11.蹂躙、そしてバトル
やはり、彼らも腐っても天界の存在。
猛接近してくるものに、気づかないわけがなかった。
だが、それでもなお。
反応ができなかった。
百人の内の一人。それがビリヤードの玉のように、接近してきた何者かの運動エネルギーを譲渡され、空へと飛ばされる。
そのスピードを測れるものは誰もいなかったが、空気摩擦によって火がつくほどであることだけは確かだった。
「まず一人」
そんなものはプロローグでしかないというように。
それくらい気軽な口調で、漆黒は告げた。
「さあ、復讐譚の始まりだ」
次はちまちまとなんてやらなかった。
その瞳に紅い五芒星の紋様が浮かび上がる。
すると。
虚空から現れし龍の形をした火炎の悪魔が、挑発に乗ってまんまと世界を跨いできた天使どもを襲った。
一周、二周、三周。
円を描くように飛び回る火炎を避けきることができなかった天使が、炎を身にまとって墜落し脱落する。
その数、二十余。
(やはり、骨がないな。序列十位でなければこんなものだろう。まあ、倒せるか倒せないかはこの際関係がない。今回『わたしが起こさせた』この一件は、一種の実験に他ならないのだから)
落ちていく天使たちを見ながら、元凶――ヴィンフォース=シュバルゲンは自らの勝利を早くも確信した。
敵は百人程度。撃ち落としたのを除いて現在残るのは、おおよそ五分の四の数になるか。
程度というふうに端数を切り捨てているあたり、彼女の強大さが窺い知れる。
別に、己の力を過信しているわけではない。それならば堕天して天界を出ることすらできなかっただろう。
客観的な強さの把握。
冷静な第三者の目線から見る状況。
その俯瞰した態度こそが、彼女が強者たる由縁である。
「ともかく、貴様らは早急に無力化、わたしの実験の被検体になってもらわねばな」
今度は蒼。
五芒星よりも複雑で難解な模様が、眼球に刻まれていく。
おそらく、今までで一番魔術と呼ぶにふさわしい光景であった。
その眼球に映るのと同じ陣が、ヴィンフォースを中心として数十取り巻いていた。
殲滅戦。
これは、そういう戦いだった。
陣から、鋭い氷の礫が、逃げ場を埋め尽くす弾幕となって、周辺一帯を襲う。
さながら、シューティングゲームのように。
まともに当たったものから順当に、簡単に、落ちていく。
やはり、実力が違いすぎるのだ。堕天使と、天使とでは。
それこそ、蟻と巨人のように。
……とはいえ。
踏み潰されそうになって受け入れる蟻など、どこにもいない。生存本能に従い逃走を試み、機会があれば反撃だって行うだろう。
つまり。
一方的にやられようという天使など、この場のどこにも存在していなかったということだ。
グワッと、残り半数ほどになった天使が一塊に集まり何かの陣形を作った。
「厚みを持たせようというのだろうが、的が狭くなるだけだぞ」
一点集中。
一つ一つでも凶器になりえたものが、同じところを目指すことで合体し、おぞましい破壊のための狂気となって、一団へと襲いかかる。
そんな、全滅必至の不可避な必殺技に。
盾になるようにして、半分になっていた一団のさらに半分が、前に出た。
ギャリギャリギャラギャリギャリ!! そんな不快音を撒き散らしながら、身を呈して天使たちは次へと繋ぐ。
「な……」
さすがに。
これはヴィンフォースにとっても予想外であった。
今のでジ・エンドとする予定だったのに、犠牲を省みない行動によって、終わりはズラされた。
「お前にやられてから、連帯行動には磨きをかけていた」
どこかで聞き覚えのあるような声が、今も音を立て続けている氷塊の影から聞こえてくる。
「勝利のためなら犠牲を厭わない。否、無駄にはしない。わかるか、こちらだって成長をしているんだよ!」
盾に守られた二十余の天使が、氷塊を回り込んでやってくる。それも多方向から。
終わったものだと油断して氷の礫を発射する魔術は解除されてしまっていた。
眼に線が走り始めるが、おそらく完成する前に激突するだろう。
これは詰み。
部隊の天使は確信していた。
だが、油断は禁物。油断をついたのに、油断をしてしまっては本末転倒である。
とにもかくにも、質量十分なこの翼を堕天使に当てるだけでいい。
グォ!! と壮大な翼が空気を圧縮して襲いかかる音がした。
どこかで見たような展開に、
ニヤリとして。
「所詮、なんだよ」
直後。
質量がぶつかり合う破裂音があたりに響き渡った。
✤
一方、生徒会長であり天使の加玖ナルミは焦りを感じ始めていた。
取るに足らないと思っていた相手。
意思だけは強固だったけれど、実力が伴っていないと思っていた相手。
だからすぐに終わると思っていた。
しかし、目の前には依然として少年が笑顔をたたえてそこにいた。
戦いを、楽しんでいるふうに。
さっきから、魔術を同時に使ったりと、手数を増やしてレンを追い詰めていたはずだった。
だが、裏を返してみると。
時間を経れば経るほど、レンに攻撃が当たる兆しがなくなっていた。
分析からの最適化。
実戦から学んでいくコンピュータのように、レンの動きはますます良くなっていく。
「ふんっ!」
先ほどよりは、モーションを小さくして、高速タックルを決めてみる。
これで悟られることなく倒せるはずだ。
甘かった。彼女が捉えたのは空だけ。
レンは真横に、滑るようにしてカクンと折れていた。
そう、この『滑るようにして』というのが中々に厄介であった。
地面との接触を力の交換に繋げているナルミとは違って、彼に歩調とかはないようだった。踏みしめることなく、力なく、『滑る』だけだ。
予備動作も何もないので、とにかく読みにくい。最初ならまだしも、今となっては一秒後にどこにいるのかさえ目処が立たない。
(自分との摩擦をゼロにする魔術……? でもその場合、等速直線運動にならないように方向性も加えないといけないし、でも動きはなめらか。移動系魔術の応用なのかな……?)
この予測は、当たりであって外れていた。
ヴィンフォースによってレンに埋め込まれたのは、『フライ』の記号であるが、この『フライ』はただ一つの効能を示すものではない。
ヴィンフォースの魔術は概念そのものを取り扱う。
つまり、『フライ』、すなわち『飛ぶ』という概念を、レンの意思によって部分的にアウトプットとしているのだ。
レンの場合は『最低限の高さで自在に飛ぶ』――言い換えれば『地を滑るように移動する』――を実行に移しているだけだ。
それにしても。
レンはもう相手の動きを読み切れるくらいにまでの境地には達していた。
ハイスピードなバトルだが、彼が気圧される素振りはなかった。
(……よし。情報収集はだいたいこのくらいでいいか。これを基に、加玖ナルミという天使の傾向と対策を立てる。第一に、よほどな奥の手が潜んでいないと仮定すると、得意戦術は力を溜めてからの高速タックル、及び魔術の併用か)
安定した場を見てか、自分でも驚いてしまうくらいに冷静に、レンは戦況の把握を迫りくるナルミの魔の手を避けながら、平行して行う。
当たったらただでは済まない攻撃を避けながら傍らで思考に沈むなど、おおよそ常人ならできない芸当だ。一種の自殺行為と言えるだろう。
しかし、レンは肝の据わり方が尋常ではない。虚構を信仰し、隙あらば妄想に身を沈めていた少年は、このくらいのシミュレーションは飽きるほど実行しているのだ。
ともあれ、ここまではわかったこと。
次に考えるべきは、するべきこと。
(第二に、どうやって決定的な一打を叩き込むか、だが……。正直、ビジョンが見えないな。この速度オバケに間隙を作らせるためには、何か、意表を突くようなことをしなければいけないだろうが……残念ながら、俺の力じゃできないことばかりが思いつくな)
テレポートで死角に移動、地面を操って眼前に土の壁を形成する、眩しい光によって一時的に視覚を奪う……。思いついたのは腐るほどあったが、『フライ』以外に特殊なことが何もできない今のレンにはできそうにないことだ。
スケート選手さながらの滑らかな動きで地面を疾走しながら、レンは自分にダメ出しした。
(特殊性を求めすぎだ。もっと現実的に考えよう。例えばスポーツにおいて裏をかくといえば、激しい緩急をつける、なんてものがあったか。たぶん今の状態は急に相当するんだろう。……となれば、やることは一つ、緩の行動を取ることだな。いきなり力が抜けたら急に慣れすぎた向こうは多少なりともペースを崩されるはずだ)
バリィ……、と電流の音。
ナルミお得意の、魔術併用戦法だった。彼女は雷属性なのか、先ほどから電気にまつわる魔術を行使していた。
目測を誤った。
指先を電流が掠め、全身を電気が駆け巡る。
「ぎぎが……ぁ」
身体の硬直を余儀なくされたが、脳はまだ動いたので、『フライ』によりナルミからさらに距離を取る。
これで二撃目。天使化の影響により、後遺症は残らないが、それでも痛覚が遮断されているわけではない。
もうそろそろ、決着をつけなければ気が先に参ってしまう。
「……思いついた」
電撃に打たれたのは幸運だったのか。閃光のようにレンの頭の中に、一つの妙案が浮かんだ。
「このままじゃあいつまでたっても終わんないね……!!」
変わらぬ戦況に焦れたのか、ナルミがその翼にぐぐぐと力を入れてから、暴風を起こす。
竜巻のように一帯を埋め尽くす強力な突風に、レンは為す術なく吹き飛ばされる。
行き先は隅の貯水槽。その壁へと、ものすごい勢いで打ち付けられる。
ナルミがこの戦いを終わらせるための切り札だった。彼女は貯水槽に叩きつけるように、風向きを操作したのだ。
もちろん、確実に完全に畳み掛けるために。
風を起こしたその瞬間から、ナルミはレンの飛んでいく方へ動き始めていた。
レンが壁にぶつかって、態勢を立て直しているあいだに、続く一撃を命中させるために。
どう頑張っても不意討ちともいえるこの風撃を避けることは不可能。そして、どう受け身をとったところで、一瞬でも隙が現れるのは必然。
まさに勝利の一手。
詰みに繋がる王手と言えるラストアタック。
さあ、決着をつけよう。
一撃必殺の威力がこもった突進が、為す術のない少年へと襲いかかる。
そして。
飛ばされているあいだ、空中で態勢を足で着地できるように横向きにした少年は。
「待ちに待った俺のターンだな」
と。
口の端を歪め呟いていた。
☾
破裂音。
その名称の通り、事実、破裂したものがあった。
呼応するように、真っ赤な液体を勿体なくなるくらい撒き散らして。
「ぐぅ……っ」
ヒラヒラと、軽やかに羽根が舞って落ちていった。
そもそも、だ。
彼らには蟻と巨人ほどの差がある。それは覆らないし変わらない。
蟻には一方的にやられるばかりでなく、噛み付くくらいの反撃の余地はあるだろう。
しかし。
巨人にとってそれは、痛くも痒くもないのだ。
そして巨人は矮小なる存在を捻り潰すだけで全てが終わる。
今回もまた、然り。
「結局、なんだよ。『序列十位に匹敵する力を持った』わたしが、さらに堕天した。どうして秩序を守るだけの兵隊ごときに負ける道理がある?」
つまりはそういうこと。
落ちていく『純白の』羽根を眺めながら、漆黒は言う。
その右肩に闇と化した翼を広げ。
その頭上には、世にも禍々しいほどに存在感のある紫や黒などを織り交ぜたどこかしこも鍵状がついている輪を浮かばせて。
「貴様らなど、雑魚でしかない。今日重要なのは、戦闘ではなくそのあとだ」
「……っ! 全精力を持ってかかるぞ!」
指揮係が叫びを上げると、翼がもがれた痛みに顔を顰めていたものたちを初めとして、先ほど氷塊に巻き込まれたもの、焦げて墜落したもの、最初にヴィンフォースに飛ばされたもの、天使の回復能力によって戦線復帰した百人程度の天使が、たった一人の堕天使へと殺到する。
「……ふむ。ただの重症も治るのか。ではわたしが受けたあれは、やはり特殊なものだったのだな」
それを目で確認だけして、自身の仮説に根拠を得たヴィンフォース=シュバルゲンという堕天使は、迫りくるものたちにいちいち対応するように首を巡らせることはなかった。
「まあ、こちらもこちらで考えはあるのだがな」
独りごちて。
ふっ、と。
敵が眼前まで接近しているにも関わらず、堕天使が目を閉じたのだ。
すると、ざじざざじざじじざざじじじざじじ、と。
異状のあるパソコンに流れるバグのように。
この世界に異状をもたらす合図か何かのように。
堕天使の全身を、入れ墨のような何かが走る。
「光あれば闇あり。然し光は闇が存在するための条件にはなり得ず。光なくとも闇は存在す。すなわち闇は全ての支配者なり。ならばわたしの意志に従い、顕現せよ――」
詠唱して、堕天使はついに目を開けた。
終わりの一撃を、放つ。
「『暗黒世界』」
濃縮された。
純度100%の裏の支配者が、
全てを呑み込んだ。
✤
「んなぁ……!?」
計算通りいけば、チェックメイトのはずだった。
100%に限りなく近い確率で勝ちだった。
しかし、だ。
いついかなる時も、イレギュラーが起こり得ることを忘れてはいけない。
今回がいい例だ。
レンが貯水槽の壁に着地した瞬間。
一秒と待たず、ナルミが身体で激突し、この戦いは終わりを告げる予定だった。
そう、しっかりと着地してくれれば。
壁に立つような態勢を空中で作り上げたレンが、貯水槽に足をつけて止まる。
と。
コロリ、と。
まるで『全身の力が抜けてしまったかのように』、レンが地面目がけて落下を始めたのだ。
てっきり普通に着地するとばかり思っていたナルミは驚きの声を上げ、誰もいなくなった目的地に到着する。
猛スピードで壁に激突しないように減速できたのは僥倖だった。自滅しては元も子もない。
だが、そこで胸を撫で下ろしてはいけない。
「やっとチャンスが来やがった」
真下から。
歓喜の声が聞こえたのである。
その主は言うまでもなく、壁から為す術もないように落下したレンである。
なんとか対応しようと即座に身体を捻ったが、不測の事態にそこまで敏捷に動けるわけがなかった。
少し、見ることができただけだ。
勝利を顔に滲ませた。
左肩から漆黒の翼の生えた、人間もどきの姿が。
「ぶっ飛べ」
言うと同時。
ドゴガァァァ!! という音を伴って。
レンの翼がナルミの身体を真上に向けて叩いた。
「ぐ、ふ……!?」
予想外で対応ができず、一撃の重さも相まって、ナルミは大ダメージを負った。
「か、は」
そしてナルミは驚きで、上手く受け身が取れなかった。ビキビキ、と嫌な音を立てて空に張った結界へと打ち付けられる。
ビュオッ、と追い打ちをかけるようにレンがナルミに迫る。
背中の黒が身動きの取れないナルミにトドメを誘うとしたところで。
「こ、降参降参!」
ナルミは両手を上げて、戦意のないことを示した。これ以上やっても流れは向こうに行ってしまっている。このダメージを負った状態から勝てる見込みはないだろう。それならさらに傷を負うよりかは降参してしまったほうがマシだ。
それを認めて、すんでのところで黒い物体が動きを止める。
「……ふう」
人間もどきは一息ついて、災厄を象徴しているような肩の物体を消す。
「なんとか勝てたか」
「……まさか、そもそも……」
「ああ、どうやらもう俺は人間ではないらしい」
「……はあ。やられた。最初から最後まで騙されてたなんて完敗だよ」
危なげなく屋上へ舞い戻りながら、そんな会話が交わされる。
「まあ、そっちの攻撃を避けてる時点で常人でないことは丸わかりだったろうけど」
「それくらいは誰でもわかったけど……魔術師の類いかと思ってたんだよ」
結構元気にしゃべってはいるが実際満身創痍で今にも倒れそうな生徒会長ははたと気づく。
「キミって堕天使だったの!? ってことは私、天使代表として堕天使と戦ってたってことだから、もうこの世界は堕天使のものに……!?」
被害妄想激しいナルミに、レンは嘆息しつつ、
「そこからか……たしかに、こんな翼生やしてたらそう見えるのか。でも実際俺は堕天使ではなくて、いや、そうかもしれないけど……うん?」
説明を試みてみたところで、レンもこんがらがってきた。この場合、レンの立ち位置としてはどのあたりに配置されるのだろうか?
二人が無事屋上に着地(レンは多少浮いているが)すると、激しかった戦闘で困窮したレンの頭は一つの強硬策を生み出した。
「そこんとこ難しいところは、どこかの説明好きに一から十まで解説させよう」
☾
「へっくち」
そんな可愛らしい声を出したのは、今さっき恐ろしいことをしでかしたばかりの暗黒堕天使であった。
噂をされるとくしゃみが出る、それはこの世界の理のようだ。
「……お。ちょうど向こうも終わったらしいな」
遥か彼方の屋上に張ってある結界が解除されるのを認識しながら、ヴィンフォースは視線を戻す。
ヴィンフォースの目の前には、暗黒が広がっていた。
ただ、この世界全てを闇に改変したわけではない。彼女の向いている方向以外は、しっかりと滞りなく夕焼けの風景が広がっている。
正確に表すとすれば、直径10メートルほどの球体の形をした暗闇が、目の前に存在していた。
逆に言えば、それ以外に何もなかった。さっきまでいた百人程度の軍隊も見る影がない。
言うまでもなく、ヴィンフォース=シュバルゲンの行使した『暗黒世界』が原因である。
レンの『フライ』のように、ヴィンフォースは概念そのものを取り扱うので、『暗黒世界』に決まった効能はない。今回起こした現象を端折って言えば、相対していた天使を一人残らず暗闇の中に封じ込めた、ということだ。
「さてと」
この光景に不似合いにもまだ制服を着ていたヴィンフォースは、スカートのポケットから一辺が一センチの、サイコロにも似た立方体を取り出した。
「このままは良くないからしっかりと収納しないといけないな」
一度、その立方体を宙へ放り投げた時のことだった。
質量保存の法則を完全に無視して、小さなサイコロ大のものが、ルービックキューブ大へと膨らんだ。
それをキャッチすると、ヴィンフォースは目の前に広がる暗闇へも近づく。
「上手くいくかは半々だが……」
その暗闇へと、大きくなった立方体を触れさせる。
懸念は杞憂だったようだ。
キュィィィィィィィィィィィィィィィィン、と掃除機のような音を立て、立方体がその暗闇を呑み込んだ。
「……ふむ。これでまた一歩、近づいたな」
もう一度、立方体を投げると、それは最初の一センチ四方とものへと戻った。
それをポケットにしまってから、ヴィンフォースは龍焔ヶ丘高校へと足先を向けた。




