一茜の歌集(にのまえあかねのうたノート) 常夏
それではいってみよー。
寂寞の
夜空に願って
叶わずも
慰むるのも
空の藍色
《私の真面目訳》
物寂しい
空に願い事をして
叶わなくても
慰めるのも
空の藍色だなぁ
《脚色した現代語訳(語り口調)》
もの寂しい夜空に願い事をしました。それは叶わなかったのですけれど、そんな私を慰めてくれたのも藍色の空でした。
《一応の解説》
特にないです。
《一解説》
久しぶりの空の和歌。そう思ったのは茜だけでしょうか?
星に願い事をする人います?私は意外とそのようなことは好きです。
(別に信じてはいないけどね。)
星に願い事をして裏切られ、その間の藍色の虚空に慰めてもらうイメージです。
ちょっとイメージはずれて和歌になっているのを感じています。
これでも推敲してまだマシになってます。
友人に、
「和歌読むのって見た目よりたいへんだよ。」
と訴えていたら、
「感動した時に読むんじゃないの?」
と言われました。
確かに感動して読むこともありますが、ほとんどは論理的に作るのが茜のスタイルです。
でも新古今和歌集などでは和歌の集まりでテーマを決めて詠んだものがたくさん見受けられますし、こっちのほうがオートドックスな気がします。
少し短いですが、ここらへんで終わろうと思います。
皆様に31音の魔法がかからんことを
物語は虚構であっても人は読むことをやめないだろう。なぜなら物語の中には私たちの存在に意味を与える「公式」のようなものが含まれているから。
どっかでこのようなことを聞いた気がします。なろうを読んでいたらふと思い出しました。
今回もありがとうございました。またよろしくお願いします。