7.加速するプロブレム
翌日。
席につくレンの内側は、憂鬱によって埋め尽くされていた。授業にも集中できず、今日は何から何まで散々であった。
いきなり無理難題をふっかけられたのだから仕方はあるまいが、レンをブルーな気持ちにさせているのはそれだけではなかった。
何の気なしに下された戦力外通告が思いの外痛かった。
レンは常に格好良さを求め、この世界でないものを望み、奇跡のような巡り合わせでついにその願望が果たされた。
だが、所詮はそれだけで、彼はただ舞い上がっていただけだった。どこまで行ってもごっこ遊びの一環。シリアスなバトルでは役立たずになること必至。邪魔になるどころか足まで引っ張る始末。
そんな自分の浅はかさを実感したのが昨日。ボロボロに打ちひしがれながらも、頑張ろうとは決意した……のだが。
(あんなの、俺に倒せるっていうのかよ)
昨日の邂逅、というより臨戦は五分にも満たない短い間の出来事だった。
異常に足を突っ込んだばかりのずぶの素人レンだが、そんな彼でもわかる。ヤツと自分とでは、実力差がありすぎると。
しかし、昨日のヴィンフォースは終始能天気な調子であった。突然の課題を出したあと、こんなことを言い始めたのだ。
『いや、あれくらい倒せるだろ。まして貴様はわたしの片割れなのだし。そもそもだ、なぜわたしがアレを追ってトドメを刺さなかったかわかるか? 貴様の実戦に役立つのではないかと考えたからだよ』
果てには無理やりこじつけたようなことまで言い始めやがっていた。
「はあ……」
レンは億劫そうな息を吐き、机に突っ伏した。
「……いや、待てよ」
そしてふと、今さらのように気づくことがあった。
戦って勝つ、というミッションはこの際置いておくとしよう。どちらにしろ、これは乗り越えねばいけない壁であろう、とレンも薄々は気づき始めている。
そこまではいい。戦意を増強したり、作戦を立案したり、勝利に向かってコツコツ積み立てるのも覚悟はしている。
でも。
それは大いに結構でこちらこそ望むところだ、と言いたいところなのだが。
「……なあヴィン」
「なんだ劣等生」
「……傷つくからその呼び方はやめてくれ」
「しょうがないな。で、なんだ、我が愛しき相棒よ」
うげ、なんだその呼び方は、とレンは顔を顰めつつも、思いついた疑念を口にする。
見過ごされていて、それでいてかなり重要なところを。
「……あいつを倒すって、名前も姿も知らないやつにどうやって挑めばいいんだよ?」
「……ふっ」
なぜか鼻で笑われた。
そんな嘲笑われる要素あったか、とレンが目を白黒させていると、実力派堕天使ヴィンフォース=シュバルゲンは偉っそうに腕を組んだ。
その顔には明らかに勝ち誇った色があって、レンは無性にムカムカとはらわたが煮えくり返り始めた。
「だから、わたしがなんで見過ごしたのだと思う?」
「俺の倒すべき相手として設定するからだろ?」
「それはそうだが、そうすると決めているのに、わたしが何も手を打っていないと、その場の思いつきで目標を口にしたのだと、どうして思うんだ?」
舌を巻いた。
正直、レンはその通りその場の思いつきとばかりに考えていたのだが、なるほど、そこまで。
布石は全て打っておく、という周到さ。
それでいて、昨日目の当たりにした、正面からでも遜色ない強さ。
態度はいつも傲慢で本当に大丈夫なのか、と心配になりっぱなしだったのが、裏を返してみれば。
欠点がない。
出し抜く穴など存在しない。
唯一拮抗できるとすれば、彼女と同じように欠点のないものか。
レンは堕天使に感嘆し、驚愕し、憧れを抱き、最後には劣等感に苛まれた。
比べること自体が間違っているなどということはわかりきっている。人間のレンと、堕天使のヴィンフォースでは最初から比較対象にならない。
それでも考えてしまうのだ。
自分と彼女では、似ていたとしても根幹からして、決意の質が違う、と。
似て非なる存在。それ自体はいい響きだが彼女に憧れを抱いているものにとってそれは暴力にも等しい。
同じなどありえないと言われているようなものだから。
「…………ン、おい、レン」
肩を揺さぶられて、今にも嵌りそうになっていた思考の底なし沼から抜け出すことができた。
「んあ、すまん」
「しっかりしろよ。こんな調子ではまだ背中は預けられんな」
容赦のないダメ出しはグサリ、とレンを貫く。
堕天使にとっては自然に口をついてでた言葉らしく、なぜレンが元気をなくしたのかわからないようだった。
小首を傾げつつ、ヴィンフォースはレンを眺めて話を続けた。
「そんなわけで、貴様がアレと戦うまでの舞台は整わせているんだ。案ずるな、おそらく向こうは命まで取るつもりはないようだ。わたしが避けさせたあれだって上半身と下半身がおさらばするだけで大した支障はない」
「支障しかねえよ昨日助けてくれて本っ当にありがとう!!」
全力の謝礼に、気を良くしたのか「そうであろうそうであろう、まったく、感謝しろ」と態度を大きくした堕天使は自らの行動を省みてこほん、と小さく咳払い。
「それに際して、貴様にはいくつか制約を施す。まあ細かいことはさておいて、まとめたら言うべきことは一つなのだが」
ヴィンフォースは足を組み、人差し指でビシィ、とレンの鼻先に突きつけると、
「この件が落着するまで、決してわたしを頼るな。あくまで一人の力で成し遂げろ。今後貴様がアレを倒すまで、わたしは助言しないし、協力もしない」
突き放すようでいて。
どこか、期待でもしているような口調だった。
「でも、そんなこと言っても、俺全然あの時のやつが誰なのかとか目星ついてないぞ?」
「ああ、それならば問題ない。ほら、来たぞ」
何かの合図のように言うヴィンフォースのこのセリフに、呼応して。
ドバァン!! と教室のドアが開かれた。
放課後になっているので部活動に向かった人間が抜け、かなりスペースを持て余していた教室だったが、そこに残っている者は一人残らずその音に振り返った。
第一印象は、アウトロー。
ブレザーを着ているのに肩を出しているという、最高に着崩したファンキーなファッション。だがそれがむしろ荒っぽさではなく高貴さを増長しているのは勘違いではあるまい。
そして肩にかかる程度のゆるふわな金髪。染めているのかは不明だが、これまた高貴。目は蒼く、晴れ渡った青空のようだった。要素要素区切ると完全にギャルのそれだが、それらが上手く調和して上手い塩梅となっている。
教室がザワザワし始める。彼ら、どうやら彼女について何かしら知っているふうだった。
頭に『?』しか浮かばなかった他人に無関心人間、哀れな牙琉レンは少しでも情報を得るため、いつかやったように、耳を澄ませた。
内緒話はくっきりと聞き取れた。
「あれ、生徒会長だよな」
「なんでこのクラスに?」
「すごい可愛いよね」
「間近で見るとめっちゃエロいな」
……耳にするのは最初だけでよかった。完全な蛇足と個人の趣味が露呈している輩がいる。
ともあれ、真実は明らかになった。
(生徒会長か。あの格好はもはや逆の存在に見えなくもないが)
それなりな有名人だったらしい。いや、逆に式典などで毎回スピーチする人物を毎回出席している人間が知らないという方がおかしいように思えるが、それはいったん棚に上げておこう。
気になるのは、理由。
(なんで生徒会長がこのクラスに来たのか。生徒会の仕事かなにかか?)
しかし直後、進み出そうとしたその思考は寸断される。
ピタリ、と。
突然の来訪者をぼんやり眺めていたレンと、突然の闖入者である生徒会長の目がかち合ったのだ。
同時に、気迫のこもった思念が突き抜けていく。
貫く視線を受けたレンは蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまった。
「見つけた」
かくれんぼで逃げる側を見つけた時のように、スタスタと生徒会長はレンに迫る。
底知れぬ不安にレンはとっさにヴィンフォースの方を見たが、当の堕天使は上の空で口笛を吹かしている。
もう手助けなしタイムは開始された、ということなのだろう。
くそ、とレンは心の中で悪態をついて今も近づく生徒会長のことをキッと睨む。視線だけがレンにできる唯一の威嚇手段だった。
しかしそんなものはものともせずに目前までたどり着いた生徒会長は、席に座るレンを見下す。
「少し顔貸してね☆」
無邪気に笑ったかと思うと、レンの視界が反転して全面床を映し出す。
脇に抱えられたのだ、と思い至るにはしばしの時間が必要だった。
「は? ちょ」
「どうか暴れないでね。乱暴はしたくないから」
身体をもぞもぞ動かすレンにそう囁くと、生徒会長はレンを持っているということを感じさせないスムーズな動きで教室を出ていった。
一部始終を至近距離で見守っていたヴィンフォースはその様子を見送ったあと、
「……ま、いいライバルにはなりそうだな」
とだけいった。
✤
階段をのぼり、どこかの部屋に入ったところで丁寧におろされた。
当然ながら、地面を踏みしめるという動作が奪われているレンはそのまま横に倒れた。
「……ん? なんで倒れたの」
そのことに生徒会長は疑問を持ったようだったが、何も答えないレンにどうせ些細なことだと自己解釈してレンの頭の近くにしゃがみ込んだ。
レンは黙って起き上がり、あぐらをかいて座り直す。
「生徒会長、そんな体勢ははしたないですよ」
「パンツが見えるって?」
ついていけずに一人突っ切っていってしまう話を逸らしにかかったのだが、どうやら生徒会長は生徒会長らしくない生徒会長らしい。まさかエロの方面に耐性のある生徒会長がこの世に存在していたなんて、と偏った知識ばっかり持ち合わせている妄想の塊、牙琉レンは愕然とする。とはいっても、肩を出し胸を強調する着こなし方からそれくらいは察することができそうだが。
「……ところで、ここは?」
「ずいぶんと冷静なんだね。半ば拉致られるようにして連れてこられたのに」
生徒会長は答えず、マイペースな調子で言う。
「慣れてるんで。それに学校を出てないならここは校舎の中でしょう?」
すんなり口をついて出た言葉にたしかに落ち着きすぎてるかもしれない、としゃべりながらレンは考えた。彼自身、動揺もかなりしているのだが、動悸もないし身体が熱くなることもない。もしかするとヴィンフォースとの生活を経たために異常に立ち向かうはずの交感神経がおかしくなっているのかもしれない。
ふふー、と案外子供らしい声を出して、生徒会長は現在地を告げる。
「生徒会長らしく、生徒会室だよ。それは名ばかりで、今やわたしのプライベートスペースにもなりつつあるんだけどね♪」
「……ああ、そうですか」
ずっとテンションが一定なレンに、生徒会長は不思議そうな顔をした。
「ねえ、なんでそんなに平気な顔してるの? 密室だよ? 女の子と二人きりだよ? 襲われちゃうのかもーとか、そんなこと考えないわけ?」
「生徒会長がそんなことするわけないでしょ」
「いんやあ? しちゃうかもよ? こう見えて欲求不満でね。目の前のチャンスには飛びついちゃうタチなんだよね♬」
からかうように、生徒会長はレンに顔を近づける。
対してレンは、不思議なことに全く心を掻き乱されていなかった。性欲とかに忌避感まで感じちゃってる重度の中二病からすれば、それは当然の帰結なのかもしれない。
いや、それ以前に。
彼は彼女の正体を知っていたからこそ、興味を示さなかったのかもしれない。
「……つまんないなあ。もうちょっとピュアな反応を期待してたのに。お姉さん、このまま押し倒してあげよっか?」
「くどいぞ」
軽薄なキャッキャした声に、低く唸るような、それでいて今までの流れを断ち切る声が割り込む。
「……どしたの?」
「ピーピー喚いてないで、早く要件を話したらどうだ?」
ピキリ、と。
向こう側にあった冗談混じりな雰囲気が、崩れ去る音がした。
彼にとって、こうして流れるようになる流れを断ち切るには、それ相応の勇気を要したはずだ。
けれども、彼は進む。
たとえ後にどんな痛みが待とうとも。挙句の果てに殺されることになっても。
逃げることは嫌だった。
何もできないことは絶対に嫌だった。
「気づかない馬鹿だとでも思ったのか? なあ、襲撃者。昨日はうんと世話になったなあ?」
☾
「……ふうん、思い切りのいい」
感心する声があった。
戻って、教室。最後列の窓際から二番目の席には、相変わらず足を組んで目を瞑っているヴィンフォース=シュバルゲンの姿があった。
今の会話は全て聞いていた。
何も手を打っていないわけではないとは、このことだ。
タイミングは、相手の身の程が取るに足らないことを知ったあたり。そこで瞬時にレンの育成に思い至り、わざと軽めに攻撃をして、逃げさせたのだ。
抜かりなくその攻撃の際に、GPSにも似た魔力でできた発信機をつけておいて。
だから襲撃者がこの学校の人間であることは、容易に知ることができた。
結果的にヤツらが生徒会室に行こうがどこに行こうが、ヴィンフォースには全て筒抜けなのである。
そして、その上で。
堕天使は多少、レンに対する評価を上方修正していた。
戦闘面ではまだまだ未熟、スタートラインにも経っていない状態ではあるが、精神面は既に出来上がっているようなものだった。何事にも動じない心の持ちよう、流れに乗せられず、進路を変更できる強さ。
「第一段階はクリア、か。第二段階は鍛錬を積めばなんとかなるものだしな」
独りごちて、ヴィンフォースは目を開いた。
おそらく向こうはなんとかなる。
それならば堕天使は堕天使で、行動を起こそうではないか。
「さて」
立ち上がり、コツコツと足音を立てながら歩く。
生徒会長の訪問からさらに人が減っていたが、未だに残っている生徒の一人の前でヴィンフォースは立ち止まった。
「話をしようじゃないか、新谷ナツメ?」
「……あたし?」
キョトン、と自分を指さすナツメ。
「はん、白々しい。レンに話しかけたその時から自分は普通ではないと言っているようなものであるのに」
自信満々のその態度に、ナツメはこれ以上はぐらかしても無駄だと思ったようだ。
諦めたふうに、ため息をつく。
「……それで、あたしと話すって何を?」
「話せ」
もう命令形であった。
机に肘をつき、ナツメと近距離で向かい合いながら、有無を言わせぬ口調で。
「貴様が知っているこの世界のこと全て。包み隠さず全て話せ。この世界の中での上位存在なら、さぞ多くのことを知っているだろう?」
戦いは、開始前から始まっている。
✤
「……気づいてたの」
生徒会長はすうっ、と目を細めながらレンを射抜く。
「気づかない方がおかしい。あいにくと俺は交友関係が狭くてな。というかない。だから関わってくるやつはだいたいワケありなわけで」
めちゃくちゃ悲しいことをなんでもないことのように言い放った。
生徒会長からは考えられなかった事情に少々気圧されたが、なんとか平静を取り持つ。
「最後に残った人が殺人犯、みたいな理屈か」
「訪ねてきたやつが確定で殺人犯、の理屈だな」
「……まあいいや。気づかれてたならそれはそれで。でも、逆にわからないよ。キミ、昨日みたく殺されそうになるかもしれないのになんで冷静なの?」
「お前は俺を殺せないだろ」
レンは何かの決めゼリフのように、自信を持って言い切る。我ながら格好いいとも思っていた。
「…………、」
沈黙。それを先を促すアクションだと受け止めて、レンはつらつらと自分の見解をしゃべる。
さすがに、格好いいからだけでこのセリフは決めない。
しっかりと、理由はあるのだ。
「逆転の発想から俺を殺した場合について考えてみようか。その場合、お前は100%ヴィンに消される。少なくともお前はそう思っているはずだ」
「なんでそんなこと」
「お前、ヴィンの近くにいた時、めちゃくちゃ震えてたじゃねえか」
「……っ」
そうなのだ。いきなりレンを抱えたりと、行動自体は余裕を持っているそれだったのだが、苦い体験は誤魔化せないようだった。
ヴィンフォースの一撃は、彼女にかなりのトラウマを植え付けたのだろう。彼女は意図せずとも身体が震えてしまっていたのだ。
それはごく微細なものだったが身体に密着していたレンが気づくのは当然。
「だから、お前が俺に危害を加えるわけにはいかないわけだ」
勝ち誇ったように断言するレンだが、実はこの理論、一種の希望的観測が混じっている。
(あいつ、俺が殺された程度で気にしない可能性もあるんだよな。手助けしないって言われたばかりだし、戦力外だし……)
思考がネガティブ方面に突き進みそうだったので、なんとか踏みとどまる。
「……そう考えたから、お前が俺に何か言いに来たんじゃないかと思ったんだが」
「そ。ごめんね、って謝ろうとしてた☆」
開き直った生徒会長はキャピキャピを取り戻した。
そこからはだいたい言い訳だった。
「いやあ、だってね、突然異常が起きたわけだからこりゃあ秩序をただす方の人間としては排除しにかかるしかないじゃん。それで飛んでいって先手必勝かましてあげようと思ったらあれだよ。あれは本当に反則だって。結構強い方だと思ってたのに格の違いを見せつけられたというか。上には上があるというか。もうやる気はなくしたよね。だからね、今回は和解に動こうと思って話の通じそうな相棒っぽいキミに出向いたわけよ」
「……あっそ」
徹頭徹尾どうでもよかったが、一応は相槌を打ち、聞きたいことへの追求に移行する。
「あんたは何者なんだ?」
「加玖ナルミ、だけど」
「いや俺が聞きたいのは本名じゃなく」
ああでも名前が知れたのは良かったかもしれない、と心の中では肯定しつつ、
「じゃあ加玖ナルミ。お前は何者だ。あんな身体能力、どうせ人間じゃないんだろ?」
むしろ人間が骨を粉砕されてもまだ飛び逃げる余力があって、次の日にはピンピンしている、というのは人間ってなんなんだという疑問が生まれてしまうので困る。
「……。……やっぱり聞いちゃうよねえそれ」
どうやら牙琉レン、どんなに脇道に逸れても目的を見失わないタチのようだ。
さっきからのやり取りでそれを悟ったナルミは、しゃがんだ状態から立ち上がって、レンに背を向け、奥にある椅子に向かいながら、
「そりゃあ人間ではないよね」
割とあっさり認めてしまってから。
高級そうな椅子を回し、レンの方に向く高貴な生徒会長は告白する。
「私は天使。誰もがよく知る、キミたちが作り上げた存在だよ」
頭上の光輪に、純白の翼。
レンの『想像通り』の天使の姿が、そこにはあった。