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ボクは仕事につかれました。  作者: 新京極宮子
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第一章③

 見える世界がスローモーションから、普段のスピードに戻った時、タイヤの道路を擦る音が響いた。  キュィィィンとものすごいブレーキの音を奏でる。

 目の前を台風が通り過ぎたように、強い風が肌と髪を揺らしていく。恐怖を通り過ぎて、その状況に唖然としてしまっていた。

 あれ、身体に力が入らない。

 なにかに後ろから引っ張られるような感じ。自然とその場で座り込んでしまう。というより座ったのではなく、腰が抜けて立てなくなっていた。

 それと同時に大きな音を立てて、車は歩道にある電柱へと一直線に突撃した。おそらく、僕を避けるために、急ハンドルを切ったのだろう。唯一、人がいない場所へと突っ込んでいった。


「ゆうくん!」


 さや姉が慌てて駆け寄って来る。尻餅を着いた僕を抱きしめた。

 あの、柔らかいものが顔に埋められているんですけど。


「あの、さや姉……」


 足だけでなく声まで震えている。扇風機の前で声を出している様な。でも宇宙人などと冗談を言っている場合ではない。


「やっぱり、やっぱり、私がいないとゆうくんは駄目だよ。私が面倒見ないと」


 柔らかいものに顔を埋められたまま、視線を下に向けると、さや姉は制服のスカートにもかかわらず、 アスファルトの道路に両膝を着いていた。膝は道路に残る砂利で汚れている。

 こんなに、心配と迷惑をかけても見守ってくれていたんだ。


「ごめん……さや姉……いてっ」


 頭にチョップされた。


「ボーとしちゃ駄目って言ったでしょ。ゆうくんの代わりはいないんだから……」


 さや姉の、いや、女性の涙を久しぶりに見た。なんて哀しくて、儚いものなのだろう。

 陳腐な映画やドラマで見る、女の涙に騙される男は馬鹿だと思っていた今日までの僕に言ってやりたい。女の涙は最強だ。何も言えない。

 横断歩道に座り込んだままでいると、信号は一巡し、再び赤になっていた。事故とは関係ない後続車が車道に座り込んだ僕たちに無音でどけと言っている。

 事故があったのは歩道に少し入り込んだところなので、車道は通常運航している。

 やば、車の邪魔になる。


「あ……れ……立てない」


 手足は動くのに立てないぞ。

 死を一歩手前で免れた僕は、腰が砕けたように座り込んだまま、立つことすらままならなくなってしまっていた。


「大丈夫!」


「へ」


 さや姉は両手で僕の下半身と背中を抱きかかえた。いわゆるお姫様抱っこと言うやつだ。

 ちょっと、なんか恥ずかしい。恐怖のあまり腰が抜けた挙句、女性に抱きかかえられるなんて、もう婿にいけない。いや、絶対にいくんだけれども。

 両手で顔を覆ってしまう。べた過ぎる恥ずかし表現である。周りの視線が痛い。

 さや姉は僕を抱きかかえたまま、歩道へと戻り、そっと降ろした。


「大丈夫? ゆうくん、怪我はない?」


 汗一つかかずに担いじゃったよ。さや姉ってそんなに腕力あんの?

 落ち着くのも束の間。一番大事なことを忘れかけていた。

 歩道へと降ろしてもらったお姫……じゃなくて僕の視界には、避けて電柱へとぶつかった車があった。かなりのスピードで突っ込んだため、ボンネットは完全に電柱にめり込み、煙を出している。危険を察知した人たちは、心配しながらも車に近づけずにいた。

 するとゆっくりと車の扉が開いた。運転席から出てきたのは黒いスーツを着た人物。

 額から血を流し、こちらを一度睨みつけると、後部座席へと手を伸ばす。

 あれ? 錯覚かな。あの人の右足、間接と逆に曲がっている様な……

 目を何度擦っても、その人の足の向きは変わらない。左腕も脱力したように垂らし、一切動かさない。それなのに普通に歩いている。

 後部座席からは、大きなサングラスをかけた女性が降りてきた。高級そうなコートに細身の等身に太陽の光で輝く茶色い髪。サングラスをかけたままでもわかる。超絶な美人だ。

 コートの下はスカートのようで、足が見えるのだが、コートがある分、何も履いてないように見える。安心できないよ。

 スーツの人物とは異なり、無傷で降車した女は一直線にこちらへ向かって来た。

 サングラスで表情はわからないが、用があるのはもちろん。


「あなたの視細胞は犬と同じで赤を認識できないのかしら? それとも、自殺志願者か何か? それなら他人に迷惑がかからない場所でやりなさい」


 僕ですよね。

 尻餅を着いた状態で制服のネクタイを引っ張られる。身体に力が入らないままなので、首輪を引っ張られる犬のように、身動きが取れなかった。

 その女はネクタイを強く掴み、ずいっと顔を近づけた。なんかいい匂いするな。

 第一声に罵倒の言葉を浴びせられ、僕は圧倒され怖気づいてしまった。


「す、すみません……あの、考え事をしていまして……無意識に車道へ出てしまってしまいまますた」


 緊張か恐怖か、思いっきり噛んでしまった。

 この女も相当力が強いな。僕よりも小柄なのに、少し腰が浮いているんだけど。


「ちょっと、あなた……」


 そこで黙って真横で見ていたさや姉が口を開いた。


「部外者は黙っていて。これは事故を起こした私たちと事故の原因になったこの子の問題。正しく赤信号で足を止めていたあなたには関係のないことよ」


 簡単に論破された。さや姉は悔しさを飲み込みながら、下唇を噛んだ。言い返す言葉が見当たらなかったのだろう。


「あ、僕、大丈夫だから……」


 横でおとなしく見ていることを選んだ。というよりこの女、口が回り過ぎる。


「玄崎、車は?」


 手に持ったネクタイを離すことなく、後ろにいるスーツの人物に声をかけた。どうやら玄崎という名前らしい。


「お嬢。車は無理です。じいやを呼びましょう」


「いいえ、間に合わないわ。あなたは車の処理とタクシーを停めておいて」


 その言葉の直後、女は再びこちらへ向きなおした。


「この後、大事な会議があるの。そして、今とてつもなく急いでいるの。本来なら、あなたみたいな一般人に関わっている暇はないのだけれど、この事故の責任どうしてくれるかしら?」


 更に強くネクタイを引っ張られる。顔が十センチほどの距離まで近づいている。

 サングラスを下にずらし、こちらを見据えてきた。その瞳は少し蒼くも見える。透き通る快晴の青空のような美しい瞳。それでいて、鋭い目はしっかりとした返答を提示しなければ許さないと言っているようだ。

 この女の吐息まで当たる距離だ。やっぱり、いい匂いがする。

 でも、何この威圧感。振り払えない。腕力もそうなのだが、その瞳が逃げることを許さない。


「あ、あの……な、なんでもします。一気には無理ですけど、弁償もします」


 女はにっこりと笑った。さらに強くネクタイを引っ張られ、女の顔は僕の耳元に辿り着いた。


「その言葉、忘れないでね」


 僕だけに聞こえる声でそう言うと、ようやくネクタイを掴んだ手を離してくれた。ネクタイと足で支えられていた身体はバランスを崩し、そのまま後ろに倒れるようにして座り込んだ。

 すぐさま女は僕に背を向けると、そのまま歩いていく。


「それって、どういう……」


 呼びかけるように声をかけるも、僕の言葉に耳を傾けることなく、歩いていく。目的地は車道の傍らに、玄崎という人物が停めていたタクシーに乗り込んだ。


「玄崎、時間がないわ。早くして」


「はい、お嬢様」


 事故に遭った車から鞄や貴重品を取り出して、車の前方、後方で何かをしている。

 幸いにも車が突っ込んだ場所は電柱の下にある粗大ゴミ収集場所だった。そのスーツの人物は車の前後に付いたナンバープレートを外し鞄の中に仕舞い込んだ。


「よし、これは一時的に粗大ゴミで出しただけだ。事故なんてなかった」


 そう言った。

 いやいや……僕だけでなく、その場にいる全員が思ったことだろう。

 関節が逆に曲がった右足を引きずりながら、女が乗っているタクシーへと乗り込んでいく。


「車の処理は?」


「じいやに手配しました。警察が先に到着してもナンバープレートを外しましたので特定はできないかと」


 微かに怪しい言葉が聞こえた気がするが、気にしないでおこう。

 タクシーは急発進して、その場を去って行った。

 その直後、数台の車とトラックが僕たちの目の前に駆け付け、降りてきた数人の黒服の人物によって事故現場は何事もなかったかのように処理された。

 玄崎という人が言っていた、じいやという人物なのだろうか。

 五分足らずで車や割れたガラスの破片、擦れたガードレールを元通りに直して去って行った。

 さや姉と僕たちは呆然とその光景を見ていることしかできなかった。口をはさむ間もなく作業が終了してしまったからだ。

 その数分後、警察が駆け付けた頃には、普段通りの道に戻ってしまっていた。

 これなんかの映画で見たことあるぞ。いくらなんでも処理が早すぎるだろ。なにか危ない組織が関わっているんじゃあ。黒ずくめの何たらみたいなのに巻き込まれたりしないよね。

 事故から時間が経ち、ようやく落ち着いた身体を起こして、警察に事情を話すが、怪我もない僕と事故現場に何も残っていない痕跡を見るからに、事故とまでは判断されなかった。と言うよりできなかったようだ。誰もナンバープレートを覚えていないし、サングラスをかけた女の顔も名前もわからない。

 十五分ほど話したところで、警察からは一言「気を付けてね」と言い、解放された。

 僕が飛び出して事故を起こしてしまったので、何事もなかったかのようにしてくれるのは助かるのだけれど、一体なんだったんだろう。

 事故によって時間を取られた僕たちはそのまま学校へと向かった。


「な、なんだったんだろうね。男の人、足大丈夫だったかな」


 さや姉は思っていたことを口に出した。どうやら関節が逆に曲がって見えていたのは僕の錯覚ではなかったらしい。


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