4-19.叛逆
「やあ」
「また会ったね」
同一の声なのに、違う場所から放たれたセリフが鼓膜を揺らす。
影と闇が一体化し始める頃合いの宵。
学校からの帰宅途中で、突然こう話しかけられたら誰だってたじろぎ、立ち竦んでしまうだろう。軽い怪談に相当する現象である。
だがナルミは初見のはずなのにさも手馴れたことのように微笑んで、
「やあ――私からは初めまして、だよね」
と言い淀みなく言って、声に振り返る。
初のお目にかかりだったが、ナルミの目にはすぐにそれとわかった。
中学生らしい体格の、可憐な桃色の髪、二人で対応しているサイドポニー。
ルリとリルというのがまさしく彼女らだ。
残念ながら、瓜二つ――いや、これは瓜一つと呼んだ方がいいのかもしれない――すぎて、どちらがどちらなのかは一向に知れなかった。
二人はシンクロで首を傾げて見せて、ナルミに尋ねる。
「今日は一人なの?」
「あの子見当たらないけど」
「うん。まあ私は忙しい身分だからね。ナツメちゃんとはいつも一緒にいるわけじゃないんだ」
「ふーん」
「そっか」
私たちの方が特殊なのかもしれないね、と二人は一様に言い合った。
(うーん……この二人を見てると錯覚というかなんというか。視覚からの認識が狂ってくるなあ)
ちょっと吐き気を催すほどのトリックアートを見ている感覚である。
ナツメちゃんは前回これに一人で会話してたのか、とナルミは素直に感心した。
あと気になるのは、
(この子たち、気配を隠すつもりないなあ。それくらい自信があるってことなのかな。ヴィンフォースちゃんの話だと、一回追い詰めたらしいけれど。きっとこの世界は彼女らにとっては下位だから、慢心してるのかもね)
まあ、彼女ら基準で見るのなら、そうなんだろうけど――とヴィンフォースのことを思い浮かべるナルミ。ナルミはヴィンフォースが戦う片鱗すら覗いたことはないが、ナツメからおおよそのことは伝え聞いている。百聞は一見にしかずと言うが、この伝聞が一見にしかずというのならどれほどになってしまうのだろう。
「で、何か用?」
そんな思考を挟みつつ、ナルミはごく普通に聞いた。
ルリとリルはその言葉に向き直り、改まって要求を提示する。
「ヴィンフォースとの協力を」
「綺麗さっぱり解消し――」
「嫌だね」
「……――」
「――何?」
遮る形になったきっぱりした拒絶の言葉に、ルリとリルは反応するのに数秒のラグが必要だった。
「なぜ、まさか提案文を勘違いしているのでは?」
「ヴィンフォースとの協力体制をやめてくれればそれでいいのに」
「だから」
内心はヒヤリとしっぱなしだったが、外面では威風堂々と、ハッキリと述べる。
「友達がピンチだと聞いて、みすみす見過ごすわけにはいかないでしょう? 何、キミたちは片割れが集団リンチにされそうだと聞いて、じっとしていられるほど寛容なの? というよりは、酷薄なのかな?」
「「……ッ!」」
空気が変わる。
戦闘態勢へシフトする。
(……迫力すごいなあ。私みたいなチキンな心臓だと震え上がっちゃうよ)
ナルミも全身の筋肉を強ばらせた。
しかし表情はおくびにも出さない。そういう隙を見せてしまえば、彼女らはすかさず飛び込んでくるだろう。
ルリとリルの二人は最後通告を試みる。
「……それは、約束の破棄ってことでいいのかな?」
「愚かな堕天使に味方して、わたしたちと敵対すると?」
「……、そうだよ、その通りだよ。キミたちにとってのヴィンフォースちゃんがどんな叛逆者でも、極悪人だとしても、一度築いた関係はそう簡単には崩れないよ」
ナルミは軽く笑って見せた。
実際はそこまで深い関係では全くなくて、ナルミからだと序列十位と同列に警戒及び退治を目論んでいるのだが、今はそういうことにしておく。
牙琉レンが堕天使とそばにいるおかげで、完全に敵対している状態ではないだけだ。それ以前に、今のナルミでは歯が立たないという理由もあるのだが、
(……まあ、それはどうとなる問題ではあるんだけれどね)
そんなことより、今重要なのは目の前にある。
敵対することを明言してしまった以上、ここからはどう転んでもおかしくない。
真実、向こう側はやる気満々だった。
たぶん、言い方が悪かった。
ヴィンフォースとかなり密接であると匂わせたことで、こちらの敵認識が最上級のものに跳ね上がってしまったのだ。
どちらにしろ、ではあるのだが。
堕天使サイドに傾いた時点で、衝突は避けられない。
「それなら」
「今からお姉さんは敵」
「いやあ、できれば戦いたくはないかなー……」
最後、悪足掻きをするナルミ。なんだか、一刻も早くこの場から離脱したかった。
「あそこまで言っておいて」
「それはありえないでしょ」
一蹴された。
必然の返答だった。
「あはは……あーあ」
ナルミは頭をかきながら、ため息をついた。
欲を言うのなら後ろから完全な不意打ちでワンパンしたかったのだが……この流れではそんなシチュエーションは絶対に訪れないだろう。
「それにしても」
「口火を切るタイミングを間違えたね」
「これじゃあ二対一だよ」
「不利極まりないよ」
「わからないよ。実は単独の方がやりやすいってこともあるかもよ?」
「そうだね、それが事実かは」
「お姉さんの身体で証明してよ」
戦闘一瞬前。
臆病さを微塵も感じさせずにナルミは口もとを綻ばせる。
「うん――お手並み拝見、お手柔らかにね」
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同時刻。
レンの自宅から徒歩十数分で到着することのできる寂れた、錆びれた廃工場に、同じ色なのに暗闇や影とは同化することのない本物の漆黒が足を踏み入れた。
馬鹿でかい敷地のここは当然立ち入り禁止区画だ。このような土地は買収されて他のものに成り代わるのが、生まれ変わるのが世の常だが、ここは手付かずになっていて、絶好の無人スポットになっている。好奇心の強い小学生でさえ、入るのを躊躇ってしまうくらいには朽ちている。
漆黒は同じ建物が規則正しく並んでいる内の一つに入った。
無造作に選んで入ったような素振りだが、そんなことはない。
果たして。
ガレージの様相を成していた屋内では、一人の人物が――天使が、仁王立ちでそこにいた。
「……ふむ。余も勘違いしていたらしい。考えれば明白だったものを、いつ堕天使が受け身しか取らないと思ったのか」
「ああ、考えてみればわかるが、こちらの方が堕天使の本分のような気がするな」
暗黒は獰猛で凄惨に笑う。
序列六位――好青年、ソファイア=ノームはそれを平然と受け止めた。
「余が懸念していたのはこのような状況になることだったのがな。うぬが完全な敵に回る可能性。詰まるところ実現してしまったわけであるが。圧迫し鎮圧しておけば済むはずだったところを、うぬはそれを上回る異端さを発揮し、果てには堕天してまで復讐するという反発力を産んでしまった」
何かを悔いる口調だった。
それは、完璧と完全であるはずの天界から不完全因子を輩出してしまったことに対するものか。
「うぬは何事も上手くいくわけではないという、いい教訓になったよ――なあ、『呪われた禁忌』、破滅の預言者」
「はん」
対してヴィンフォースはそんなこと意にも介さずに鼻であしらった。
「教訓、なあ――貴様にとって一番意味のない言葉だな。いや、貴様だけではない、か」
「……何が言いたい?」
「わからないか」
首をゆるゆると振って、失望したように装うヴィンフォース。
そして言いのける。
「貴様らに次はない、ということだよ。わたしの手によって根こそぎに根絶し滅びるのだからな」
「……正気か。堕天した影響で、狂気になってしまったのか」
静かに、慎重に尋ねるソファイア。
「は。どちらでもいいだろう。正気か狂気かの境界線などあってないようなものだ。貴様らの破滅こそが、わたしの存在意義だ。――さて」
堕天使は初めから黒翼を解放した。頭上には禍々しい輝きを放つ光輪が浮かんでいる。
それに呼応するように、ソファイアも態勢を整える。堕天使に対極の、純粋な翼とリングだ。
「それでは始めよう――終わりの始まりを」
こうして。
ついに終末への幕が開いた。




