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色が変わる瞬間を  作者: 粥
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暑い暑い夏休みの、とある夜。

冷房の効いたリビング、テレビから聞こえるバラエティ番組に出演している芸能人の笑い声、それを楽しんでいるのか分からない顔で観ている両親の横顔。

一久、トウマ、夏人の三人でソファに座っていて、夏人はその端っこの方で部屋から取ってきた本を読んでいた。


「夏人、テレビうるさくない?」

「大丈夫」


しばらく本を読んでいると、夏人の携帯が鳴動した。

なかなか呼び出し音が終わらないところから電話がかかって来ていることに気付き、夏人は本を読む手を止めて電話に出る。


「もしもし、河橋です」

『夏人?わたし〜美吉だよ』

「なに」

『うわ、無愛想。今暇?』

「…暇じゃない」

『へぇ〜何してるの?』

「読書」

『じゃあいつでも出来るから暇ってことだね』

「決めつけ良くない」


夏乃の話は、散歩しようということだった。

夏の夜は昼間ほど暑くはない。散歩に行こうという話は分かるが、夏人としては夜に散歩に出歩くという行為より、夏乃が散歩なんかしようという話を持ち上げた事の方が驚きだった。



待ち合わせの小さい公園に向かうと、公園内に設置されているブランコに座った夏乃が待っていた。

金属が擦れ合う音が、夏乃が揺れる度に静かな公園に響いている。


「美吉さん」

「お、来た来た。はろー」

「はろー。何、散歩しようなんて急に」

「ほら、夏休みに入ると途端に体育の授業とかで運動する機会が減るじゃん」

「そんな健康志向だったっけ、美吉さんって」

「意外とそうだよ。でもキャラに似合わないから他の友達には内緒にしてるけど」

「別に言えばいいのに。そんな変なことしてる訳じゃないし」


虫取りとかならまだしも、と夏人は心の中で思った。


「言う機会もないしなぁ。それに、大体こういう話すると男が一緒に行こうって言ってくるんだよ」

「つまり、美吉さんと一線越えたい人が集まってくるってこと?」

「そう言うこと。そんな人と夜に散歩なんて、嫌な想像してもそれは仕方ないと思わない?」


だから自分が選ばれたのかと、夏人は納得した。


「それはいいけど、どこまで散歩するの?」

「うーん、あんまそこら辺考えてないんだよね。気が済むまで自分の好きな場所に行くって感じ」

「アテもなく?」

「アテもなく」

「ふうん」


二人はそんなアテのない散歩を始めた。

夕飯を食べた後の運動のような感覚で、夏の夜風に吹かれながら。鈴虫の音が道端の草むらから聞こえる。


「夜はちょっとだけ涼しいね」

「それでも暑いけど」


しばらく歩いていると、大きな公園に行き着いた。

休日はよく子供連れの家族が大きな芝生の広場で遊んでいるのを良く見かける場所。もちろん遊具もあった。


「お、ブランコだ!夏人、ブランコあるよ!」

「そりゃ公園なんだからブランコくらいあるでしょ」


何をブランコに興奮しているのか理解しかねる夏人は、楽しそうにブランコの方へ走っていき、キーコキーコと金具同士が擦れる音を鳴らしながら上がったり下がったりを繰り返す彼女に、本当に同じ高校生だろうかと疑ってしまった。


「はははははっ!楽しー!」

(楽しいか?)

「夏人もやれば!?隣空いてるよぉー!?」


夏乃があまりに楽しそうにブランコで遊んでいるものだから、夏人は気になって夏乃の隣にあるブランコに座り込んだ。

初めは夏乃ほど大きく揺れなかったが、次第にその振れ幅も大きくなってきた。


「もっと思いっきりやりなよ!高校生の本気ブランコやってみな!」

「いや、壊れたら申し訳ないし」


夏乃ほど楽しくは出来なかったが、それでも久しぶりにやったブランコは楽しかったと思えた夏人だった。



ブランコの周辺には色々な遊具があり、滑り台、シーソー、ジャングルジムなどの、小さい子供が遊べる用のものが多かった。

一頻り付き合わされて疲れた夏人は、木製のベンチに座り込む。夏乃はそのベンチの目の前にある平均台の遊具で、両手を大きく広げてバランスを取りながら遊んでいる。


(元気…。羨ましくはないけど)

「夏人!見て見て!片足立ち!」

「怪我しても知らないから」

「だーいじょーーぶ!あぶね」

「はぁ…」


木々が生い茂る暗くて広い自然公園に、夏乃の楽しそうに笑う声が響く。

こんな夜を過ごした事は今までにない夏人は、今自分に取り巻いている初めての感覚に少し、違和感を覚えていた。

そして何より、その違和感に若干の昂揚を覚えていることに疑問を抱く。


(これ、今この状況を僕は…楽しいと思ってるのか?いや、でも本を読んでいる時と同じ感覚なんだよな)


楽しいとも違う、未知のものに触れている感覚。


(あ、そうか。本を読んでいる感覚と同じだからか)


未知のものを知る道具、夏人にとっての本の存在はそんな感じ。

夏乃が持ってくる、自分の知らない世界、自分の知らない意外な楽しさ。それが本とニアイコールになっている事に気づく。イコールではない所がポイント。


夏人にとって本は知らない世界を知る機会をくれる。それが現実的であろうと、非現実的であろうと。

自分と違う視点を持った人間が描く、時に繊細にも、大胆にもなる世界観。


(繊細に見えて、意外に豪快。なるほど…)

「どしたの夏人?疲れた?」


ずっと黙って夏乃のことを考えていた夏人を、彼女が平均台から降りて心配そうに見つめている。


「別に、こんな事で疲れない。高校生だし」

「そっかそっか、そういえば高校生だったね。…疲れてないならちょっとあっち行こ。見せたいものがあるんだ」


夏乃に誘われて、公園内にある川が通っている場所に連れて行かれた。

大した水量はないが、子供が楽しそうに遊べるであろう広さ。

しかし何か違和感を感じた。


「これ、人工?」

「うん。水道水を循環させて、人工の川を作ったんだね。昼間は小さい子供たちが遊んでるよ」

(何でそんなに詳しいの)


夏人が人工の川と気づいたのは、川底に小さなライトが敷き詰められている事に気付いたからだ。

小さく、川面から僅かに漏れるような淡い光。それが点々と規則的にあった。


「てことは生き物はいないね」

「そうだね。子供も遊ぶし、踏んづけて殺したら可哀想でしょ」

「想像しそうになるからそういう事言うのやめて」


そもそも夜寝るのに常に川底光ってたらストレスですぐ死ぬだろう。

そんなことを考えながら川から漏れる灯りを見つめていると、いつの間にか靴を脱いで裸足になっていた夏乃が川に入って行った。


「何してんの」

「川に入っています」

「見たまんまの回答だった…」

「冷たくて涼しいよ。夏人も入れば?」

「…そうだね」

「お、意外な反応」


誘ってはみたものの断られるだろうと思っていた夏乃は、その返事に驚いた。

夏乃が驚いている間に靴を脱いで、夏人は川の中に足を踏み入れる。

つま先から足首、ふくらはぎにかけて冷たくなっていく感覚に、納涼という言葉が頭に浮かんだ。


「冷たい」

「本当にそう思ってる?」


夏人が零す単調な感想に、本当にそう思っているのか疑ってしまう夏乃。

下から照らす小さな光が、二人の足元を照らしている。


「意外とたくましいね。足」

「見るな」


裾が濡れないように捲っていて、お互い足が晒されている。

大きくも小さくもない夏人の身長。しかし細身に見える夏人の意外にしっかりした足に夏乃は釘付けだった。


「そっちは意外と怪我してるね、足」

「いやーんエッチ」

「ズルい」

「中学まで陸上部だったからね。ちょっと怪我は多かったかな」

「どうして高校じゃやらなかったの?」

「中学は体型維持を兼ねて入ってたから。今はもうその必要はないからさ」

「へぇ」


体型維持のためだけに、消えない傷が付いてしまう程頑張るものか?と、夏人は考えた。


「見苦しいからあまり見てほしくないんだけどね」


彼女は少し嫌そうにしながら、あまり光が当たって目立たない場所に小さく移動した。

消えない跡が残っている自分の足が、少しコンプレックスなのかもしれない。しかし、そんな彼女の考えが、どうしても分からない夏人は思わず尋ねてしまった。


「どこが?」

「いや…だから傷だらけの足が。女の子なのにさ、跡がある足ってさ…なんか嫌だって思わない?」


夏人は理由を聞いた上で、それでもやはり彼女の気持ちは分からないと思った。


「頑張ってやってたからそんな怪我したんでしょ。真剣にやってた証拠じゃんか」

「・・・・・・・・・・・」

「それで付いた傷の何が見苦しいのか、僕には分かんない。理由を聞けば尚更」


夏人はそれだけ言って、もう夏乃の足について興味がなくなったのか自分の足元を眺め始める。

夏乃ももう話を続ける気は無くなっていたが、夏人のその言葉に何か救われた気がして、傷跡が残る足についての視点が変わった気がした。


「ありがと…」

「ん?何か言った?」

「別にぃ、何でもなーい」


足元を流れる小さな水音にかき消されるほど小さな声で、夏人に御礼を伝えてみたが、やはりそれは彼の耳に届かなかった。




夜の公園を十分に堪能し、二人は各自家への帰路を辿る。


「私こっちなんだけど、そっちは?」

「僕こっち」

「そっかぁ、じゃあここでお別れだね」

「うん」


夏人は最後まで起伏のないテンションのまま夏乃と別れようとしている。


「ねぇ、この間のことなんだけどさ」

「この間のこと?」

「ほら、ファストフード店でバッタリ会ったじゃん」

「あーあの時のことね」

「あの時、光ちゃんと夏人が付き合っているのかしつこく聞いちゃったけどさ…アレは…夏人と光ちゃんが付き合ってると、私と仲良くしてるの嫌がるかなぁと思ったんだよ。光ちゃんが」

「別に仲良くなんかしてなくない?」

「してたよ!まごう事なくしてたよ!」

「ふふっ」


夏乃の全力なツッコミに思わず夏人は笑ってしまった。

彼の笑顔を初めて見た夏乃は、しばらく釘付けになってしまう。


「何?」


あまりにジッと見つめ過ぎたせいで、夏人から怪訝な顔をして見つめ返されていた。夏人はもういつもの無表情に切り替わっていた。


「いや別に…夏人の笑顔初めて見たなぁと思って」

「僕笑ってた?」

「うん…気付いてなかったの?」

「笑ってる時、あー自分笑ってるなぁって考える人いないでしょ」

「いや、それでも自分が笑ってることに気付くよ…」


どれだけ笑顔の少ない人生だったのか気になったが、夏人の琴線に触れそうだったので尋ねるのは躊躇われた。


「兎にも角にも、僕と光は付き合ってない。僕も光のことは好きじゃないし、光も僕のこと好きじゃないよ」

「そっか、ごめんね。もう聞かないようにするよ」「そうして。次聞いてきたら本気で殴るから」

「思ってた以上にギリギリだった。本当にごめんね」


それだけ確かめた夏乃は、あっさり夏人と別れて家へと帰った。

夏人も家に到着し、リビングでテレビを見ていたトウマが迎えてくれた。


「おかえり。意外と遅かったね」

「そうだね。ちょっと疲れた」

「どこまで行ってたの?」

「あの大きい通りから行ってすぐの自然公園」

「あー結構歩いたね」

「うん」

「楽しかった?」

「別…いや、うん。ちょっとだけ…楽しかったかな」

「へぇ」

「お風呂空いてる?」

「うん、最後だから出る時お湯抜いてね」

「ん」


自分でも意外な返答だったが、それでもその返答に嘘がないことは、夏人が一番よく分かっていた。

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