3-24.異変
「……む?」
ヴィンフォースはふと顔を上げた。
眼前には、今もなお戦い続けているナツメとレンの姿。そしてレンの後ろに隠れて楽をしているナルミ。
正直に言わせてもらえば、これはもはやレン単体でも容易にケリがついたのではないか、と考えずにはいられないが……そう考えたところで、ヴィンフォースははたと気づく。
彼女は重厚な魔力で場を作っている。矮小な魔物どもでは、この場の中に立ち入るどころか、触れた時点で消え失せてしまうほどの出力だ。
だからこそ堕天使は、なんの気兼ねもなく、ただの傍観者に徹することができていたのだが……それにしても、どこかがおかしい。
どこか異常だ。
普通ではない……気がする。
一度も魔物、それも大群を目の当たりにしたことのなかった彼女がこういうことを思うのは、甚だ見当違いだとも言える。
しかし、彼女は異常に敏感だ。
彼女を見ていればわかるように、外見、能力を見るところ、ヴィンフォースという存在は完璧、完全である。少なくともこちら側の世界、レンやナツメ、ナルミなどは、彼女のそういった側面しか見たことがない。
しかし、それは基本性能だ。それくらいは完全でなければ、彼女はただの出来損ない止まりだっただろう。
醜く、ただ朽ち果てるだけの、そう、目の前に湧いているこの魔物どものように。
ヴィンフォースが異端視されていたのは――忌み嫌われるようになったのは、本質の方だ。
酷く、歪んで――いや、歪みと表現するのは、筋違いなのかもしれない。
なぜなら――堕天使になる前も、なった後だとしても。
彼女は異なるものとして完成してしまっていたから。
そんな異常で異端とされた彼女だからこそ、直感的に知ることができる。
何かが、おかしいと。
しかしそれが具体的に何のことを指しているのか、ヴィンフォースは測りかねていた――そして思い至る。
「……そうか」
それは異常と言うよりは違和感だった。
何かが腑に落ちなかった。
成長したレンの見違える手捌きによって、同時に数多の物質、それも一から創り出したものを、自由自在に操り使役する――それにはヴィンフォースも感心していた。三桁にのぼる武器は、瞬く間に魔物という魔物を消していく。その量はもう数万単位にのぼっているのかもしれなかった。
ナツメも魔力を消費したそばから回収していくという、驚異的な永久機関を作り上げていた。そのため彼女には疲労というものがなく、当初からペースを全く変えることなく、数で圧倒しているレンほどとは行かずとも、自らの四肢でかなりの数の魔物を退治していた。
ナルミとて例外ではない。ナツメのような吸収能力がないので、今となっては休憩のためレンの近くにいるものの、それまでは二人と同じく戦闘に力を注いでいたであろうことは事実だ。
なのに。
そう――それが違和感。
「なるほど。もう少し早く気づくべきだった」
ヴィンフォースは傍観の姿勢を崩し、貯水槽に立ち上がった。
原因、とまではたどり着けていないが、何がおかしいのかは理解した。
――変わっていない。
それが違和感の正体だ。
これは、重い腰を上げてでも対処すべき問題だ。
堕天使はそう考え、どの策がいいか、最適解を求めて演算を始めた。
ともすると、原因は自分にあるのかもしれない、と彼女は片隅で考えていた。
彼女は異端として、あらゆるイレギュラーを呼び寄せる存在だ。
それが良いものか悪いものかに関わらず。
無意識のうちに――干渉する。
この世界に来てからはどこか安定したように思えたが、しかしそれは表面上のことだったらしい。
彼女はどこに至ったところでつまりは異端者で、異端者でしかなく、その異端が関われば当然のように周囲は狂い始める。
それを悟った彼女はギリ、と歯軋りをした。
己が憎い。
生み出したものが憎い。
生み出した天地が憎い。
そこに巣食うものが憎い。
滅ぼす。消し飛ばす。破壊する。
徹底的に、跡形も残さず。
殺す。絶やす。
誰も彼も。残らず。
殺して殺して殺し尽くし、
絶やして絶やして絶やし尽くす。
そうして叛逆する。
そんな巫山戯た世界は必要ないと。
復讐する――。
――全てに。
……迸ったものは、今さらなことだった。
それは彼女が、
『誕生した瞬間』から続いているものだったから。
そもそも彼女は。
『そのために』生まれてきたのだから。
その激情は、しかし、鎮まった。
目の前で戦っている彼の姿を見て。
堕天使と契約を結んで人間ではないものになり。
果てには、絶対の天使と契約をし、何か他の存在となってしまった彼。
それをただ、『面白いから』という理由で身を投じた、酔狂にもほどがある少年。
ヴィンフォースはその少年に、何を見いだしたのだろうか。
いつしか堕天使の口もとには、微笑みが刻まれていた。
どんな困難でさえ、それで割り切れてしまう少年だ。
それならもう、存分に巻き込んだところで文句はあるまい。
「本当に、面白いやつだ――」
ふん、と鼻を鳴らして吐き捨てながら、ヴィンフォースは腕を組んで声を発した。
「よく聞け貴様ら。どうやら様相が違うようだ」
「……どういうこと、ヴィンフォースちゃん?」
真っ先に反応したのはナツメだった。先ほどまで傍観の姿勢だったヴィンフォースが動いたことに、並々ならぬ事情を察したのだろう。
ナツメは戦闘の合間を縫って、ヴィンフォースの近くへと跳躍した。
「うわ……?」
途中、ヴィンフォースの張った濃密な魔力の場に入り込んでしまったことで混乱したようだったが、何ら不自由はなさそうに隣に着地した。
腐ってもヴィンフォースが設置したものだ、入るのは容易ではないはずなのだが……ナツメは吸血鬼の吸収能力でもって、形成している魔力そのものを吸い取ったのだろうとヴィンフォースは考えた。
「で。様相が違うって、何が?」
「貴様もここから見ていればわかるだろう。連中の数に注目するんだ」
「数……?」
それはどういう、という言葉を呑み込んで、一度目の前の光景を眺める。
広がるのは相変わらず結構やるレンと、その影にいるナルミ――そして、数えるのが億劫になり、見るのも嫌になるほどの魔物の軍勢。
……もしかして、この数が異常だと言っているのだろうか?
ナツメはそう考え、大体の数を把握しようと努めたが、けれどその数は、今までのものと何ら変わりない数のように思えた。
「この数は普通だよ。ヴィンフォースちゃんには新鮮に映ってるのかもしれないけど、妥当な数だよ」
「違う。貴様は愚か者か」
「……え?」
よもやヴィンフォースにそこまで言われるとは思っていなかったナツメは面食らう。なぜ、事実だけを口にした自分が非難されているのだろう?
ヴィンフォースはナツメがそう言われる理由がわかっていなさそうなのを受けて、こいつはどれだけ理解が遅いのだ、と嘆息した。レンとはえらい違いである。
「そこまでわからぬのなら言う。この数は普通だと、妥当だと貴様は言ったが――それは果たして、全体の数としてか? それならば、なぜ、かなり時間が経ち数を減らしたはずなのに、その妥当な数が保たれているのだ?」
「……あ」
ここに来て、ついにナツメは把握した。
たしかに、そうである。
ナツメは倒した数から全体を差し引いて妥当と言ったわけではない――そんな数える工程はナツメにはする気はなかったし、レンが異様な速さで倒すので、数える暇すらなかったのだ。
彼女が見たのは、接触前に、こちらに向かってくる全体像のみだ。そこからはひたすらに戦闘に次ぐ戦闘である。
それなのに、今目の当たりにした光景は、その時見た魔物の数と変わっていないような――?
「そうだ。変わっていない。とはいえ、わたしもついさっき気づいたのだが」
と言って、ヴィンフォースは異常の正体を口にする。
「最初から今まで、数万と魔物を薙ぎ払っているにも関わらず――倒された事実そのものがなくなっているように、一向にその数が変動していることがないのだ」




