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悪魔の囁き

 沖野 恵(黒目)の緊急オペが終わり、報酬を獲た斉藤、普段ならば、患者のその後に関しては、一切関わらないようにしていた。しかし、斉藤は、傷だらけの少女が気になり、病院に足を運んでいた。


 当然、病院は面会を拒否する。存在しなかったとする手術であり、患者も存在しない事になっているのだから、当然と言える。


 そんな中、一人の看護師が斉藤に少女について、耳打ちをする。


『西三病棟の個室です……夜なら』と、通りすぎる間際の一瞬、確かにそう呟いたのだ。


 斉藤は言われた通りに西三階の病棟に向かう、するとナースステーションに居たのは、耳打ちをした看護師であり、座って書類を整理していた。


「あ、あの……」


 斉藤が看護師に質問を口にしようとした瞬間、看護師が机を軽く叩く。


「あの少女との面会は出来ません、お引き取りを……」と口にしたのだ、一瞬、混乱する斉藤、しかし、看護師が叩いた机に視線を向ける。


 【一番奥の非常階段の隣、38号室】と赤文字で書かれた書類を指差していたのだ。


 咄嗟に斉藤は、自分がナースステーションに来るまでの数分を思い出す。


 ナースステーションの前には防犯カメラが設置されていた。看護師は防犯カメラから見えないように、斉藤に部屋の場所を伝えたのだ。


 斉藤は軽く頭を下げると、エレベーターに向かい、一階に降りる。


 非常階段を使い、再度、三階に向かう、非常階段の出口からすぐ横、【38号室】と書かれた部屋を見つける。


 【面会謝絶】と、書かれた札が掛けられているが、名前の書かれた札は貼られていない不自然な個室。


 斉藤は軽くノックをしてから、室内に入る。扉はアッサリと開き、殺風景な室内には花瓶はおろか、小さな小物すらも置かれていない状態であった。


 幼い少女が入院したと言うのに余りに殺風景な光景に斉藤は、寒気すら感じていた。


「誰ですか……」と言う、弱々しい声が、斉藤の耳に入る。


 斉藤の方を見つめている少女、本来なら、知らない存在が室内に居るのだから、助けを呼んだりするのが、普通だろう……しかし、怯えた様子はなく、寧ろ、堂々とした態度にすら見える。


「俺、いや、私は斉藤、君のオペを執刀した医者だ。君の術後が気になったので見に来たんだ」


 きょとん、とした表情を浮かべた少女は、小さな声で質問を口にする。


「誰かに頼まれたんですか……」


 不安そうな表情を浮かべる少女に対して、斉藤はアッサリとした口調うで答える。


「すまないが、俺は俺が気になったから、来たんだ。だが、術後の発語も、意識も問題ないようで安心したよ」


 優しく微笑んで見せる斉藤に少女は、驚きと微笑みを一緒にしたような表情を浮かべると、笑いながら、涙を流した。


「おい、どうしたんだ! まさか、傷口が開いたのか」


 慌てる斉藤が少女に駆け寄る。


「違うんです、凄く嬉しかったんです……私は、いつも……『なんで、こんな簡単な事が出来ないッ!』と、叱られてばかりで、誰にも心配された事なくて……」


 少女は、家庭での、両親からの肉体的暴力と心無い言葉の暴力の全てを斉藤に語った。


「そんな事が……直ぐに虐待で警察と児童相談所に連絡をする。だから、安心してくれ」


 斉藤の言葉に少女は、首を横に振る。


「駄目です……私の両親が捕まると、沢山の人が困ると、以前言われました……私が我慢すれば、済む話なんだって……だから、大丈夫です」


 子供が口にするには、余りに辛すぎる現実に、苦悩する斉藤。


「何か、俺に出来る事は無いかな……無力ながら、出来る事があるなら、言って欲しい」


「なら、私が将来、大きくなったら、恋人にしてください。それから、沢山、デートして、お嫁さんにしてください」


 斉藤をからかうように、少女は楽しそうにそう語り、斉藤は困惑しながらも、笑いながら、約束したのだ。


「わかった。ならだが、その頃には俺はいい年齢のおっさんだぞ?」


「先生なら、大丈夫ですよ。約束ですよ……忘れないでくださいね?」


 斉藤と少女は、指切りを交わす。しかし、数日後、斉藤が病室を訪ねると、少女の姿は既に其処にはなかった。


 退院したのか、どうかすら、わからぬまま、斉藤と少女であった、沖野 恵は別々の運命を辿る。


 斉藤はその後、命の重さを再確認し、産婦人科医として、一から学び直し、小さな病院に勤務する事を決める。


 しかし、望まれない命の存在、産まれて直ぐに、死に行く命の儚さを目の当たりにする。


 そして、産婦人科医として、一番の辛さは、妊婦のお腹の中で、生きている胎児を掻き出すと言う作業にあった。


 人工中絶、望まれない命……斉藤は、仕事と割りきれないまま、必死に向き合い、次第に心に闇を生み出していく。


 一年と言う期間を悩んでいた斉藤、三度目の中絶を希望する患者と、話をする事になり、斉藤はある質問をする。


「避妊具の使用や、ピルなど、そう言った物を使う気はありませんか? 既に、中絶が三回、母体にもかなり、無理が生じます……此のままでは、本当にお子さんを授かりたいと願った時に手遅れになりますよ?」


 斉藤の話している妊婦は、二十代前半の幼さの残る少女であり、斉藤の話をまるで、聞かず、頷くだけであった。


「先生、いいからさ? 早くおろしてよ、お腹が出てくると仕事にならないからさ」


 この妊婦は、結婚はしていない、中絶の際に旦那の承諾を得ずに行える。職業は風俗嬢であり、胎児の父親もハッキリしていない。


 斉藤は、この妊婦の人工中絶の際に、悪魔の囁きに耳を傾けてしまったのだ。


 静脈麻酔(じょうみゃくますい)を掛け、数分で終わる中絶手術、その際に子宮を必要以上に抉る。


 形に成らない胎児と共に、子宮を抉り、妊娠しにくい状態にしたのだ。当然、子宮が傷つけば、妊娠の確率は極端に下がる。


 斉藤は手術後、病院に辞表をだし、まっとうな医師でいる事をやめたのだ。


 同じ頃、斉藤の存在を必死に調べる沖野(黒目) 恵がいた。


 退院後、斉藤の存在だけが彼女の生きる目的になっていたからだ。


 希望を信じる少女と、現実に絶望した医師、真逆の二人は互いに新たな決断をする。



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