15
久美と別れて、付き合ってから毎日続いていた連絡の取り合いはなくなった。
面倒に感じてはいたが、それが無くなったら無くなったで寂しくなると思っていた。
「電池の消費量が少なくなった」
「何でですか?」
「久美と連絡取り合わなくなったから。元々携帯弄る人間じゃないし」
そんな予想とは裏腹に、自分の携帯のバッテリーの多さを再認識出来ただけだった。
隙あらば電話、そうでなければメッセージを送って来ていたので、彼女と付き合っていた頃は、俺の携帯のバッテリーは半日過ぎた頃には充電しなければいけなくなっていた。
それが今や無くなり、二日は軽く保つ様になった。
「それはそれは、良かったですねぇ」
「別れたのは悪い事ばかりじゃなさそうだ」
「その程度を『良い事』に入れるのもどうかと思いますけど」
「でも、みんなからの連絡は凄かったよ。別れた当初は」
久美と別れてすぐに、久美が誰かに言ったのかどんどん周りの人間から確認の連絡が来た。みんな就職したら、確認がすぐに取れる良い社会人になれるだろうな。
しばらくはその対応に追われ、今はそれがようやく収まったところだ。
俺が凹んでるんじゃないかと心配してくれた奴もいたけど、俺と久美が別れて喜んでる気持ちが隠せない奴もいた。
浅く広く付き合うと、そういう面倒な連絡が来ることも今回で学んだ。最後の方は、お前に関係ないだろとか言いそうになったけど、寸でのところでそれは辞められた。
「トウマ」
「はい?」
今俺の部屋の窓を拭いてくれているトウマに、ベッドの上から話しかけた。
しかしトウマは手を止めることなく、作業しながら返事をする。
「もし二人で外に出掛ける時、申し訳ないけどまだもうちょっと…人目を憚りながらになるかもしれない」
「まぁ、それは今までと変わらないので別に構わないんですけど…。理由は」
「確かに前は久美にバレるのがマズかったんだけど。もしこの後、トウマと街中歩いてたりしてるのを他の人に見られたりしたら、トウマが悪く言われるんじゃないかと思ってさ」
「傷心中の一久さんに漬け込んだ女…って具合ですか」
「そんな感じ。流石に…トウマがそういう事言われるのは、俺も嫌だし」
「言われるより先に、そもそもあいつは誰だってなると思いますけどね」
「なら、それはもっと避けたい」
俺はこの先、トウマとどんな関係になろうと、トウマの事を誰にも教えないだろう。
ただ家で雇ってる家政婦だったとしても、初めて出来た女友達だったとしても。
時刻は只今16時、そろそろトウマが帰る頃。
トウマは俺の部屋から見える綺麗な夕日と景色を見るのが好きだったけど、今は真夏。日が沈むのは18時過ぎた頃からになる。
「夕日、見えないですね。真夏は」
窓から見えるまだ赤くもならない太陽を見ながら、寂しそうな声で言った。
「そりゃまぁ、夏だからね」
「なら、夏はあまり好きじゃないですね」
「その程度で嫌いにならんであげてくれ」
トウマが真面目な顔をしながら言うものだから、俺は鼻で笑いながら言った。
「あ…」
「ん?」
「道で男の子が転びました」
「あらら」
「泣きそうですけど…おっと耐えました。いや泣くか?」
「実況すんな、見てやんな」
心なしかトウマは楽しそうにしながら、道で転んだという少年の現状を俺に教えてくれる。実際、目の前で同じようなことが起こればすぐに助けにいく様な性格してるくせに。
「私小さい頃、アニメでよくあるバナナで人が転ぶってやつ。アレ本当に滑ると思ってたんですよね」
「あー…そうなんだ」
「あ、馬鹿にしてますね」
「実際試したわけじゃないんでしょ?」
「まぁ、そりゃあ…」
「俺はやったぞ、実験」
「え、やったんですか?」
「あぁ、しかも車でな」
「車で!?どうやって!?」
小学生の頃、友達とバナナの皮を車のタイヤが通るであろう位置に置いて、遠くから滑るかどうかを試したことがある。
「結果は?」
「滑ってた。けど多分今考えてみれば、そんなでも無かったんだろうし。運転手の人も滑った事にすら気付かなかっただろうね」
「本当にやる人いるんですね」
「まぁ、ぶっちゃけバナナの皮踏むってより、バナナの実と皮を踏んでようやく滑りそうだよな」
「あー…あのネチョネチョした感じで」
言い方はあれだがそういう事だ。
と、まぁ当時のくだらない実験の何にも役に立たなそうな考察を繰り広げていると、トウマの終業時間になった。
「それでは私は帰ります」
「ん、じゃあまた」
「一久さんって、夏休みいつまでなんですか?」
「9月中旬までかな。まぁ後もうちょっとあるかな」
「そうですか」
「何で?」
「いえ、作業中に一久さんに話しかけられてるといささか邪魔なので。こんな日はいつまで続くのかと…」
「……ごめんね」
「冗談ですよ。あ…」
「ん?」
「一久さん、今日働いた分。アイス買ってください」
「は?何急に」
トウマが珍しく、そんなおねだりをして来た。大体こういう時、俺が何か貸しを作ってる時だ。
何かあったかなぁと思い出しつつ、検討のつくものが無くて悩むかと思ったら、思いのほか心当たりがあり過ぎて悩んだ。
「嫌ですか?」
「別に、俺も冷たいもの食べたかったし。いーよ」
突然のトウマの誘いで、俺たちは二人で近くのコンビニまでいつもの様に二人乗りで向かった。
コンビニに着きそうになったらどちらかが先に自転車を降り、別々に時間差で入る。これは俺とトウマの関係を他の人にバラさない様にするためにいつもやっている事。
キャンプでは人目を気にしなくて良かったから、一瞬忘れそうになった。
「何にしましょうかねぇ…」
「なんだ、食べたいもの決まってたんじゃないの?」
「決まってないですよ、でも何となく冷たいものが食べたい時ってあるじゃないですか」
「…まぁそうだけど」
これもまた珍しいと思った。
トウマは明確な目的や要件もなく、誰かを連れ回すような事はしない。これは長い付き合いだからとかではなく、本人が前にそう言ってた。
自分の我儘で人の時間を取り上げてしまうのは申し訳ないとか、なんとか。
(これは、仲が深まったって事なのか…?)
俺は自分の買うものを決めた。けれどトウマがまだ悩んでいる、なので先に取り出すと帰りがけに溶け始めてしまうことを危惧し、冷凍庫から取らずにいる。
横でジッと冷凍庫と睨めっこしている彼女を見ていると、ふとあることに気が付いた。
(アイス見てないな…こいつ)
その顔はとてもアイスが食べたくて悩んでいる人間の顔ではなく、何か思いつめた様な顔をしていた。
「決めました、これにします」
そう言ってトウマはいつも食べているアイスを取って、そそくさとレジの店員さんに会計をお願いした。
「264円になります」
「はーい」
「これで」
「え、ちょっと一久さん」
「奢ってくれって言ったの誰」
「あ…本当に良いんですね…」
アイスの入った袋を持って、また二人乗りで帰る。
道中トウマの家の前を通るから、いつもトウマをそこで下ろすのだ。
「ちょっ…!一久さん!?止まってください、私の家…」
「まぁまぁ、うちで食べて行きなよ」
彼女を後ろの荷台に乗せたまま、俺はいつもより少し早めに直帰する。
家に着くと、まだ誰も帰ってきていない。
静かなリビングにあるテレビを付けて、夕方のニュース番組を流す。
トウマは未だに何故俺がまた家に呼び戻したのか、分からないといった顔をしながら、アイスを頬張っていた。
「ストーカーですか」
「………………………っ!?」
「当たり~」
俺はソファに、トウマは俺の足元に座っている。いつもソファの上に座っていいって言ってるのに、何故か彼女は従業員としてのルールなのか固いフローリングにクッションを敷いてその上に座る。
まぁ今はそんな事どうでも良い。
問題は俺が放った言葉にしっかり反応したことについてだ。
「何のことですか」
「何のことですかじゃないわアホ、アイス奢れって言って普通に自分で払おうとするし、何かソワソワしてるし、気付くわ馬鹿でも」
「………………………」
トウマは申し訳なさそうに背中を丸め、いつもの凛とした背中を俺に見せてくれなかった。
「キャンプに行く前くらい…ですかね。それくらいから、ストーカーらしき人がいるなぁと気付き始めまして。でも何かされたわけじゃないので無視してたんですけど…さっきすぐそこにいるのを見つけてしまって…」
「だからコンビニ行こうとか言い出したのか」
良かった、何か返してない貸しがあるのかと思った。
「流石に仕事場である一久さんの家の近くに来られたら…一久さんたちにも迷惑掛かっちゃいますし…」
「いやいやいや、そうじゃないだろ」
「………………………?」
「『怖いです』で良いでしょ、そこは」
「………………………」
トウマは驚いたような顔をしてこちらを振り返った。
「今なにもされてないって、そんなん時間の問題だよ。少なくとも、これからもっと過激になるし、いつかお前の家のインターホンを押しに来るかもね」
「それは…まぁ迷惑ですけど…」
「だから!」
トウマの隣にソファから滑り降りて、トウマの頭を鷲掴み、俯くトウマの目をしっかり俺の目に合わせた。
「『怖いので助けてください』で良いっつってんの!」
「…でも…仕事先の人に…」
「お前の仕事はさっき終わったろ。だから今この時間は、友達として付き合ってんだけど」
「…あ…」
「で、どうすんの?このまま家出て、自宅帰るまでビクビクして、逃げ場も助ける人もいない自宅で襲われる?」
「それは嫌です…!怖いです…」
「じゃあどうすんの」
トウマは、少し震えた声で言った。
「助けてください…一久さん」
彼女の肩が初めて震えてるところを見た。




