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「おはようございます一久さん」
「…何で部屋にいんの」
「状況が落ち着くまでお世話になるって話になったじゃないですか」
「いや、そういう事じゃなく。起こしに来るにしてもわざわざ部屋に入ってこなくても、と思っただけ」
朝、トウマの声に起こされて目を開けると、もう既に仕事モードに入っているトウマがいた。
「おはよ…ちょっと着替えるから下行ってて」
「では、待ってます」
トウマが部屋から出て行ってすぐに着替えた。今日は昼からバイトがある。
リビングに降りると、まだ母がいた。
「おはよ」
「おはよ、仕事は?」
「今日は休み」
「そうなんだ。じゃあトウマと一緒に居られるね」
「そうだね、何かあったら私が守るよ」
「いえ、一緒に逃げましょう。わざわざ立ち向かう必要はないですから」
「警察に連絡ってしていいんだっけ」
「確かしていい筈。事件性が無いと動いてくれないって聞いたことあるけど」
「まぁ、何にしても見つけたらとっ捕まえればそれでいいんだけどさ」
「皆さんにはケガしてほしくないです…」
トウマの心配を他所に、俺と母はストーカーを捕まえる気満々だった。
彼女が俺たちを心配しているのと同じように、俺たちもトウマを心配しているからだ。
バイト先のチェーン店カフェでは、俺は他のスタッフとはそれなりに仲が良いと思う。
大体聞かれるので、色々なことを話している。なので、俺が最近彼女と別れたという事も知っている。ただ相変わらず、トウマの話は誰にもしていない。
「最近彼女と別れたんだってね、河橋くん」
「石崎さんから聞きましたか」
「まぁね」
俺に話しかけてきたのは、同じくホールスタッフとしてバイトしている一つ年上の先輩、皆川さんだった。美人で背が高く、俺とほぼ身長は変わらない。
バイトとして入った当初、お世話になった先輩。因みに石崎さんはこの店の店長。
「結構長く付き合ってなかったかい?」
「いえ、一年行ってないくらいですね」
「ふぅん。ま、良かったんじゃない?わざわざバイト先に迎えに来いとか言われてたわけだろう?」
「そういう事もありましたねぇ」
「キミは甘いからね、そういう調子の乗らせ方は間違いだったってわけだ」
「反省してまーす」
「次の彼女の目星は着いているのかな?」
「まるで人を遊び人みたいに仰る」
「遊び人じゃないか実際、今までの戦歴を見るに」
「“今まで„ですけどね」
「ほほぅ、今ではそうではないと。真っ当に付き合いたい人間がいると?」
「いませんよ、つい最近彼女と別れたのに」
その時俺の頭の中にはトウマの後ろ姿が浮かんだ。何故かは何となく分かっている筈だ自分でも。
「それにしても、本当に彼女と別れたのかい?」
「何疑ってるんですか、別れましたよちゃんと」
「それにしてはあんまり凹んでないなぁというか、いつもと変わらなすぎるというか…」
「凹んでないのは…まぁ、前々から別れようと思ってたし、俺から振ったわけですし」
「あー、もう気持ちが既に冷め切った状態だったからって事か。しかしねぇ、ある時からキミは人が変わったような感じがしたんだ」
「そうですか?」
「バイトに入って来た頃はいけ好かない奴かと思っていたけれど、段々とまともな青年に見えてきた頃があった」
「それは…まぁ、大人になったって事なんじゃないですかね」
トウマと出会ってからだ。
世間の見え方が変わったのも、考え方も、トウマのおかげで。俺が変わったというなら、多分それはトウマと出会った時で、トウマによるものだ。
しかしそれは俺だけが分かっていればいいんだ。
「大人になったんだねぇ、河橋君も」
「子供のままじゃいられませんからねぇ」
そんな会話を交えながら、俺たちは客を捌いていった。
バイトが終わる夕方ごろ、着替えて店から出ようとしたその時、突然ゲリラ豪雨が降ってきた。
皆川さんも一緒に上がる時間だったので二人で店の屋根に雨宿りしている状態になっている。
「店の傘ってないんですか?」
「無いね。クソ、誰かに傘持ってきてもらうかぁ…」
皆川さんがスマホで友達に連絡しているのを見た後、ふと視線を前に移すと、目の前の豪雨の中からこちらに歩いてくる一人の顔見知りがいた。トウマだ。恐らくこの雨の中、傘を持たずに出ていった俺のために傘を届けに来てくれたのだ。
「お困りですか」
「お困りでしたね」
「もう大丈夫なんですか?」
「トウマが来てくれたからね」
そう言うとトウマの口角が少し上がった。
俺とトウマの会話を横で見ていた皆川さんが不思議そうな顔をしながら、俺たちの会話に割り込んできた。
「え、誰?」
「友達です」
「はぁ…」
「どなたですか?一久さん」
「皆川さん、バイト先の先輩」
「なるほど。初めまして、藤間詠歌と申します」
「皆川です、よろしくー」
流石皆川さん、もうフレンドリーに接し始めた。
トウマは自分の傘と俺の為の傘を二つ持ってここまで来てくれた。決して近い距離ではないので、かなり面倒をかけた筈だ。
「河橋君の友達かぁ、あんまイメージしてなかった子だ」
「まぁ、俺もこういうタイプの人と仲良くなるのは初めてなんで」
「………………………」
「可愛い子じゃないか。それに気が利く」
「そうですね」
「撫でていいか?」
突然皆川さんがそんな事を言いながらトウマの頭の上に手をやった。
その瞬間、俺は無意識に皆川さんの手首を掴み、トウマは一歩引いた。
「…えっと…」
「………………………」
「すんません、大事な『友達』なんで」
自分でもそこまでしなくてもいいんじゃないかってくらいの力で皆川さんの手首を掴んでいて、一ミリだってトウマに近づかせない様にしてしまった。
すぐに手を放し、気まずい空気が流れている。やってしまったと思う。
「ご、ごめんね。頭撫でられるのは嫌だったか。そうだよね、さっき会ったばかりだし」
「いえ…あの、いえ…」
「すみません皆川さん。あ、そうだ傘使ってください」
「え、でもそしたら君の傘が無いじゃないか」
「俺たちは二人で使えばいいので。ね?」
「はい」
こうして俺とトウマは二人で一つの傘を使って家に帰った。トウマの使ってきた傘が大きくて良かった。
豪雨の中ようやく家に着きそうなところで、二人の男性が雨の中にいるのが見えた。一人は地面に倒れていて、一人はその男性を見下ろしている。
「あ…」
「なんだあれ、大丈夫か?」
「あ、一久さん…」
家の前でそんな状況になっているので、流石に声をかけた。
近付いてみて分かったが、立っている男性の方はおじいさんと言われてそん色ない年齢の人だった。
「あの…大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫です。ただ、彼が私の孫に害を与えている奴だと分かりましてね」
「孫?」
「お爺ちゃんです、私の」
後ろからトウマが男性の正体を教えてくれた。
「え、お爺ちゃん!?」
「おぉ詠歌、久しぶり…でも無いな」
「何やってるのお爺ちゃん」
トウマのお爺ちゃんという事で、とりあえず俺の家に迎える事になった。
リビングでゆっくりしている母も、突然知らないお年寄りが来て驚いていたがトウマの祖父と知ってしっかり挨拶をし合っていた。
「いやはや、お見苦しい所をお見せしましてすみません」
「いえいえ…というか、例のストーカーはあの人で合ってるの?」
「はい、一応あの人です」
「すごいですね、何か武道でも極めてるんですか?」
「いやいや、そんなことは…」
「ただの柔道好きです」
「大丈夫でしたか?何か怪我は」
「大丈夫だよ、ありがとう心配してくれて」
「何十年ぶりかの手加減なしの一本背負いが出来てむしろ得してるので、大丈夫ですよ」
トウマのお爺ちゃんは図星だったのか少し気恥ずかしそうに、されど嬉しそうにしながら後頭部に手をやって笑っていた。
トウマのお爺ちゃんへの態度を見るに、お婆ちゃんの花代さんとも違う雰囲気。どちらとも親しい関係ではあるのだろうが、花代さんの圧を中和してくれる柔らかさがあった。
「キミが一久さんか、いやぁ噂に違わない好青年」
「そんなことはないですけど…噂されてるんですね」
「詠歌は帰って来たらまず君の話をするよ。まぁ、彼氏なんだからするのは当たり前か」
「彼氏?」
「彼氏じゃない!」
トウマは突然のお爺ちゃんの爆弾発言に声を荒げた。こんなに焦っているトウマは初めて見た。
「彼氏じゃないのか?花代が付き合ってるって言ってた気がするんだが…いや、付き合うかもしれないだったかな?覚えてないけど」
「そんなあやふやな状態で喋らないでよ…」
なるほど、なんだかんだトウマを振り回すのはお爺ちゃんの方なんだな。何となく分かって来た。
「というか、何で来たの?」
「何でってそりゃあ、孫が心配だったからに決まってるじゃないか。ストーカー被害にあっているなら尚更」
「何でストーカー被害にあってるって知ってるの?」
「言ってなかったのか」
「私が教えたんだ~」
お茶を用意していた母が人数分のお茶をお盆に乗せて俺たちの会話に入って来た。どうやら母がトウマの祖父母に現状を連絡したようだ。
いくら成人してるとはいえ、流石にそういう連絡はされるだろうな。
「心配かけたくないというお前の気遣いは分かるが、それでお前に大変なことが起きたらそれこそ取り返しがつかない。次はお前から最初に連絡する様に、って花代からの伝言だ」
「はい…ごめんなさいでした…」
「反省しているなら良し、それにしても良い契約主だ。ありがとう、美佳さん」
「いいえ~」
しばらく話して、トウマのお爺ちゃんは帰る時間になった。
「お邪魔しました。突然来てしまい申し訳ありません」
「いいえ、またいらしてください」
そのまま家に背を向けてトウマのお爺ちゃんは歩き出したが、ふと立ち止まりこちらに振り返った。
「トウマ、お爺ちゃんからのアドバイスだけど」
「何?」
「素直になっていいぞ、一久さんは受け入れてくれる」
「………………………っ!!」
「じゃ」
結局最後の最後までトウマの調子を狂わせていく人だった。
どうやらトウマにとってお爺ちゃんの方が花代さんより、落ち着くことを許さない人のようだ。




