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「あの時、言ってたことなんだけど、本気?」
「まぁ、半分本気ですかね」
トウマは線香花火対決の後、負けた方が勝った方に何か一つお願いをするという罰ゲームを設定した。
そして、願い事に悩む俺に助け舟として例えを出してくれた。
その例えというのが、
『今の彼女と別れて、トウマと付き合う』
というものだった。
確かに今の彼女には幸せより不満を貰う事の方が多く、そろそろ別れようと思っていた。トウマもそのことは知っている。
「半分本気っていうのは、どういう事?」
「半分っていうのは、彼女と別れるところまで本気。冗談は私と付き合うことです」
「冗談か」
「まぁ、私の一番の優先は今の彼女さんと別れさせることなので」
「それは…何でか聞いて良いの?」
「あの恋人は、正直やめた方が良いです。一久さんのこれからの足枷になる」
「…なるほど」
「一久さん、あの彼女にバリスタの修行で海外行くって言ってますよね?」
「うん。彼氏が海外行くってあいつとしてはドラマみたいで面白いって言ってた」
「絶対着いてきますよ。着いてこなくても、頻繁に連絡してくるでしょうね」
「まぁな…」
「足枷になってる怒りをぶつけて別れるより、さっさと別れた方が良いという意味で、あの例えの提案をさせて頂きました。一番手軽なのが私というだけで、別に私と付き合う必要はないです」
つまり、口実の一つとして他に好きな人が出来たってことで、自分を使えと言ってるのだ。
もちろんトウマの言ってることは正しい。
彼女の我儘を我慢するのも、正直大学在学中と決めている。それまでに融通の利く子になってくれれば良いと思っていたが、今のところそんな雰囲気は感じられない。
「………………………」
「一久さんが意外と本気で惚れてるなら私の提案は鼻で笑ってもらって結構ですけど」
「…俺は、俺はトウマをそんな感じで使えないよ」
「やっぱり私じゃ説得力無いですか」
「そうじゃない。そんな彼女と別れる口実でトウマに好きな人を演じてもらうのが、嫌だって言ったんだ」
「…じゃあ他に当てがあるんですか?一久さん、女の子の友達いないじゃないですか」
「うっ…」
痛いところを突かれた。トウマはそれを分かって言ったのだ、俺にこんな相談を受け入れて、一役買ってくれる友達がいない事を。
「でも、良いのか?そんな…なんか、道具みたいな。道具は言い過ぎだとしても…」
「別に、友達ならこれくらい普通じゃないですか」
「友達…友達か…」
「そ、友達ですよ。私たちは」
「そか、…じゃあ、普通か」
「はい、普通です」
トウマは淡々と答えている、いつもと変わらない日常の会話と同じ温度で。
彼女にやましい気持ちが無いのは分かっているが、それでも何か、特別に思っていた俺とトウマの関係に『友達』という言葉が当て嵌められた時、心の中で何かが動いた様な気がした。
「さて、出ますか」
「え?あ、おぉ…」
「全然飲んでないじゃないですか」
「帰りの車で飲むんだよ」
「漏らさないでくださいね」
「小学生か俺は」
トウマに言われたからなのかは知らないが、なぜか車に持ち帰ったコーヒーは、家に帰るまでに一度も俺の喉を通ることはなかった。
帰りにたくさん寄り道をしたので、家に帰った時には外は真っ暗でそろそろ一日の終わりが来る頃だった。
「それでは、私は帰ります。今回はお誘い頂きありがとうございました、楽しかったです」
「こんな遅い時間に一人で歩かせられないよ、一久」
「ん?」
「送ってあげな」
「んー」
「別にいいですよ、歩いて5分程度ですし」
「じゃあ5分程度お前と歩いても良いよな?」
そう言い返したら、トウマは何も言わなくなった。
街灯が拙くて、懐中電灯を持って歩いていたキャンプ場とは違って、都会の道はとても明るかった。
代わりに肌を撫でる不快な生暖かい風が吹いてくる。
「東京ってなんでこんなに暑いんだろーな、やっぱ人と建物の多さか?」
「地形の問題でしょう、暑い場所は自然豊かでも暑いんじゃないですか?」
「やっぱ山があると無いとじゃ違うんだろうな」
「まぁ、そうでしょうね」
最後にトウマが興味なさげに言ったから、気温の話はそこで終わった。
「………………………」
「………………………」
前から自転車が走ってきて、道路側を歩いていた俺はトウマの方に寄って避けた。別に避けなくても良かったのかもしれないけど、一応。
「………………………」
避け終わった俺はまたトウマから距離を空けようとしたその時、トウマが俺の手を握ってきた。
思わず握られた自分の手を見て、その後すぐにトウマの見る。トウマはすまし顔で道の先を見つめていた。
「………………………」
トウマのその態度で、声を掛けたらその手を放されてしまうと思った俺は、そのままゆっくり、そっと握り返した。
「………………………」
「………………………」
トウマの指はとても細かった。細くて、冷たかった。
多分、握力勝負しても俺が圧勝する。
あれだけ用意周到で、何でも出来そうなのに、手を握っただけで俺にただの女の子であることを証明してくる。
いつも美味しいご飯を作ってくれる手、窓を綺麗に拭いたり、掃除機を扱っている手。
一つ一つの所作が丁寧で、綺麗で、見惚れてしまいそうになるけど、俺はトウマの手が一番綺麗だと思う。
トウマの手が一番好きだった。
トウマの足が止まった。
前だけ見ていた俺はふと、横にいるトウマの顔を見た。
トウマも俺を見ている。俺の買った灰色の帽子の『ツバ』から、微かに見える。
陰ってしまって表情が読めない。早く家に入るために離して欲しいと思っているのか、俺と同じ気持ちなのか、まったくわからない。
教えてくれ、俺とお前の温度はどれだけの差がある。
この細い指と同じ温度なのか?
お互いが俯いた様にして、俺はトウマの前頭部に額をくっ付ける。
嫌がるかと思ったけど、トウマはそのまま動かない。
そしてただ一言だけ、
「一久さん…重いです」
「んー…」
お風呂に入ったわけでもないのに、トウマの髪から良い香りがする。
いつもトウマに疑問を持ってばかりだ。トウマが謎の多い人だから?
違う、これは……
「一久?」
「「………………………っ!」」
永い時間の中心にいる様な気分の俺たちは、一人の女性の声で引っ張り出された。そしてまた、生暖かい風が俺たちを撫でていった。
顔を上げて声のした方を見てみると、俺の恋人の久美がいた。
自転車を手で押していて、バイト帰りの様な出で立ちだった。
「誰…?何で手繋いでるの…?」
「いや…これは…」
「ねぇ、誰?」
「………………………」
もう遅いけれどトウマと手を放そうとしたが、トウマは俺の手をさっきよりも強く握り返し、離せなかった。
「トウマ…?」
「一久さんの彼女さんですか?」
「そうだけど、あんたは?」
久美はもう見るからに不機嫌そうな顔をしている。今まで見たこともないくらい。
そしてトウマは帽子を脱ぎ、いつもと変わらない飄々とした、目の前の事に対して一切の興味が湧いていない様な顔をしていた。
「藤間詠歌です」
「で、その藤間さんは何でうちの彼氏と手を繋いで親しげなの?」
圧の強い言い方のまま、トウマに近づく久美。
しかし、トウマはそんな事に一切動じていない様子。
「とりあえず、その手を放してもらえない?」
「嫌です」
「ちょっ…二人とも落ち着いて」
「放してよ」
「嫌です」
「二人とも…!」
久美がトウマの手を握って力尽くで放そうとするので、俺はその手を止めた。
「何で邪魔するの!?」
久美もまさか俺に邪魔されるとは思っていなかったようで、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
俺はトウマから手を放し、久美の両肩を持ちながらトウマから彼女を遠ざけた。
そして目線を合わせ、一拍の呼吸をしてから口を開く。
「別れてくれ、俺と」
「え…?」
自分が思っていた言葉とは違う言葉をかけられて、久美の表情は一瞬で固まった。
「別れて欲しい」
「そんな…嫌だよ…なんで?あの人を好きになったっていうの…?」
「いや…あの子を好きになったんじゃなくて…」
「じゃあなんで私と別れるの?」
「………………………」
俺はまた少し黙ってしまった。また覚悟が決まってなかったのかもしれない。
だけど、この話を、あのトウマとの状況を見られたら、きっとこの先上手くいかない。
「いや…あの子が好きだ」
「………………………」
トウマの方は見なかったけど、さっきと表情は変わっていないだろう。
「俺、あいつが好きだ。だから、そんな状態で久美と付き合えない」
「いつから…?」
「分かんないけど…久美とこれ以上は付き合えないって思ったのは…少し前から」
「…もういい」
久美は俺の手を自分の両肩から振り払い、力なく乗ってきた自転車にまたがった。
「久美…」
「夏祭り…行きたかった…。旅行の計画も立ててたのに…」
「………………………」
久美はそれだけ言って自転車を漕いで自宅に戻っていった。
俺たちはその後ろ姿を、消えてしまうまで見送る。
ようやく見えなくなった所で、トウマが俺に話しかけてきた。
「一久さん…大丈夫ですか?」
「女の子を振ったのは、初めてじゃない…」
「そうですか。…すみません、まさかこんな急に事に及ぶ事になるとは思ってなくて…」
「トウマは悪くない。むしろこんな結果になったのは、もっと早い段階で別れを切り出さなかった俺の怠慢のせいだ」
「こんな時くらい、自分を責めないでくださいよ」
トウマが俺の胸に拳を打ち付けた。
男ならシャンとしろと、無言で言われた気がする。
「ごめん、なんか流れでトウマも巻き込んだ」
「別に、口実にするなら丁度良い相手とタイミングでしたから。望み通り勘違いもしてくれてましたし」
「まぁ、アレは視覚的情報が全てでしょ」
こんな時間にあれだけ近い距離間男女がいれば、誰でもただの友達関係とは思わないだろう。
「じゃあ、私はここで…」
「あ、ここだったんだ。ごめんね、家の前で」
「大丈夫ですよ、この時間起きてる人なんていないですから」
「今日のお詫びはするよ、またね」
「別にそんなのいいですけど」
そう言ってトウマは階段を上がり、一番端の部屋に入っていった。
入る前に見送ってる俺の方を振り返って、シッシッと手で追い払うモーションを取った。
あいつは俺より年下である。




