4-3.堕天使
「……ふむ?」
ガチャ、と玄関のドアが開く音がして、ヴィンフォースは目を覚ました。
彼女は寝ていても、ある程度外界のことを知ることができる。
今何か、典型的ラブコメ展開が繰り広げられていた気がしなくもないが……。
ひとまず確認しようと、ヴィンフォースはリビングを出た。
その時にはもうドアが閉まりかけていたところだったが、その隙間からかろうじてレンが歩いていくのが見て取れた。
「こんな時間に外出か……?」
自分を伴わないということは、何かプライベートのことだろうか。
ヴィンフォースはそう考え、同時に鳴り響いていた階段を昇る音を追うように、上階を窺った。
「よく聞き取れなかったが、レンの妹の声がしたような……」
と呟きながらも、階段を昇っていく。
それにしても、とヴィンフォースは先ほどまで一人で黙考していた物事を意識に戻した。
(コアめ……好き勝手やってくれていたようだな。いつかはふらりとやってくるとは予測していたが、さすがに今日とまでは予知できん。それに『引き換え』の契約……どうやらわたしたちを成功させたがっているようだが、腹の中に何を抱えている……?)
今回は、予想外のことが多かった。
端末とはいえ、『自分』そのものをレンに譲渡するという正気とは思えないことをしでかしたコア。
核である彼女が何を考えているのかは、堕天するに至ったヴィンフォースですら、皆目見当もつかない。
いや、そもそも、相容れないのだ。
双方が双方を理解するなどということは、たとえ奇跡が起こったとて実現しまい。
「……あれ、ヴィンさん。どうかしましたか?」
二階に到着し、レンのベッドでも拝借して今日は休むか、と適当に考えていると、違う部屋から、寝巻きに着替えたルンが出てきた。
「ベッドで休憩させてもらおうとな」
「そうでしたか。あの……すいません、ベッド足りてなくて。どういうわけか、ヴィンさんがいるというのに追加できてないんですよね。そうだ、今からでも注文しましょうか?」
「いや……いい。お構いなく。わたしはきっと長い間ここにはいないだろうし、そのために手を煩わせるのは気が引ける」
「そう、ですか。忙しいと、言ってましたもんね」
少しだけ寂しげにするルン。
それを見つめて、ヴィンフォースは自らの行った印象操作の概要を思い出していた。
ヴィンフォース=シュバルゲン。
牙琉レンの許嫁であり、同学校、龍焔ヶ丘高校に在籍している。
家は金持ちで、ふと見かけたレンを拾った、もとい、許嫁にしたという馴れ初めだ。
そういうことになっている。
とはいえ、カミングアウトしてしまえば、この設定はレンの持っていた書物の丸コピーなのだが……血縁もなく、家に住み着くことなど、できるはずもないだろう。安住の地につくためには必要なことだった。
賢く考えれば親戚だとか、きょうだいだった、という刷り込みをすればいいのではないか、という問題になるが、天界には親という概念や、そういった繋がりが皆無だ。知らないヴィンフォースがこのようなことをするのは無理もないだろう。
レン以外の者は、ヴィンフォースのかりそめの姿しか、認識することができないのだった。
それを正すつもりなど毛頭なく、最後まで嘘を貫く心づもりの彼女だったが――ここにいるのは長くない、というヴィンフォースの言は本音だった。
予定内、予定外問わず、コアが君臨した。
ただそれだけで、これからの展開は見えてくるというものだ。
きっと彼らは近いうちに、ヴィンフォースと雌雄を決することになるだろう。
安息などもうありえない。
あるのは混沌と、血飛沫と、破壊と、消滅と、殺戮のみである。
どちらにしろ。
堕天使の目的が果たされようと果たされまいと、結果が出るまで――終了するまで、止まらない。
決着をつけることでしか、終わらせる方法はない。
「……わたしはもう寝る。ではな」
「あ、あの!」
レンの部屋に入ろうとドアノブに手をかけたところで、ルンが制止した。
振り返ると、ルンは恥ずかしがるように俯いてから、ヴィンフォースを見上げて、
「少し、お話しませんか?」
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「は……?」
レンは耳を疑った。
このアコンという存在は、つくづくレンを驚かせる――予想を裏切ってくる。
「だから、レンくん。ヴィンフォースちゃんとの協力関係を降りてくれないかな」
再度、アコンはレンに確認を取った。
「そうすれば、レンくんに被害が及ぶことはまずないし、レンくんの身近な人だって危害は加わらないよ?」
「……! ……人質か」
「いや、別にそんなつもりはないんだけれど。もとよりそんな汚い真似、うちらにはできないよ――仮にも完璧と完全をモットーとする天使だからね。でもさ、レンくんは考えもしなかったようだけれど」
淡々と、アコンは客観的思考に基づく考えを、レンに言った。
堕天使に騙された、哀れなものを見る目で。
「ヴィンフォースちゃんが、レンくんの知人を盾に使う――なんてことは、考えなかった?」
「…………な」
想像もしないことだった。
てっきり味方だとばかり考えていたヴィンフォースだが、果たして、騒動に巻き込まないなんていう都合のいい思考に至るだろうか。
ましてや、相手は堕天使なのだ。
堕天使。
それは、手段を選ばない、極悪非道を尽くすもののことを呼ぶのではないのか。
自分から関係を持ったレンのみならず、ナルミやナツメまで巻き込んだのだ。どうして、その被害が広まることはないと言えようか。
そんな疑念は、残念ながらレンには広がらなかった。
「そうやって、俺の動揺を誘うつもりなんだろうが、別にそうなると確定してるわけじゃない。それなら俺は、ヴィンのことを信じるまでだ」
「……ふーん。忠誠心も高い、と。うーむ、これはまた面倒なことになり始めてきたなあ――」
頭をかくアコン。しかし完全な拒絶を示したレンを前にしても、何か行動する予兆すら窺わせない。
本当に、戦闘に発展させるつもりはないのか。
それがむしろ胡散くさい。
こんな気持ちの悪い思いをするくらいなら、いっそ自分から仕掛けてみるか。
そう思い立ったが、実行には至らない。
まずは、戦況を見極めねばなるまい。レンの経験則からして、こういった場面で早とちりするのは思わしくない。話を聞いていられずに動き出したものは、だいたいの確率で死ぬ。それはわかりきったことだった。前提からして、アコンだけが敵というわけではないのだ。どこかから、自分に照準を定めて引き金を引くのを静かに待っている者がいるかもしれない。
そういった『かもしれない』は、自らの挙動を雁字搦めにしてしまいがちだが、今はそれをしておいて損はないだろう。
そうして、結局レンは動かないまま、うーん、と唸っているアコンの動向を見極めることに徹した。
アコンは不意にハッとなると、レンに向き直って言う。
「そうだ。レンくんにヴィンフォースちゃんを説得してもらえばいいんだ」
「……どういうことだ」
説得とは、なんのことだろうか。
今までの話の流れからして、これ以上他人を巻き込むのはやめろ、だとか、そういうもののように思えた。
が、違った。
アコンは、それこそ考えられないことを、ヴィンフォースのことを知っているのならなおさらありえないことを、レンに提示した。
だから説得だよ、とアコンは言う。
「ヴィンフォースちゃんに、もうこれ以上天界に手を出さないでっていう、お願い」
「……お前、正気なのか?」
「うん? 正気に決まってるよ。狂気なのは、レンくんたちの方じゃないの?」
なぜそんなに戸惑うのか、理解ができないという表情で、アコンはレンを見た。
「できれば協力者さんたちを剥いで、みんなでポカポカやりたかったところだけれど、レンくんがその調子じゃあ、無理だろうからさ。まあうちもこの作戦には反対だったから、むしろ安心したというかなんというか。で――その道が塞がれた、となれば解決策はもう一つしかないんだよん」
レンの眼光を軽々と受け止め、それどころか満面の笑みでカウンターまで返して、アコンは言う。
「最良の選択肢――平和的解決だよ」




