4-11.行方
「……む」
いや、そんなはずはないだろう。
レンはもう一度、家中を見回ることにした。
結果は火を見るよりも明らかだ。
当然、いるわけがなかった。
「……むむ」
もう一度。もう一度。もう一度……。
五回目の再試行で、レンは諦めた。いや、認めた、か。
「どこに行ってやがんだ、あいつ……」
ヴィンフォースがいない。
その事実は、今までで一番信じがたいことだった。
それと同時、ヴィンフォースが家にいるのが当たり前になっていたということにも気づく。
当たり前。
そんなものは、堕天使には存在しないのかもしれないが。
「くそ、どこ行きやがった」
いてもたってもいられなかった。
レンが外出する時、彼はルンの姿を視認していた。
が、その妹もいなくなっているのだ。
何かがあったのか?
ここで。
不意にレンの頭に思い起こされるセリフがあった。
『ヴィンフォースちゃんが、レンくんの知人を盾に使う――なんてことは、考えなかった?』
レンは首をぶんぶんと振る。
いや、まさか。そんなことはあるわけがない。
……そう、信じたい。
たとえ堕天使だからといって、あいつは易々と他人を巻き込む性格じゃないはずだ。
レンの時だってそうだった。あいつは最後通告までして確認を取ったじゃないか。
何か理由があるのだ。きっと、ルンにお出かけをねだられてついていかざるを得なくなったとか……。
「いや、そういうことじゃない。適当に予測して納得していい問題じゃない」
昨日の、昼前までは良かった。
だが今は、序列十位が四人も勢揃いしているのだ、いくら微笑ましくても行ってらっしゃいとは言えない。
もしかすれば、今にも衝突をしているのかもしれないのだ。
そう考えると、ここでこうして留まっているわけにはいかないだろう。
ヴィンのためにもというのは当たり前として――無関係の妹、ルンも巻き込まれている恐れがあるのだ。兄として、見過ごすわけにはいかない。堕ちるところまで堕ちた中二病のレンであるものの、こういうところの考え方は、思いやりにあふれている。
レンは飛び出した。
床を惜しみなく踏み込み膝のバネを駆使して飛び上がる――と、言いたいところだが、レンはもとから地に足は付けていない。あくまで彼は『フライ』の出力を調整して、可能な限りのスピードで、玄関にたどり着き、靴を履くのもそこそこに、家を飛び出す。
飛び出した。
そのところで。
「うわっ、どうしたの」
……と。 いきなりドアが開かれたことに驚いたルンが、目を見開いてレンを見た。
その後ろには――いつも通り澄まし顔のヴィンフォースもいた。
「帰っていたのか。だが、その形相はなんだ?」
「いや、なんでもない……。それよりお前ら、どこ行ってたんだよ。びっくりしたじゃねえか」
「なに、その理不尽な言い草……買い物に行ってただけだよ。わたしが休日に外に遊びに行くとかしょっちゅうだったのに、大袈裟だなあ」
「出る時にはいて、帰ってくる時にいないっていうのは案外びっくりするんだよ」
というより、よっぽどのことがない限り、レンが休日に外出することはない。今までは部屋にこもって想像の翼をはためかせ虚構の世界へよく飛び立っていたものだが……。
そんな完全な引きこもり属性のレンが今日は出てくるといって、ルンは大いに驚いたものだ。
驚いたからこその外出でもある。
「ほら、早く中入って。お腹すいたでしょ。休日はわたしがいなかったりするからインスタントばっかだろうけど、今日くらいは自炊しようかなっていう魂胆なんだから」
もちろん裏に込められた意義はレンの外出祝いである。……決してそこまで鎖国的で深刻な局面には直面していないのだが、今までレンを見てきたルンにとってはそれほどの大事件なのである。
つくづく兄思いというのか、甘々な妹である。
そんなことは微塵も感じ取っていない人の思いやりや厚意には鈍感な少年(牙琉レン)は「そうか、さんきゅーな」と軽い感謝を述べて、家の中に戻った。
そして、台所に立ったルンがプロ顔負けの料理センスを存分に発揮しているところで、
「おい、ヴィン」
と、リビングでちびちびと棒菓子を齧っているヴィンフォースに声をかけた。
ヴィンフォースは棒菓子から口を離し、喉を鳴らして飲み込んでから、口の周りについた粉を舐めとった。
数秒の出来事、されど数秒のことである。見るものが見れば、その妖艶さに爆散していたかもしれない。
もちろん、レンは眉一つ動かしていなかった。
ヴィンフォースは食事を邪魔されたことに少し不快感を滲ませて、
「なんだ、食事中なのはわかっているはずだが」
「それは知ってる。けど、ちょっと来てくれ」
「……悪いが、後にしてくれないか」
「前言撤回。来い」
命令形にした。
食事を再開し、棒菓子にかぶりついたヴィンフォースの腕を、半ば強引にレンは引っ張った。ヴィンフォースは器用に引っ張られたのとは逆の手で、食事を続けている。
だが抵抗する意思はないらしく、レンが引っ張るのに逆らわず、ヴィンフォースはなすがままだった。
今にも折れそうに華奢な細腕だな、だとか、間近で見るとかなり凄まじい美貌だな、だとか、定番の感慨をレンが抱くわけはなく、ただ『ヴィンフォースを自室へ連れていく』という目的だけで腕を引き、階段を上ってからレンは部屋に入る。
その頃には棒菓子を食べ終えていたヴィンフォースは、意図がわからないといった表情で、レンに正面から向き合った。
「堕天使の食事を邪魔してまで連れてきたのだから、それ相応の用事があるんだろうな。違うのだったら首を撥ねる」
「怖えよ。お前ならやりかねないし……。だが」
冗談に聞こえない冗談をどう処理しようかという表情のレンが、一転して真剣なものに切り替わる。
「今までで一番重要な話だ。俺はこのままでもいい気がしてたが、そんなわけはないもんな。安定した場所に甘んじるよりは、自分の気持ちに素直になった方がいい」
ガシ、と。
レンはヴィンフォースの肩を強く持った。
その力には、決意が満ち溢れていた。
「…………、」
ヴィンフォースはそれに気圧され、近づいてきたレンから同じ距離遠ざかる。
この覚悟しきった感じ、自分の気持ちに素直になった方がいいというセリフ。
ヴィンフォースは昨日のルンとの会話を思い出していた。
『……ヴィンさんは、お兄ちゃんのことが好きなんですか?』
彼女は恋愛的なものではなく、好奇心をそそられる点で、好ましいという趣旨の回答をしたのだが、果たして彼はどうだったのだろうか。
彼はいつもそういうことに興味がなさそうであったが、しかし外面を取り繕うなど誰にだってできる。
もし、彼がそういう感情を抱いていたら。
堕天使は、どのような反応を返せばいいのだろう?
今まで、誰にも認められてこなかった彼女が、一番距離感の近い彼に認められたら。
「……何をするつもりだ?」
「いや……それはお前が一番よくわかってるだろ」
何を言っている、という顔でレンは応じ、肩を掴んだまま、ジリジリとヴィンフォースに近づいていく。それに応じてヴィンフォースも下がる。
それでもその作用反作用の関係も、やがて終わる。
「……っ」
ヴィンフォースの踵が、ベッドの足の部分に触れる。どうやら逃げ道はもうないらしい。
「焦れったいな、早く俺は行きたいのに」
ついに追い詰めたレンは、そのままヴィンフォースを押し倒した。
ヴィンフォースの漆黒の髪の毛が乱れる――しかし、その状況に反して彼女の顔には戸惑いもなく、赤らんでもいない。ただ覚悟を決めた顔をしていた。
レンはそのまま覆い被さるような体勢になり、ヴィンフォースの耳もとに顔を近づけて、囁いた。
……否。
間違っても誰にも聞かれることのないよう、慎重に慎重をきたして『エア』で振動しない固まった空気で自分たちを包み、彼女にだけ聞こえるように調整して、言った。
そう――言った。
「で、ヴィンはいったいどこにいる?」




