開戦 参
「親方様」
「うむ、話は聞いた」
日が暮れてから、忠守の警護をしていた親方が一時的にだが戻ってきた。
「狸鼓はいったい……」
狐幻丸の質問を手で制すると、
「失礼」
親方は穹姫の顔を覗き込んだ。
「? ……なんじゃ? 妾の顔に何が……」
「御覧くだされ」
親方は手鏡を出して、穹姫に自分の顔を見させた。
「…………は!?」
穹姫はポカンと口を開けたまま、鏡の中の自分の顔に見入った。
「?……御免」
狐幻丸も鏡を覗き込んで確認してみる。
「!?…これ……は!?」
穹姫の両目には奇妙な紋様が浮かんでいた。
「なんじゃ……コレは!?」
「太陽と……月の様な……親方様、コレはいったい……?」
親方は軽くため息をつくと、
「『太極眼』だ」
「太極眼……!?」
「噂では陰陽道の起源とも言われている。森羅万象を司り、その瞳力は時をも征すると」
「時…でござるか……!?」
「そんな力が…妾に……!?」
その力が有ればこの状況を覆すことも可能ではないか?そう考えた矢先、
「もっとも……」
親方の言葉が遮る。
「完全に使いこなせた者などいないらしいが」
「む」
出鼻をくじかれた穹姫はむくれた。
「親方は、他の太極眼の持ち主を知っているのでござるか?」
「むう……」
親方は穹姫の顔をじっと見つめ、
「姫様の祖母、天様だ」
「おばあ……様が!?」
初耳だった。
もっとも、祖母は穹姫がまだ幼い頃に亡くなっている故、それほどの思い出は無いのだが……
「天様も若くして開眼し修練を積んだらしいが、晩年においても思うように力は使えなかったと聞く」
あまりにも不安定だったため、結局その力は国の為に使われる事は無く、太極眼の事は門外不出となったのだ。
「先刻開眼したばかりの姫様ならば尚のこと……その力は今は忘れておくのが吉でございましょう」
「して……狸鼓はいったい……?」
穹姫の力が凄いのは解った。だが、ソレと狸鼓がいなくなった事に何の関連が有るというのだろう。
「うむ、恐らくは……飛ばされたのだろう」
「飛ばされた?」
「無意識のうちに発動させた太極眼によって……な」
「妾の……力が!?」
親方は頷く。
「太極眼は時空をねじ曲げ千里の道すら超えるとも聞いた。姫様が狸鼓を助けようとしたのであれば……あるいは」
「もうなんでも有りでござるな」
とはいえ、確かにあの時、狸鼓の身体は虚空に消えた。
狐幻丸の眼ですら一瞬たりとも追えなかったのだ。ともなれば、これはもう瞬間移動どころではない。
空間転移としか考えられないかもしれない。
「ふむ……して、いったい何処に?」
「ソレは判らん」
親方はキッパリ言い放った。
「ついでに言うと、飛ばされたというのも憶測に過ぎん」
「おい」
「仕方あるまい、持ち主ですら全てを把握できなかった力なのだからな」
「むう……」
それはそうだ。持たざる者は与えられた情報から推測するしかない。
「で、あるならば……姫様」
親方は改めて穹姫に向き直り、真剣な面持ちになった。
「なっなんじゃ……」
その迫力に気圧され、穹姫は身構える。
が、親方は深々と頭を下げだした。
「あんなんでも息子夫婦が遺した大切な孫です。お助けいただき感謝つかまつりまする」
「………………………な」
あまりにも予想外な言葉に、穹姫は呆気にとられ……しかしみるみる顔を紅潮させていく。
「ふ……ふざけるなぁ!!」
怒りを露に立ち上がった。
「いつの何処に飛ばされたのかも判らんのじゃぞ!? もう二度と会えぬやもしれぬのじゃぞ!? そんなもの妾が…っ…妾が…っ……!」
穹姫は言葉を詰まらせる。
「姫……」
穹姫の肩は震えていた。
「……妾が、こ…殺したようなものではないか……っ」
その瞳には涙が滲んでいる。
二度と触れ会えない、声も聞けない、文も届かない、確かに人が死ぬということはそういう事かもしれない。
だが、親方は首を振る。
「姫様、ソレは違います」
「……?」
「我ら忍はいつ果てるとも知れぬ運命。ましてやこれから戦が始まろうかという時。正直に申せば、今生の別れを覚悟していなかったと言えば嘘になります」
「だから……もう会えぬと」
「違う場所、違う時代であっても、例え二度と会えぬとて、愛しい者が何処かで生きているのであれば……他に何を望みましょうか?」
「親…方……」
穹姫はその場に崩れ落ちると、すまぬ……すまぬ……と声にならない声で謝り続けていた。




