真の敵 捌
「…………………………………………………………………………」
月夜達の去った部屋で、佳苗は放心していた。
もう少しで莫大な財産と権力を手にできた筈だったのが、翻って全てを失ってしまったのだから無理も無い。
時間にしてみればほんの数分なのかもしれない。
しかし、誰も言葉を発する事の無い空間は時間が永遠に引き延ばされたかの様な錯覚さえ覚える。
ただ、唯一聞こえてくる時計の音だけが、時間が進んでいるのだという事を告示していた。
(何処で間違えた……?)
もう幾度目になるか分からない自問自答。
ソレに答えてくれる者はいない。
しかし、時が経つにつれて感情は徐々に戻ってくる。
そして戻ってきた感情は後悔や自責の念ではなく、怒り。
(そうだ……全部アイツが悪いんだ)
彼女は己に向き合う事ができない弱い人間だった。
失敗した理由を全て他人の所為にしてしまう弱い人間。
(アイツがいなかったら上手くいってた!)
そして、意味が無いという事も理解できず、ただただ自分の屈辱を晴らしたいという、幼稚で身勝手な感情のみが支配していく。
(アイツだけは許さない!)
結論に達するや否や、佳苗は自室の机に走り、引き出しから別の電話を取り出した。
スマホではない、所謂ガラケーの様な携帯電話。
ただ、ソレは何処の会社からも発売されてはおらず、ディスプレイも無ければボタンすら付いてはいない。
しかし佳苗はソレに話しかける。
「仕事よ!」
《これは佳苗様、如何いたしました?》
何処へ繋がったのか……一拍遅れて声が返ってきた。
「だから仕事よ!」
同じ事を言わされ、佳苗は苛立ちを隠すことなくぶつける。
《おお、それはそれはありがとうございます》
声の主は大袈裟に喜んでみせる……が、その声からは全く抑揚が感じられない。
《それで、依頼の内容は?》
「………………」
前も思ったが、こういうものは普通、何処かに取り次いでから担当が受けるものではないのだろうか?
《佳苗様?》
「あ、ええ……依頼は、桜華 月夜の暗殺よ!」
《ふむ……恥ずかしながら、一度失敗しているので、当面は避けた方が良いと申し上げた筈ですが?》
「そんな事言ってられないのよ! 元はと言えば最初にアンタ達が失敗したのが悪いんでしょ!? 」
佳苗は机をガン! と叩いた。
「それに、麻昼の件だってすぐにバレたじゃないの!」
《いやいや、ソレを言われると耳が痛い》
声の主はおどけたように笑う。
《ただ……ですね》
声のトーンが少し下がった気がした。
たったそれだけ、しかも相手は電話の向こうだというのに、佳苗は背筋にヒヤリとしたものを感じた。
《見破られておいてアレなんですが……見抜いた使用人って本当にただの素人なんですかね?》
月夜の使用人ということならば少なからず護身術くらいは会得していてもおかしくはないだろうが。
《その程度の素人に見抜かれるようなものじゃないんですよ、我々の『天穴針』は》
声の主は少し苛立った声を出す。
護身術を会得しているとか凄腕のボディーガードだとか、そういった程度の奴らこそが素人だと言っている。
そんな事も察せないのか……と、佳苗に対して心底呆れているのだ。
が、佳苗にそんな事が理解できよう筈もない。
声の主はソレを察すると、
《それで? 改めて聞きますが、標的は桜華 月夜だけでよろしいので?》
ため息をついて仕切り直す。
「そう……そうね。できたら陽向もやってほしいけど……いえ、もう無駄ね。良いわ、月夜だけで……確実に殺ってちょうだい」
佳苗は半ば、投げやりにも聞こえるようなつぶやきで応えた。
《畏まりました……だそうだ》
声の主は何処かに声をかけた。
「ああ、解った」
「え!?」
突然、佳苗の後ろから返事がした。
佳苗は慌てて振り返る……と、誰もいなかった筈の壁に、いつの間にか黒ずくめの男が寄りかかっていた。
「な、そっ……何処から!?」
部屋のドアが開いた様子は無い。
窓も施錠されていると言うのに、一体何処から入ったのか……佳苗はあまりの事に、口をパクパクさせるだけだった。
「何呆けてんだよ、確認するけど……桜華 月夜を殺れば良いんだな?」
黒いニット帽に口まで覆った黒いスカーフで顔は判らないが、かなり若い男の声だ。
少年……と言っても良いだろう。
しかし、明らかに年上でしかも依頼者である佳苗に対して、畏まるどころか、タメ口で……何なら上から目線である。
(何? コイツ)
佳苗はムッとする。
「貴方、子供でしょ!? 大人、それも依頼者である私に対してその口のきき方はどうなの!?」
さっきまでの無気力はナリを潜め、佳苗はその少年を嗜めた。




