3-18.帰還
「…………ン。……い。おい。レン、起きろ」
「ん、ぁ……」
揺さぶりとともに聞こえる声によって、レンは意識を回復した。
瞳を開けてみると、写り込むのはこちらを覗き込むヴィンフォースとナツメだった。
「ここは……」
「屋上だ」
ヴィンフォースが現在地をレンに教えた。
この二人は先ほど突如現れた、もとい、戻ったレンの気配に導かれ、ここまで来た。
消えたのは校門前だったのに、戻ったのは屋上。不審な感触を覚えながらたどり着いてみると、レンが気を失ってその場に倒れていたのだ。
それを揺さぶり起こして今に至るわけだが……。
「レン。何も不自由はないのか?」
言われてレンは身体を起こしてみる。その動作には何ら支障はなかった。軽く身体を回してみたりしても平気だった。
なくなったはずの触覚も正常に機能している。
ピクリとも動かせなかったはずの身体なのに。
「別に。何もない」
「そうか? 中身の方はどうだ?」
「違和感はないが……」
強いて言うならば。
自分の身体が自分のものではない感覚が、レンを包んでいた。
それほどまでに軽快。快適がすぎるほどに全快。
異常と言えば、その一点だった。
まあ大したことではないだろう、とレンはそれを言わずに、例のごとく『フライ』で浮かび上がる。
この時点では、魔術を構築するのに不自由はなかった。本当に『絶対領域』だからこその魔術無効だったらしい。
「で。コアに何をされた」
「……へ」
固有名詞を出されたのが意外で、レンは驚きの声を上げた。
「たしかに、コアなるやつとは会ったが……なぜその名前を?」
「当然だ。わたしがどこの出身だと思っている。現象からして推測も可能だしな」
「ああ、そうか」
そもそもヴィンフォースは天界から来たのだ。序列十位の、それも一位のことを知らないはずはない。
納得したレンは、さっき体験した出来事を話す。
「まず二人きりになって、ぶっ飛ばされて、死にそうになったところを寸止めされて、何かを吹き込まれた」
「レンらしからぬ大雑把な説明だな。動揺しているのかもしれないが、まあなんとなく経緯は知れたから良しとしよう。その、吹き込まれたというのは?」
「お前がやったみたいに魔術を。『相違』なんて呼んでた。何でもこれで傷つけた相手は再生能力で再生されないらしい」
「ふむ……完全なアンチ魔術だな。しかし、そんなものがあるなど、聞いたことがない」
「そうなのか? あいつは『ヴィンちゃんは強引になんとかしているようだけど、正統な、対天使用付属魔術』なんて言ってたけど」
「正統な……?」
ヴィンフォースの反応からして、本当に知らなかったようだった。以前ヴィンフォースにはあらゆる魔術が埋め込まれているということが言われていたが、それでも知らないとなると誰も知ることのない裏技として秘匿されていたのだろうか?
「ふむ。とにかくレンにその魔術が付与されたということなのだな?」
「そう、らしい。実際にやってみたわけじゃないから、真偽のほどはわからないが」
「ならわたしで試してみるといい」
といって、ヴィンフォースは腕を差し出した。
それが自分を傷つけてみろと言っていることだとわかったレンは、それに応じずに立ち上がる。
「何言ってんだよ。もしこれが本物だったら、お前傷が治らないじゃねえか」
「自然治癒なら治るのではないのか?」
「どうなのかわからないから言ってるんだ。怪我が恒久的に治らない場合、お前はハンデを背負うことになる」
「……そうか」
もっともな言い分に、ヴィンフォースは腕を引っ込める。いつもなら強引にでもやらせるところだが、自分を気遣ってのことだとわかったからかもしれない。
もとより、よくわからない力は放っておくが吉だ。
予測不能な力は周囲にどんな厄災を撒き散らすか、わかったものではない。
レンは話題を今に変える。
「……ところで、今何時だ」
「午後三時だよ。文化祭が終わるまで、あと一時間」
「そんな時間が経ってたのか。……これからどうする?」
もともと、文化祭を回っていた最中の割り込みである。予想外とはいえ、まだ一時間ある。何も予定は立てられていないが、適当に回ることは可能だろう。
「そうだな。レンの遭遇したことについて細部に渡って話し合いたいところだが、それは今日やるべき事が終わってからにしよう。たしかナツメ、終わったあとにひと仕事あるんだったな?」
「あ、うん。魔物退治ね。気負うことでもないけど。……ところであたしもう行っていいかな」
そわそわと落ち着かない調子でナツメは出口の方を窺う。
そう言えば彼女だけ、文化祭を楽しむ気満々だったのをレンは思い出した。
引き止めるのは可哀想だ。しかし、ここから一時間、何をするかはヴィンフォースもレンも決めていない。
よって、
「新谷。俺らもついていっていいか?」
となった。
ナツメはその提案に多少びっくりしたようだが、やがて笑って「うん、いいよ」と承諾した。
そうして階下へ降りようとした折、屋上の扉が開く。
「みんなしてどこにいると思ったら……」
肩を上下させているナルミだった。
「あれ、どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ。適当に監視の意も込めて回ってたら、屋上に何かが出現したんだもん。これはヤバいって全力ダッシュで来たらみんながいて……」
ナルミは三人を窺いつつ、見ていくたびに表情が疑問になっていく。
「……あれ?」
さながら、何がなんだかわからないという調子だった。
それに一同は首を傾げたが、ナルミは考えていた事態を報告する。
「何かが現れてたはずなんだけど、倒した?」
「何かって……さっきからここには俺たち三人しかいないぞ」
「それはおかしいよ。突然、私でも簡単に嗅ぎつけられるような強い気配が出現したんだもん。ヴィンフォースちゃんのを感じ取り間違えたのかもわからないけど、それとは他に魔力が残ってるし」
ヴィンフォースとナツメが、ゆっくりと被疑者に目を向けた。
「貴様のことだな。たしかに今でこそ落ち着いているが、察知した時、ただならぬ気配があった。ナルミもそう言うのなら間違いはあるまい」
「? どういうことだよ」
「牙琉くん、なんだか段違いに強くなってるんだよ」
それにレンは、思い当たることがあった。
バランス調整、とやつは言っていた。
そして『相違』の習得を終えてからの、あの行動。
『引き換え』の契約。
あの時レンの触覚が奪われていた。契約の代償と言うやつだろう。
だが、今は触覚が問題なくレンには存在している。
それがどういうことを示すのか。
向こう側は、何をこちらに差し出したのか。
力が迸った感覚。
まさか、やつは――
「『自分』を、与えた……?」
正鵠を射るならば、コア=ヴィル=シュライン本体の末端から生まれた端末、その全て。
それならば失われた感覚が戻っているのにも合点がいくし、快適すぎるこの身体、強くなったという言葉にも、一通りの説明がついてしまう。
「何か思い当たることが?」
レンの動揺を看破したヴィンフォースが、キツい視線で訊ねる。
「ああ。まあ、推測、だけどな。おそらく、俺は敵から力を讓渡された」
「讓渡……」
その言葉に、レンは疑惑の視線を向けられた。
視線を向けられる側としては、気がまずいことこの上ない。少しでも間違った行動をすれば、もしかすると自分に危機が迫るかもしれないとさえ思えた。
だから、こんな時人間が取る行動といえば、
「そ、その話はあとにして。新谷、早く回りたいんだろ? 早く行こうぜ」
……話題からの逃走、及び棚上げである。
そしてこれは幸いにも、ナツメには効果抜群だった。
「はっ、そうだ、早く行かないと終わっちゃう!」
びくん、と身体を跳ねさせると、ナツメは瞬時に行動を起こし、走って階下へ行こうとする。
「ほら行こうぜ」
それについていくように、レンが続いた。
ヴィンフォースはそれを、微妙な表情で見送った。




