9.前へと進むビギニング
「だあぁー……」
牙琉レンは勉強から目を背ける子供のように自室のベッドに身を投げ出した。
一週間後の約束をして、早くも四日が経つ日曜日の今日である。
レンは。
全く前に進めていなかった。
一週間後に向け、決意を新たにやる気満々で何かをしようと考えたところまではよかったのだ。
だが、そこからが問題である。
……具体的に、何をどうすればいい?
ナルミとの戦力差は一度目の当たりにしているレンが一番わかっている。
圧倒的戦力差。これを埋めるためには策略を張り巡らせ強さとかお構いなしのイレギュラーを巻き起こすかレン自身がパワーアップを図るしかない。
前者は平日のうちになんとか済ませた。あのあと取り決めた会場である屋上に出向き、色々調べ使えそうだとか使えないだとか、取捨選択を少々。
しかし、よく考えなくてもわかるのだが、相手は天使は天使でも生徒会長である。生徒会長たるもの、校舎は隅々まで把握していておかしくはない。校舎を使ったギミックは通用しないと考えた方が妥当だろう。
他には、何かのアイテムを使い惑わせる、なんて手もあるが、レンはまだ素人だ、どんなものが有効打になるのか、それさえも想像がつかない。そして、そういうのを知ってそうなヴィンフォースからは助言をもらうことができない。
よって、相手を同じ土俵に立たせる作戦はほぼ不可能といって差し支えない。
そこまで思い至ったのがあろうことか土曜日。半分の期間を使って、今さらのごとく悟ってしまったのだ。
というわけで、消去法により、打てる手立ては二つ目、レン自身の強化ということになる。
なるのだが。
「どちらにしろ、何をやればいいかがサッパリなんだよ……」
呻くように寝返りながら、忌々しげに独りごちる。
レンは、おそらく契約の際ヴィンフォースの血を摂取したおかげで、今や人間ではない力を手に入れた。それは歩行すると見せかけて常時浮いているという事実からでも見て取れる。
治癒能力も上がっている。何かの拍子に足が地面と接触して倒れた時にできた擦り傷が数十秒で完治した。
最後に身体能力。重さという重さを感じなくなった。スプーンも手品ではなく実際に、容易に曲げることができる。動体視力もよくなっていて、野球部が投げるボールがスローモーションにも見えるようになっていた。運動もろくにしていなかった貧弱な身体からは予想もできないことだった。
人間よりは能力値が底上げされている。
そこまでは歓迎すべきことだ。だがここで思案すべきことはどうすれば強くなれるのか、ということ。
ここで言う強さとは、戦闘面での、だ。いくら力が倍増していたとしても、当たらなければ意味はないし、隙を相手に与えてしまう。
そんなガバガバな戦い方では、あの堕天使と並んで戦うことは不可能だ。
そこでレンは考えた。筋トレなどをせずとも動ける身体は手に入れられたのだから、まずは技術を身につけようと。
だが、またしても問題。
ネットで武術について一通り調べたのだが、かなり足の運びが重要視されるようなのだ。フェイントをかけたり、勢いをつけたりなど、用途は様々。
……残念ながら、レンに真似できるとは到底思えなかった。彼は浮いている状態に歩いているモーションをつけることで普通を装っている状態だ。浮きながらステップを踏んで踏み込むのに対応して場所を移動させることは、かなりの困難が付きまとうのである。残り三日で身につけることが可能な芸当とは思えない。
だから、上半身だけでもと、ボクシングを筆頭に色々と参考にしてみたが、どうもピンと来ない。
しかして、これこそ今さらながらのことなのだが、生徒会長かつ天使であるナルミは女性である。
勝利方法はどうするのだ? どこぞの右手で能力を無効化できる男子高校生のように、顔面に思いっきりパンチを食らわせてダウンさせると言うのだろうか。
「……知らねえよだってヴィンがあの時の襲撃者、つまり生徒会長を倒さないとダメだって言うからとにかく決闘を申し込んだまでで、どうすればいいかなんて知るわけねえだろしかもあいつ、今回はわたしを頼るな、とか言いやがってよぉ!!」
枕に顔を埋めながら、何かの呪文のようにブツブツと呟くやさぐれちゃったレンであった。
もう後ろ向きにしか考えられないと思われたが、吐きたいことを吐き出してしまったら思いの外スッキリした。
さすがに、そろそろ方針を決めなければヤバい気がする。準備期間的に。無策で挑むのは無謀であり時間の無駄だ。
レンは一人思考を開始する。
なぜ彼はしっくり行く戦い方を見つけられないのか。彼自身、薄々とだが見当はついていた。
いわく、既存のものであるのがいただけないのだろう。
彼は全般的にというか全部、この世界が嫌いなのだから。
型や決まりにそった戦術も割に合わない。
だから彼は近くの本棚に詰まっている紙の中のような、現実にはありえない方法を望んでいるのだろう。
彼の大好きな非現実を前面に出した。
「……あ、そうだ。いっそのこと滞空戦術はどうだろう」
そこでレンはそれを思いついた。別に相手も人間ではないのだから、自在に宙を飛ぶ、くらいは見せても構わないだろう。
空中戦。
その言葉だけでレンの中二病心はくすぐられ、心は高揚した。
「じゃあ今日は飛ぶ練習を……」
ふわり、と横になった体勢のままレンは空中へ浮かび上がる。
ヴィンフォースが記号を埋め込んでくれたからか、いちいち意識せずとも方向性、軌道を考えるだけで自在に飛ぶことができる。
手始めに部屋の空中を、円を描いて十セット飛んでみることにした。
これくらい自由度が高いならば、あの天使の攻撃も避けることができるだろう。一度殺されかけたあれは完全に死角からの攻撃だ。決闘なら死角からなんてありえない。
しかし、攻防の防御の方は確認できたものの、やはり攻撃方法がわからない。
「本当に殴る蹴るで行くか……?」
試しに腕を振りかぶって思い切り突き出してみた。
……なんかすんごい風が巻き起こった。
速い拳に圧縮された空気が、元に戻ろうとして烈風を生み出したのだ。
ドアがガタガタ今にも壊れそうな音を立て、本棚の品はボロボロと床に落ちていく。
「うっわなんじゃこれ……身体強化されすぎだろ。これぶつけるのか……。まあ、相手が相手だし大丈夫か」
納得して、あーあと床に落ちてしまった品々を元の場所に戻していく。
「ん? これは……」
その中に、目を引く品が混じっていた。
他のとは別に、レンはそれを自分の机の上へ置いておく。
と、ふと顔を上げて窓の外を見た時のことだった。
カァ、カァと鳴き声を上げて飛ぶ真っ黒な生物が目に入る。いつの間にか、もう夕方になっていた。
「……あ」
そこで思い出すことがあった。圧倒的に存在感をなくしすぎて自分でさえ忘れていた。
姿見の前に浮いて行き、目を閉じる。
妄想の時間は数秒もせずに済んだ。左肩甲骨のあたりに、第三の手のような感覚が復活する。
「そうだった、こんなのもらってたんだった」
どこかの堕天使が聞いたらぶちギレそうなことを言ってのけながら、レンは目を開ける。
漆黒の左翼が、そこにはあった。
需要がなさすぎて今まで忘れていた。
たしかめるように、翼を動かしてみる。
やはり手のような奇妙な感覚のうちに、バサバサと音を立てて翼ははばたき始めた。
「これも有効利用できれば、あるいは……」
戦力差を埋める手数で勝てるかもしれない。
向こうも天使で羽根を二つも持っていたが、おそらくあれは飾りか飛ぶためのものだろう、とレンは確信的に思っていた。
「それに」
レンは狭い室内では邪魔になる翼を消して机に置いたものに近づく。
「これもある。もしかしたら、いや、確実に勝てる」
一筋の光明が見えた。
ならまずやるべきことは。
レンは外に出るべく、玄関へと向かった。
「お兄ちゃん、どこ行くのー?」
「ちょっとそこらの公園に」
「え、今から?」
「今からだからこその外出だ」
適当に誤魔化して、レンは外へ出た。
☾
「……まあ、わたしの手にかかればなんとやらだな」
同じく日曜、その昼過ぎ。
ちゃっかり吸血鬼とパイプを築いているヴィンフォースはこの日も打ち合わせに興じていた。
駅の近くではあるものの、入り組んだところに位置しているため客の少ない、密会にはうってつけの喫茶店。
合流してこの店に入ると、とりあえずコーヒーの注文をして、運ばれてきた上で湯気が立ちのぼる中発せられた第一声がこれである。
「……ちょっと、情報が不十分すぎるんだけど」
当然、いきなりこんなことを言われてもわかるわけがない。ましてや、この吸血鬼は話を把握するのが苦手なのである。
堕天使はあ、とわざとらしく今になって気づいたとばかりな声を上げ、情報を修飾しにかかる。
「来週の水曜日だ」
「……嫌がらせ?」
これには堕天使もいただけない顔をした。完全にこれだけで十二分であると思っていたのだが。
「わたしは逆に貴様がわざと何度も聞き返していると思っているが」
うんざりした表情を浮かべ、全く信じてないふうなことを言いながら、仕切り直しとばかりに運ばれてきているコーヒーを口にする。彼女にとってコーヒーを飲むのは初めてだったが、琥珀色の苦い汁には特段なんの感情も抱かなかった。美味いだとか不味いだとかの感じ方を、彼女は持ち合わせていない。
(やはり摂取するものはうまか棒に限るな)
ヴィンフォースは唯一『悪くはない』と判断した食品のことを思い浮かべながら、鼻腔を突き抜ける香りを吟味した。彼女は堕天使らしく(?)、身体に良くないもの、つまりジャンクなものが好みらしい。
閑話休題。
ふむ、とこの世界のコーヒーなるものを客観的に堪能したヴィンフォースは、改めてナツメと向き合った。
「まだ要旨が感じ取れていない、なんて信じられないが……。ナツメ、いったいわたしたちはこの四日間あまり、何の話をして過ごしてきたと思っている?」
「ああ、侵略者のこと。でもそれは来週の水曜日とは直接繋がらなくない?」
「繋がらないわけないだろ。……貴様、話の通じないやつだと呆れられたことはないか?」
「……ある、かな?」
はあ、とヴィンフォースは嘆息した。
協力者を得たのはいいのだが、如何せん目の前に控えるこいつ、結構どころか骨の髄まで使えない。
……さすがにそれは言い過ぎだが、多少なりは有益な情報をもたらしていたが、それはヴィンフォースが考えていたのよりは矮小なものだった。
(……とはいえ、こいつにはまだ『使い道』がある。レンと同様、同時進行させてみるか)
ヴィンフォースは頭に思い描く筋書きに追加で書き込みをしながら、未来のための投資だ、と少々面倒なことでも骨を折ることを決めた。
「侵略者――すなわち別世界の天使が近々攻めてくる。そう言ったな。それが、わたしの大いなる演算結果によって、襲撃日が来週の水曜日であることをおおよそ推測した、というわけだ」
「あっ、そういうこと……って、それ結構やばくない?」
ここまで来てついに状況を察したナツメは、みるみるうちに目に見えて焦り始めた。ヴィンフォースクラスの襲撃者が来る、そこまでなら現実感が皆無で、まだ他人事のように捉えることもできた。
だがここに来て、日にちの指定までされてしまっては、危機を実感せざるを得まい。堕天使のブラックジョークだったなら笑い飛ばせたが、あいにくとこれは本当のことのようだった。
そんなおろおろしているナツメの口の中に、ヴィンフォースは常備しているスティック状の菓子、うまか棒を突っ込んだ。
不意打ちされたナツメはひとまず(驚きのあまり)落ち着いたようだった。話すのに邪魔な菓子を消化すべく、もそもそと咀嚼し始める。
ヴィンフォースは諭す調子で、
「狼狽えるなよ。その焦りが一番駄目だ。正常な思考を停止させ、できることすらできなくなってしまう。無理なものは無理。それでもいいから、自分のベストを尽くすのを優先するんだな」
含蓄あるセリフを吐いてから「それはともかくとして」と路線を切り替える。
「別に世界の滅亡が始まるわけではない。今回のは不可避ではなく、撃退可能なんだ。それにどちらにせよ動くのはわたしが大半だしあまり関係のない貴様は気負うこともないだろう」
もぐもぐ、と菓子を全て口の中で咀嚼をし、流し込むように苦液を飲むと、ナツメは「だけど」と反論した。
「ヴィンフォースちゃん級の人たちなんでしょ? 集団でかかってきたらどうなっちゃうのさ」
「…………、」
ピクリ、とヴィンフォースは眉を震わせた。
随分と舐められたものだな、と堕天使は顔を引き攣らせながらずいとナツメに迫る。
「わたしクラスとは言っても、その幅は広いんだよわかるか? わたしは頂点に立つ存在――堕天しているから今となってはもっとかもしれないな――対して向こうはどうだ。たしかにわたしと同じくクラスにいるかもしれないが、そこには天と地ほどの差がある。虫けらと巨人くらいの関係がな。匹敵できるのは少数。わたしの予測では次の襲撃では出向いてこないと見ている。つまりわたしが遅れをとって負けるなんてことは万に一つ、いや無量大数に一つもありえないんだよああ?」
……何かの地雷を踏んでしまったようだ、とナツメは思った。
どうやらこの堕天使、いやにプライドが高く、天界の天使と同列に見られたのが気に食わないようであった。
ただ単に、憎くてたまらない天界を引き合いに出されたことが原因かもしれないが。
「ご、ごめん、なんだかあたし勘違いしてたみたい」
ナツメはいつになく高圧的な態度にびっくりしながら、なんとか冷静を取り戻させようと宥めた。
そうだ。ここまで断言しきるのだから、彼女の言い分は正しく、遅れを取らないということは決定的なのだろう。
だが、だからこそ。
ナツメは少し腑に落ちなかった。
この堕天使に、絶対はあるのか。遅れを取らない保証が、どこにあるのだろう。
些細な間違いで、全ては崩れ去る可能性だってあるのだから。
そもそも。
なぜ彼女は襲撃される日が『来週の水曜日』という細かい日時を断言することができたのだ?
堕天使は格の違う存在だから、そんなことは容易なのだろう。そう考えれば終わる話。
だが、ナツメにはどこか、喉に魚の骨が引っかかった時のような違和感があるのだった。
だからといって、違和感の全体像は全く掴めておらずもやがかったように曖昧だったので、それはたちまちに霧散してしまったのだが。
「……そんなわけで、くれぐれも来週は用心するんだな」
「でもさ、思ったんだけど、ヴィンフォースちゃんが独力で勝てちゃうなら別にあたしと協力関係を結ばなくても一人でこと足りると思うんだよ。なんで足もとにも及ばないようなあたしに?」
「それはレンをミッションに追いやってしまって手持ち無沙汰になり暇だっt――」
何かを言いかけて、こほんこほんと咳払い。
気を取り直し、もう一度。
「混乱は避けたいと思ってな。敵ではないものと敵の区別くらいはつけさせておこうと」
さっき言いかけていたこととは比べ物にならないほど真面目な理由であった。
「そっか。三つ巴なんてことになったらすごいことになりそうだもんね」
把握能力の乏しいナツメは言いかけたことなど気にもとめず、真剣な理由に一人うんうんと納得していた。
今だけナツメが要領悪くてよかった、と思ってしまうヴィンフォースである。
「……それに、見どころがないわけでもなかったしな」
「見どころ?」
だから思わずこぼしたこの呟きに反応されて、少し戸惑ってしまった。
どうやらこの吸血鬼、聞いて欲しいことをポロポロと取りこぼし、聞かなくていいことを拾ったり拾わなかったりでかなり気まぐれな耳をしているらしい。
「まあ色々と、な」
ヴィンフォースはあやふやにお茶を濁し、ポケットからはてさて何本出てくるのやら、棒菓子を取り出して口に入れた。ここが飲食店だとかそんなことはお構いなしである。
「……ねえ、思ったけどそれ、毎日と言っていいくらい食べてるよね。健康に悪いよ。肌とか荒れちゃうかも」
常識はこの際意味がないと考えたのか、ナツメはヴィンフォースの食生活に話を移す。
それを聞いたヴィンフォースは、皮肉に笑んだ。
「……ふっ、心配させて悪いがそれはないな。全く忌々しいことにこの身体は生まれ落ちたその時から有無を言わさず完全で完璧な状態を継続するようになっている。呪いにも似た気持ち悪さだ、本当に」
「……ごめん、また余計なこと言っちゃった?」
「いや、今のは自嘲だ。気にしないでくれ」
申し訳なさそうに身を縮こませるナツメに、筋違いだ、とヴィンフォースは手を振った。
だがナツメには、今堕天使から発せられた言葉の真意を考えずにはいられなかった。
生まれた時から完璧で完全。ずっと変わらない状態。
何かしら欠陥がある人間、果てには吸血鬼には憧れであり羨ましい以外のなんでもないのだが、実際に持ってしまった堕天使は呪いのように気持ち悪い、という。
何もかも持っていたからこそ。
気持ち悪くて忌々しい。
そんなことを経験してしまったら果たして自分はどうなってしまうのだろうかと、ナツメは一人思っていた。
✞
そしてその日は訪れる。
各々に、それぞれの思惑と、決意を抱きながら。
スタートラインにすらつけていない中途半端な人間と。
スタートを切ろうとしている堕天使。
全てが動き始めるXデーは、すぐそこである。




