2-8.根本的なレベルアップ
「おう。で、俺は何を習得できるんだ?」
ヴィンフォースに相槌を打ったレンは、早速新たなる魔術の概要を尋ねた。
「ああ……。少し待っていろ、良さそうな記憶を探ってくる」
ヴィンフォースは寝転がった体勢のまま、ぐるりと半回転し、枕に顔を押し付けるようなうつ伏せになった。
「ああそうだ、飲み物持ってくるな」
多少の時間がかかりそうに思えたレンは、やることがなかったので気を利かせて席を立ち、リビングへと向かった。
部屋に残されたのは、堕天使ヴィンフォースと、吸血鬼、新谷ナツメである。
ナツメはんーんーと考えるように唸っているヴィンフォースをぼおっと見つめつつ、あまりの緊張感のなさに、どこか安心感すら覚えていた。
(決戦は明日なんだよね。こんなのんびりでいいのかな? 明日まではあと七時間くらいしかないよ?)
それに――序列十位という情報も、ナツメの心には引っかかっていた。
(なんか偉そうな称号だし。しかも前ヴィンフォースちゃんがやっつけたのとは格がちがうんでしょ? 一筋縄じゃ行かなさそうだし……)
だが、ヴィンフォースの態度を見る限り、平気そうにも思えてくる。傲慢による油断のしすぎでなければいいのだが……。
「待たせたな」
「よし、決めたぞ」
レンが飲み物の入ったグラスと棒菓子を載せた盆を持ってきたのと被るように、ヴィンフォースがベッドから起き上がった。
「そりゃ、ちょうどよかった。教えてくれ」
レンは盆をちゃぶ台に載せ、自分は再び回転する椅子へと腰を下ろした。
ヴィンフォースは四つん這いになり、匍匐前進とも言いがたいのろさと鈍さでちゃぶ台にたどり着き、置いてある棒菓子に手を伸ばした。
「ヴィンフォースちゃん、本当に動けないんだね……」
「そうだ。不自由以外のなんでもない。早く回復しなければならないし、もうガス欠しないようにしなければな」
と言いつつ包装を真っ二つに裂いたヴィンフォースは、そのまま口に入れてチーズ味を堪能する。横になっている状態なので行儀はよろしくないが、ヴィンフォースの現状を考えれば致し方のないことだ。
十分に咀嚼し飲み込んだところで、ヴィンフォースは話を進めることにした。
「そうだな。レンに習得させるのは『エア』だな」
「お、それっぽいやつ来たな」
「『フライ』の応用のようなものだからレンにとっても扱いやすいだろうとの配慮だ。それに、今回のマラリス戦において重要でもある。実際わたしはあの時これを使っていた」
「そうだったのか。……てか、聞きたいんだけど魔術って同時展開するものなのか?」
レンは素朴な疑問を口にした。この手のバトルものでは一つの技を極めて戦う、というイメージがレンにはあったのだが……。
「当たり前だ。手数の多い方が有利に決まっているからな。圧倒的破壊力がなければ、そちらで行くしかない」
「そうか。バリエーションがあれば、それだけ多様な戦いができるってわけだからな……。同じ電気を操る能力でも、電撃の槍や砂鉄の剣っていう全く違うものが作れるんだしな」
「安心しろ。基本的に、概念から多数の現象を引っ張ってくるものだ、複雑なことではないさ。わたしのように異なる概念を四つ同時展開するものは少ない。それにマラリスは先も言った通り一種類しか扱えんのだ」
「おいお前、今サラッとえげつないこと言わなかったか?」
「なんのことやらな」
食事を終えたヴィンフォースはベッドの上へと戻り、上半身を起こして壁に身を預けるようにして座った。
「ともあれ、まずは『エア』だ。飛ぶという具体的で、ある種用法を限定された『フライ』とは違い、こちらは名の通り空気そのものを概念とするものだ」
「空気、か」
「しかし、その分貴様の消費するリソースは格段に増える。複合もかなりの大技だからな」
「……やっぱ、無条件で扱えるわけはないか」
空気操作という用法を思いつき、これはある意味最強の技なのでは、と考えたレンはため息をついた。
「何を今さら。代償のない力など存在しない。要求される演算能力――レンの場合、想像力と言った方が正しいのか。それも概念の広さが広さだけに桁違いだ。はっきりとした現象をピンポイントで持ってこなければいけないからな」
「難解そうな魔術だな……。まあいい。ともかく、まずは練習から始めよう」
「いや、練習もそうなのだが、時間も時間だから今回もわたしが直接施そう。……レン、こちらへ来い」
クイクイと指を動かして、ヴィンフォースはレンをベッドまで来るように促した。
レンは首をかしげたが、その通りにヴィンフォースの傍らへと近づいた。
「では、ここに横になれ」
「?」
さらに疑問符が増えたレンだった。しかし、何か意味があってのことだろうと、ヴィンフォースのいない場所に仰向けになって寝転がった。
「よし、では始めるか」
そういってヴィンフォースはレンに馬乗りになるような体勢になってから――ガバッと、レンの着ていたシャツをめくり腹を出させた。
「……は?」
「あの、ヴィンフォースちゃん? いったい何を」
「ショートカットだ」
傍から見るとヴィンフォースがレンを押し倒したようにしか見えない構図にナツメは赤面したが、ヴィンフォースはなんの気もなしに、一言だけ発した。
そして、その長い爪をレンの腹筋に沿わせ――入刀した。
そうとしか言えない、滑らかさであった。
ぷす、と爪をレンの身体に食い込ませたのだ。
それだけではなく、中身をいじるように、ヴィンフォースは刺さったままの爪を縦横無尽に走らせた。
「お、おい、ヴィン、かなり痛いんだが」
腹に刺さるというこの状況に切腹という単語が頭に浮かんだレンは冷や汗を浮かべてヴィンフォースに文句を言ったが、当の堕天使は全く意に介さずに作業を続けていた。
「大気、空気、気体。事実上最高の稀少でかつ不可欠のものよ。我に従い、我に味方し、我に勝利をもたらせ」
言い終わったあともしばらく手を動かし続けたヴィンフォースは、やがてピタリと動きを止め、ゆっくりと腹から手を離した。
ズキズキと痛みがあとを引いていたが、レンはなんとか身を起こした。再生能力によってレンの腹には傷跡一つ残っていなかった。
「今のは……?」
「貴様に『エア』の発動条件を埋め込んでおいた。これで『フライ』同様に、媒介なしで現象を発動させることができる」
「媒介なし……。あ、そういえば魔術には道具やら言葉やらが必要っつってたな。ナチュラルに浮けてたけど、あれって俺そのものを媒介にしてたってわけか。それを今回も」
「そういうことだ。それにしてもレン、デジャヴすら感じていなかったようだが、記憶は大丈夫か?」
「いや、シチュエーションが違ったからな……。それに、お前、何爪をブスブス刺しやがってんだよ! 前はただ触ってただけだろ!」
「あのな……簡潔と複合ではわけが違うと言っただろ。少々方法が異なる……過激になるのは仕方のないことなのだ」
「それなら最初からそう言えよ……」
なんのためかわからないまま感じる痛みなど、損した気分にしかならない。
レンはため息をついて、床に降り立った。厳密には、認識できない程度に浮いた。
自らの身体を見下ろし、手を開閉させて調子をたしかめたレンは、ヴィンフォースに振り返る。
「……で。空気を扱うっていうとだいたいどんなのができるんだ?」
「そうだな。では手始めに風を起こしてみろ」
「風を起こす、ね」
レンは目を閉じ、イメージする。
エアコンも何もつけていないこの部屋は、風は皆無といって差し支えない。
そこに、流れを作る。
かき混ぜる形で渦状にぐるぐると、風を起こす。
「おお」
ナツメが一番に声を上げた。目新しい方式の魔術を目の当たりにして、興味深いのかもしれない。
レンも目を瞑りながら、風をひたと感じていた。髪の毛をなびかせ、頬を、腕を、胴を、撫でていく。
春のそよ風のように穏やかで優しく。
意図したものと、ほぼ同じだった。
(ふむ。たしかに、空気を操作できてはいるみたいだな。じゃあ次は調整をしてみるか)
目を開けずに、レンは風の威力を頭の中で修正していく。
……数秒後には、先ほどの春風などとは比べ物にならない暴風が吹き荒れた。
「ちょ、ちょっと!」
「……おい、場所を考えろ」
「ん、ああすまん」
二人から静止を呼びかけられたレンは、想像上の現象を霧散させる。
すると、風などもとから吹いていなかったかのように、風は消え失せ、部屋の中は無風となった。
レンとしては、風を操れたことに感動でもっとやっていたかったところなのだが、言われたことはすんなり受け入れるレンである。
(なるほどな。やっぱりこの魔術は想像力、いや、自分の中での現象の構築力がものを言うみたいだな)
そうして、理解したレンはゆっくりと目を開けた。
「……あ」
そこで、間抜けな声を出す。
目の前には、思わず目を背けたくなるほどに本やらちゃぶ台に置いてあったグラスやらが、乱雑に散らかっていた。




