3-0.故意
「……ん」
白より白い、天使の中の天使はふと顔を上げた。
天界内から姿を消したマラリスの気配が、さらに薄くなった。
撃破されたと考えるには一瞬の時間も必要がなかった。
「やっぱりねえ。そりゃ、わかってたことだけど」
蠱惑的な笑みを浮かべて、白色は言う。
何の懸念も抱いていない様子で。
ここまでは完全な想定内。
シナリオ通りであり、予定調和。
全てがそうであるかのように。
「さて、次はどう動かそうかなあ。楽しいのがいいんだよね」
うつ伏せに地面に寝転がる天使――コアは近くにあるチェス盤に目を向けた。
盤上にあるのは十個の白い駒。
キングが一つ、クイーンも一つ、ビショップ、ナイトが三つずつ。最後にルークが二つ……このうちの一つは倒れている。
その付近にある盤の下にあるポーンの数々も、無造作にばら撒かれていた。
「うーん……」
どうしようか、とコアは考えあぐねた。
どうするのが一番面白いか。
それだけが基準。
他のことはどうでもいい。
完璧なる頂点に属す彼女の考えることは、概ねそのことのみである。
完全なる存在は、わかり切っている結果など些細なことで、肝心なのは過程なのだ。
その基本理念は違えど、それはどこかの中二病、牙琉レンに通ずるようにも思える。
「あ、そだ」
ふと思いついた。
それを盤上で表現しようとチェスの駒に手を伸ばしかけたところで――
バン、と扉が開いて入ってくるものがあった。
「……なにかな。ノックもなしに入ってくるなんて、無礼にもほどがあるよね」
興醒めした調子で、コアは振り返った。
そこには成熟した好青年の装いをした天使がいた。
全体的に青い色をしている。髪、服装、瞳。その全てが、青かった。
序列十位の一人。
第二位――シルフォンド=アマリリスである。
「それは失礼をしたな」
不機嫌さを隠そうともしないコアにまるで気遅れしていない様子で、シルフォンドはコアへと近づく。
「しかしコア。おぬしもわかっているだろう。マラリスが消えた。これは緊急事態ではないか?」
「そうだね。そんなことこっちが把握できないとでも思ってんの? シルでさえ知れたことを一位が知れないわけがないよね」
「では問おう。これから、どうするつもりだ?」
「どうするつもりって?」
「とぼけるな。今後の対応だ。天界から消失した。これはすなわちあの忌むべき堕天使、ヴィンフォースの仕業に他ならないだろう」
「本当にそんなことが言えるのかな?」
ここでコアは、あえて疑問を挟む。
「別に、マラリスちゃんが自分から出て行ったのかもしれないよ。そういう可能性を考えずに、なんでヴィンちゃんに直結しちゃうのかな?」
「マラリスは自分から出ていくことなど間違ってもせんよ。そういうやつだ。それ相応の理由があれば、話は違ってくるがな」
「ふうん……ずいぶんと、信用してる感じだね。裏切るのも嘘をつくのも、相手の一心でどうにでもなっちゃうのに」
「……コア。今日はどこかおかしいぞ」
いつもの気楽げな話口調でないことに、シルフォンドは異変を感じ取った。
これはまるで、一度だけ会話を交わしたことのある漆黒のような語り口ではないか――。
そこまで考えて、そんなことは馬鹿馬鹿しいと切り捨てた。最高と最低の接点など、あるわけがない。
ただ、不測の事態にナーバスになっているだけなのだろう、とシルフォンドは考えた。
「対策を練ってた真っ最中に来たんだ、そりゃあおかしくもなるよ。『流れが崩されたんだからね』」
「……重ねて、済まなかったな」
コアの見えない剣幕に、今度こそシルフォンドは竦んだ。
頭を下げて、謝罪する。
「わざわざ、言いに来るまでもなかったな。では他の序列十位には待機を命じておくぞ」
「うん、それでお願い」
「対応が決まり次第、俺を呼ぶがいい」
「はいはい」
コアは鬱陶しそうに出て行けとジェスチャーをして、シルフォンドはそれに従う。
扉が締め切られ、今度こそ一人になったところで、コアは珍しくため息をついた。
だが、これで対応は決まった。
「予定は変更するけど、まあいいよね。これはいっそ『加速』させた方がいいもんね」
そして、チェス盤の駒を動かす。
己の象徴であるキングを、真ん中に。
「ヴィンちゃんと再会か。楽しみだなあ」
ははははは、とひとしきり笑ってから、コアは思案する。
「それに、相棒くんにも接触を図っておきたいよね。いや、今回はこちらがメインになるかな」
楽しみで待ちきれないというふうに、コアは足をバタバタと動かした。
「これはいよいよ面白くなりそうだよね」
その後。
コアが序列十位に下した命令は、待機。
次の動きがあるまで、当分は動かないということだった。
そのためここしばらくは、平穏な完全で完璧が、滞りなくいつものように遂行されるはずだった。
ここしばらくは。




