8、研究者[微睡み]
危険なものを感じたのは、全体的な風貌云々ではなくそいつの目つきだった。聞いていた話だと話している人のほうすら見ようともしない偏屈者ということだったが、舐めまわすように全身を検分され、不愉快になる。
しかし、一番の問題はそいつの全てを見透かすような目つきよりもその目自体だった。この研究者の女の目は黒い――
8、研究者[微睡み]
「いや、それにしても。人は見かけによらないもんだ」
「そうか?」
「ああ」
「ふむ…儂は特におかしいとも思わんが」
「自分じゃそういうもんかもしれないな」
袈裟というか法衣というか、僧侶が着そうな衣装を身に纏った坊主はナルジというらしい。しかし、その体は筋骨隆々という表現が似合うぐらいに鍛えあげられている。
坊主頭と相まって、また服装や顔つきからこいつの職業が坊主だと勝手に判断してたんだが。
「傭兵とはな。わからないもんだ」
こいつはこんな身なりにも関わらず、金で護衛や戦闘を請け負うらしい。しかもそれは場所や内容を問わず、基本的には何でもするってことだ。
「つまりサナはあんたの部下ってことか」
「いや厳密にはちがうのだが、属する母体は一緒になるな。しかし部署が異なり、儂は戦闘を専門にする部署でサナ・マルキウスは諜報活動を専門にする部署になる」
「ふうん、ならやることが違うってことか」
確かにこの坊主なら戦闘を専門にしててもおかしくない。やたらと俊敏で力強くしかも――……と、そう言えば。
「あの不思議な技?みたいなのはなんだったんだ」
俺はこの坊主に動きを止められた。しかし、それはどういう理屈でそうなったか見当すらつかない方法だった。
「…仕事柄あまり手の内を明かすのは得策ではないのだがな。ただ咄嗟とはいえ、お主には手加減なしで使った負い目もある……あれは法力よ。太古の昔に廃れたはずの、な」
「法力?」
「そう。聖歴で言えば二千年頃になるか…法術師の開祖ラカが編み出したとされる技術形態であり、元々は医療目的で行使されていたのだがな。今では使い手が僅かに限られておる」
「……?」
「それも機構の輩が原因なのだ…!奴等は自分達だけの利益のみを追求するが故に、蘇生を生業とする法術師を秘密裏に暗殺していった。結果としてそれが、聖獣をも減らしていくことに繋がったのだ…!旧き時代の聖獣は法力以外の人の手では癒やすことができぬことを誰も知らずに――」
話を聞けばナルジが機構とやらに恨みを持っているのがわかった。おそらくこいつは機構の奴等に殺された法術師に誰か関係者が居たのだろう、それぐらいはわかった。
しかし、今の話で聞き流せないところがあった。
「聖、歴?」
「む。おおそうか。お主は記憶喪失だったのだな。大方今が聖歴何年かすら覚えてないのだろう。そういう点では今年はわかりやすい、現在は聖歴3000年の――」
ちがう、そうじゃない。そもそも聖歴って言葉自体が――
「遅い」
「?」
ピンクの建物を入ってすぐの玄関口でナルジと話していたんだが。
その入口奥の扉が突然開かれた。
「ナルジ」
「お、おう。珍しいな、お主が研究室を出てくるのは」
なぜかナルジがそいつの姿を見て驚いていた。
「それが『お土産』か」
「あ?なんだ?」
なんだこの女。よれよれの白衣に長いボサボサの髪。そんな風貌のやつが俺を見てそんなことを言うので、睨んでやった。
「人形……じゃない、人間か」
「お前何言ってんだ?」
なんだヒトガタって。と思って突っ込んだ。
「へえ。まさかまさか」
「なんだ?そんなに俺が珍しいのか」
少し腰が引けながらそう言った。なんだこの女は、俺の問いに何も答えず俺の頭の上から足元までまばたきもろくにせずに見てくるんだが……
「ニホン人か?」
「はっ?当たり前だろ。何言って――」
そう言えば、サナといいナルジといい、日本人という見た目じゃないな。あまりにも流暢な日本語なんで、まるで気にならなかった。
「なるほどなるほど。ナルジにしては気の聞いた『お土産』だ」
「ぬかせ」
心なしか俺に近寄ってくるその女が振り返ってナルジに言った。俺がみやげとかどういうことだ。
「まさに『奇怪なる者』。こいつはひさしぶりにピンクパウダーの強化が要るかもな」
あまり抑揚のない口調で喋る女は誰かに話しかけるというよりは独り言を喋っているように見える。その証拠に誰も女に答えないまま喋り続けた。
「頭の固い機構のイヌでも巡回してたら厄介だし」
まるで厄介そうでない口調で。
「遂にか。遂に奇人のほうにめぐり会えたか」
むしろ嬉しそうに。
「ようこそ。歓迎しよう。名無し(・・・)クン。ボクはヤブチ。カエデ・ヤブチ……いや、ニホン流に言えば…ヤブチ・カエデだ」
「はあ。色々と突っ込みたいところがあるんだが――」
こいつ今何て…?口ぶりからすればここは日本じゃない?
「いいいい。愚にもつかない問答をするのは好まない。キミはただボクの手伝いをしてくれたらいい」
気になることは多々あるがこの女は勝手に話を進めていく。
「…お前は研究者じゃないのか?残念だが俺は大した知識もないんだが」
「ああ、それは別に期待してないさ」
「なに?なら何が目的で俺を手伝わせる」
「聞きたいかい?」
「そりゃそうだ。事と次第によっては俺の今後に関わってくるからな。条件次第という言い方もできる」
ま、今のところこんな怪しい奴に近づきたくはないと思ってる。
「なるほどな。なら……キミの失われた記憶を探る旅に出かけようと言ったら?」
「なにっ!?お前なんで……」
「おっと。別に必要ないことは言わなくてもいい。わかっているとも。少なくともキミが名を失っているだろうことを。というよりは思い出をどこかに置いてきたことをとでも言い換えたほうがいいかい?」
「なん…!?」
それを聞き俺は絶句した。
「なに、単純な話さ。以前にも居たのさ、あの森にキミと同じ奴が。だから、かまをかけてみただけだ」
そう言って女は会ってから初めて相好を崩した。
しかしその笑顔は何だか――――少し悲しそうにも見えた。
「…なら、そいつは」
「ん?なんだい」
口の中が渇く。話を聞いて思いついたことを聞くだけなのに。
「俺の前に居たそいつは、どうなった」
「もう居ない」
俺のその質問は予想していたのかヤブチは間を置かずに答えた。
「もう何年も前の事だからね。そういうこともあるさ。彼は何処へともなく旅に出た」
嘘か本当か、俺にはその話を判断することはできない。
だが。
そもそも、こいつの話に引き込まれたのは俺の置かれている状況をこいつが言い当てたためなので、無碍に否定することもできない。
「いやはや。お主は存外に饒舌なのだな」
と、そこへ今まで俺達の話を黙って聞いていたナルジが呆れたような声で話しかけてくる。
「そうなのか?日頃はそんなに喋らないとか」
「うむ。そやつときたら、儂らと話すときは必要なことも最小限しか言わぬし、何なら必要なことも言わぬときもあるしな」
いや、それはだめだろ。
「ああ、それはそうだ。キミやウザ女と話しても得るものはない」
「ほらの。手厳しいものよ」
そう言ってナルジは苦笑した。
「ウザ女…?ああ、あいつか」
俺は瞬時にこの場に居ない女の顔を思い浮かべた。
何故かこの場に居ないウザ女ことサナはこのピンクの建物内に入ってこようとしなかった。報告しなきゃいけない、でもあの人苦手だし、とかなんとか言って俺にお先におはいり下さいとか言ったまま、それでも建物に入らなかった。まあ、近くには居るんだろうが、あいつが苦手だと言ってたのはマブチのことだろう。
「キミは頼んだ仕事をこなしてくれればいい。で、なに?」
「ああわかっている。そのことだが、お主が研究室から出てくるのは珍しいには珍しいが、先ほど説明しただろう。後で報告しに行くと。それでも待ちきれず出てくるには余程の理由でもあるのかと思ってな」
ん?何の話だ。
「大した理由じゃない。ナルジともう一人の話し声が聞こえたから。で、それがどう聞いてもウザ女じゃなかったから」
「そうか。だが先ほど儂が報告したとき、お主は既に予想してたのではないのか?」
「まあね。彷徨者って聞く前に、さっき…いやもう昨日かな、空間が揺れたんだ」
「なに?」
「だから森に何かが居たのはわかった。そこからは当たりかどうか半々だったけど、どっちにしてもアリな話だからキミの話を聞いて興味をそそられた。ただそれだけ」
「なるほどの。だが、それでもお主が作業の途中に手を止めてまでとなると異常に思えてな」
「何が?さっきのなら解析は終わった」
「なんと!早いな。一時間も経ってなかろう?そんなに早く解るものなのか」
「一からの解析ならもっと時間がかかった。けど、手元のデータと照合できた」
「……ということは以前お主が言っていたように」
「そ。アレは紛い物。本当の意味での」
「そう、か」
話にまるでついていけない。 二人が話すことを意味もわからずにぼうっと聞いていた。
ところで、建物に入ってから気になるものが一つある。
ヤブチの話の矛先がナルジに代わってから手持ちぶさたになった俺は殺風景な部屋を見渡していた。
コンクリートの色気ない壁にデンッと取りつけられている赤いソレ。赤色灯、というかパトランプみたいな警報器みたいなものは何を報せるためのものなんだろう。
「ん?」
今まさに見ていたそれに光が点った。
「大変です!」
それと同時。サナが血相を変えて玄関の扉を開けて入ってきた。
△▲△▲△▲
頭が重くて体がだるい。鼻水は止まらないし喉も体のふしぶし痛い。
間違いなく風邪だ。
こんなときは寝てるに限る。
そんなことを考えながら微睡んでいた。夏休みなのに部屋の中に居て何処にも遊びに行けないってのは虚しいもんだ。
だから、日頃あまりなるべく考えないようにしてることをついつい考えるのは、どっちかと言えばひまつぶしに近いのではないだろうか。
別に寂しいとかじゃないんだが、あいつが最近あまり一緒に居ようとしてこなくなったのが少し、ほんの少しだけ気にかかる。前まで、と言っても子供のときからつい最近まで何かと俺と一緒に居たがっていたんだがそれがなくなった。それでも隣で高校も同じため一緒に登下校は欠かしてないのだが、それも校門の手前までだ。一緒に居たがらない、というよりは高校の奴に一緒に居る姿を見られたくないのかもしれない。
そう考え、ようやく自分の容姿がどう見られているのか気づいたのかという安堵と成長した子が巣だって行く姿を見たときの寂しさのような感情が湧く。
いい加減気づいたのかもしれない。あいつにとって俺は家族のようなものであり、異性として見ることはないと。俺はいくらあいつの見た目が綺麗だろうと何人の男に声をかけられようと妹のようにしか見れない。出会ったときからずっとそうなのだ。だから、今さら接し方を変えようとも思わないし、あいつも今さら俺があいつに大事なものを扱うように気を使うことも望みはしないだろう。
確かにあいつと一緒に居るのは楽だ。しかし、俺があいつと一緒に居ることによってあいつの世界を狭めていることは間違いない。依存していると言い換えることもできる。
隣のおじさんおばさん、つまりあいつの両親は世界的に有名な学者で同じ大学院の時に籍を入れた、という話を聞いたことがあるが、それもあいつが俺に同じ高校に行って欲しいと懇願した理由の一つでもあると思う。
だから、そろそろ本格的にあいつと距離を置くほうがいいのかもしれない。別にあいつのことは嫌いじゃない、というより寧ろ家族同然に思ってすらいる。
しかし、あいつに新たな出会いがある場合は俺の存在は邪魔でしかない。
だから――
微睡みの中、俺が考えるとりとめのない思考は特に意味を為さない。
その最中に誰かが部屋に入ってきた気がしたのは意識が朦朧としていたがため、感じた幻だった気がする。誰か、というか家族以外で俺の部屋に勝手に入ってくる奴なんて一人しか心当たりはないんだが。
しかし、そいつではありえない。仮にそいつならその微睡みの最中に聞こえた言葉を言うわけがないからだ。そんな殊勝な懇願するような言葉を。
――どうかわたしをわすれないで
だから夢でも見ていたのだろう。