白い影 捌
そして再び白い獣に視線を戻した時、
「!?」
白い獣と眼が合った。
超至近距離で。
「う……お……!?」
音も予兆も……空気の揺れさえなく、まさしく一瞬で数メートルの距離を零にしたのだ。
(なんじゃそりゃ……っ!?)
速い……等という、そんな陳腐な言葉では表せない。
瞬間移動と言っても信じる……いや、そうとでも言われなければ納得ができない。
次元が違うとはこの事だ。
一秒にも満たない刹那に、グゥウェンはそう悟った。
(ああ、そうか……)
それと同時に理解した。
奴の白は暗闇の中にできる影なのだ。
確かに影は陽の下で暮らす者達から見れば未知で恐ろしいものかもしれない……
だが、ひとたび闇の中に紛れてしまえばどれほどの影があろうと、全て埋もれて見分けることはできない。
有象無象の影。
しかし、真の影とは陽の下ではその存在すら認識させず、闇の中に在って初めてその存在を強烈に誇示する。
この白こそが闇に生きる者にとっての影。
そして悟る、組織の粛清なんかではない、フェイを殺ったのは(死んではいない)間違いなくコイツだと。
(俺は……ここで死ぬ)
数分……いや、数時間にも引き伸ばされた刹那の中で、グゥウェンは己の未来を予知してしまった。
もういっそ、眼を閉じて潔く死を受け入れようかとも思ってしまう。
……しかし哀しいかな、戦いの中で生き続けてきたグゥウェンの身体は目の前の化け物相手に、思考が全く追い付いていない状況であるにも関わらず、健気にも反応してみせる。
膝の力が抜け、身体を沈ませつつも距離を取るべく倒れるように後ろへ、しかしナイフを握った方の右腕は吸い込まれるように白い獣の首筋へ。
刺すのではなく撫でるように……普通ならば下がりながらの攻撃など力も入らないし、決定的なダメージを与えるに至らない。
が、唯一『斬る』となれば話は変わる。
刃とは押すか引くことで初めて斬る事ができる。
腕の力だけでなく、身体全体で引くことによりその鋭さはより発揮されるのだ。
ただでさえ頸動脈辺りは鍛えようが無い、少し斬るだけでも致命傷となる箇所だ。
『斬る』という攻撃において、最も適した動作……ソレは無意識に、しかしグゥウェンの今までの経験の全てが集約された会心の動きだった。
極限まで集中した野球のバッターは打つ瞬間、球が止まって見えるというが、今のグゥウェンにも同様に全てがスローモーションに見えていた。
ゆっくりと白い獣の首筋にナイフが近づいていく。
あと五センチ……
あと一センチ……
今までこれほど集中した事は無かったし、今後二度と無いと思われる。
全てがスローモーションに動く中で、しかし頭の中はクリアで、今の状況を冷静に、客観的に分析できている。
さっきまでとは逆に、思考が身体を追い抜いていた。
アレのように、頭の中で種が弾けたらこんな感じになるのではないか? とグゥウェンは思った。
あるいは……何かと引き換えに得られるこの戦い、この瞬間だけの特別な能力なのかもしれない。
だが、例えその代償が命だったとしても、ここでこの化け物を倒せるのならばグゥウェンに悔いは無かった。
(いける! 勝てる!!)
ナイフが白い獣の首筋まであと〇.五センチと迫り、勝ちを確信した瞬間だった。
白い獣はそのナイフの刃をひょいと摘まむと、造作もなくグゥウェンの手から取り上げてしまった。
全てがスローモーションに動く中で、白い獣だけは普通の速さだった。
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グゥウェンの顔から表情が死んだ。
更に白い獣はそのままグゥウェンの手首を掴むと、くいっと返す。
その瞬間、グゥウェンの視界はグルンッ! と百八〇度回転し、白い獣が逆さまになる。
床が頭上に迫り、受け身を取らなければと考えるが……考えられるのだが、身体はスローにしか動かない。
極限の集中によって白い獣の動きが捉えられるようになったものの、身体は全くついてきてないので、これでは全く意味が無い。
それどころか、なまじ見えてしまっているだけに自分がこれからやられる事も冷静に解ってしまい、ただただ迫る恐怖を実感するのみである。
(重○速ってこういう事かな……)
グゥウェンは有り余る思考時間の中で、最早ヤケクソ気味に某○面ライダーの事を思い出していた。
いっそ、こんな能力が発揮されなければ、何も解らないまま一瞬で終われたのに……グゥウェンは己の底力を呪った。
頭が床に激突すると覚悟したその時、白い獣はグゥウェンの襟を掴んだ。
(何を!?)
そこでグゥウェンの極限の集中はとぎれ、周りの速度が元に戻る。
「っ……げぁ……っ!!!」
背中に衝撃を受け、肺から全ての酸素が強制的に排出されたグゥウェンはそのまま意識を失った。




