此処で生きる 伍
「……雛……!!」
静かに……しかし、凛とした諭すような声。
「…………………………」
しばらくの沈黙の後、観念したのか……ポツリと、
「彼に……頼みました」
告げた。
「……………………………………」
月夜は何も言わない……が、辺りの空気が冷たくなったような気がした。
思わず雛は身震いさせる……が、ソレも一瞬の事で、「はああぁぁ……」という月夜の盛大なため息と共に場の温度が元に戻った気がした。
つい出してしまった自分の態度が恥ずかしいのか、視線を外してポリポリと頭をかいた月夜は「コホン」と咳払いをして仕切り直す。
「そうだな……まずは礼を言うべきだった」
「いえ、そんな……」
月夜の言葉に、雛は恐縮してしまう。
「だが、何故あいつを巻き込んだ?」
「………………」
数日前に遡る──
「拙者は……どうすれば……」
狐幻丸は屋根の上にいた。
唯一浮かび、掲げた目的は一歩も踏み出すこと無く瓦解してしまった。
「もはや……生きる意味など……」
無い……とは言えなかった。
此処にはいない筈なのだが……何故だか、言った瞬間に月夜にぶっ飛ばされるような気がするのだ。
さりとて、他にすべきことも浮かばない。
この時代に来て一週間。
まだまだ驚愕することは多々あれど、おおよその常識というものは知ることができた。
そして知った。
この時代に忍はいない。
乱世ならばいざ知らず……この天下泰平の世には忍など不要なのだ。
「皮肉なものでござるな……我等が命を賭して求めていたものは、我等が不要の世だとは……」
ずっと、戦の無い世になれば……と、思い生きてきた。
だが、実のところ……そんな事は有り得ないと心の何処かでは高を括っていたのだろう。
その証拠に、いざ戦の無い世になってみれば、この通りだ。
自分には何も無いではないか。
結局、狐幻丸は忍を辞める時が来るなど考えてもいなかったのだ。
平和な世が来たら何をしたいか……なんて考えたことも無かったのだ。
「……………皆、拙者は何をすれば良いのだ?」
答えてくれる者などいない、解っていても呟いてしまう。
「ならばその命、お嬢様の為に使ってくれませんか?」
いた。
「……雛…殿……?」
いつの間にか、雛が後にいたことさえ気づけなかった。
「月夜殿の為……とは?」
先程の呟きを聞かれてこっ恥ずかしい等とはおくびにも出さぬよう、極めて平静を装い、狐幻丸は聞き返す。
「平和な現代に馴染めない自分の情けなさを嘆いていたのでしょう?」
ぐ は あ ぁ っ
図星を突かれ、狐幻丸の精神が吐血した。
「そそんなことわないのでござる!」
「分りやすいリアクションありがとうございます」
これ程までに分りやすいリアクションをする者が忍であると誰が思うだろうか……
まあ、ソレは慣れない現代で弱っている所為だという事にしておこう。
「で、どうですか?」
「どうと言われても……」
解せぬ。
この平和な時代に忍は必要無いということは今まさに身をもって痛感中である。
なのに命を使え……とは、狐幻丸が言うのもなんだが、時代錯誤感が半端無いのである。
訝しむような狐幻丸の態度に、
「ああ、命……と言うのは大袈裟でしたね」
雛はすぐに訂正した。
「お嬢様はその生まれから、敵が多いのも確かですが……ソレはまあ、大した事はありません。それよりも気がかりなのが、あまり友人と呼べる方がいらっしゃらないことです」
「『ぼっち』でござるな!」
妙な言葉を覚えたらしい。
「ええ」
キッパリと肯定した。この場に月夜がいたならば血の雨が降っていることだろう。
「御学友と呼べる方はいても、プライベートで親交の有る方は皆無……と言っても良いでしょう」
雛の言葉に狐幻丸はふと考えてみる。
この時代に来てからまともに接触をしたことがあるのは月夜と雛だけなのでいまいち判断しかねるのだが、確かにこの家に客が来たことは無い。
というか、この家はそこそこの広さの日本家屋なのだが、侍女も雛以外いないし、両親ですら一度たりとも見かけたことが無かった。
まあ、だからこそ狐幻丸がやっかいになることができている訳で……居候の身である事もあり、深くは詮索しないでいたのだが……
「そうか、ぼっちでござったか……」
「ええ、ぼっちなのです」
二人の間に沈痛な空気が流れた。
「そんなぼっちのお嬢様にとって、あなたは初めての同世代の友人……と言えなくもない存在であると言えなくもないのです」
「なんだか煮え切らない言い回しでござるな」
一応、雛がいると言えばそうなのだが、雛自身としては『主と従者』という線引きはしっかりしておかねば! という事らしい。




