4-1.会談
レンはシャンプーの入ったレジ袋を握りしめた。
これは……まずい。
予知していなかった――予想だにしていなかったことで、準備も何も、できるはずがない。
絶対――コアと出会ったのが今日の昼下がり。
そして今日、日をまたがない内に、これだ。
早急すぎる。
この位置関係もまずい。
完全に油断していたとはいえ、真後ろを取られるのはまずい。
身動きをしようとすれば、こちらに危害が加わりかねない。
振り返る暇もなく、命を取られるかもしれない。
レンは全身を緊張させ、この状況から一刻も早く脱しようと、戦闘にシフトした頭で考え始めた――
「いいや、そんな必要はないよ」
と。
そんなレンの心情を察したかのように、こんな声が投げかけられた。
振り向くまでもなく、軽い足取りで、自分の方から誰かは正体を露わにした。
枝分かれしている赤毛。ささくれのように立っている髪の毛はしかし不快感など感じさせない。ポニーテールになっているその髪は、さながら文字通り馬の尾のような立派さを発揮している。
外見年齢はお姉さん、と呼ぶにふさわしいような三十代前。軽く垂れた目は相対するものの緊張を緩く解きほぐしてくれる。
しかし――レンはそのような外見には騙されない。
むしろ、警戒レベルが高くなった。
外見は、たしかに魅力的で、一目惚れするくらい惹かれる容姿をしているのだが、それがかえって彼には違和感だった。
完璧で完全。
そこに行き着いてしまっているから、腑に落ちない。
これは例えば、画面の向こうに存在していたいるはずのない美少女が、現実世界に飛び出してきたという感覚と似たようなものだろうか――現実にいるはずがないと思っているからこその相違。
レンはそれによって、今回の相手がやはり天界からの者であることを認識――確信した。
しかして、それはただの事実確認でしかない。
できてしまった状況は覆せない。
コアに譲渡された力によってパワーアップしたレンだったが、後ろを取られた相手と今から戦って勝てる気はあまりしなかった。
とはいっても、今すぐ交戦できる態勢には入っている。
(使えるのは『エア』『偽物』『フライ』……それと『相違』、か。考えてみればまだまだバリエーションは少ないもんだな。だが、充分には戦える。まず初撃は『エア』でなんとか受け止める。そこから先は……)
レンは勝利への道筋の演算を始めた。
が、果たしてこの二人が戦闘になることはなかった。
他でもない、警戒すべき相手の方が両手を上げて、交戦の意思がないことを表明したからだ。
「は……?」
「うちにそんなつもりはないってこと」
これにはレンも戸惑いを隠せない。
天界から来た刺客が、あろうことか交戦の意思がないだって……?
問答無用で襲いかかってきたマラリスを体験したレンにとって、これは予想外の事態だ。
いや。
考えてみれば――向こうは、完全に裏を取ったところで、話しかけてきた。
戦闘をする気だったのなら、そのまま気付かぬうちにチェックメイト――そうなっていたはずだ。
そこからでも、向こうに戦う意思は感じられない。
だが、それならば、この赤毛の女性は、何のためにレンと接触を図ったのだ?
そのレンの疑問を払拭するように、赤毛の女性は暢気に笑っていた。
「まあまあ。それは歩きながらでも話そう――うちはアコンって言う名前。アコでもアコンでも、呼び方はどちらでもいーよ」
「あ、ああ……?」
フレンドリーな態度に、レンは真意を図りかねたが、勝手に先導するように歩き始めたアコンに続くようにした。
これにはせっかく遭遇した天界の住人を見失うわけにはいかないという義務感と、今までとはまるっきり違うアコンのスタンスに、どこか好奇心を掻き立てられたというのもあるだろう。
それが吉と出るか凶と出るかは、一か八かの賭けになってしまったが。
どこかへの道中、アコンは口を開く。
「自分、マラリスくんを倒したんだって?」
「…………、一応」
どちらで答えるべきか、一瞬悩んだが、そんな質問をする時点で、バレているということなのだろう。その上でここを誤魔化すのは、かえって逆効果なのかもしれない。そう考えて、彼は真実に頷いた。
「ふーん。ということは自分、腕っぷしには自信があるん?」
「……自信と言えるものはないな」
「あらま。謙遜謙遜」
言って、場を和ますように笑むアコン。話しているとどこか気が抜けてしまうような、そんな語り口だった。
だからこそ、レンは警戒を解くわけにはいかなかったが。
レンはもとより、人間不信なものの考え方をしている――幼女コアに大々的に叩きのめされて、その不信度は最高水準にまで引き上げられている。
したがって、アコンという存在が、どうにも胡散くさく感じる。
巧妙な語り口で油断させたところを突きに来るタイプなのか。だがそれでは先ほど不意打ちができたのに好機を投げ捨てたことの説明ができない。
それでも確かなことは、少なくともアコンが何らかの意図を持っているということだ。
くれぐれもそれを忘れることがないように、とレンは自分の頭に叩き込んだ。
裏の裏まで。
果てには裏の裏の裏の裏まで見据える。
そういう気概でアコンと対峙する。
「そういえば、うちは自分の名前を知らないな。差し支えなかったら教えてくれる?」
「……レンだ」
「へー、レンくんか。いい名前やね。よろしくなあ、レンくん」
振り返って手を差し伸べてくるアコンには応じず、レンは聞きたいことを聞いた。
「……ところで、何の用なんだ」
「……仲良くなってはくれないのね。あーあ、もう少しレンくんが気さくだったら、こんなことはせずに済んだのに」
「――――!」
セリフの途中から雰囲気が変わったアコンに、レンは飛び退って構えた。
が、
「あはは。冗談冗談。レンくんはビビりなんだなあ」
ひらひらと手を振って、アコンはレンを穏やかな表情で見る。
「言っておくと、うちはあまり好戦的じゃあないんだよ。レンくんと同じく、実力に自信を持ってるわけじゃないし」
だからさ、とアコンは続ける。
「――できればレンくんとは、衝突せずに和解できたらいいなと思ってるよ」
「……あ?」
レンは先ほどから驚きっぱなしだった。
彼らの目的はヴィンフォースを打ち倒すことだろう。本人の意思は別として(もっとも、意思がないとは思えないが)、彼女は天界から生まれた魔王的存在と言える。
そんな彼女を止める。あるいは殺す。
それが最終目標のはずだ。
だからそれに付き従うレンももちろん倒す対象であり、付随する道のりだと考えていたのだが……。
挙句の果てに、和解したい、とは。
不意に虚をつかれた気分だった。
「それに、レンくんと戦ったところで、負けるのはうちの方だろうしね。そんな無為なこと、する気は起きないよ」
「本気で、言ってんのか」
「もちろん。本気じゃなかったら誰がこんなことを言うのさ。レンくんとは、これからも友好な関係を築きたいと思っている」
「ふざけるな。そんな言葉、真に受けるとでも思ってるのか」
こうして反発するのは、どちらかといえば、理解できないからだ。
怪しいとか、そういう次元ではなく――単に、理解できない。
なぜこんな行動をするのか。
これが貪欲に面白さを求めるコアならあるいは腑に落ちただろうが、相手は天界の住人だ。それも、序列十位内だろう、とさっきまでの挙動からレンは見当をつけていた。
だからこそ。
なぜ自分と戦おうとしないのか。
どうにか化けの皮を剥がそうと、レンは乱暴な口調で責め立てる。
「ヴィンと俺が仲間だってことを知ってるようだったが――お前、それなら和解なんてできないってわかるだろ。ヴィンを異端者扱いして迫害してきたお前らが、今さら和解なんて、馬鹿げたことを言ってんなよ」
「……うん。それはもっともだ――もっともすぎてぐうの音も出ないよ。しかしね、言い訳のように聞こえるかもしれないけれど、うちはそういう差別はあまり好きじゃないんだ。だからヴィンフォースちゃんを異端扱いした覚えは、うちにはないよ」
「だからどうした。やっていることを見過ごした時点で、お前も同罪だ」
「うん――ごめんね。うち一人の力ではどうともできないことではあったし、ましてやそういう行動を起こしただけで叛逆者扱いまでされるところだったんだ。悲しいかな、集団心理ってやつには勝てないんだよ」
「詭弁だな。自分を正当化するだけの、自己中心的なやつじゃねえか」
「うーん……印象最悪だね。それほどまでにヴィンフォースちゃんの悔恨が深いってことか。いやまあ、今日はほんの挨拶の予定だったから、要件だけを言おう」
だから、うちの言いたいことは一つ――とアコンは言った。
そして。
アコンはレンに、要求を提示した。
「ヴィンフォースちゃんとの協力関係を、降りてくれないかな」




