2-4.激突のアボイド
「っ!」
ヴィンフォースがレンを抱きとめたまま、横に転がっていく。
レンには先ほどまでいた場所に矢のようなものが無数に刺さっていくのを目撃した。
「んー、ハズレかな」
くじ引きで外れてしまった時のようなそんな気楽な声が、場違いにも響いていた。
「……当たりだ。ヤツはまずい。よりにもよって今のタイミングか……」
ヴィンフォースは舌打ちをして、声から推測した襲撃者の方向を睨んだ。
遅まきながらレンも厳戒態勢になる。
その鋭敏になった感覚により、次弾は前もって対応する。
大まかな推測で撃っているのだろう弓矢――それも、正確を期すならば光の、でありそこに物質的なベースはひとつもない。どちらかといえば魔力を用いたエネルギー弾の形を変えたようなものだ。その集団が、こちらに向かって射出されているのをレンはいち早く感じ取った。
今度はレンが『フライ』によって飛ぶ指向性、速度を瞬時に設定しヴィンフォースを伴って第二波を間一髪かわす。
「……やるな」
前なら怯えと恐怖で動きが止まっていたはずだが、今、レンは冷静な判断を持って回避行動をした。それもその場しのぎではなく、明確に戦闘態勢になった状態で。
ヴィンフォースはそんな相棒の成長に感心した。
空中で体勢を整えたレンは、ヴィンフォースを抱きとめている状態のまま囁く。
「お前、エネルギー不足であんまり戦えないんだろ。攻撃を避けるのは得意分野だから任せろ」
「……ああ」
「あれ、おかしいな。さっきと今とで、反応が違ったんだけど。二人?」
疑問に首を傾げている様子が手に取るようにわかる少年の声が透き通って響く。
ヴィンフォースはそれに答えず、
「白昼堂々街中でこんなことをやらかしていいのかマラリス? この状況、騒ぎは避けられないと思うのだが」
と、挑発するような声音で彼女は言う。
だが向こうから聞こえる少年の――序列十位、マラリス=エガーデンの声は、全く揺らぐことがない。
「ご心配は要らないよ。しっかり対策済み。きっとここの周辺住民誰に聞いたとしても、今ここで起こったことを述べられるなんてことはないよ」
「そうか。だがそれにしても解せん。いくらわたしを消したいからと言ってこんなに簡単に破壊行為を働くとは。どうやら貴様にも堕天する才能があったということか?」
嘲る物言いに、向こう側で一瞬、ピリッと緊張と殺気が放たれた。天界の中で堕天というのは、最底辺も最底辺、最も忌まわしく憎まれた行為なのである。
「……は。ここは天界じゃないし、どうなろうとボクの知ったことじゃないよ。ヴィンフォースこそ堕天してるその身のくせにそんなことを気にするのかい?」
「その通りだが。堕天しているからといって完全な悪というわけでもなし、そういう見方は偏見と言うんだぞ、マラリス」
「絶対に殺す」
「殺してみろ」
いつしか、口喧嘩のような様相と化していた。
マラリスがすぐに攻撃をしかけてこなかったことから、言論戦に持ち込めたと感じたヴィンフォースは続けて言い切る。
こういうところ、天界の存在は感情的、衝動的に行動しないきらいがある。それは話が通じる、という点において大きなアドバンテージたりうるが、客観的に鑑みて、それは欠点と言えなくもない。
「とはいえ、今の貴様にわたしは倒せんよ」
ヴィンフォースは唇に人差し指を当て、静観していろという合図をレンに送りつつ言った。
「なんでそんなことが言えるんだ」
「少なくとも、貴様が想定しうるより遥かに、わたしを倒すことは至難だ」
「……なんでかな。逆にボクはキミを倒せる気しかしないけどね」
「まあな。貴様はおそらく対策を施してきたのだろうし、相性が悪ければわたしも苦戦を強いられることだろう。だがな、貴様には考慮していないことがある」
「自信ありありだね。切り札でも用意してるっていうの?」
「とっておきのな。残念だがマラリス、なぜわたしが孤独でい続けるなどと錯覚した?」
息を呑む音。まだ砂煙は晴れない。もしかすると、半永続的に砂埃を空中に常在させる魔術でも使っているのかもしれない。たとえば、レンの持つ『フライ』の概念的魔術の応用で、砂が宙に舞うように飛ぶという現象を付与しているとか。
「……まさか。キミに仲間を作れるなんて到底思えない。ましてや、天界の全てのものから嫌われていた忌まわしい堕天使が」
「その断定的見下し方が視界を狭めている。最初から見てみようか。なぜわたしが堕天したのかといえば、それは簡単で、世界がわたしに親切ではなかったからだ。異端を何も許さない、地獄のような世界に生まれてしまったからだ」
過ぎ去ったことだからか、饒舌に黒の堕天使は語る。
「それの裏を返せば、だ。世界丸ごと変えてしまったら、どうなるだろう。きっと天界よりかは格段にいい環境が待っているはずだ。さてここで問題だ。世界全てから嫌われていた忌まわしい堕天使が、その世界を抜け出して他の世界に飛び込んだらどうなるか」
「……そんなことが、あるとでも?」
「あるさ。そうでなくともわたしはそれを引き当てた。貴様がわたしを倒そうとするならば、わたしだけでない一集団を相手にすることになるぞ」
「…………、」
マラリスは、それが嘘か真か、吟味しているふうだった。
これ幸いと、ヴィンフォースは畳み掛ける。
「そうだな。まずは加玖ナルミ。こいつはなんとこの世界での天使だという。その存在位置通り実力は申し分ないし貴様であってもおそらく苦戦するだろう」
具体例をあげ、信ぴょう性を持たせる作戦である。
「二人目は新谷ナツメ。こちらは吸血鬼だな。先述べたナルミとは小さい頃からの仲だそうだ。こちらもなかなかのものだ。さて、まだまだ人員はいるが開示はここまでにしておくか。で、貴様はわたし、否、わたしたちに勝てると思っているのか?」
若干の虚勢を交えつつ、ヴィンフォースは序列十位へと問いかける。
多少なりとも戦力差を感じ、ここで大人しく引き下がってくれることを期待していた。
しかし、マラリスは動じない。どころか、鼻で笑ってさえ見せた。
「……へえ。でもさ、そんなんじゃボクを引かせるには至らないよ。ふうん、それで? ボクが打つべき相槌はこれくらいさ。ヴィンフォースがいくら強かろうと、他のものは劣る。それなら負ける要因なんてない」
「それはどうかな。後で痛い目を見るのは貴様だ」
「そうなんだけどさ」
ただ二人の会話に耳を傾けていたレンは、ここでまた魔術の弓矢が出現したのを認識する。
マラリスは「考えてみれば簡単なんだ」と前置きしてから、確信こもる口調で。
核心をつく。
「十分な実力を持つキミがそんな他力本願なことを言うのはなんでなんだろうね」
「……っ!」
直後に発射。
ヴィンフォースは反射的に反撃しそうになるが、レンが急激に移動したおかげで無駄な魔力を消費せずに済む。
難なく避けたのも束の間、追尾するようにして光の弓矢はレンたち目がけて飛んでくる。
「それありかよ……!」
小声で叫んだが、レンは冷静だった。この上なく悪い視界の割に攻撃の把握がしやすいからかもしれない。
追尾がされやすくなっていると思われる平面的な移動を取り止め、立体的な移動に移行する。レンの読みは正しく、弓矢の群は空中のどこかへと飛んで行った。
「向こうにもこっちが見えてないのか……?」
この状況で何を言うかと思えばだが、となるとこの目くらましはマラリスに対して有利材料にもならないことになる。攻撃は予測できるもので死角から確実に取りにくるわけでもない。
「こちらに姿を晒すのが怖いんだろう?」
それに対する回答は、他でもない堕天使が代弁した。マラリスに呼びかける形で、馬鹿にするように。
その声を目印にしているのかすぐさま例の弓矢が飛んでくるが、そろそろ慣れてきたレンの軽い身のこなしによってそれは外れる。
「わたしに捕捉されたら、それこそ瞬殺だもんなあ?」
「…………、」
無言。それはかえってヴィンフォースの言い分を肯定してしまっていた。
「それならばわたしにも考えがあるぞ」
ヴィンフォースは大声で言い放ってから、密着しているレンから身を離して、
「……できるだけわたしから離れろ。貴様のことは隠し球として取っておきたい」
「何をする気だ?」
「なに、無茶はしない。くどい試合にとりあえずピリオドを打つだけだ」
そう言ってから、ヴィンフォースはレンを突き放した。
何をするのか、具体的にはわからないが、雰囲気的に察したレンは、邪魔にならないよう公園の端まで飛ばずに落ちる。依然視界は最悪だが、鋭くなった感覚によって不自由はなかった。着地スレスレのタイミングで浮くことにより、地面との衝突を避ける。
それとほぼ同時だった。
「少し、格の違いというものを見せてやろう」
そんな堕天使の声とともに。
一瞬にして、砂煙が晴れた。
「な……」
「何を驚いている?」
続けざま、ヴィンフォースは上からマラリスに向かって手をかざす。
すると、ザジィ! と嫌な音を立てて黒い旋風が虚空から生まれマラリスへ襲いかかった。
「こんなもの……!」
マラリスは防御ではなく攻撃を取った。
得意なのか先の弓矢を束ね旋風と相殺を狙う。
その衝突に黒い旋風は分散して効力を失った。
「こんなものに何を必死になってる?」
続けざま。
氷の礫が大群をなしてマラリスを食らう。
これも相殺。しかしまだだった。
攻撃の隙間を縫うようにして、光線がマラリスの左太腿を貫通する。
「ぐぁ……?」
「戦いは常に先々を考えるものだぞマラリス。迫る一つ一つに対応するだけなら誰にでもできる」
セリフと同時にもう一つ、今度は右の二の腕を貫通した。
「まあ、戦力差というものだな」
「……くそ」
悔しいが、マラリスは自分と堕天使には実力差があることを認めなければいけなかった。それは予想通りだったし、だからこそ目くらましをしっぱなしにしていたのだ。
そして今、流れはヴィンフォースにある。こちらの戦略を堂々と引きちぎってくるのでは、否が応でも力勝負となりマラリスの勝ち目は少ない。
となれば取るべき行動は一つ。
マラリスは地面に足を押し付け、再び、今度は密度の濃い砂煙を作り出す。
視界が数センチ届くか届かないかの目くらまし。
ヴィンフォースは鬱陶しがるように顔を顰めてから、
「無駄だ。今ここで決着をつけてやる」
いとも容易くまた跡形もなく砂を払い除ける。
それはたった数秒のこと。ここでチェックメイトにすることができればこれからが幾分か楽なものだった。
が。
「……逃げたか」
無感情に、堕天使は状況を口にした。
そして。
クラッ、と。
あそこまで圧倒的な優位さを見せていたヴィンフォースが、突然無力な存在になってしまったかのように、高い空中から崩れ落ちる。
「おいマジかよ!」
それを目撃していたレンは考える前に行動を開始する。
目測で推定した落下地点にいち早く到着し、そこから真上に上昇した。
相変わらず脱力したまま墜落するヴィンフォースを、両手で抱えるように触れて、反発する力が働かないようほとんど同じ速度で降下を開始する。
そこから地面に近づくにつれ速度を緩めていき、いつもレンが浮いているミクロ単位の場所へ無事に到着。
ここまで器用にするのは大層難しいことなのだが、無我夢中だったレンは他のことに意識を奪われていた。
「おい、大丈夫かよ?」
彼が両手に抱える完璧なフォルムの彼女はぐったりとその体重の全てをレンに委ねていた。
瞼も閉じられていて、ただ寝ているようにも見えるが、それがかえってことの重大さを示していた。
「…………死んではいない」
あまり口を動かさずにヴィンフォースが声を発した。
相変わらず全身の力は入っていないが、堕天使はゆったりと、しかし半目ほどに、目を開いた。
「少し、まずい」
「それは言わなくてもわかる」
レンはこの場に留まるのは得策ではないと思い、ここから離れようとヴィンフォースを背に背負った。
自宅へ向きを定めつつ、レンは確認するように相棒に話しかける。
「……その症状と直前の行動から考えて、魔力の使いすぎだよな、それ」
「……そうだ」
「何やってんだよ。無茶しないとか嘘じゃねえか」
「堕天使は嘘など平気でつく」
「ああそうかよ。だけど万全に回復する前にリソースを割くなんて馬鹿のすることだぞ」
「……うるさい。あわゆくばあれで終わらせようと思っていたんだ。それに、ああでもしないといつまでもジリ貧だった」
「まあ、否定はしないけど。……なんつーか、運が悪いなお前」
オーバーキルによってエネルギーをごっそり使った直後の、この戦闘。もはや図られたとしか思えない。
ヴィンフォースは深く長い呼吸をおいてからポツリと漏らす。
「……まあ、否定はしない。正直に言うと、今まで運良く物事が進んだ試しがない」
「それはまた難儀だな。不幸体質とでも言えばそれらしいが、堕天使がそんなものを持ってるとか信じられないしな。神の意地悪、うん、しっくりくる」
神、というワードにヴィンフォースはピクと反応する。
「……貴様、神を信じているのか?」
「ん? まあ……想像妄想の中の存在で、現実にはいるわけないと思ってた天使がいたんだから可能性はあるんじゃないか、くらいには」
「……ふん」
「どうしたんだよいきなり」
「聞きたくなっただけだ」
ふうん、とレンは納得を済ませた。考えてみればヴィンフォースは元は完璧と完全なる世界の出身だ、神といった曖昧模糊とした概念は好まないのだろう。それとも、雑談に興じたかっただけか。
「で。説明」
レンは背後を振り返りながら、言い聞かせる口調で単語だけを発した。そしてさすがに言葉足らずかと思い直して続けて補足する。
「一体全体今のはなんだったんだ。マラリスって言ってたよな。なんか両者知ってるふうだったが……」
「…………、」
「ヴィン、生きてるか」
「貴様には他者を思いやる気持ちがないのか。まったく、全身に力が入らんやつにしゃべりを続けさせようとするな」
「その割には饒舌な気がしなくもないんだが」
きまりが悪くなったのかガジと、軽く首筋を噛まれる。プツ、と皮膚が裂け、血が出ていくのを実感した。とはいえ、レンはもう既にこの程度の怪我でどうこう言うなんてことはしない。どうせ治るのだからなすがままにさせてやるだけだ。
そこでふと思い出す。
「あ。そういえばお前、なんであの時俺の頸動脈噛みきろうとしてたんだ?」
緊急回避のために身体ごと持っていったのはわかるが、何も血を吸わなくてもよかった気はする。吸血鬼でもないのだから。
「……実験だ」
甘噛み(?)していた牙を外してヴィンフォースは言う。
「貴様の血を摂取すれば魔力が増えるのではないか、と仮想してな」
「そうなのか。俺は吸血鬼に目覚めたんじゃないかと思ってたんだが」
「んなわけあるか」
「……実際、どうだった?」
「そうだな……血というのも悪くはない。ほとんど鉄の味だが案外生き血は瑞々しい」
「……俺が聞きたかったのはそっちじゃない」
「……こほ」
完全に回答を間違えた堕天使はわざとらしく咳をして、何事もなかったかのように話を続けた。
「まあ、若干の増加は見込めたが、得策とは言えんだろうな。他人の魔力ほど気持ち悪いものはない。だからわたしは自分に合うよう翻訳し、使ったのだが、まあ手元が狂う狂う。おかげであいつを仕留め損なってしまった」
まるで血の供給者であるレンが悪いというような言い草である。
ムッとした彼は断じるように言い放つ。
「この際だからハッキリ言うぞ。この件、お前がオーバーキルさえしなけりゃ簡単だったんだからな」
「……わかっているさ」
バツが悪そうに、ヴィンフォースは拗ねた声を出した。
「ま、話の続きは家でするか」
堕天使が柄にもなく思いのほか堪えているのを感じて、レンは前方に見えてきた自宅を見遣り言った。
そうしながら、彼の脳はさっきから思考を維持し続けていた。
おそらく、順序よく論理的に考えていけば。
(……今回のあいつ、マラリスだっけか。とにかくそいつは俺が倒さなきゃならないんじゃないか? ヴィンはこの調子だし、時間おいて回復しないとさっきみたいな戦いは無理だろ。前回同様、手助けなしで俺がやらなきゃ。やっぱり初手で遅れを取ったが、それからは避けるのは容易だった。もしかしたらこれは行けるんじゃないか……?)
大胆不敵にもそんなことを考えてしまうレン。
だがのちに序列十位、それが単なる実力だけでないことを、思い知ることになる。
認識も経験も甘いレンは、そんなこと知る由もなく、ひとまずは家の門扉をくぐった。




