3-15.タネ明かし
今度こそ、意識ごと刈り取られたように思えたレンだったが、不思議にも意識だけ、それだけが明瞭で無事だった。
その代わり、肉体を動かすことは不可能に等しくなっていたが。
天高く舞い上がったレンは、その衝撃によって冷静さを取り戻した。
とはいえ、思考が正常になったからと言って、状況が好転するわけではない。
むしろ考えられる方が、事態を悪い方向だと捉え始めてしまう。
(為す術もないとはまさにこのことか――手も足も出なかった。あろうことか今となっては手も足も出そうにも出せない状態だ。このままだと俺はおそらく、いや、ほぼ確実に……死ぬぞ)
これはコアからの追撃を予測してのことではない。
普通に、このままだとたとえコアが放っておいても死にかねないのだ。
さて。
身体の自由が完全にないまま、天高く、数値で表すとすれば約五十メートルの高さから、重力に従い地面へと落ちたなら、果たしてどうなるだろうか。
答えは簡単。
受身も取れないまま、重傷あるいは死亡、だ。
なんとか『フライ』を発動せねばならないと、レンは想像するが、先ほどの攻防でそのリソースは全て割き切ってしまったというように、発動しなかった。あるいは、コアに『フライ』までもを理不尽な魔術破壊によって壊されてしまったのかもしれない。
考えを巡らせたところで、巡らせなかったところで時間は過ぎ、不変の法則は例外なくレンも縛り付ける。
上昇の最高点に到達したレンの身体は、ほぼ同時に降下を始める。
最初こそはふわりとゆっくりな、生易しいものだったが、それはすぐに殺人の速度になり始める。
バンジージャンプやスカイダイビングをしたことのないレンにとっては得がたい経験だったものの、それを楽しむ余裕などない。
遠い景色だったはずの屋上が、時間によって増していくスピードで迫り来る。
ただの落下だけなら部分的に天使化しているレンである、もしかすれば助かるのかもしれない。
が、誰も落下するのを眺めているだけとは言っていない。敵は今も全快のまま、こちらを見つめていた。
歓迎でもするように、レンに向かって手を掲げて。
追撃されれば、そこでジ・エンドだ。レンにはもう、彼女から受ける攻撃に耐えられる自信がなかった。
やがて。
ついに、運命の時は訪れた――しかし、待っていたのは、レンの思っていたどれとも違う結末であった。
レンが、衝撃をその身に浴びることはなかった。
地面とも、コアの追撃とも。
「あ……?」
自分の身に起こった結果を把握するのに、状況を受け止める能力の高いレンらしからず、数十秒の間隔が必要であった。
「ふう、危なかった」
目の前に、自分を見下ろすコアの顔があった。
レンの無事を確認して、なぜか安堵していた様子だった。
その表情に、レンが戸惑ったのは言うまでもないが、把握に時間がかかったのは予測不能の事態であったからにほかならない。
そもそも。
どうしたら、上から見下ろすコアの顔が見えるのか。それは彼女より下にいる、ということですぐにわかるのだが、何せ幼女の身体である、すぐ下は地面と言っても差し支えない。
しかし、レンに地面と接触した感覚はない。感覚が麻痺しているという言い分もあるだろうが、それならば小バウンドで視界が乱れるはずである。レンにそんなことはなく、まるで落下の途中、そのまま止められてしまったようなスムーズさで、視界が乱れることはなかった。
そしてこの距離間にうなじの下と膝裏のあたりの二点で支えられている今の状態。
間違いなく。
レンは、コアに抱きかかえられていたのである。
この事実に、レンは困惑を隠すことができない。
なぜ。
発端からして、コアはレンを倒そうと、少なくともそうしていたはずである。
それで、レンの魔術を封じ、圧倒的な力量差でレンを追い詰め――そうして今の、跳ね上げである。
放っておいても、追撃をしても、どちらにせよレンを倒すというコアの思惑は、達成されるように思えた。
が、実際の結果として、こうして接触を避けるように――守るように、レンのことを抱えている。
これは、何の意図があってのことか。
レンにはわけがわからなかった――あまりにも、行動基準の次元が違うのである。コアが何を思っているのかなど、理解すらできないだろう。
わかったところで、今のレンには身じろぎ一つ取れないのだが。
「よし、前置きは整ったね」
満足げに笑うコアはレンをゆっくり地面へと降ろす。
「な、にを……」
レンはこう言うので精いっぱいだった。もしかすると魔力の使いすぎの反動で弱体化していたヴィンフォースも、このような感じだったのではないかと、彼は一見関係のないようなことを考えた。
コアはそれを見て、さらに笑む――無邪気な、幼女に似つかわしく。
それでいて、邪悪な、嬲って楽しんでいるような、そのような色も窺わせる、そんな笑みだった。
そう――不確定であり、不完全。
これという感情が決まっておらず、ないまぜになっている状況。
天界の住人である彼女は、それなのに終始一貫して不完全だった。
幼女コアは言う。
「ふふ、さすがにこのままじゃあ完全試合になっちゃって面白くも何ともないから、タネ明かしをしてあげるんだよね」
レンの腹部へとまたがりながら、つつ、と指を身体に沿わせる。
「まず。言い切ってしまうと、お兄さんが勝てる確率は完全なゼロ。小数点からいくら続けても数字が表れない、ゼロ。でもこれは実力差から物を言っているわけじゃなくて、単に決まっているだけ。こっちが何があったとしても無条件で絶対的優位が揺らぐことはないってことがね。お兄さんが思った違和感は、全てこれに由来するんだよね」
「それは……どういう」
「『絶対領域』。こっち由来の、究極級だよね」
それを聞いて。
レンはにわかに耳を疑った。
究極級。
それはヴィンフォースが使って、思い切り反動を受けたものではないのか?
なのにコアは、今もなお余裕たっぷりに、レンを見下ろしている。
これに違和感――いや、こんなことがありえると認めたくないがための逃避だ――を持っているレンをよそに、コアはタネ明かしを続ける。
「まあこの空間そのものがそれによるものなんだけどね」
そんなことは、些細なことだと言うように。
弱点を突き詰められたところで、何も変わらないと言うように。
「この『絶対領域』はね、何もかもが、こっちの思い通りになる最強の魔術なんだよね。ほら例えばお兄さん、途中で『偽物』だったり『エア』だったり、使えなくなったよね。それはこっちがお兄さんの魔術使用を禁止したからなんだよね」
「…………、」
レンはもう、絶句する他ない。
もとより、ここに連れ込まれた時点で敗北は絶対に確定していたのだ。
あの魔術が無効化、もしくは破壊されたと思っていたのは、単に禁止されたらしいとレンは考えを改めた。
そうしたところで、レンの受けた衝撃は一分も引かなかったが。
(なんだ、そのインフレの権化は……? そんなの、たとえどんなに最強の存在だとしても、連れ込めば誰にでも勝てるじゃないか。ヴィンだって為す術なんてない)
絶望にも似た感情がレンに積もっていく。
マラリスなどの比ではない。これでは条件を満たせばその瞬間に勝利できるカードゲームのエクストラウィンを、イカサマで開始から準備しているようなものだ。
コアの前では、勝負は存在しない。
絶対にコアは存在していて、他のものはどうしようもなく負けに甘んじるしかないのだ。
その絶対は、ふと思い出したようにあ、と声を出した。
さながら、あってもなくても平気なものを忘れたような気軽さであった。
「コア=ヴィル=シュラインは、当然のごとく序列一位なんだよね」
「……は」
レンはますますわけがわからなくなり、
コアはニヤリと策謀家のように笑った。




