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前編

 ヒーローとは、日曜の朝に生息するものだけではない。照明は街灯。BGMはない。爆発の特殊効果も、CGも。スタジアム脇でも、いつもの採石場でもない。薄暗い住宅街だ。

 場所がどこでも、彼は私のヒーロー。

 けれど、この状況ではどちらが不審者かわかったものではない。夜道で言い争いをする二人の男をどう止めていいものか、私はただ戸惑うばかりだった。


「夜道で女子高生に声をかけるとはぁ! こーの不届き者めぇ!」


 半袖のワイシャツ姿で、黒いビジネスバッグと紙袋をさげた男性に対し、全身タイツで頭部にマスクをかぶった男が因縁をつけているのだ。マスクは鼻まで覆われているけれど、目と口のまわりは開いている。おでこには『竜』の文字。正体は、私の幼なじみ。

 街灯に照らされた姿は正義のヒーローだが、それは夏の夜道に出会うものではない。


「仕方ないじゃないですか、まったく人通りないし。僕は恋人のご両親に同棲のご挨拶に行かなくちゃいけないんです! 道を尋ねる事の何が悪いというのですか?」


「はたして本当かな? こんな時間にぃ?」


「彼女とご両親の仕事の都合が悪いから。人の事情に口出ししないでくれないか」


 私は汗でしっとりしたボブの髪を、手でいじくる。剣道の竹刀袋を肩から提げている女子に、声をかける変質者はあまりいないのではないだろうか。


「平日夜に挨拶だとぅ? どうだか! それが本当の話かどうかなんてわかるものか! だいたい、道なんてスマホのGPSマップを見ればわかるだろぉ?」


「スマホの電池がなくなったんだ!」


 どうにかしなくては。彼女の実家だというお花屋さんならば、よく行くから知っている。笑顔の可愛い女の人がいたことを思い出す。


「ここの道をまっすぐ行って、コンビニを左に曲がるとありますよ」


 私を守ってくれた怪しい全身タイツの男とサラリーマンの間に割り込み、道を指差す。


「この怪しい人、悪気はないので警察に通報しないでください。お願いします。私の身内なんです。少し変だけど、普通の人です」


 ぺこぺこと、私は頭を下げた。


「ああ、そうなの」


 男性は私にぎこちない笑顔を向け、ヒーローに訝しい眼差しを向けてから、教えた道を歩いて行った。その姿はすぐ闇に消えた。

 お花屋さんは平日がお休みだから、サラリーマンの言うことは本当なのだろう。高校三年生の私としては、同棲しないでさっさと結婚しちゃえばいいのにと思う。とはいえ、大人には大人の事情があるのだろう。


「いつから知り合いになったんだい?」


 ヒーローは、ぽつりと私に言葉を落とした。


「私たち、幼なじみじゃない」


「今の僕はリンドウカズマだ。君の知っている本庄千(ほんじょうかず)()とは別人……」


「そういう設定だったね、ごめんなさーい」


 棒読みの謝罪をした。設定を守る、という姿勢を見せればいいのだ。


「なんで今、リンドウカズマになっているの? 警察呼ばれちゃうよ」


「説明しよーう!」


 いきなり大きな声を出すと、街灯の真下にジャンプした。スポットライトがヒーローの上から降り注いでいる。

 青色の全身タイツ、というと「全身スーツ」と訂正されるけれど、低予算な作りなのでタイツの方が適切だ。上半身には防具がついており、筋骨隆々に見えなくもない。だが実際、その防具はプラスチックで出来ている。防御力はなさそうな見せかけの大胸筋と腹筋だ。


「この街の平和を守る正義のヒーロー、リンドウカズマ!」


 しゃきーん、と自分で効果音をつけてポーズをとった。キレのある慣れた動きだ。


「『正義と名の付く花言葉を掲げ、咲き誇るリンドウ!』でしょ」


 続きを言う前に、私が口を出した。


「それを言わせてくれよぅ」


 情けない声を出し、街灯の下でうなだれる。

 ご当地ヒーローになりたい。けれどベッドタウンでこれといった見ものが無いこの街で、何をモチーフにしようか。

 そう相談されたとき、二人が生まれ育ったこの市の花に指定されているリンドウはどうかと提案した。花言葉は『正義』。おでこに掲げられた『竜』は、リンドウを漢字で書くと『竜胆』だから。

 あれから十年近くたっているというのに、千真くんは未だにそのキャラクターを続けている。大学四年生就活真っ只中。いい大人だ。

 マスクの隙間から見える目は子どものようにキラキラと、街灯だけでなく下からライトをあてたかのようにきらめいていた。露になった口元はぽってりと厚めで、セクシー系と言われてブレイクした俳優を連想させる。背も高いし、こんな趣味じゃなければモテるだろう、と思わずにいられない。


「そんなリンドウカズマから、(ゆめ)ちゃん……じゃない。リンドウドリームに頼みがある!」


 私のコードネーム。夢という名だから、ドリームだそうだ。安易。


「今度の日曜、神社で夏祭りがあるんだ。そこで子どもたちに向けて、危ない大人についていかないように注意喚起の意味のヒーローショーをやろうと思ってね!」


 眩しい瞳で私の目をじっと覗きこんでくる。屈んでいるから、息がかかるほど近い。照れはないのか。私も千真くんも、昔のような子どもではないのだ。


「そんなに見ないでよ」


 私のそっけなさを装った口ぶりにも、千真くんはまるでうろたえない。


「いいと言うまで離さないぞぉ! リンドウドリームは剣道部だ。ヒーローショーをやるには申し分ないっ!」


「でも、その日は部活があるし」


「一日くらいサボりたまえ!」


 受験勉強をおろそかにしながら一生懸命やっている剣道に対して、随分と酷い事を言う。


「休みません」


 むっとした口調で言うと、千真くんはしょぼんと肩を落とした。


「だよねぇ、ごめん。またひとりで頑張ってくるよ」


 ため息が、夜道に溶け込んでいった。

 千真くんはひとりで活動している。どういった正義感を持てばこの孤独な活動をずっと続けられるのか、私にはよくわからない。


「まさか、この勧誘のためだけにその格好して待っていたの?」


「地域パトロールを兼ねてね」


 時折、不審者目撃の通報があるらしく警戒しているのだ。しかし、それは千真くん自身なのでは、と私は思っている。千真くんが普通の格好でいれば平和なのだ。それを言ったら傷つくから言えないけれど。


「十四時だよ! 気が変わったら来ておくれよぉ、リンドウドリーム!」


「行きません」


 男の人って、いくつになってもヒーローが好きだよね。




 放っておけない私はお人よしなのだろうか。「体調が悪いので、部活休みます」と嘘をついてまで。

日曜日、神社までコソコソ見に行く。

 律儀に十四時。お祭りが始まったばかりでまだ人の数は少ない。夕方になれば混雑するだろう。高校生になると地元の友達との付き合いが変わり、この小さなお祭りからは足が遠のいていた。

 少し寂しくなった気持ちを振り切り、私は鳥居の影から神社の境内を見る。あの目立つ青はいない。

 焦げ付く太陽、真っ白な雲。神社の鳥居や木々に留まって鳴き声をあげるセミ。いい匂いの煙をあげる焼きそばや、水面をキラキラさせている金魚すくい。その中に愉快なリンドウカズマがいたら、すぐにわかるはずだ。


「あんまりしつこいと、警察呼ぶぞ!」


 神社の境内の脇にある公民館の中から、怒鳴り声と共に青色がころころ出てきた。やっぱり。私は急いで公民館へ近づく。


「子ども達の為のヒーローショーですよ!」


「馬鹿言え。こっちには予定ってもんがある。急に来られても困るんだよ」


 千真くんを叱り付けているのは町内会長だ。恰幅のいいおじいさんで、千真くんと目線が同じくらい。子どもの頃はよく怒られたっけ。


「だから、事前にお約束をとりつけようと、お電話したじゃありませんか」


 つかみ掛からんばかりに言い返す。どうしよう、出て行って止めた方がいいかな。


「電話ぁ? そんな連絡きてないよ」


「しましたよ。さっき、ご自宅にっ!」


「さっきじゃ意味ねぇだろ! こっちだって安全に祭りを運営する義務があるんだ」


 私は頭を抱えた。リンドウカズマには、なぜか一般教養がない。千真くんにはあるのだから心には存在しているはずなのに、すぐに忘れる。恥じらいも無い。あのスーツは体ではなく、メンタルが強くなるのだろうか。

 警察に捕まる前に引き取ろう、と足を踏み出す前に、子どもの泣き声が聞こえた。その声にすぐさま反応したのはリンドウカズマだ。


「どうした、少年よ!」


 しゅたっ、と口で着地音をつけて、泣いている子どもの側に駆け寄りジャンプしたのだ。その演出するヒマにさっさと声をかけた方がいいのでは。


「おかぁさんが、いなくてぇ……」


 幼稚園児だろうか。涙をたっぷり溜める姿を見るだけで、こちらも悲しくなってしまう。


「よぉーし、リンドウカズマが肩車するぞ。おっきな声でママを呼ぶんだっ!」


 ひょい、と子どもを自分の肩に乗せる。少年の叫ぶ声が境内に響き渡った。ほどなく、母親が鳥居をくぐりやってきた。当然、リンドウカズマに担がれた息子の姿に狼狽したが、無事再会となったのだ。笑顔の少年はリンドウカズマに懐いている。

 誰かの助けを察知してすぐに行動する。私の大好きな姿だ。


「私がよーく言って聞かせますので、どうか穏便にすませてはもらえないでしょうか」


 どこかで聞いたようなセリフを、町内会長に向って口にする。私も随分、芝居がかった人間になってしまったようだ。


「わかったよ。アイツに悪気がない事は知っている。だからやっかいなんだが」


 少しだけ優しい笑みを見せ、町内会長は公民館の中に戻った。

 照りつく太陽の下、青色のヒーローの尻拭いをする一般人。コントではない、現実であることに私は眩暈がしそうになった。九十度以上に頭を下げたから、頭に血が昇っているだけかもしれない。きっとそう。


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