今だから解るけどもう遅いね(卅と一夜の短篇第11回)
君に伝えたいけど言えなかったことがあるんだ。
色とりどりの風船が飛び交い、観客の注目が真ん中の戦闘会場に集まる。魔法大会の期待のルーキーである銀髪の少年が現れると、黄色い声が上がる。程なくして耳が痛いくらいの沈黙で静まり返る。対戦相手は既に待機中だというのに審判が試合を始めないのは、彼のいつもの口上が終わってないからだ。1回戦では鼻で嗤われた彼も回を重ねるごとに噂で愛好家が増えていった。優勝決定戦となった今では彼を見るために、会場施設から人が溢れる。
口上と言っても、短いものだ。
手を上空へ掲げ、高らかに叫ぶ。たったそれだけ。
『戦闘領域展開完了。勝利を宣言します』
わぁああああああああああ!!!!宇宙を穿つ歓声が響く。
ねえ、君に届くかな。
ジェミーは貧しかった。飢えて死ぬほどではなかったが、つぎはぎだらけの襤褸を着るほどには貧しかった。
当然、育ち盛りの加虐心の塊である同級生達のとる行動は決まっていた。あまり良い想い出ではないが、特に彼等が調子に乗っていた日の事は覚えている。まるでつい先刻の出来事のように、鮮明に、まざまざと。
とはいえ、ジェミーも悪かった。一番悪いのは反論しなかったことだ。黙って睨むが何も言わない。ただ、睨む。ジェミーの唯一持っていた抵抗が同級生のボスは許さなかった。無視され、罵倒され、殴られてもボスを睨むジェミーは心から屈しない。幼いボスはそれを理解していた。
下僕として寡黙なジェミーは更に言葉を失った。痣を持ち帰っても転んだとして、家族には言えなかった。少しばかりの自尊心の呵責と、いらぬ心配をかけたくなかった。我慢すれば良いだけだ。それにずうっと黙っていたものだから、なんて言えば良いのかわからなくなった。
ジェミーに再び言葉を教えたくれたのは、カナという極東から来た女の子だった。カナは両親を亡くし、遠い親戚をたらい回しにされた後に、結局孤児を集める施設に入った。学校には通っていない。カナの黒い髪に瞳。一見して余所者と解る出で立ち。ジェミーは己が持つ小麦色の肌と銀髪よりもカナの其れが大層美しいのにと思ってた。はみ出しものの二人。凸と凹。出逢うべくして出会った二人は、夢のような思い出を作った。狭い隠れ家の片隅で居場所を作った二人はカナの宝物だという色彩の図鑑を広げる。
『これが甕覗』
「かめのぞき」
『藍白』
「あいじろ」
『白殺し』
「しろころし」
『浅葱』
「あさぎ」
『縹』
「はなだ」
紺という深い青を作るまでの色達がジェミーを癒した。途中にも名前があるの。意味があるの。と、カナは言う。言葉には力がある。口にすれば叶うと知っている。だから私は世界一の文字魔法使いに なる!って毎朝、鏡に向かって言うの。カナと過ごす時間に言葉の意味、使い方、背景を学ぶ。幸せな時間。
この気持ちをなんと言えば良いのか、ジェミーはわからなかった。
文字魔法使いとは5つの理『風・火・水・木・土』と2つの真『光・闇』のどれにも属さず尚且つそのどれも知っている『精神』に作用する魔法使いだ。総てを知り、言葉を統べる、魔法使い。カナの両親はその権威で、派閥争いから逃げ仇に恨まれて蒸発したまま戻らない。カナは急いで大人になった。子供のままでは殺される。子供だからと侮り、生かした敵を後悔させなければ。
復讐の色が褪せてきたのをカナは少なからず感じていた。ジェミーと過ごす時間は紛れもなく、傷付き内心に闇を抱くカナにとっても癒しの時間だった。僅かな魔力でジェミーと魔法を教える。花弁を散らして遊び、灯火を集め、水で包んだ魚を陽射に透かし、種を集めて花を咲かせ、地面を盛り上げて登った。夜は月光に怯えて抱かれて眠り、昼は太陽に焦がれて笑った。ジェミーの両親は学校に行かない我が子に気付いていたが、たまに帰ってくる息子の笑顔に何も言えなくなった。勉学だけが全てじゃない。あのこの好きにさせよう、助けが必要なときに手を差し述べよう。そう話す両親を見つけたときに、二人から産まれて良かったとジェミーは思った。でも何て言えば良いのかわからなくて、寝床へ戻り、泣いた。
夢の時間は終わるものだ。
呆気ない幕引だ。泳げないいじめっこのボスが川に落ち、それをカナが助けて死んだ。それだけ。それで終わり。全部。
ジェミーがカナの元に戻った頃、カナは2度と手の届かない場所へ逝ってしまった後だった。最期の言葉さえ、最期を看取ることさえ。ジェミーは溶岩のような灼熱のどろどろした黒い液体が込み上げてくるのを感じた。
終わりだ。
終わった。
何て言えば良い?
ボスが泣きながら謝る。びしょ濡れの身体で、抑止するボスの両親を振り払って、すまない、すまない、すまない。恨んでくれ、罵ってくれ。
川に捨犬が流されて、どうにか助けようとして落ちたのだと子分が叫び、制止させられる。ボスの両親も頭を下げる。今までのことは仕事で子供に構わなかった私たちのせいだ。責めるなら私たちを責めてくれ。すまない、すまない、すまない。謝って済むことじゃないと解ってる。恨んでくれ、罵ってくれ。
この気持ちを何て言えば良い?
ジェミーの身体を空虚が満たした。言葉にならない。親友を亡くし、どうやって生きてきたか忘れてしまった。寂しさに耐えかねて、隠れ家に行く。いないはずなのに身体に染み付いて抜けない記憶がカナに話しかけ、もういないのだと再確認する。
この気持ち、何て言えば。
もう教えてくれる人はいない。
もういない。もう永久にあの幸せな時間は来ない。もう一生涯、来ない。あとは惰性でこのまま生きるだけ。なら、生きてる意味はないだろう。両親のことが過る。罪悪感は感じる。でも開放されたいんだ。これは自己満足って言うんだ、知ってる。
君がいない。
この気持ちは何て言うんだろう。
生きてる意味はなんだろう。
ないよね、カナ。
ジェミーは飛び降りた。
目が覚めると記憶のメモリーを遺して、機械の身体になっていた。
白い研究室のベッドで目が覚め、辺りを見渡すと白衣の女性が立っている。眼鏡を押さえて、にやりと笑いながら手にしていたバインダーを置く。
彼女は博士と名乗った。説明を聞くに、ジェミーの死体で得た金を『この先、もしもジェミーが目を覚ましたら』と遺して両親は既に他界しており、知っている人間はいなかった。たまたま理想的な死体になったジェミーをこの博士が高値で買ったのだ。数ヵ国の辞書を搭載している今のジェミーならこの状況を表す言語が解る。最低最悪、だ。
博士は訊ねる。
何か希望はあるか。したいことはあるか。不備はあるか。
『しにたい』
ジェミーは掌をしげしげと観察して、答えた。却下された。
なら、と時間をかけて急かされて出た次の答えが口をつく。カナの夢だった。
世界一の文字魔法使いになりたい、勉強がしたい、カナの夢を叶えたいと。
博士は問う。何故?何の為?何を成す?
ジェミーは金属を動かして笑った。
何て言ったら良いかわからない。まだ。
博士はキョトンとして、くつくつ喉を鳴らす。
『お前が気持ちを知りたいのはたぶん伝えたい誰かがいるからだ。なのに、伝えたい気持ちがわからないままのはお前の怠惰だ。伝えたい誰かに解って欲しいなら、伝えたいなら、諦めるな。言え。わからなくても、上手に出来なくても、言うんだよ。言葉を学び、意味を知り、背景を察する。テレパシーなんて使わなくても私達は繋がれるんだ。さあ、ほら。ジェミー、言ってごらん。いくらでも私は待つよ』
博士が幼い子供に教えてるみたいに抑揚をつけて話ながら、機械になったジェミーを見る。
似てもないけれど、彼女は歳をとったカナだ。
生きて歳をとったらこんな風に笑うのかな。笑っただろうな。
『かなに あいたい』
『つよくなりたい』
短い独白。博士は無責任に膝を叩く。やってみな。
涙もない機械に変わった少年は生前に模して作った銀髪を揺らした。
彼は胸に巣食う溶岩が冷えきる前に瞼へ焼き付けようと深く空を仰いだ。研究室には宇宙など無く、白い天井が広がるばかりだった。
この白い世界を彩りでもって変わるのだ。そんな気がした。
大丈夫、知ってるよ。