3-1.祭りの前
「よいしょ、と」
運んでいた椅子を下ろし、レンはほっと一息ついた。
「それにしてもたしかに、季節とか忘れてたが、今十月だったな」
秋といえば文化祭。高校生の定番行事である。
近頃あまりにも波乱万丈だったので、その必然さを失念していた。
「でも逆に調子狂うよなあ、ここまで平和だと」
先日のマラリス騒動からは予想もつかないほどの平和さだった。もちろん祭りの前なので静かに、とはいかず、騒がしいくらいだが、平和は平和だった。
「何を言っている。こんなものは嵐の前の前兆だ」
一緒に出てきていたヴィンフォースが、呆れたようにレンに口出しした。
「お前が言うならそうなんだろうけど……。なんていうか、日常との落差が激しいとやってられねえよって感じだよな」
「そんなことを言っていると、貴様が本当にこれからに耐えられるのか心配になってくるな……」
「大丈夫だよ。まあ一応、いつでも戦える心持ちはできてるさ」
「ふむ。それは殊勝だな。だが、そんなレンには悪いが今度こそしばらくの休息期間だ」
「ん、なんで?」
むしろマラリスがやられたことによって襲撃は加速するのではないか。
そう思ったレンに、しかしヴィンフォースは首を振った。
「逆だよ。マラリスがやられたからこその休息期間だ」
「詳しく」
「マラリスが序列十位であることは、もう知っているな」
「ああ」
「十位というと多いようにも聞こえるが、一万程度のうちの、トップテンの一人だ。当然撃破されれば、騒動になることは間違いがないだろう」
「うん。だから、騒動になって一刻も早く脅威を排しようって考えになるんじゃないのか?」
「いいや、そこが違う。そこは腐っても完璧なんだ、間違っても騒ぎにはならない。あるいはそうなることを許させない」
「それはそれで怖い世界だよな、天界って」
まったくだ、とヴィンフォースはため息をつく。
実際にその被害者になった彼女が、その完全を求める世界のことを一番わかっているというふうだった。
「そして、序列十位のことは同じ序列十位での議題になることだろう。そこで彼らは対策を練ろうとするわけだ。しかし彼らは完璧を好む。これはどうあっても曲げられない。というわけで案を突き詰めていくので時間がかかる、というわけだ」
なるほど、とレンは相槌を打つ。
だが言いようのない不安が胸のうちを占めていた。
「けど、時間をかけられるって、俺たちにとってはやりにくいんじゃないか?」
「そうなるな。まあ概ね、わたしが元凶であることくらいは容易に知れているだろうし、もしかすれば次で、最終決戦に洒落込むのかもしれない」
「おいおい最終決戦って……」
それは序列十位が残り九名、総出でこちらに来るということだろうか。
マラリスよりも強い者が九人。身の毛がよだつ話だった。
「案ずることはない。そこまで緊張していたら身がもたんぞ。もうそろそろわたしも回復するころだし、瞬殺とはなるまい」
「瞬殺とは、か……」
死ぬ可能性がないわけではないらしい。
レンはそれを覚悟していないわけではないが、どうせなら生き延びてヴィンフォースの行く末を見守りたい。
レンの心中を察したのか、ヴィンフォースは優しく手を肩に置く。
「少なくとも今は、の話だ。貴様がその実力で停滞すると、誰が言ったんだ。そもそもこれは仮定の話でしかない。マラリスのように単体ずつ様子見で来る確率だってある」
「そうか、それもそうだな……」
レンはヴィンフォースがそれとなく励ましてくれているようだと感じ取り、明るい感じで返答を返した。
その裏で、今感じたことを思考する。
(俺は……戦うことに、恐怖を感じてるってわけか?)
非現実を常に渇望していた。
日常なんて壊れてしまえばいいと思っていた。
非現実は楽しかった。面白かった。
日常なんかとは比べ物にならないと思った。
だが、結局のところ、こうして恐れや心配を抱いてしまっている。
(まあ……所詮は中二病でしかないってことか)
レンは自嘲するように断じて、教室へと戻った。
と、そこで。
「あ、牙琉くんとヴィンフォースちゃんこっちこっち!」
何やら作業をしていたナツメが教室に入ってきた二人を呼ぶ。
「二人はこれやって」
ナツメは作業道具を指さして言う。
それはペンキに刷毛のセット、そしてペンキの色を塗りたくられた板。
「塗りつぶすだけだから簡単だし、ヴィンフォースちゃんにはうってつけでしょ」
「貴様……舐めているのか?」
単純な誰にでもできるような作業を振られ、仮にも堕天使であるヴィンフォースは気分を害したようだ。
「いやいや、そういうことじゃなくて。ヴィンフォースちゃん、身体の自由がまだ完全じゃないんでしょ?」
「それはそうだが。自動車くらいならまだ余裕で運べる」
「そんな重い荷物はないかな……」
「いいだろヴィン。俺らは言われたことだけやりゃいいんだよ。昨日も休んだんだし」
「…………、」
レンに言われ、ヴィンフォースは不承不承ながらも引き下がった。
この二人の上下関係、思いの外レンの方が上なのかもしれない、とナツメは密かに考えた。
「じゃああたし、他のところチェックしてくるから、その色塗りよろしくね」
「ああ、任せとけ」
レンがいるので安心したのか、ナツメはどこかへ行ってしまった。
ヴィンフォースは悪態しかつかなかった。
それでもぺたぺたと、色だけは塗りながら、
「なぜこんな作業を堕天使のわたしが……」
「堕天使だからってやらなくていいわけじゃないだろ」
「しかし、こんなことをするくらいなら、するくらいなら……!」
「黙って仕事しろ」
レンがそろそろイライラしてくるところだった。いつ爆発してもおかしくないのに、まだ爆発しないのは、そのヴィンフォースの手際が不満たらたらの呟きとは裏腹にかなりよく、テキパキと仕事をこなしていたからにほかならない。
「お前、口を開かなければいい技術士にでもなりそうだけどな」
「当然。人間離れした完成度を提供できるからな」
「その傲岸不遜な態度、どうにかならんのか」
「無理だな。というか、こうでもしていないとわたしのメンタルがもたない」
「そりゃよっぽどのガラスのハートの持ち主で」
話している間に、あらかたナツメに指示されていた仕事は終わっていた。一寸の塗りこぼしなく、人間の手でやったとは思えないクオリティで。
とはいえ、終われば終わったで。
「やることがないな……」
周りを見回しても、誰もが誰も忙しなく働いている。
それを見ていると自分だけ何もしないのは筋違いのような気がしてならないが、したくても何をしたらいいのかがわからない。
それ以前に、牙琉レンは。
交友関係が少ない、というかほぼ皆無な少年なのだ。
だから誰に聞けばいいのかすら、レンにはわからなかった。
(いらないと思って何もしなかったのが、逆に障害になっているのか……難しいな)
来年からは交友関係を構築しようと決心し、ひとまずナツメの帰りを待とうとその場で鎮座するレンだった。




