白い影 伍
そう、組織の厳しさはカイルも知っている筈だ。
そして、カイルは普段こそ軽口の絶えないガキではあるが、上下関係はそこそこ気を付けているし、仕事でも勝手な事は特にしていなかった……と思う。
グゥウェンの新入りに対する偏見を取り除いてみれば、カイルが今回の仕事において、手柄を独り占めするために黙っていなくなる可能性は低いと言えるのではないか?
「…………」
グゥウェンは通信機で表を張っている仲間に連絡をした。
「グゥウェンだ、何か動きは有るか?」
《いや、特に何も? って言うか、どうしたんだ? そっちからの連絡は極力しないって話だったろう?》
「そうか……いや、何も無いんなら良い……」
グゥウェンは通信を切った。
(ターゲットも、あの二人も出ていないか)
もしかしたら、二人とも体調等、何かしらの異常が発生して、グゥウェンに知らせる余裕も無いまま緊急離脱したのではないかと……まあ、有り得ないとは思ったが……わずかな可能性も考慮して連絡してみたのだが、やはり違ったようだ。
(……となると)
────ゴク
グゥウェンは無意識の内に生唾を飲み込む。
急に喉が渇いてきた。
(この屋敷に……何かがいる……)
グゥウェンは警戒を最大限に高めた。
別に今まで気を抜いていた訳ではないが、その状態で二人がいなくなった事に気づかなかったのだ。
これはもう、普段通りの警戒では足りない。
グゥウェンは暗視スコープを外した。
元々グゥウェンはこんなものが無くても暗闇で動くことができる。
いや、むしろスコープをしていない方がその感覚はより研ぎ澄まされるのだ。
今回は新入り二人に合わせて仕方なく付けていたに過ぎない。
(どんな小さな違和感も見逃さん)
グゥウェンは眼を閉じた。
極限まで集中する時には星の光すらも邪魔になるのだ。
下唇をチロリと舐める。
これはグゥウェンの昔の癖だった。
『獲物を前に舌なめずりか……三流のすることだな』と、ボスからの評判が悪いため、意識してやらないようにしているのだが、集中して昔──上海の暗黒街で一人で仕事をしていた時──の感覚を思い出すと、無意識についやってしまうのだ。
ただ、コレは断じて獲物を前にしての舌なめずりではなく、ただの癖である。
むしろコレが出た時のグゥウェンは全神経を獲物に集中させた状態であり、一片の隙も油断も無いと言える。
(……何処から来る?)
グゥウェンの警戒に引っかかる者はまだ無い。
何か動いた!?
いや、風だ。
声が……?
いや、虫の鳴き声だ。
(む?)
微かに人の気配がした。
(遠い……離れか?)
人の気配がした方向──離れは、母屋から少し離れた位置に有り、長い一本の廊下で繋がっている。
(……ち)
グゥウェンは心の中で舌打ちする。
事前にこの屋敷の構造を調べた際、嫌な所だと思っていた場所だった。
ここに追い詰めてしまえば逃げ場は無い……と言うと都合が良い様に聞こえるが、それはこちらにとっても同様で、この部屋に入った後に廊下を封鎖なりされた場合、極めて脱出は難しい事になる。
また、部屋には窓は無く、入口も一つしかない為、待ち伏せする側も一ヵ所だけを警戒していれば良い……と、踏み込むのを躊躇う場所なのだ。
(だが、そうも言ってられんか)
母屋はあらかた探し終え、何の成果も無かった。
最早、行くべき場所はソコしか残っていない。
グゥウェンは眼を開くと、警戒を維持したまま離れに向かった。
眼を閉じて暗闇に慣らしていた所為も有り、星の光だけでもグゥウェンの眼は十二分に闇を見通す事ができた。
そこでようやく気づいた。
廊下の中間辺りにいる者に。
(!?)
グゥウェンの心拍数が一気に跳ね上がる。
(……この距離まで気づけなかった……だと!?)
いや、何かおかしい。
今も感じている気配は廊下の先にしか無い。
確かに先に一人いるのが見えるのに、気配を全く感じないのだ。
眼を閉じていたら気づかないままだったに違いない。
(何だ……こいつは!?)
気配が無い……というのもさることながら、まずグゥウェンの眼を惹いたのはその格好だった。
特殊部隊や暗殺者というものは普通、黒……あるいは暗い衣装に身を包む。
単純に、暗がりで活動する際に気づかれないようにする為だというのは一般人でも解るだろう。
だが、黒というものは『夜』『闇』『影』『未知』といった物を連想させる。
人間は暗闇を恐れるものだ。
それ故の黒。
しかし、グゥウェンの前に立つ者は違った。
白い。
グゥウェンには十分であるが、星の光しか無い廊下というのは真っ暗闇と言っても差し支えない。
しかし、それほどの暗闇においてなお、その姿は星灯りを受けて明確に浮かび上がってしまう。




