4、脅威[7つ]
それは薄らな記憶しかないというだけでは説明できないほどに異様な風貌だった。何故なら男の記憶の欠乏は主に自分の境遇に偏っており、そもそもの一般的な知識は持っていたからだ。
だからこそ、その巨きな生き物を見て驚きに固まってしまうのも無理もないだろうとは言える――
4、脅威[7つ]
その巨体を見つめていると自然に背中から冷たい汗が流れてくる。
なんだこいつの雰囲気は。俺の知っているどの動物とも違う。
さっきサナに聞いた生き物と特徴がいくつか合致するのでこいつはこの生き物を探していたのだろう。しかし、いきなり目の前に現れるのはあまりに予想外だったのか、サナはその生き物を呆然と見つめるだけだった。
「サナ」
目の前のでかい動物を刺激しないよう小声で話す。
「え!な、なんでしょうっ」
…おい。せっかく俺があいつに聞こえないように気を配って小声にしたのに台無しだろ。
「グルルル…!」
前足に力を込めて今にも飛びかかってきそうになったその生き物。いつでも逃げ出せるようにじりじりと後退る。
真っ白な体毛に丸太のように太い四本の足だけなら辛うじて俺の知っている動物のような生き物だと言える。大きさは明らかにおかしいが。しかしそいつの特徴で一風変わった部分がある。眼だ。その右側は金色で左側は青っぽい色だ。 突然変異か、とも思った。いつだったか忘れたがごく稀にそういった特徴を持って産まれるやつが居ると聞いたことがある。金眼銀眼だったか。しかしそれは猫に表れやすい特徴じゃなかっただろうか。
…この巨大な動物はどうみても猫には見えない。巨大でいてしなやかそうなその体躯や顔つきは猫科の動物を彷彿とさせるものの規格がおかしい。ざっと見て体長4、5m程度は軽く超えていそうだ。
「純粋な疑問なんだが、お前はあれをどうやって連れて帰ろうとしてたんだ」
確かにサナは、この森に入るにあたってそれなりに準備をしてきたのかもしれない。だが、首尾よく目の前の獣を見つけて捕獲するには明らかに足りないものがある。それこそさっきまで俺たちが話していたように移動手段が無いのだ。
「え!……それはまあ、あの、なんと言いますか」
なぜそこで言い淀む。こいつは何か隠しているな。
「そうか、わかった。じゃあな、俺達の関係もここまでだ」
そう言ってサナから離れる。
「っ!?ど、どうしてでしょうかっ!」
だからいちいちでかい声を出すな。おそらくこいつは何らかの手段をもってこのでかい獣を連れ帰ろうとしていた筈だ。だがそれを俺に言う気はないようだ。そんな奴に背中を預けるわけにはいかないと俺が考えるのは自然な成り行きだろう。そして俺にはあのわけのわからない身体能力がある。いくら白い獣がでかいと言っても今の俺が本気で逃げれば撒くことはできそうな気もする。
…ただ。未だ襲いかかろうとする白い獣の両眼を見て何かひっかかることがあるのも確かだ。
「なに、俺一人なら余裕で逃げ切れると判断しただけだ。お前はその荷物があるから丁度いい囮になるだろうしな」
本心ではないが口ではそう言ってさらにサナから距離を取る。でかい獣の俊敏性は未知数だが、それでもこれだけ獲物が離れればどちらから襲うか決めあぐねるのではないかと思う。
そして案の上、獣は俺とサナを交互に見ており、体を屈めた体勢のままその場から動けずにいる。
「……おかしいな」
なぜだろう。でかい獣を見れば見るほど最初に感じていた恐怖が薄れていく。特にその眼だ。金色の眼に青色の眼…?
「ああもう!わかったよ!わかりましたよ!」
「グルル…」
「ん?なにがだ。というか声がでかい」
だからこいつは叫ばないと会話ができないのか。と、思っていたが意に反してでかい獣はその大声に若干警戒するような仕草を見せた。
「とんだどエスですねあなたは!!こんな性格だって知ってたら声なんてかけなかったのに……うぅ」
誰がどエスだ誰が。
「で、なんだ?」
「…はぁ」
何かを諦めたみたいにため息を吐くと、サナは素早く背負っている袋に手を突っ込んだ。
「っ!」
次の瞬間、その右手には黒く光るものが握られていた。
「使う心算はなかったんですよ。一応、ね。ただの保険のつもりだったんですよ?」
「それが、か?」
その筒のようになった先端部は凶悪な雰囲気を醸し出している。良く分からないが鈍く輝いているので手入れはされているんじゃないだろうか。
「だってそうでしょう。クライアントからはもし見つかったら、できれば一人でしかも無傷で捕獲しろって言われてましたもので…でないと……うぅ」
サナが取り出した物は銃。今の俺の記憶でもそれがどんな目的のものかは理解できる。
「それで?」
俺が言うとサナは何を言われているのかわからない、とでもいうように小首を傾げた。
「それで、とは?」
「いや、答えになってないだろう」
そもそも俺が訊いたのはどうやって連れ帰るかだ。
それを急に銃を出したっていうのは意味がわからない。
「それはですね」
そう言ってサナは手に持った銃を上へ向けた。
「こうするためです!」
パァン、と小気味良い音が響く。そして銃口からは色の着いた煙が発射されていた。
「グルルルッ!」
しまった!サナに気を取られ過ぎてでかい獣の警戒をしてなかった。今の音に驚いたのか、獣は体勢をそのままに勢いよく俺のほうへと飛びかかって――
「な、に?」
しかしその時不思議なことが起きた。
「こいつ…?」
俺に襲いかかりかけたその獣は俺にぶつかる直前に急に止まり、しかも。
「グルル…?」
なぜか俺を見つめてくる。どういうことだ。さっきまで警戒心むき出しだったんだが。
「お前は――」
俺が声をかけようとしたそのとき。
ボボボボボッ
そんな音が突如響きわたった。
「上ですっ!」
「上?」
見上げれば空色に交じって灰色の何かが溶け込んでいた。
「あああ…ほ、報酬がぁ…年棒がぁ…」
何やらわけのわからないことを呟いているサナを無視し、その灰色の物体を凝視する。ローター音みたいなものが聞こえたので、もしかするとあのヘリみたいなものを呼ぶサインだったのか、それにしては異様なまでにここに来るのが早かった、などと考える……それはかなり上空にあるようだが今の俺は視力までもが異常なので細部までよく見え――
「っ!?」
なんだあいつ。
『サナ・マルキウスッ』
「ひいいぃ」
拡声器を使っているのかその物体から怒声のような野太い声が周囲に響き渡る。サナって言ったところをみると今の銃でこいつが呼んだんだろう。というかびびりすぎだろこいつ、自分で呼んだくせに。
「グルルッ!?」
獣も聞こえてきた大きな声に驚いたのか、一気に俺から後ずさり距離を取る。
『お主は儂の話を聞いてなかったのかっ』
上空からの声は続く。
『狼煙は状況を見極めて使えと言っただろうがっ!』
「し、しかたなかったんです」
ん?どういうことだ。
『人目があるところで使うことの意味がわからんかっ』
「でも!発見しました!」
拡声器でも使っているのか、その辺りに響く声に負けじとサナも声を張り上げる。
『そういうことを言っているのではないっ、何者だそいつは!』
「え、ええっとぉ」
そう言ってサナは困ったように俺のほうを見てきた。
「……俺?」
さっきからの言い合いはどうやら俺が原因だったらしい。
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今日はあいつが居ない日だ。ひまだしさびしい。でも僕はそれを顔に出さず学校へ行った。
あいつはたまに居なくなる。でもどこに行ったのかいつ訊いても教えてはくれない。
まあ、聞いたところで僕は「ふうん」としか言わないだろう。あいつと知り合いになってから大体いつも一緒に居ることが多いけど僕はあいつの親分だと思っている。だから子分のことにかまっていられない、ってことにしないといけない。じゃないとあいつは調子に乗るからだ。
でも最近のあいつは変だ。何かを僕に話そうとしてためらい結局は何も言わない、ということがよくある。あいつの家に何か関係があるのだろうか。もしかしたら、あるのかもしれない。そういうときはあいつは決まって泣きそうな顔をするからだ。
それに。
あいつがどこかに行って居なくなり、しばらくして帰ってくるといつも思うことがある。あいつは帰ってきたらなんでか知らないけど真っ先に僕のところに帰ったよ!と言いにくる。それはいい。でもそういうときは決まってこう言うんだ。
「よかった。変わってなくて」
いやそれはそうだろと僕はあいつに何度となく突っ込んだ。あいつがどこかに行っているのは大体2日3日ぐらいだ。早いときなんかは1日で帰ってくるときもある。そんな短い間にそう変わらないだろ。
…着いたな。
あいつが帰ってきたときあいつが居ないあいだに起こった出来事を面白おかしく話すため、今日も今日とて登校する。