白い影 参
「奴さん、おいでなすったようです」
真っ暗な静寂の中、月夜の声が良く通ること。
「お前、そんな口調じゃなかったろ!」
陽向の怒鳴り声はそれ以上だが。
「とにかく、警察を呼ぶぞ! 呼ぶからな!」
月夜には何か考えが有るようだが、こちらも命の危機だ、知ったことか。
佳苗に関しては確たる証拠がなければ警察は動かないだろうが、今正に襲われているのであれば、出動しないわけにはいくまい。
陽向はスマホを取りだし、警察を呼ぼうとした……が、
「!?」
通話を押しても反応が無い。
「馬鹿な!」
良く見るとアンテナ表示が圏外になっていた。
だが、今日日トンネルの中であっても普通に電波が通っている時代だ。
端っことは言え、東京である此処で圏外になるなど考え難い事である。
現に、さっきまでは普通に使えていたのだから。
「ふむ……」
月夜も自分のスマホを確認する。
確かに圏外と表示されている。
「妨害電波……と言うものでしょうか?」
「んな……漫画やラノベじゃあるまいし、そんなもん実在するのか?」
日常生活の中では到底出てこないような言葉に、陽向は懐疑的だ……が、
「妨害電波の発生機器自体は珍しい物ではないようですよ? 秋葉や通販で誰でも買えるみたいですし」
すぐに月夜はその存在を肯定した。
「お前……スマホもろくに使えないくせに、そんな知識だけは有るのな」
陽向は呆れる。
「ただ、この家を全て覆うとなるとアレですから、もしかしたら周囲のアンテナを壊したのかもしれませんね」
月夜は冷静に状況を見極めようとするが、今はそんなことはどうでも良い。
「どうするんだ!?」
屋敷は囲まれ、警察も呼べない。
陽向は焦るが、月夜は椅子から立ち上がることもなく、テーブルの上のコーヒーを手探りで探して口にした。
その様子にややイラつく陽向だったが、月夜は焦らすようにホッと一息つくと、
「ですから……迎え撃ちます」
先程言ったことを改めて宣言した。
「結局それか……」
陽向はガックリと項垂れて、力無くイスに腰を下ろした。
「……大丈夫なのか?」
ヤケクソ気味に残っていたコーヒーを煽ると、月夜に勝算を聞いた。
スマホの僅かな光源の中、自信たっぷりな月夜の笑顔が浮かび上がる。
そして自信たっぷりに答える。
「さあ?」
「さあ? って、お前「何せ」
陽向のツッコミを遮るように月夜は告げる。
「私は未だ、あいつの底が見えないのですから」
◇
真っ暗な屋敷の中を数人の男の影が音も無く進む。
明かりと呼べるものは微かに射し込む月明かりのみだが、しかし男達の足取りには不安は無い。
さらに男達には会話は無く、意思疏通にはハンドシグナルを用いていた。
この暗闇の中でもソレが見える理由……それは男達が身に付けているゴーグルに有った。
通称『スターライトスコープ』
暗闇の中であっても星の光ほどの光源が有れば数百メートル先をも見通す事ができる……簡単に言えば暗視スコープである。
暗殺者と言うよりは軍の特殊部隊が持っていそうな装備だが、現代ではそういう最新の機器も駆使しなければこの業界生き残っていくのは難しいのだ。
特に、若い奴等にはソレが如実に表れる。
昨今の人間には子供の頃から暗殺者となるべく育てられた者などいないと言っても良い。
大抵は行き場を無くした社会の落伍者や傭兵くずれが墜ちてくるのだ。
故に、暗闇の中でも活動できるような目も無ければ相手の殺意を敏感に察知するような勘の鋭さも身に付いてはいないのである。
組織としてもそういう人間を一から育て上げるような時間も無いので、道具で補えるのならばソレに越したことはないという訳だ。
だが、今回の仕事を任せられた男『グゥウェン』は組織の中でも数少ない本物だった。
(何故俺がこんな奴等とチームを組まねばならない!? 俺一人の方が動きやすいと言うのに!)
物心ついた頃から暗殺術を叩き込まれ、その腕だけで組織のトップクラスにまで登り詰めたのだ。
墜ちてきたのではなく、自らの意思で登ってきたエリート。
なので、最近の道具頼みの素人とは相容れないのである。
が、不満に思いながらも今回チームを組むことに関しては、グゥウェンは何も言えなかった。
(あのメイドめ……くそっ)
ターゲットだった陽向のメイド──高嶺の予想外の抵抗に遭い、陽向を逃がしてしまった負い目が有るからだ。
(もっとも、『フェイ』の奴に比べれば、挽回のチャンスが有るだけまだマシと言えるのかもしれないが……)
フェイは仕事に失敗しただけでなく、全治二ヶ月の重傷を負ったとグゥウェンは聞いた。
(だが、あいつが素人相手にそんな重傷を負わせられるとは思えない)
となれば、考えられるのは組織の粛正である。
(次しくじれば俺も粛正されるに違いない)
そう考えると、ますますこのチームに不安が募る。




