黒目 恵
病院の駐車場、無言のまま、腕を掴まれる沖野 恵と斉藤の姿が其処にあった。
掴まれた細い腕は、小刻みに震えていた。その振動を感じる斉藤の手に力は入っておらず、振りほどこうと抵抗したならば、容易く振り払う事が出来る程の力しか掛かっていなかった。
「離して下さい……先生……」
「恵さん……本当に振り払いたいなら、構いません、何度でも追い掛けます」
月明かりだけが、ぼんやりと二人を照らす駐車場。
斉藤に向かって、振り向いた沖野 恵。
「先生、話は帰ってからにしましょう……」
「なら、送りますよ」
「私も車です……」
一瞬の沈黙、しかし、悪い沈黙ではなかった。互いが一瞬、困った表情を浮かべながらも、笑みが生まれたのだ。
「先生、帰ったら全て話しますね、私のすべてを」
その言葉の重みを斉藤は後に知ることになる。
マンションに辿り着くと、数台のパトカーが停車している事に二人は気づく。
互いに、覚悟を決める斉藤と沖野。
マンションの駐車場で、合流した二人。
「恵さん……食事は今度になりそうですね。多分、表のパトカー、俺を捕まえに来たんでしょうから」
斉藤は、自身の罪が明るみになったのだと考えていた。
「先生、彼らは、私に用があるんだと、思います。巻き込まれないように先生は車で遠くに逃げて下さい……先生は捕まっては駄目な方ですから……」
そう言うと、沖野 恵は、優しく笑みを浮かべた。
「先生……最後のワガママになるかも、しれません……その花束を頂けませんか?」
斉藤の手に握られた造花の花束を指差す沖野 恵。
「待ってくれ、最後のって? なんで、沖野さんが、もし、俺のせいなら、全て俺がやったことにする、そうすれば」
「違うんです……私は、先生の思ってるような人間じゃないんです……」
突然の言葉に二人の会話がなくなる。
そんな時、沖野 恵のスマホに着信が入る。
画面を確認すると、斉藤に向かって手を伸ばし、涙を浮かべる沖野 恵。
「最後のワガママなんです……先生から、もう一度、花が貰いたい……私は先生が好きなんです……誰にも渡したくない」
沖野 恵の突然の告白と同時に、“カチャ”と、鈍い金属音が地下駐車場に響く。
二人が音の方角に視線を向ける。其処には煙草を加えたスーツ姿の男が二人を見つめるように立っており、伸ばされた片手には銃を構えている。
沖野 恵が軽く、後ろに下がろうと足を動かした瞬間、“タンッ!”と言う音と共に足元のコンクリートが弾ける。
「動くなッ! テメェは絶対に逃がさねぇぞ! 黒目 恵ッ!」
沖野 恵を前に、銃を構えた男が突如、怒鳴った黒目 恵と言う名前に、斉藤は混乱する。
しかし、沖野 恵は、動揺する様子はなく、斉藤を庇うように手を伸ばしたのであった。




