2-6.戦いへのレディ
「……あれ?」
新谷ナツメが首を傾げたところで、始業を合図するチャイムが鳴った。
いつも通りの教室の様子。しかしその中にポツリと存在する、いつも通りではない光景。
前に立った担任が、その違和感の正体を事務連絡で明かす。
「今日、牙琉レンくんとヴィンフォースさんはお休みです。はい、出欠取りますよ」
さらりと流されたが、その情報はナツメの心を揺さぶるには十分だった。
(休む? あの二人が?)
理由は何も開示されなかったが、あの二人が、熱やそこらの病気で休むとも、そもそも病気にかかるとも思えない。
すぐに思い当たるのが、彼らに何らかの問題が発生した、という場合。
というかそれ以外に休まざるを得なくなる状況が推測できない。
二人同時に、というのもキモだろう。そう考えていくと、自然、ヴィンフォースの事情絡みなのではないかという予測に切り替わってくる。
(……また、新しい敵が来たのかな。それで臨戦態勢になって遅刻せざるをえなくなったとか。うん、それならありえる。まあ、あの人たちのことだから大したことなくことを終えるんだろうけど)
朝のホームルームが終わると、ナツメは席を立ち、トイレへと向かった。
とはいえ、用を足すためではない。
「あ、ナツメちゃんおはー☆」
他でもない、この能天気天使とかち合うためである。
ナツメとナルミの両名は、あまり人通りのない階段の踊り場まで歩きながら、
「おはようナルミちゃん。話は変わるけど」
「挨拶から話は変わるって普通言わないと思うけど、なに?」
「えっと、今日、牙琉くんたちが休みなわけなんだけど、何か思い当たることある?」
「え、そうなの。珍しいね。思い当たること、か。そうだなあ……」
顎に手を添え、思案を巡らせながら、ナルミは土曜日別れてからここまでのことを思い出す。
「うーん……一つ、あるね」
「それ、なに?」
「昨日のこと。一瞬、ほんの一瞬なんだけれど、すごい魔力の衝突を感じ取ったんだよね。観測できたのがわずかすぎて場所まで特定できなかったけど」
ナルミはそういった異常察知に長けている体質なのだ。
ともかくナツメはこれでヴィンフォースたちが戦いに身を投じているという確証を手に入れた。
だが、彼女の考えとはまた少し違った。
「昨日? 今日じゃなくて?」
「今日は平和なもんだよ。なーんにもない」
「そう、なんだ?」
ナルミの観測結果を信じるならば昨日戦いは終わっているはずである。それなのに、なぜ彼らは今日一日を休まなければならなかったのか。
そんな辻褄の合わないこの現実に、どことなく胸騒ぎを感じて、今日は帰りに牙琉家へ寄っていこうと決心したナツメだった。
☾
一方、牙琉家では。
「お兄ちゃん、なんでそんなとこで寝て――あ」
ルンが兄を揺り動かして起こそうとすると、レンは寝返りを打って落ちた。ドスン、という音が響く。
「いった……」
その衝撃でレンは目覚めた。
リビングの、ソファの下である。レンのベッドがヴィンフォースに占領されているので、安定した寝床と言えばここくらいしかなかったのだ。
レンはそんなことを寝転がったままボーッとした頭で考える。
「ごはんできてるよ」
「……おー」
相槌を打ちながらも、そこから動こうとしないレンにルンは不審を覚えた。
「早く食べないと遅刻するよー」
「……悪い、なんか熱っぽい。今日休むわ」
「え、お兄ちゃん大丈夫?」
「もう動けないーって感じじゃないからたぶん大丈夫だ。身体と頭が重いだけ」
「うーん、それならたしかに休んでおいた方がいいかもね」
「後で食べるから、片付けずに置いといて」
「わかった。お大事にね」
会話を終えたあと、悟らせない巧妙な手口でレンは浮かび上がり、重そうな身体を揺らして階段をのぼった。
そうして自分の部屋の前まで来て。
「さて、どういう具合かな……」
もちろん、熱っぽいというのは嘘である。今の彼には風邪の予兆すらない。それでも彼が休むと言ったのは、昨日今日ではさすがに動けないだろうヴィンフォースを一人にしないためだ。それとは他にもう一つ、彼には休まなければいけない理由がある。
自室なので、ノックなしにズカズカと入っていく。
ヴィンフォースは相変わらずすやすやと静かに寝ていた。しかし、昨晩と少し違って、身体が横向きになっている。おそらく寝返りが打てる程度には身体が動くようになったのだろう。
まだ寝ている相棒を尻目に、レンはとりあえず学校に連絡をいれておくことにした。
電話には担任が出た。
『はい?』
「もしもし、牙琉ですけど」
『あ、牙琉レンくんね。なにか?』
「今日熱出たんで休みます」
『わかった。昨日のお楽しみで疲れたからお休みします、と』
「……笑えない冗談ですね」
『およ? まさか事実だった?』
「違います。ヴィンも休んだ方がいいのは事実ですけど」
『はいはい。二人して楽しんだのね。そりゃ惚気話をどうも』
「……もう切りますよ」
『待って待って。じゃあ二人とも風邪ってことでいいわけ?』
「はい」
『了解。まあ、頑張ってね』
直後、ブツリと電話は切れた。
「……風邪のやつに頑張ってって、何をだよ。頑張るのは白血球だろ」
なんてツッコミをもう繋がっていない電話の向こう側に吐きつつ、もう一度ヴィンフォースの方を見る。
……ぱっちりと目は開いていて、まともに目が合った。
「……なんだ、起きてたのか」
「今しがたな」
ヴィンフォースは今日はしっかり口を動かしてしゃべった。どうやら全身に力が入らないという症状のピークは終わったらしい。
「どのくらい回復した?」
「ふむ……起きたばかりだからまだ何も言えんが」
言いつつ、ヴィンフォースは上にかかっているカバーを下ろし、肩から腕を、付け根から脚を動かしてみせる。見たところ、特に異状はないようだった。
そこから腕を使って半身を起き上がらせるが、座るという体勢になる前に崩れて後ろの壁に背中をついてしまう。
「まあ、休息の時間から鑑みてもこのくらいが妥当だろうな。わたしが完全復活するにはあと四日ほどは必要だ」
背中に体重を預けるのはきついものがあるのか、再びゴロリと横になってヴィンフォースが確かそうな情報をもたらす。強がりも希望的観測もない、単純な客観的視線からの判断だった。
レンはそれを安心感半分、焦燥感半分で聞いていた。
四日後とはすなわちヴィンフォースの予測した明日のマラリスの二度目の接触時には彼女は満足には動けないという事だ。
圧倒的切り札でありワイルドカードが今回登場しない、ということを再確認してから、レンは気持ちを切り替える。
それなら、自分が最善を尽くさねばなるまい。
「じゃあ、多少は元気になったところで色々聞くけど……その前に。思ったんだが、向こう側のマラリス、あいつ最初の時、結界と砂煙と光の矢をあんな惜しみなく使ってたよな? それで向こうが消耗してる、みたいなことはないのか?」
「うむ。まあ、ごく微量だがな。あやつは起源程度しか使っていないし。……いや、しか使っていないのか。ともかく、弱体化は見込めない、ということだ」
「しか、っていうのが気になるんだが。俺は明日覚悟を決める腹積もりだから余すことなく情報は提供してくれ」
「……ははは」
ヴィンフォースは突然、脈絡なく笑った。
レンにとっては謎なことこの上なかったが、きっと馬鹿にされているわけではないだろうと適当に考えた。
「貴様にはいつも驚かされる。明日覚悟を決める、か。それはつまり決死の覚悟でマラリスを倒すということか? まったく、堂々とよくもまあ言ってくれるものだ。だが気に入った。それでこそレンというものだろう」
未だくつくつと笑い続けて、ヴィンフォースはレンの手を取った。
「いいだろう。わたしの持てる限りの力を尽くして、貴様をマラリスに勝たせてやる」
「……あれ? お前マラリスに勝とうとする俺がおかしいみたいだけど、新谷たちと協力したら難しくない相手みたいなこと言ってなかったっけ?」
ヴィンフォースは自分がマラリスとの戦闘に加われない、ということも言っていた気がする。
あれはこの一件が終着するまで、ということではなかったのか。
「ふむ。勝機はあるとは言ったが、一時的な、だよ。向こうを退かせる程度のな。トドメをさせるなどとはもとより考えてなかったさ。せいぜい、わたしが復活するまでの時間稼ぎをしてさえくれればそれでよかったのだ。くくく、今回貴様がやる気なようだからその予定は変わったが」
揶揄するような視線をレンにくれて、心底愉快そうにヴィンフォースは含み笑いを漏らす。
「むしろ俺はそっちしか選択肢がないと思ってたんだが……。まあいいか、時間は有効活用しようじゃないか。じゃあまずヴィン、今回の敵、マラリスについての情報をくれ」
ヴィンフォースの足もとへ腰を下ろしつつ、レンは相棒と向かい合った。
「……よかろう。序列十位、マラリス=エガーデンについて少し語るとしようか。……の前に」
「ん?」
「定時の食事の時間だ。昨日同様、持って来てくれ」
自分で取ってこいよ、と反射的に言いそうになったところで、ヴィンフォースがまだ座ることもできない状態だと気づく。
「……へいへい。了解、了解だよお姫様。ちょっと待ってろ」
「やはり有能だな、レンは。一回わたしの身体をまさぐる権利を与えてやってもいいくらいだ」
「別に嬉しくねえよ」
自分の身体を売るような行動に、被虐趣味でもあるのだろうか、と考えつつ。
「なんか、いいように使われてる気がしなくもないんだよな……」
なんて呟いて、階下にいつもの棒菓子を取りに行ったのだった。
✤
サクサクサクサク、と心地いい菓子の砕ける音がしばらくしたあと。
「では、気を取り直して」
口の端についたカスを舌で舐め取りながら、ヴィンフォースは話を始めた。これが寝た状態のまま行われたことなのだから、不思議なものだ。
「マラリス=エガーデン。わたしの言った序列十位、つまり天界におけるトップの中の一人だ。まあ、その中でも一番下なのだがな。ちなみに序列十位にはそれぞれ何かしらを統括する役目がある。異常をことごとく潰すためにな。そしてマラリスは警察、治安維持の統括をしていた。わたしから言ってしまえば今回抜け出してざまあみろだが」
「……それでこっちに来たんじゃないのか?」
「だろうな。加えて前に戦って封印したのはあやつの部下たちだ。わたしを襲おうとする動機は十分なようにも思える」
「お前それ、自業自得じゃね? 芋づる式でこっちに来ることはわかってたんだろ」
率直な感想を述べるレンにヴィンフォースは心外だ、という顔をした。
「それぐらいわかってはいたが……前も言っただろ。天界のやつがそんな動機で天界を飛び出してくる、なんてことは考えにくい」
「でもそれなら、どうやって天界のやつを倒していこうと思ってたんだ? 数を減らして世界をぶっ壊すんだろ?」
「それはあれだ。わたしが強引に引き摺り込む」
「かなり大雑把な作戦だよな……」
「…………、」
口うるさいレンに機嫌を損ねたのか、ヴィンフォースはしばらく無言になった。
「…………、で、昨日マラリスが使ってたのが起源だけってどういうことだ? どう考えても結界、目くらまし、光の矢で三つは使ってたはずだけど」
気まずさ、というよりはやってしまった感が強かったレンは、とりあえず事を前に進めようと試みる。
「……ああ。だが起源を別々に三種類使ってたなんてつまらんことじゃないぞ。あいつは正真正銘『一種類』しか使っていなかった。そういうことなのだ。そこに付け入る隙がある」
レンはヴィンフォースに視線を送ることで先を続けろと促した。
「起源。それは序列十位のものが持つ特権だ。自分しか使えない魔術を行使できるのだからな。ああ、使えるのはわたしもだがそれは置いといて」
そういえば、ヴィンフォースは究極を使ったことでこうなってしまったのだったか、とレンは経緯をおさらいした。
だが、そもそも、なぜ。
なぜ、彼女は最上級の魔術が使えるのか。序列十位でもない。そのはずの彼女に。
彼女いわく、失格者扱いされていたから認められなかった、ということだったが。
なぜ、失格の紋を押されていたヴィンフォースが、そこまでの力を持っている?
堕天したから。叛逆の力で能力が増幅した。……聞くだけそれはもっともらしいが、レンにはどうも引っかかってしまうのであった。
とはいえ、そのことを考えたのは一瞬ぽっちで、レンはすぐに思考を明日に向けての準備に切り替えた。
「してマラリスだが。起源はおろか、超越まで使うことができる。しかし、超越より上は消費が激しいからきっと使わないだろう。あやつのそれはただの捨て身に等しい。となると必然的に戦闘時やつが使うのは起源になるが、所詮は序列十位、自由に使えるわけではなく、ここに制約が生じてくる」
嘲るように、ヴィンフォースが鼻で笑った。
レンからすればその程度では笑えないし厄介であることは変わらないのだが。いやはや、今回戦わない堕天使は気楽なものである。
「やつは同時に一種類しか、扱えないのだ。どれだけしょぼい魔術であってもな。だからマラリスはできるだけ強力でかつ、魔力の消費をし過ぎない魔術を常時使わなければいけない」
「……そこなんだよ。じゃあなんで、全くベクトルが違うような現象を、一緒に起こすことができていたんだ?」
一度に一種類しか扱えないにも関わらず、マラリスは結界という防御機構、光の矢という攻撃機構、止まない砂煙という補助機構の三つをやってみせた。
これは矛盾していないか?
レンのその問いに、ヴィンフォースは「だから」とうんざりしたように言う。
「起源は、いやそもそも魔術自体、ある一つの結果を起こすものではない。概念を操ると、前に言ったよな?」
「あ、ああ」
「そういうことだ。一つの概念の中に多数の解釈があったとしても、不思議ではないだろう」
「でもそれ、複数使えると同義じゃないのか?」
「いいや。一つの概念から抽出できる解釈の数は、限られているだろう。それに、その概念を使って扱う魔術には、ある種の指向性が交じることは間違いがない」
「弱点は共通してるってわけか」
「その通り。それさえ把握してしまえば、なんとかなるだろう」
さて、と話を区切るようにして、ヴィンフォースは少しの間を置く。
「ここからが本題だ。ついては貴様の能力について。心意気こそ十分だが、しかしまだ足りない。今のままでは貴様があれに勝つのは不可能に等しい」
それはレンも同感だった。実力的に考えて、今回の相手はナルミより格上だ。ナルミ相手に悪戦苦闘していたのでは、話にならない。
「まあ、レンにもランクアップの時が来たというわけだ。よかったな。使いこなせるか否かは、貴様次第だが」
「俺は今まで部分的に天使化した基礎能力で戦ってたようなもんだからな」
片翼も、『フライ』も、それなりにしか扱えていない。それだけまだ異常に踏み入れた日が浅いというのもあるだろうが、抱いた野望を成就するためにはそんなことは言っていられない。
「うむ。では複合の習得に入るとするか――」
その時。
牙琉家のインターホンが鳴った。




