を見開き驚いた表情を見せる。街灯の灯りが彼女の驚いた顔を晒し、トウマはゆっくり顔を逸らした。
「私と一久さんは友達ですか?」
「友達…的な感覚のつもり」
「友達ねぇ…友達ですか」
「友達出来た事無いの?」
「いやありますよ馬鹿にしないでください」
やけに友達って言葉に渋い反応を見せるので心配になって尋ねてみたが、友達がいなかったわけじゃないらしい。
「私中学までは、今一久さんの目の前にいる私じゃなかったんですよ。それはそれは純真無垢、眉目秀麗、立てば芍薬座れば牡丹 歩く姿は百合の花とはまさしく私の事と言うような…」
「ふーん」
「…まぁ、ちょっと言い過ぎましたけど」
「『ちょっと』」
「まぁ、少なくとも友達いないとか胸張って言える様な人じゃなかったんですよ。少なくとも誰かは周りにいたというか」
「へぇ、それは意外だけど」
今のトウマは友達がいないどころか、いらない、いなくて何か弊害はあるかとか言ってきそうなくらい、独りでいる事に固執している様な気がする。
「そんなある時、独りでいた方が楽だなぁと考える事件が起きまして。その事件というのが、私の女友達の好きだった人が私を好きになったという、まぁよくある話ですよ」
「漫画ではよくあるけど、リアルではほとんど無いけどね」
「女友達は、まぁ勝手に裏切られたとか言い出して、男友達の方は強行突破してくるし、私はそんな事よりパフェ食べに行きたかったんですけど」
「マイペースなのは今も昔も変わらないのね」
「まぁそこから色々あって、今の私の楽しい場所を壊してくれたお二人は不幸になって、中学卒業まで白い目で見られるように噂垂れ流して細工したんですけども」
「すごいなぁ、やろうと思って出来る事じゃないよ」
「まぁ、噂流してる自分にも嫌になり、人を嫌うのにも労力がいるという事を知り、良い経験だったとバネにして今に至るわけですよ」
「バネってことは上に行ったってこと?独りでいることが上なの?トウマにとって」
「そりゃそうでしょ、全部一人で出来なきゃいけないんですよ、独りってのは。これ以上の上はないですよ」
「そうかなぁ…?まぁトウマにとってはそれが上か」
「一久さんのそういう所、良いと思いますよ」
「そういう所?」
「自分は自分、他人は他人ってちゃんと分けて考えられるところです。それがいくら身近な人であっても」
トウマの言う通り、俺は人付き合いでその考えで生きている。
例えば久美が熱狂的にカルト教にのめり込んでも、特に何も言わないだろう。だけど、それを俺に押し付けて来たり、悪影響を及ぼしてくるなら文句は言うし、別れることになる。
トウマが独りを好むのは、トウマが生きてきた人生の中で学んだ、自分の平穏を守るためのツールの一つにあたるのだ。俺は一人よりみんなで楽しみたいタイプだけど、トウマはそういうタイプじゃないのは分かっている。
「ま、いつかトウマにも一生一緒にいてもいいかな?って思えるくらい大事な人に会えるといいね」
「違います、一生一緒にいてあげてもいいかな?です」
「生意気なんだよなぁ、最後まで」
その話をしてからすぐに帰ることにした。
因みに今日迎えに来させたお礼は、今さっきのドライブは含まれないらしく、また別の日に返させる予定だそうだ。
その時ついでにパフェでも奢ってやろうと思った。
今夜0時に次話投稿します