1 暗転
授業終了をチャイムが告げ、テスト地獄がやっと終わった。テスト勉強はせざる負えなかったため、不良相手のカツアゲを封印していた今週は金欠に陥っていた。そのため一刻も早く金を稼ぎに行かねばならない。なぜそんなに金を使うのかというと、いつも朝昼晩三食分の食料を買うからだ。自炊をしなくなったのは、前に自分で作った夕飯がすごく不味かったからだ。家に帰れない父から食費は出されているが、買って食うとなると正直足りない。それでも抗議する気も無ければ自炊する気も出ないため、また金を略奪しに行くのだ。
「ねー雅、京子たちも誘ってカラオケいかなーい?」
「悪いけど今日用事あるんだ。また今度にしてくんない?」
「えー? テストから解放された今遊ぶのがいいのに」
「ホンットごめん明奈! また今度誘って!」
「んじゃあ今日はいいや。一緒にかえろーぜ」
自分たちだけでも行けばいいのに、明奈を始め彼女らは誰一人としてそう提案しない。一人欠けたらつまらなくなるといつも言うが、本音は一人省いて自分たちだけが楽しむのは気分がよくないという人一倍仲間思いな奴らだからだ。私たちのグループは属にいう不良集団で、家でも学校でも邪魔者扱いされている。そんな私たちだからこそ、一人を除け者にして遊ぶなどとてもできなかった。
生徒玄関から校舎を出ると、春特有の心地いい適温の風が体を撫でた。明奈が横に並んだところで歩み始めると、おしゃべりな彼女はさっそく口を動かし始める。
「しっかしムズすぎないあのテスト! にじかんすうってなんだし!」
「へえ、二次関数だったってのは知ってるんだ」
「馬鹿にしすぎでしょ!」
ちなみに今のは純粋なボケではなく、本音と半々といったところである。なぜなら、明奈は不登校気味で全く勉強をしていないこの学校の学年最下位とワーストトップを競うほどほど頭が悪いからだ。本人曰く、中学らへんから勉強するのが面倒になり放置してきたらさっぱりわからなくなり、それ以降理解することを諦めたらしい。そんな彼女の授業態度は最悪で、今のサボり専門の不良と化したのだ。
「人並みには勉強しときなよ」
「雅に言われたくないし! あんたも私と同じ赤点組のくせに!」
確かに要領が悪いから赤点は数個とってしまうけど、むしろ赤点じゃない教科を探すほうが楽という明奈よりはまともだ。これで進学校に通っていたら明奈は毎日補習確定、進路相談など乗ってくれない壊滅的状況に陥っていたことであろう。
そこからはくだらない話で盛り上がり、気づけばもう明奈の家の前に着いていた。
「もう家の前か〜。早いねー」
一直線に家に向かっていた明奈が急に歩みを止めた。振り返りはしなかったがいつものふざけた雰囲気はなく、背中越しに真剣さを感じられた。
「用事ってなんの用事かはしんないけどさ、嫌なことだったらちゃんと相談してよね。どーせあたしたちしか話せる相手いないんだしさ」
「余計なお世話だ」
「へへっ、ならいい! また明日な!」
実は昔習っていた空手を悪用して金を略奪していることは誰にも教えてない。言ったところでどうにもならないことは分かっているし、この良好な関係を壊すようなことはしたくないからだ。
明奈と別れ徒歩数分、やっと年季の入った自宅が見えた。そして、居間に電気が点いていることも確認できた。
(こんな時間にめずらしいな・・・・・・)
研究所にほぼ住み込み状態の父は、たまには帰ってくるがいつも深夜やら明朝やら寝ている時間に帰ってくるのだ。そしてすぐにまた研究所のほうに車を走らせて帰る。正直何のために帰ってきているのか分からなかった。娘の顔を見るため・・・・・・なわけないな。べったりなファザコン美少女ならともかく、こんな可愛げのない娘には興味などないはずだ。
ではなぜ? そんなこと単刀直入に聞けばいいのだ。自分でもそんなことは分かっているが、興味よりも面倒くささが天秤で勝り今まで聞いてこなかった。きっとこの先も真相は曖昧なまま、私は親離れしていくのだろう。
玄関の扉を開け、自室に向かうためには通らざる負えない居間にいくと、焼酎をコップに注いでいる父と目があった。
「おお、おかえり雅」
「・・・・・・」
酒を飲んでいるところなんて久々に見たため、少し戸惑ってしまう。
「――今日は大事な話があるから真剣に聞いてくれないか」
ほぼ白髪の頭髪にげっそりとこけた頬、強風にさえ吹き飛ばされそうな細い体。久しぶりに顔や体を凝視してみると、相当ストレスやら疲労やらが蓄積してだいぶ衰弱しているようだった。
「私と一緒にこの街を出ないか?」
「は?」
いきなりのぶっ飛んだ発言に、拍子抜けしてしまった。街を出る? 明奈たちのいるこの街を? 冗談じゃない。私の居場所はここしかない。ここ以外に私を受け入れてくれるところなんてあるはずがない。
「嫌だね、なんで出なくちゃいけないのさ! 第一いままで放ったらかされたやつについていこうと思わないね!」
「その件はすまないと思っている」
「ホントに!? 知ってるからね、あんたは労働以外でも研究してたって。唯一の家族見捨てて没頭する研究はさぞ楽しかっただろうね!」
「楽しかった、か。楽しくはなかったが確かに興味はあったよ」
「はあ!」
顔が沸騰したように熱い。頭には相当血が上っているようだった。こっちの気も知らず淡々と余裕ぶって話す父に、底知れぬ苛立ちを感じていた。
「興味はあった、しかし真実を知った今そんなものは失せたよ。不老不死になるという、人類に世界が滅亡する最期の瞬間まで見届けさせる研究のはずだったのに。
「ったく、何訳のわかんないことを・・・・・・」
「事実だ!」
その蛇を連想させる鋭い眼光に、一瞬身が怯む。この真剣さから、嘘はまったくついていないことを伺えた。しかし馬鹿らしいことは拭えない。不老不死などと、生命のサイクルを崩すような真似はしていいはずがない。
「私たちは数十年も前から不死の研究をしてきた。そして、十年前の新宿無差別殺人事件の犯人である吸血鬼の血を使えば不死になると分かったんだ」
「ちょっと待って。吸血鬼? そんなもの実在するのか?」
「ああ、冷凍保存された死体も確認済みだ。ほとんど生身の人間と変わらなかったがな」
世界には創作だと思っていた設定が、意外にもノンフィクションだったということがあるのだろうか。そうだとすれば、案外この世もまだ分かったもんじゃないかもしれない。
「吸血鬼の血を流す。私はその実験で取り返しのつかない悲劇を起こしてしまう気がするんだ」
「・・・・・・」
すでに反論しようとは思わなかったし、体に帯びていた熱も少し落ち着いた。突拍子もない話を急に聞かされ、興醒めしてしまった。
「血の分量を間違えば確実に暴走し、仲間を増やそうと噛み付き回るだろう。そんなことがあればこの街は地獄と化してしまう。もし成功したとしても、僕はもうこんな研究はしたくない。だから・・・・・・私は今日限りで辞めてきた」
仲間を増やそうと噛む、明奈や他の奴らにも? そんなのは絶対嫌だ。だからこそ、だからこそ私はここに残ってあいつらを護る必要があるんじゃないか?
「訳分かんないけどさ・・・・・・あんたが辞めようが関係ない。私はこの街から出るつもりはない!」
「なぜだ、なぜわかってくれない! 怖くはないのか!? そうか、まだ本当のことだと信じれな――」
「ああ、現実味が無すぎて信じれない。もし百歩譲って信じたとしてもこんな私に居場所をくれたあいつらを置いていくなんてできるわけない! だから私に生きがいをくれた分、命を懸けてでも護らなきゃいけないんだ! あいつらがいる限り、どんな理由があろうと私はこの街を出れない!」
街が地獄となろうと、明奈たちと居ればきっと地獄なんて感じない。安全地帯に逃げたとしても、明奈たちのいないところのほうがよっぽど地獄だ。
「そうか、それでも私は涼子・・・・・・亡くなった母さんに、何があっても雅を死守しろと言わてるからね。退くつもりはないよ」
そう宣言すると、父はクロップドパンツのポケットから何かの携帯機器を取り出した。喧嘩相手でたまに所持しているやつがいるから、その正体はスタンガンだとすぐに理解できた。
「悪いが一瞬の我慢だ!」
飛びかかって来た父の攻撃を、身を翻して軽快にかわす。やはり体は運動不足の中年男性。まだ荒れてる女子高生のほうが俊敏だ。
「無駄だよ。そんなんじゃ当たらない」
「何とでも言うがいいさ。それでも私は諦めない!」
またも突進してきた父を軽く避け、今度は足を掛けて転ばせる。すると受け身を取ることもできず、派手な音を立てて顔から地面に突っ伏した。
「がは、く、くそ・・・・・・それでも私は」
「・・・・・・悪いけど、みすみすと連れていかれる気はないよ」
この街から逃げないという選択に一切の躊躇はない。もしさっきの話が本当だとしても、明奈たちとなら心中しても構わない。それほどの覚悟があった。
「理由があることはわかった。しかし、私だってここで逃すわけにはいかないんだ!」
「そっか。なら仕方ないよね・・・・・・」
交渉で埒があかないならもう強攻策しかない。生憎こちらも折れる気はまったくないのだ。
再びスタンガンを伸ばしてくる父の手を掻い潜り、正拳突きを下段に決める。全く固められていない柔い腹の感触が伝わった。意表をついた反撃に、父はたまらず悶え苦しんだ。その大きい隙を当然見過ごさず、すかさず父の手からスタンガンを奪い取る。
「悪いけど眠ってもらうよ!」
父の首にスタンガンを押し付け、電流を流し込むと体をビクッと痙攣させたあとにすぐさま意識を失った。
「まさかこんなことになるなんてね・・・・・・」
いきなり吸血鬼などというワードを出され、少々混乱してしまっていた。しかしこれからどうするかははっきりしている。たとえどんな惨劇が起きようと、自分を受け入れてくれた友達とこの街に最期まで居続けることにした。そう、それでいい。自分だけ逃げて生き延びたら、後悔しきれず自殺しかねない。それに実験が失敗する確証などまだないのだ。それなのに街を離れようなどと早すぎるのではないか。
ただ、なにはともあれこの家から出ることが先決だ。どのみち父は明日でこの街を去るのだから一日辛抱できればそれでいい。ならばここから少し先のホテルに泊まれば風呂も寝床も不自由ないだろう。
カバンを持ち、玄関に向かってからもう一度父の方に踵を返す。
(ホント、最後まで親不孝者の娘だったなー)
できれば説得したかった。心配なのはわかるが明奈たちのことを知って欲しかった。申し訳ない気持ちもあるが、父も一切理解を示さなかったなかったため結局どっちもどっちだったかもしれない。
(さよなら父さん。私はあいつらがいる限り一人でもここに残るよ)
夜の駅前通りを歩く中で、金髪だったりアクセサリーをごちゃごちゃつけてるカツアゲのカモはいっぱいいたけど、なんだか戦う気分になれなかった。今日一泊ぐらいならカツアゲしなくても一応足りるはずだ。こういう抜けてるときは大抵ケガするため、むしろ戦わないほうがいい。しかしこういう時に限って要望はいつも通らない。
「おい、あんた東高の唐沢雅だろ? さんざん襲いかかってきやがって・・・・・・あたしたちはあんたを許さねえからな!」
「許してほしいなんて別に思ってないし。どきなよ、道の邪魔だ」
「はあ!? てめえ調子のってんじゃねーぞ!」
謝ったりすればもっと穏便に済ませれたかもしれないが、それでは私のプライドが許さない。だからそんな気分ではないが、戦うことを決意する。相手は6人の女子高生。普段は倍だったり男が相手だったりすのだ、これぐらいなんということはない。
喧嘩を始めると数分後にはいつもの光景が広がっていた。挑んできた相手が呻きながらまばらに倒れ込んでいる姿だ。
「く、くそ・・・・・・待ちやがれ」
「悪いけど急いでるんで」
じんじんとする拳を見つめ、今日は少し容赦なかったかもしれないと思った。やはり父とのことがあったせいか、力配分というものが上手く出来ていなかった。そのため所々拳に力が入ってしまい、ヤバイなどと心の中で何度も呟いていた。
ただこれで邪魔は消えた。やっとホテルへ足を進められるというものだ。
(明奈たちは私が守るからな)
吸血鬼が現れるという最悪の場面に陥ったら拳を最期まで振るってみせるという決意の反面、結局は何事もなくいつも通りの日常が続くのだろうとも思っていた。
しかしそんな期待は大きく外れることとなる。平和で平凡な日常をどれだけ恋しく思っても、これから先は絶望しか味わえない。明日を掴むことさえ困難な世界は今もゆっくりとその頭角を表していた。