真の敵 肆
《深夜に申し訳ありません……》
いつも最初に聞く加工された声ではない。
低い男の声──ボスと思われる男の声だ。
「何の……用……?」
さっきまでは待ち侘びていた電話だったが、こと……此処に至っては最もかかってきてほしくない電話だった。
何せターゲットはこうして目の前でくつろいでいるのだから、依頼の完了報告ではないという事は火を見るよりも明らかであるからだ。
では、何の電話だ?
佳苗には嫌な予感しかしない。
《大変に申し訳無いのですが、我々は今回の件から手を引きたいと思います》
「はぁ!?」
失敗の報告ならばいざ知らず、依頼の謝絶とはどういう事か。
最悪、此処に奴等が乗り込んできて……あるいはこの後警察に行く前に二人を始末できればまだ何とかなるかもしれないと考えていただけに、この電話は佳苗にとっては最後通告にも等しい。
「どういうことよ!? あんた達はプロでしょ!?」
月夜と陽向が聞いているというのにも関わらず、佳苗は声を張り上げた。
今更言い逃れはできないのならばと開き直っているのかもしれない。
《ええ、我々としても大変に不本意ではあります……が、正直に申しまして、今回の依頼は我々の手には余ると判断致しました》
「はあぁ!?」
それこそ佳苗には理解ができない事だった。
聞けばこの二人は襲撃された事を公にはしていない。
つまり護衛は最小限の筈。その護衛だって、特別な者ではない……よね?
にも関わらず、プロの殺し屋の手に余る!?
「どういうことよ!? あんた達はプロでしょ!?」
佳苗は全く同じ台詞を吐く。
《ええ、プロです。だからこそ解るのですよ……》
「な、何が!?」
《より深い、闇というものがね》
「や、闇!?」
佳苗には何の事やらさっぱりである。
月夜に陽向──二人にどんな闇が有ると言うのか。
いや、恐らくは月夜側だろう。
やはり今夜、月夜の屋敷は襲撃されたのだ。そこで何かがあったに違いない。
プロの殺し屋さえもたじろがせる闇とやらが。
《こちらの面子は丸潰れですが、やむなしです》
「何を!? もう前金だって支払っているのよ!?」
《一応、前金に関しては依頼の成否に関わらず支払っていただく物という説明は申し上げていた筈ですが》
そういえばそういった説明はされた気がする。
依頼を引き受ける。ということで前金を払い、成功したら残りの金を払う。
失敗した時は残りの金は払わなくて良いが、前金は返ってはこないと。
コレは調査、あるいは実行するに当たっての経費であり、また、口止め料も含まれている為である。
しかし、
《今回に限っては、その前金もお返しいたします》
相手はその金を返すと言ってきた。
「返す!?」
実際に襲撃は有ったし、予定外の二度目の襲撃までしたのにも関わらず……である。
それでは赤が出てしまうのではないか……とも思うのだが……
《正直、今回は相手を見誤った我々の落ち度……としか言いようがありません》
「落ち度って……」
《相手がアレと判っていれば、もっと調査していれば、我々がこの件を引き受けることも無かったし、葛城様に期待させる事も無かった……いえ、何ならアドバイスさえできたかもしれない》
「え……ええ……っ!?」
佳苗には何が何だか解らない。
プロを謳っている殺し屋の組織がそれ程までに恐れるアレとは何なのか?
そんなモノを月夜が所有している?
聞いたことが無い。
桜華家とは別のモノ?
いくら考えても答えなど出よう筈も無かった。
《それでは我々はこれで失礼させていただきます。最後になりますが……今からでも遅くはありません、和解とはいかないまでも敵対しない道を選ぶ事をお勧めしますよ》
それだけ言うと、相手は一方的に電話を切ってしまった。
「あっ……ちょっ……待っ……!」
佳苗は叫ぶが、聞こえてくるのは無機質な不通音だけである。
呆然としたまま、佳苗は力無く受話器を置いた。
そのままどのくらい固まっていただろうか……
「意外と早かったな……数日はかかるかもしれないと踏んでいたけれど」
今の会話が聞こえていたのだろう──月夜の声で、佳苗は現実に引き戻された。
そして、錆びついたかのように軋む首をギギギ……と動かし、月夜を視界に捉えると、
「あ……あんた、い、いったい何…………」
月夜の言葉の意味を尋ねようとするも、ショックと恐れによって上手く言葉にできなかった。
ピ
もう聞きたいことは無いとばかりに、ボイスレコーダーを切った月夜は、もう佳苗に振り返る事もせず、颯爽と部屋を出た。
ただ、陽向は打ちひしがれ膝をついた佳苗に一言だけ
「麻昼の事は心配しなくて良いですから」
とだけ告げて部屋を出た。




