4日目
朝の目覚め、熟睡とは言えない程の睡眠時間を過ごしベッドから起き上がる。
当たり前のようにテレビを付け、ニュースを聞きながら、冷蔵庫を開き、牛乳を取り出すとグラスに注ぐ、ニュースは新たな惨殺死体の発見に大きく賑わっていた。
一週間足らずで、四人の被害者が発見されている。
被害者の発見場所は人気が無い路地裏かと思えば、人通りの疎らな、被害者を運び放置するにはリスクの高過ぎる場所などもあり、警察も犯人がどう考えて行動しているのか、わからないような状況になっていた。
「またか、この事件のせいで警察も至る所で目を光らせているな、困ったものだ」
牛乳を飲み、ハムとチーズを口に運ぶ。
ニュースは地方のイベント等を取り上げ、さっきまでの暗いニュースを掻き消すように明るいニュースだけが読み上げられていく。
──暗い世界を語れば、次に希望の世界を語る。まるで鼬ごっこだな……
しかし、斎藤は事件の進展がない事実に違和感を感じていた。
──日本の警察は馬鹿じゃない、犯人を追い詰める為に情報の開示を行わない事もある、だが、余りに不自然だ……
斎藤はマンションでの聴き込みにも、ニュース同様の不思議な違和感を感じていた。
昼に聴き込みを行うなら、ともかく、沖野 恵に警察官が話し掛けていたのは夜中であり、偶然と言うならば、それまでの話だが、斎藤はそうは考えなかった。
「沖野 恵は、俺の存在に気づいているのか……だとすれば、俺の前に警察が現れるのも時間の問題だろうな……あの女は一体なんなんだ……」
自身に突如向けられたであろう、試練に恐怖ではなく、喜びにも似た感覚に身を震わせる。
斎藤は空のキャリーバッグを1つ選び、幾つかの名簿を手に取ると一冊、一冊、指でなぞりながら、次々に閉じては新しい物を開いていく。
“19*1年”
“19*0年”
“19*9年”
次第に遡る年歴、斎藤が微かに笑みを浮かべる。
“沖野 恵”
斎藤は名前の書かれた名簿ともう1つ別の名簿を手に、外に出ると隣の部屋の鍵を開き中に入ると、二つあるうちの片方の扉に鍵を差し、不敵な笑みと共に室内に入る。
無数の金庫には、八桁の数字が書かれている。
“19*019*9” “20*020*9” と、いった具合に書かれた数字の中から、名簿の年歴と重なる金庫を見つけ、金庫を開く。
金庫内には、“〇〇高等学校”と書かれたリストがあり、住所と生年月日、家族構成等が書かれている。
三冊の名簿を重ねあわせ、その中から一人の女性を選び出しす。
「罪人がわかった今、動かぬ訳にはいかないのです……神よ、罪深き我は、更なる罪を重ね、罪人に罪を与える事を御許しください……」
祈りの言葉を口にした斎藤は小さく「綾野 玲矢」と名を呟く。
部屋に戻り、キャリーバッグを手に通常のエレベーターを使い、一階に向かっていく。
しかし、八階を通り抜けようとした時、嫌な寒気が斎藤を包み込む。
七階……『ドアが開きます』とエレベーター内にアナウンスが流れる。
「あ、斎藤先生……三回も、同じエレベーターなんて、奇遇ですね」
開いた先に立っていたのは沖野 恵であり、“奇遇”と言う言葉に斎藤は只ならぬ恐怖を感じた。
「沖野さん、また同じエレベーターですね」
笑顔を見繕う斎藤。
「はい。あ、私からしたら、すごく嬉しい偶然なんですよ、斎藤先生は、またお買い物ですか?」
キャリーバッグを見る斎藤。
「えぇ、買い忘れがありまして、時間がある間に済ませようと」
「そうなんですね。私は此れから友達と食事なんです。少し早く出すぎたんで、良かったら一緒に買い物しませんかって……迷惑ですよね」
──偶然……それより、何を言っているんだ? 友人と食事なんだろ? 何が狙いなんだ。
「あ、いや、友人と食事なのに、遅れては大変でしょうし、次の機会にでも、御一緒出来たら幸いです」
「そうですか……なら、約束ですよ? あ、良かったらスマホの番号を教えてください! 暇な日に絶対、連絡しますし、暇な日を教えて貰いたいんです」
断れない密室の中で、斎藤は静かにスマホを取り出し、番号が互いに打ち込まれていく。
「嬉しいです、あの……本当にありがとうございます!」
沖野 恵が頭を下げると同時に斎藤の手に握られていた沖野 恵のスマホに着信が入り、【綾野 玲矢】と名前が表情される。
心臓を掴まれたように一瞬、全身を震わせる斎藤。
「あ、驚かせてすみません。食事に行くって言ってた友達からですね」
スマホを渡された沖野 恵は、通話を始めるとすぐに「……うん、じゃあ、また今度ね」と元気なく、スマホの画面を切る。
「友達、いきなり、用事が出来て……食事が無しになってしまいました、車で急ぎの用と行っていたので、今日は諦めです」
それと同時にエレベーターが一階に到着する。
斎藤も同様にターゲットを失っていた、エレベーター内に不穏な空気が漂う。
空のキャリーバッグを抱えて、一階に到着した斎藤は自然を装うように声を出す。
「近場になりますが、買い物に一緒にいきますか? ついでなので、食事も宜しければ?」
沖野 恵の情報を手に入れようと考えた斎藤は買い物と食事に誘う事を決めたのである。
ハイリスクであるが、情報の無い戦いは敗北の確率を高めるのみと斎藤は理解していた。
一握りの情報が多くの勝利に繋がる。
「いいんですか?」
「勿論です。素敵な服を着ているのに悲しいなんて、辛すぎますからね」
その日、斎藤は沖野 恵と買い物と食事をする。
情報の為と考えていた斎藤であったが、沖野 恵という女性の明るさと真っ直ぐな人柄に触れ、食事の際に罪悪感すら感じてしまっていた。
話の内容は斎藤の医師として働いていた頃の物から、沖野の学生時代の話と続き、時間は瞬く間に過ぎていく。
そして、マンション七階……別れの時が来る。
「斎藤先生……今日はありがとうございました。こんな素敵な日にしてくれた友達にも、しっかりと御礼をしますね」
「あ、いや……凄く楽しかったよ。また機会があれば、是非」
「はい」
笑顔でエレベーターを後にする沖野 恵。
その日の夜……交通事故のニュースが流れる。
『交通事故の現場からお伝えします。事故をおこした車はブレーキを掛けた痕跡は無く、凄まじいスピードでガードレールに衝突した模様です、運転していた綾野 玲矢さんが病院に運ばれましたが死亡が確認されました。現場は見通しのよいカーブであり、自宅に向かっていた綾野 玲矢さんが運転を誤ったものと見て、警察は事故原因を調べる方針です』
テレビを消す斎藤。
「なんなんだ……いったい、何がどうなっているんだ……」
そして突如、スマホの着信が鳴り響く。
【沖野 恵】の文字に恐る恐る電話に出る。
『斎藤先生……今日、出かける筈だった友達が……私のせいで』
──自分が無理にでも、食事をしていれば、事故に合わなかったかもしれない、そう考えているんだろうな。
『沖野さんは悪くないよ、事故なんだ、だから、落ち着くんだ』
矛盾と言える会話が数分間続き『御通夜に行ってきます……取り乱してすみませんでした……』と電話が終わる。
斎藤は悩みながらも、グラスにウイスキーを注ぎ、無理矢理に眠りに着くのであった。




