3日目
熱いシャワーでベタつく嫌な汗を洗い流す。
早朝から不快感に苛まれながら、斎藤はある事実に気づく。
「……らしくないなぁ、覚悟と言う言葉の重みを忘れ、安心の上に胡座をかいていたようだ」
風呂場から上がり、衣服を纏う。
時刻は6時……冷蔵庫の中を確認するも食料等は入っていない。
「はぁ、そう言えば……昨日はコンビニに行ってなかったな」
独り言を呟き、玄関に向かう。
玄関に掛かっている鏡に写る気乗りしない自身の表情に両手で“パンっ”と両頬を叩く。
「よし、いくか」
食料を買う為に外に出る、当たり前の行動が当たり前でない日時である事実がそこにあった。
業務用エレベーターの前に立つ斎藤。
普通ならば、必要以上に業務エレベーターに乗る事は警察の動きを考えればリスクにしかならない。だが、男の思考はそう考えはしなかったのだ。
幾つかあるキャリーバッグを持ち出す。
空の状態のキャリーバッグをわざわざ、運び、一階の出入り口から堂々と管理人室の前を抜けて外に出る。
派手なキャリーバッグを持ち歩き、スーパー等を回り、食料品を揃えていく。
車を使えば済むであろう買い物に、重たいキャリーバッグを持ち歩く事で誰の目にも場違いだと印象を与える。
帰宅する際も正面から食料の入ったキャリーバッグを引きながら、業務用エレベーターの前まで運び、ボタンを押す。
動き出したエレベーターは普段より遅く到着したように感じる。
ゆっくりと開いた扉の先「あっ!」と言う声と共に立っていたのは沖野 恵であった。
「っ! 沖野さん、でしたね? どうも」
斎藤は冷静を装いつつ、会釈を済ませ、沖野 恵がエレベーターから降りるのを待つ。
「あ、すみません。一階から間違えて、地下に降りてしまったので、私も上に行くんです……お恥ずかしながら」
「…………」
「…………はあ……?」
乗らねば逆に怪しまれる状況、一歩前に踏み出し、エレベーターへと乗る。
二人きりのエレベーター内。
「斎藤さんって先生って呼ばれてるんですね。さっき、管理人のおじさんと偶然話してたら教えてくれたんですよ」
「嗚呼、元医師なんだよ……」
「そうなんですね。以前もキャリーバッグを持っていたので、旅行とかが趣味何ですか?」
「いえ、単なる買い物なんですが、荷物を入れるのに使ってるんです、変わってるとよく言われますが」
キャリーバッグの中に入っている食料品をジッパーを開き軽く見せる。
「あ、あの……すみませんいきなり、御迷惑ですよね」
「え、何でですか?」
いきなりの質問に戸惑う斎藤。
「す、すみません……なんか質問ばかりしてしまって」
「いや、少々人見知りで、誤解させてしまって逆にすみません」
そんな、会話とも言えない会話が終わると同時にエレベーターが七階に到着する。
「本当にすみませんでした。誘拐事件が多発してますのでお気をつけてくださいね」
そう言い、頭を軽く下げると沖野 恵は足早にエレベーターから降りていく。
斎藤は最上階に着くとホッと胸を撫で下ろす。
── 一度は偶然、二度目は神の悪戯とするならば、それもいい。
そんなことを考えながらも、沖野 恵にキャリーバッグの中身を確認させる事が出来た時点で今後、怪しまれる確率も減ると考えたからだ。
──もし、警察に彼女が何かを話していても、当分は動かなければ問題ないだろう、罪人に暫しの猶予を与えよう。
夜になり、ざわめく街を見下ろす斎藤は微かに笑みを浮かべていた。