火具鎚忍軍 参
お忍び故にぞろぞろと護衛を引き連れてはかえって目立ってしまう。
もうこうなっては自分がいつも以上に気を張って護衛するしか無いではないか。
「……うう……」
なんだか胃がキリキリしてきた。
「しっ!!」
不意に、先導が皆を静止させた。
「…………!?」
先導の顔に緊張が走る。
その様子に楽観的な父娘も若干緊張気味になり、侍の胃は声にならない悲鳴を上げる。
と、更に霧が濃くなった。
「これは……!?」
娘は不安よりも、その幻想的な光景に魅入ってしまった。
隣の父親は言うに及ばず、自分の足元すらも見えない程の濃霧。
まさに白い闇という言葉が相応しかった。
「…………………………」
とは言え、これでは身動きがとれない。
ただでさえ不慣れな山道。一歩誤れば転落すら有りうる。
「父上? 国重?」
呼びかけるも返事は無い。
「むう……誰ぞ、おらぬのか!?」
ソレを合図にしたかのように、白い闇は急速に晴れていき、
「狐幻丸!?」
目の前に忍が二人かしこまっていた。
「お久しゅうございます、穹姫さま」
「久しぶり~」
いや、一人はかしこまっていなかった。
「う、うむ、一年と三カ月十五日ぶりじゃな!」
細かい。
「おお!? 狐幻丸、そなたが迎えに来るとは……」
父親も狐幻丸と狸鼓に気づいた。
「殿もお変わり無いようで何よりでござる」
「うむ、親方は息災か?」
「は、相も変わらず」
「元気過ぎだっつーの」
「そうかそうか」
父親の方──風見忠守は安堵の笑みをもらす。
忠守と親方は主君と忍ではあるが、その関係性はまるで兄弟のようであった。
「そんなことより!」
娘──穹姫は忠守をぐいーっと押し退けると、
「里はまだなのか!?」
狐幻丸に迫った。
「ふむ……」
狐幻丸は狸鼓と顔を見合わせると、
「ようこそ、火具鎚の里へ」
霧の先を指差した。
「むん?」
穹姫は眼をこらし、霧の先を凝視する。
「あー、それ以上行くと危ないよ」
穹姫は狸鼓に肩を掴まれた。
「へ?」
ソレに気づき、穹姫は思わず後退りし、尻餅をついてしまった。
「なっ……なんじゃ!? いつの間に!?」
先程までは普通の山道を歩いていた筈だったのに……霧が晴れてみれば、穹姫達が立っていたのは切り立った崖の縁スレスレだった。
そして、その崖の下にうっすらと見えるのが
「あれが……」
「火具鎚の里でござる」
◇
「おーう、また来たぞ!」
「来すぎじゃ!! 城主としての自覚は有るのか!?」
会うなり忠守と親方は軽口を交わす。
主従関係にあるまじき発言であるが、ソレが彼等の普通なのだ。
「私は親方と話がある故、穹は里を観て回ると良い」
「仮にも忍の里なんじゃがな……」
「仮じゃないだろ」
忠守の発言にツッコミが入るが当人達は気にすることは無い。
「はい!! 父上!!」
穹姫は眼を輝かせる。
「それでは案内兼護衛役を呼び……」
そこまで言いかけて、親方は穹姫のただならぬ気配に気づく。
何やらばちっばちっと片目をつぶったり、隣をチラチラと見たりしている。
「………………………………………………えー……じゃあ…狸……」
言い終わらないうちに穹姫の顔が修羅の如き形相になった。
「……………………………………………狐幻丸…案内してやりなさい」
穹姫の尋常ならざる気配は消え、グッと拳を握っていた。
「拙者……でござるか!?」
「わ…妾の相手は、ふ…不服か!?」
「いえ、決してそのような事は……」
「ならば行くぞ! 早ようするのじゃ!」
狐幻丸の襟首を掴むとズザザザザザー…と引きずって行ってしまった。
「…………………………………判りやすいのぅ……」
◇
「まあ、案内とは申せ……忍の里故、あまり詳しくは紹介できませぬ」
「そうか……いや、気にするでない。別に何処でも良いのじゃ。こうして外を歩くだけでも良い気晴らしになる」
「は……」
案内を頼まれた狐幻丸は穹姫と里外れの川沿いを歩いていた。
里の中を案内できないとなればもう外側しかない。
とは言え、特に見所もないただの川だ。すぐに退屈してしまうと思っていたのだが……
「おお! なんか跳ねたぞ! 魚か!?」
姫は上機嫌だった。
「……ふむ」
一国一城の姫ともなれば城下町すら気安く出歩くことはできない。
自分にとっては見慣れた景色だが…姫にとっては逆に新鮮に映っているのかもしれない。
狐幻丸は納得してうんうんと頷いた。
「……っと、姫。あまり身を乗り出しますと川に落ち──」
「おわぁ!?」
言い終わらぬうちに苔を踏んづけ、穹姫の身体が宙に浮く。
「ひ、姫えぇっ!?」
川に落ちるまでの一秒にも満たない刹那。
しかし狐幻丸の身体はその刹那に反応する。
「!?」
川に落ちる。
そう覚悟した瞬間には穹姫の身体は狐幻丸に抱き留められていた。
「お……おぉ、助かっ──」
狐幻丸に抱き留められていた。
「───────は、わ」
抱き留められていた。
「はわわわわわわわわわわわわわわわああああ!?!?」
一瞬で姫の顔が耳まで真っ赤に染まる。
「ひ、姫!?」
「いいやああああああ!!」
バチコーン!! と平手が炸裂した。
刹那に反応できた狐幻丸が微動だにできない一撃だった。