3-4.新技
「『偽物』、か。なんだか面白そうだな」
レンは漢字にカタカナを振るようなその名前に、ただただわくわくした。
格好のいい名前は、中二病心をくすぐるのである。
ヴィンフォースももうそろそろレンの生態について理解が及んだようで、ニヤリと笑い言った。
「実はな、今回これを選んだのは、これがレンにとって相性がいいのではないかと考えたからだ。様々な面でな」
「さすがだよヴィン。これでこそ俺の相棒だ」
「そうであろうそうであろう」
手放しの称賛に満足げに頷いた堕天使は、早速魔術のレクチャーに入ることにした。
「ではまず、『偽物』というのが何なのかを、体験してもらおうと思う。魔術を我慢してきたわたしのリハビリついでにな」
言って、ヴィンフォースは指を鳴らす。
瞬き。
レンがしたその瞬間に、変化は起こり、終わっていた。
メラメラと、レンの瞳の中で、橙色の光が揺らぐ。
「……!」
レンはその光景に目を見開いた。
彼の視線の先では、
何もかもが、燃え盛っていた。
絨毯も本棚も机も椅子もベッドも、何一つの例外なく。
パチパチパチと火花を散らしながら燃えていた。
目の前の光景が信じられなかった。だが、レンは火ならではの温かみを、肌で感じ取っていた。
これは、現実で起こっていることなのか……?
「いや……」
レンは焦らずに、瞳をゆっくりと閉じた。
その瞬間、火花の散る音も、火の温かみも、感じられなくなる。
(やっぱりか。それなら俺の外界に対する認識を通常状態から変更しなければ)
レンは再度、目を開いた。
そこには、燃えてもなんともしていない、変わらない部屋の光景が広がっていた。
「ほう」
ヴィンフォースは感心するような声を出した。
「これを見破るか。結構にリアルだったと思ったのだが」
「これは二回目だからな。違和感を感じてしまえばあとは早かった。それに、お前が意味もなくここを燃やすとは思えないし」
そう、ヴィンフォースと契約したての時、彼女はレンに魔術の例として、軽めの幻術だと言って今と同じように燃える幻覚を見せてきていた。
その時のデジャブを感じ、今回は対抗策を講じてみたのだが、思いのほか上手くいったようだった。
「やるな。幻術の対処法まで教えてやろうと思っていたのだが、これは手間が省けた」
「すると……『偽物』ってのは、幻術系の魔術ってことか?」
「まあ、主として引き出すのはそんな方向性のものだ」
と言って、ヴィンフォースは「そこに寝ろ」とベッドを指さし、レンに命令した。
これから何をするのか、だいたいの把握をしたレンはその通りにする。今回は、うつ伏せだった。
その上にヴィンフォースがまたがり、レンのシャツを捲りあげる。
「ちなみに、その『偽物』ってのはどのクラスなんだ?」
「文句なしの複合だ。その中でも、使用者によってかなりの強さを誇る部類だな。頑張れば起源に匹敵するかもしれん」
「そうなのか……って、そんなに強力なら――!」
「始めるぞ」
心の準備のために緊急脱出を図ったレンだったが、それが完遂される前に『偽物』の施しが始まった。
今回は同時、五本の指の爪を背中に突っ込まれる。
「ぁぐ……!」
刺しているのが五本なのだから、『エア』の時より痛さも五倍である。痛いと直前に直感したことや、背中というのがいくらか和らげたが、痛いのには変わりがない。
ヴィンフォースはそんなことなど見知らぬ顔で、黙々と手を動かし続ける。
手をそのまま回転させ、円状の傷を作り、そこから指を曲げ伸ばしして、紋様を描いていく。爪の通った場所は治癒能力によって消えていくが、それがレンの中に浸透しているような、そんな印象を持たせた。
それにしても、驚くほど滑らかな指さばきである。ヴィンフォースの爪の斬れ味がそれほどまでに鋭いのか、あるいは魔術を使っているのかもしれない。
少なくとも今回は皮膚の表層だけではなく、肉までは抉っていることは確実な深さだった。
強い力を求めるものにはしっかりとそれ相応の代償(痛み)がつくのか、と文字通り痛感するレンだった。
『エア』の倍ほど時間がかかったあとに、ヴィンフォースはふうと息をついて指を抜いた。
レンは無意識に止めていた息を思いっきり吐き出し、仰向けになるように寝返りを打った。
「……なあ、ヴィン」
「どうした、痛いのはやめろとは言わせんぞ」
「そうじゃなく、ただ聞きたいことがあるんだが、例えばこれを詠唱だとかの方法で取得した場合、こんな痛みを負わずに済むんじゃないかって思って」
「愚問だな。代償は何にしてもかかる。これ以外の方法で魔術を取得しようとした場合、初回発動時に身体を乗っ取られる危険性と全身の激痛が貴様を襲う」
「……ごめん、ヴィンいつもありがとう。心の底から感謝してる」
レンはさっきまでの態度が嘘のようにかしこまった。
まだズキズキと痛む背中を擦りながら、身体を起こしてその場に座り込む。
「ついに貴様もわたしのありがたさに気づいたようだな」
「ああ。ヴィンって、堕天使な割には普通に優しいよな」
「…………、それはわたしに対する侮辱か、ああ?」
ヴィンフォースは一瞬虚をつかれたようにハッとしてから、威圧するようにレンに顔を近づけた。
どうやら堕天使が優しいというのはアウトなことらしい。
面倒くさい肩書きだな、とレンは嘆息しつつ、
「別に、優しい堕天使がいても悪くないと思うんだけどなあ」
「……そ、そうだろうか」
堕天使はおそるおそると言った調子で、レンを窺った。
まさかの上目遣いでの問いかけに、レンはギョッとなってしまったが、首を振って答える。
「ああ。復讐に燃える残虐非道な堕天使の裏の顔、的な設定でどうだ?」
「ふむ。たしかにわたしはこの世界の住人に対しては寛容だしな。ちょうどいいのかもしれないな」
ヴィンフォースはちょっぴり嬉しげにそう言った。
(なんか……初めて会った時よりかは、格段に感情豊かになったような気がするな)
最初は何も感じず、ただ無表情にそれこそ機械のようだったのに。
心あるこの世界の者たちとの触れ合いを通して、心に変化が生じたのかもしれない。
果たしてこれは、完璧で完全な世界で生まれ、育ったヴィンフォースにとって、良い影響なのか、悪影響なのか。
残念ながら一介の人間にしか過ぎなかったレンには答えを出すことができなかったが。
それでも、表情豊かな今のヴィンフォースも、捨てたものではないと、確信するレンだった。




