6、境遇[隣家]
いくらかの情報を聞いた男は女の同行を許すことにした。しかしそこに突然現れた坊主……そして白く大きな獣。
依然として自分の記憶は戻らないものの、どことなく信用しても良いと思わせる女の言動には嘘は含まれていないだろうと判断した。そのため行動を共にするのはかまわない、そう判断した矢先の来訪者、折悪しくまたしても起こる体の異変――
6、境遇[隣家]
「…どういうことだ?」
今のサナの説明を聞いてもいまいち理解ができない。俺がまたしてもぶっ倒れている間に何が起きたのか訊いてみるも、サナは意味がよくわからないことを言う。いや意味自体はわかるんだが、そこに至るまでの経緯がいまいちよく分からない。
「ですからあの人は帰りました」
「俺が訊きたいのはそんなことじゃない。あいつは、あの白毛の動物はどうしたって?」
あの坊主が帰ろうが帰るまいがどっちでもいい。こいつの態度からするとおそらくは同僚とかあるいは上司とかそんな感じの立場のやつなんだろうが、そこは大した問題じゃない。そう思い、俺が気絶している間に起こったことを訊くと。
「取り逃がしました」
「…へえ」
それは考えられる妥当なところだ。こいつらは依頼?か何かであの白いでかいやつを探しに森に入ったって話だったが、実際に見たこともなさそうだった。初見であの巨体を前にし、またその俊敏性を知れば、一度見失えば捕まえることは至難の業だろう。 しかし。
「いいのか?」
「……?なにがでしょう」
ふむ。俺の思い違いだろうか。
「あの白い奴を見つけて連れ帰るのがお前の目的じゃなかったか」
「ああ…そういうことですか」
どうもあっさりしすぎている気がするな。
と、思っているとサナが背負っている袋からおもむろに何かを取り出した。見たところ茶色の…封筒のように見える。
「実は今回の依頼、聖獣の子孫を見つけろと言うものだったんですが、その目的は本当にそうなのかどうか、その確認だったのです。いえね?勿論本体を連れて帰ればそれに越したことはないとは思いますよ。でも、あの子が本当にそうだとしたら正直なところこんな装備じゃ事足りませんからね。だからこれだけでも遺伝子の適正が確認できれば――」
「ちょっと待った」
早口でまくし立てるサナを遮る。
「聖獣ってのはなんだ…?」
「えっ」
……おかしな沈黙が流れる。
「じょ、冗談ですよね?」
「冗談ならもう少し親しくなってから言う」
人見知りなんだ、俺は。
「ええー。それはそれでショックっていうか、逆に傷つくんですけど……」
「で?冗談ってのは、そのことは知っておかなきゃならないような常識ってことなのか?」
すなわち、その聖獣のことを。
「まるっと無視したよこの人…いえ。別に知らなくても困るとかそういうことじゃないのですが……ああ、でも記憶喪失だとそういうこともあるのか。いえでもそれだとこの人は日頃どうやって――」
「おい」
「いえそれはそれでおかしいこうして話してるぶんにはまともに会話を――いちいちおかしな部分があるからあんまりまともじゃない――」
「サナ」
「そうよ、それにほぼ初対面なのになんで同僚みたいにいつもわたしが気を使ってるのでしょうか――」
「おいサナ」
「まさか、記憶を失ったふりをして私に近づこうと?そういえば私を見たときのあの胡乱な目つき、あれは誰とか探るようなものじゃなかったような私の体を舐めまわすようないやらしい――」
「オバハン」
「だーれがオバハンじゃあぁぁぁいっ!」
なんか自分の世界に浸ってそうだったので適当に呼んでみたらこっちが驚くぐらい効果は抜群だった。
そこは森から離れた場所。遠目に見てようやく緑色が目に入る地にある建物。
机に向かって何やら作業していたが、誰かが背後に入室してくる気配を感じ手を止める一人の女。
「――ナルジか」
「ああ。帰ったぞ」
「で?」
振り返りもせずその女は坊主頭に促す。
その姿勢を見てもナルジは苦笑ひとつするだけで、見ようともしない女を咎めることはない。わかっているのだ、この女が寝食を忘れるほど研究に打ち込む一種の変質狂だということを。毎度会うたびにこの女は自分の作業の手を止めてわざわざ顔を向けてきたりはしない。今は、おそらく何らかのデータのまとめ、照合にいそしんでいるのだろう基本的にはお人よしの坊主は一人納得する。
先程もそうだった。依頼の対象が見つかったにも関わらずそれを取り逃がした。
とは言っても自分が赴いてしかも捕獲対象物『白き聖獣』を発見したその時点で依頼は9割完遂したも同然だった。この偏屈な女科学者の依頼は確かに捕獲、ではあったがそれも枕詞に『できれば』がつく。つまり、獣本体は副次的なおまけに過ぎないというわけだ。
この女の研究の内容の詳細をそこまで詳しく知っているわけではないが以前概要だけを聞いたところどうやら遺伝子についてのものらしかった。だからなのかこの依頼は『できれば』本体の捕獲、但し犠牲等を伴いそうな場合、もしくは対象を生け捕りにできない場合は――
「遭遇したが本体は取り逃がした。だが」
そう言って懐から紙袋を取り出す。それは掌に収まるほどの大きさの茶封筒だが、中身は。
「その体毛は採取してきた」
――聖獣の体の一部を採取すること。勿論難易度は格段に下がるため依頼料の大幅な減額は免れないだろう。しかし、あの男――まだ少年と言って差し支えないほど若い者との会話で思い至ったのだ。すなわち、この女にもし聖獣を引き渡したら死ぬまで飼殺しだろうと。それならばと、直ぐに逃げ出したあれを追うのをやめて引き返し、陣の中に残っていたやつの体毛を拾った。一応はこれで面目は果たせたことになる。
「ほう」
「っ!」
気がつけば作業の手を止めた女が完全にこちらを振り返っていた。
「珍しい、こともあるものよ。お主が手を止めるなぞ…」
「ふん」
軽口を叩こうかと思ったが久々に見た女の表情に気圧されていた。この女…以前に見たときよりも明らかに――
「ほほう。この強靭さ、適当な獣のものを拝借してきたわけではないようだな」
「……当たり前だ。我等にも矜持がある、というかそんな真似をしてみろ、お主には一目で解るだろう」
「そうだな」
ぬ、ぐ。この女はあい変わらず掴みどころがない。というか会話したのもそんなに覚えがない。つまりは感情の持ちようがあるほどの付き合いがない。
興味深そうに採取してきた白い毛を両手で引っ張る女。その姿は無邪気そのものだ。
「しかし、わからぬのだが」
「ん?」
疑問に思っていたことを口に出す。
「何故体の一部なのだ。確かに、本気で事に当たり捉えきれないほどではあったがもう少し人員と予算をつぎ込めば案外なんとかなりそうな気も――」
「あぁん?」
「うっ」
言いかけた言葉を遮って女は坊主に詰め寄る。
「ボク、貧乏」
「びっ?」
胸倉を掴み一言そう言った。
それで会話が終わったと言わんばかりにくるりと向きを変えまた何やら作業を再開し始めた。
いや、それだけで納得できぬのだが……
「ふぅ。まあいい」
溜息をひとつ吐き出して。
「取りあえずサナが帰ってきたらまた報告があるだろう」
こちらを見もせずに作業を続ける女に声をかける。
「おみやげを持って帰ってな」
ぴくり、と女の肩が動いた。多少興味があるのか。ナルジは続ける。
「おそらくは彷徨者を、な――」
今度は感情の起伏に乏しい女にしては珍しく大きく背中が揺れたように見えた。
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どうやらまた出張らしい。
遅くまで塾に通い家路で隣家の前を通ったとき、また電気が消えている、ということもあるし、車もない。
……前々から少しおかしいとは思っていた。
確かに小さい頃ならば出張で家に一人娘を留守番させておくのは気がひけるだろうし不安が募ることだろう。だから一緒についていくのは当たり前だとすら思ってた。しかし、小学校の高学年になっても、隣家のその習慣は変わらず、幼なじみの女は毎回ついていっている。しかし、中学三年のこの時期になってもまだ連れていくっていうのは少し納得できない。一応受験を控えているのにだ。
…まあ、とは言っても幼なじみの女は常に学年トップの成績、というか大抵の場合全教科ほぼ満点の才媛なのでいまさら慌てて受験勉強するほどではない、という事情も知っている身としては複雑な気分になる。俺はこんなに必死こいて勉強しているのに。まったく誰のためだと思ってやがるんだ――
そこまで考えて今はそれどころじゃなことに気づいた。
ようやく合格圏内に入った市内有数の進学校、入りたくもないそれに入るため、もう一度だけその目的の確認で隣家を見上げて家へ足を向けた。
――泣いて頼むのはずりぃよ
留守のやつに向けて心の中でそう呟くことは忘れずに。




