過去……中
しかし、大学病院は人々の笑顔よりも金を優先し、財ある人々に対して笑みを浮かべ、金無き者達を嘲笑った。
研修医からドクターになり、初めて担当する患者の病室内、斉藤と共に笑う入院患者達。
「斉藤先生は本当に明るい人だ」
「ほんとに、ほんとに」
斉藤は受け持ちの患者だけでなく、多くの患者から愛されるドクターであった。
「先生? 顔色わるいぞ? 飯を確りと食べないと俺らみたいに入院しちまうよ?」
「あはは、でも、斉藤先生が担当で幸せだな、最近は体調がいいからな」
冗談とも本気とも取れる患者からの言葉にも笑みを浮かべる日々、多忙ながらに充実した日々と言えた。
しかし、大学病院は多くの経験を積みなさい……と言わんばかりに、斉藤を他の科に研修に向かわせるようになり、それに答えるように斉藤自身もスキルを身につけ、寝る間も惜しむ程に勉強していく。
そんな中でも、収まること無き、才能を発揮する斉藤に同期や先輩ドクター達は少なからず嫌悪感を露にするようになる。
各種の患者を確りと把握し、寝る間を惜しんでまで、真剣に取り組む姿は眩し過ぎたのだ。
そんな中、医療ミスが起きる。一人のドクターが術後の処理を誤り、斉藤の担当患者を危篤状態にしてしまう。
本来、斉藤が入る筈だった手術室、しかし、斉藤は院長室に呼ばれ手術に参加しないように言われたのだ。
「院長先生……何故ですか……」
高級な机に金の時計、巨大な本棚に並ぶゴルフ等の大会の金と銀のカップ。
「分からないかなぁ……斉藤先生……君は本当に素晴らしいダイヤの原石だ、素晴らし過ぎて、他の者たちが石炭に見える程だ。ダイヤはいいよね……凄く綺麗だし、でもね……輝き過ぎるダイヤは危険も呼び込むんだよ」
院長が口にした意味を即座に理解すると下を向く斉藤。
目に見えるよりも大きな壁がある事実をその身に感じながら、院長の話を無言のまま聞き続ける。
「つまりだ、斉藤先生……簡単なオペは他の医師に任せればいい……君は更に難しいオペをその目にして、学びなさい……わかるね?」
バレない程度に奥歯に力を込める……その場に居たくないと悟られぬように、穏やかな表情を浮かべ、一度うなづく。
「なら、話は終わりだ。確りと我が病院の為に働くように……いいね、斉藤先生?」
「…………はい」と言う言葉と共に闇に落ちていくような感覚が斉藤を包み込んでいく。
そんな時、院長室に一人の医師が駆け込んで来る。
「院長先生、大変です、前谷教授が! ……ッ!」
前谷教授、大学病院のエースとも言える存在であり、その日、担当する筈だったオペを斉藤と交代した医師の名でもあった。
「斉藤先生……君との話は終わりだ。もう行きなさい」
酷い胸騒ぎに襲われながら、斉藤は院長室から退室する。その直後、室内から院長の怒鳴り声が廊下まで響く。
「なにッ!」
その声に斉藤の歩みが止まり、院長室の扉の前で立ち止まる。
「それで、どうなんだ!」
「はい、患者はなんとか、一命を取りとめましたが、心肺停止状態が長く続き、後遺症が疑われます」
患者の説明を進める医師、しかし、院長室にある机を凄まじい勢いで叩く音が鳴る。
「患者じゃない! 前谷教授の方だ。それと、そのオペに関わったスタッフは何人だ?」
「は、はい、前谷教授は自身のミスだと後悔しています……スタッフは私を含め、四名です、その内の一人は研修医で初のオペ参加、麻酔科医は前谷教授が呼んだ他の病院からのヘルプです」
「なぁに! 今すぐ、その麻酔科医を呼べ、何がなんでもだ!」
凄まじい剣幕が声からも窺える。斉藤は急ぎその場を離れる。
階段を慌てて駆け降り、中庭に辿り着くとベンチに腰掛けた。
その後、斉藤は担当患者の元に向かう。しかし、既に患者は担当から外され【ICU】集中治療室に移されていた。
直ぐに集中治療室に向かうが、面会は親族のみであり、一部の医師のみ以外の医師の面会は院長権限で禁止とされていた。
院長室に向かう斉藤は首を覚悟して、ノックをすると院長室から「誰だ」と声がする。
「斉藤です……」
「斉藤先生か、入りたまえ……」
扉を開いた瞬間、心臓を鷲掴みにされるような威圧感が襲い掛かる。
「失礼します」
「なんのようかね?」
聞こうとしている事を理解したうえでそう尋ねる院長。
斉藤もその事に既に気づいていた。
「私の担当の患者についてです……」
「斉藤先生……過ぎた話を蒸し返すのはよくないよね?」
「しかし!」
「しかし……なにかね?」
同じ場所にいながら、天と地ほどの立場の違い、院長は更に言葉を発し続ける。
「医師として、長く勉強し、自由を捨てて、必死に手にした今の立場を失いたくはないだろう? よく考えて発言するように……斉藤先生」
「医療ミスがあったんですよね……俺の患者に、俺が行う筈だったオペで」
その瞬間、院長室の空気が変わった。




