真の敵 伍
◇
「ボス……本当にこれで良かったんですか?」
豪奢なインテリアに囲まれた一室で、三人の男が神妙な面持ちで話し合っていた。
一人は高級な革製の椅子にゆったりと腰掛けた彫りの深い、目つきの鋭い男──ボス。
もう一人はその前で背筋を伸ばして立つ幹部と思われる長身の男。
そして最後の一人は床に直に正座をさせられている若い男──ヤンだった。
ボスは電話を置くと、煙草を咥え──すかさず長身の男が火をつける。
ゆっくりと煙を吸い込み、
「ふううぅぅ…………」
と、更にゆっくり……煙と共に深いため息を吐き出した。
その煙が正座をしていたヤンの顔に直撃し、煙草の吸えないヤンは軽く咳き込む……が、だからと言って露骨に嫌な顔をしてパタパタ煽ごうものなら今度こそ確実に粛正されるに違いない。
そう、(幹部に)正座こそさせられてはいるが、ヤンは(まだ)無傷だった。
数時間前、仕事の失敗を報告したヤンは幹部に胸ぐらを掴まれ、怒鳴られていた。
必死に言い訳するも、やはり幹部には信じてはもらえず、殴られる直前……話を聞きつけたボスから「待った」がかかった。
その後、ボス自らヤンを問い詰めた後、すぐに佳苗に電話をし、今回の依頼から手を引く事を一方的に告げたのだった。
「いったい何なんです? その『白狐』って奴は」
ボスの決めた事に逆らうつもりは無いが、何も判らない幹部にとっては納得し難いものが有るのもまた事実だった。
「………………日本に来て、俺がまだ先代に拾われる前の事だ」
ボスはポツリと話し始めた。
「殺しを頼まれた。ある一家を始末してくれってな」
当時のこの男にとっては特に珍しい依頼ではなかった。
本国よりは少ないものの、当時の日本でも暗殺というものは度々行われていたのだ。
「その依頼もいつもと同じ……そう思っていたんだが、軽く下調べをしただけでもすぐに判った」
「何がです?」
ボスはもう一度深く煙草を吸うと、ゆっくりと惜しむ様に煙を吐きながら煙草を灰皿に押し付けた。
「その一家はあまりにも普通過ぎた」
「普通……ですか?」
「ああ、普通だ。家族三人、両親と娘一人。多少裕福なだけで、どう考えても……少なくとも殺される程の怨みなんざ買う訳がないと思った」
しかし、当時の男は金に困ってはいないものの、後ろ盾も無く、稼げる時に稼いでおく必要が有った為、依頼を受ける事にしたのだった。
「正直、気は進まなかったがな……」
と、前置きしてから、再び煙草に手を伸ばして……辞めた。
「決めたからにはできるだけ早く終わらせようと思った。苦しませずに……な」
当時の彼のこの思想は今の組織でも受け継がれている。
ボスのその思想に惚れ込んで入って来た者もいるくらいだ。
故に、彼の組織には性格に多少の難は有れど、卑劣で外道な手段を使う者はいない。
もっとも、『殺し』そのものが卑劣で外道であると言われてしまえばそれまでではあるが……
「で、決行当日。家族が寝静まった頃を見計らって屋敷に潜入した」
ボスはそこで一息つくと、
「ソコに奴はいた」
ふ……と、笑みを浮かべた。
聞いていた二人は顔を見合わせる。
ボスのこんな表情は初めて見た。
悔しさと懐かしさ、そして憧れさえ感じているかのような笑みだった。
「眼を疑った。誰も起きていないと思っていたからな」
強襲する側が待ち伏せされていたのだ。
何なら、彼を抹殺する為の罠だったのかとさえ疑ってしまうだろう。
「俺は眼を奪われた……驚いたのもそうだが、何よりその美しさにな」
「美しさ……ですか?」
ヤンは恐る恐る尋ねた。
正直、ヤンにとっては恐怖しか無かった。
「……そうだな……最前線で対峙しなかったお前には解らないかもしれないな」
ヤンの話を聞いたボスはそう判断し、鼻で笑った。
内心、ムッ……としたヤンではあったが、相手はボスだ、すぐにその感情を引っ込めた。
確かにヤンは目の前には行ったが、戦ってもいないし、その様子も観てはいない。
「真っ暗な中に浮かび上がる白い姿。獣の様にしなやかな身体。純粋なまでの殺意。だが、何よりも……」
ボスはその時を思い出し、思わず身震いした。
「何よりも……?」
長身の男とヤンは先を聞こうとするも、ボスには聞こえていないのか、眼を閉じて過去に耽ってしまった。
ややあって、ボスは改めて語り始める。
「奴と対峙した俺はすぐに仕掛けた……が、軽くあしらわれた。すぐに格の違いと言うものを悟った俺は、せめて相打ちにでも持ち込もうとした」
当時のボスの強さについては話でしか聞いた事がないが、それでも今のフェイやグゥウェンよりも上であったと聞いた。
そのボスが軽くあしらわれたと……にわかには信じられなかった。
「その時だ。屋敷に別の奴らが襲撃してきたんだ」