表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
流転の大戦記  作者: どらごんますたぁ
序章 欧州の猛火1939~1940
21/34

第21話 電撃戦Ⅶ フォール・オブ・フランス

6月8日

ソンム圏・アブヴィル


 攻勢が一時的にしろ停滞し、この後の方針を決めるため早朝から開かれていた装甲集団幕僚会議で、ロンメルは軍団長ホートにある提案を行う。

「閣下。敵拠点を迂回し、後方ルーアンに肉薄するべきと具申します」

 

 ロンメルの提案にホートは最初難色を示し、訝しげな表情を見せる。ルーアンはアブヴィルの南西50km、セーヌ河北岸にあり次の防衛線が構築されるであろうと予想されている場所だ。

「新参の貴様が、出過ぎた真似をするな!」

ロンメルの発言後の沈黙を見て、声を上げたのはマックス・フォン・ハートリープ少将。ホート装甲集団の片翼を成す第5装甲師団長である。ロンメルの独断専行の最も被害を受けた人物で、総統のお気に入りをいいことに度重なる勝手を続けるロンメルを苦々しく思っていた。

彼もまたフランス第1機甲師団を撃破した有能な指揮官であり、戦歴の長い先輩に当たるが、ロンメルはそれを意に介そうともしない。

 この時、ドイツ第4軍の3個軍団10個師団に対して、正面のフランス第10軍は2個軍団7個師団と、戦力的にはややドイツ軍有利と言えるが、フランス軍は植民地師団を前衛に後方援護に3個騎兵師団を配置したもので、後方には予備の騎兵師団1個と歩兵師団が控える。

 その陣地は抵抗する部隊が弾薬が尽きるまで抵抗するその防御の硬さからハリネズミ陣地と呼ばれていた。その頑強な抵抗による報復として、地位の低い黒人兵が捕虜にされた際、暴行を受けた上で銃殺されるという蛮行があったのは些細な問題だったが、少なからずそのような場面が見られた。


 とにかく煩わしい事この上ない抵抗に、前線はもとより司令部内でも苛立ちがたまっていた。

 声を上げたハートリープを手で制しながら、ホートはロンメルに対して話しかける。

「仮に君の言う通り迂回したとしても、それなりの戦車が突破を阻止せんとするだろう。君はそれらをさばききる自信があるのかね? 事実、敵にはそのような兆候が認められる。リスクを冒す君の冒険を軽々しく認める訳にはいかんな」

 後方に配備されたフランス騎兵師団群、これらは非常に厄介な存在だった。偵察機からもたらされた報告からも戦車の存在が確認されている。

 自由に動き回れる戦車部隊が控えているのはひどくやりにくいのである。しかも、マンシュタインが撃破したとはいえ積極的に動いてくる指揮官までいる、そうホートは判断していた。

「自信があるからこそであります。閣下はあまりにも慎重になりすぎておられます」

 果敢なロンメルはそう言う。拠点防御が硬ければ無視して迂回すればよい、という単純にして明快なロンメルに対して、ホートはその先の迂回した後に孤立する危険までを考慮していた。実際、突入した戦車部隊の一部は各拠点の攻撃にてこずっている間に、騎兵戦車による反撃で孤立させられている。

フランス第1軍崩壊の立役者であったが、相手を過小評価するような傲りを持つ指揮官ではない。

 だが、拠点を一つ一つを丁寧に潰していけば、確実ではあるが損害が大きくなる以上ロンメルの言も正解なのだ。自信過剰なのではないか?という不安もあったが、ホートは失敗フェイリュア成功サクセスのリスクを天秤にかけ、ロンメルの意見を採用する。何より時間は惜しい。

 「動くべき時には、迷いなく行動するべし」

 かつての上官ライヒェナウの言葉を思い出す。

「いいだろう。度重なる君の功績を鑑み、第7装甲師団の自由指揮を許可する。第5装甲師団はその援護にまわるように」

「閣下!」

「ありがとうございます」

 驚愕するハートリープと、誇らしげなロンメル。

 その二人の対比を見た上でホートは「ただし」と言葉を繋げる。

「攻撃が失敗に終わった時は士気の都合上問題もある。その時は私が第7装甲師団の直接指揮を執る。その事肝に命じるように、な」

 鋭い眼差しでホートはロンメルを見据える。

 口調は穏やかだが、その眼から放たれる威圧感は歴戦の指揮官が持つものだった。

 一瞬、ロンメルもたじろぐほどだったが、彼も剛胆で鳴らした男である。これくらいの緊張感があってこそ仕事のしがいもあるというものだ。とやる気をみなぎらせていた。



「援護はハートリープの部隊に任せ、燃料が続く限りルーアンを目指せ!途中で遭遇した敵は初撃を叩き込んだら無視せよ!ただ突破あるのみである!」

 ロンメルの命令に従ってⅢ号戦車の集団が前進を開始。

 第5装甲師団はⅠ号戦車68輌、Ⅱ号戦車62輌、Ⅲ号戦車45輌、Ⅳ号戦車25輌、計190輌。

 対して第7装甲師団は38t戦車35輌、Ⅰ号戦車78輌、Ⅱ号戦車75輌、Ⅲ号戦車25輌、Ⅳ号戦車15輌、計228輌。

 元々の配備数から言えば第5装甲師団の方が多かったが、フランス第1機甲師団との激闘で、60輌以上の戦車が失われていた。第7装甲師団は損害20輌に抑えられている。

 毎回矢面に立たされているハートリープにしてみれば堪ったものではない。

 フランス第10軍は北西から南東に向かって5個師団によって戦線を構築していたが、拠点の地雷源、航空攻撃を警戒して森林に隠蔽された戦車部隊を、ロンメルは野性的とまで言える勘を頼りに巧みに拠点の間隙を抜いて行った。

 フランス第10軍は予想だにしていなかったこのロンメルの機動に翻弄される事となる。報告が入ってくるのは既に通り過ぎてしまった後だったのだから当然である。本来、敵地をただひたすら突撃していくなど、包囲されてなぶりものにされる自殺行為さながらであるが、時と状況によってはその意味合いは反転する。

 浅い縦深、尽きかけていた予備。これらの状況は全てロンメルに味方していた。


「他愛もない」

 ロンメルは前線上空を飛行する偵察機シュトルヒの機内で呟く。

 さしたる抵抗を受ける事もなく、これまでの数日の戦いが嘘のように、ロンメルの快進撃は続いていた。機上から的確にフランス軍の配置を地上に伝え、散開した偵察小隊がこれを補完して装甲部隊を誘導していった。

 この攻撃時にド・ゴールの第4機甲師団が健在であったならば、その突破は防ぎえていたはずだったが、6月1日、フランス首相レイノーは戦争遂行を目的とした内閣改造を実施。国防相からダラディエを解任し、自らが兼任してその補佐としてド・ゴールは国防兼陸軍次官に任命したのだ。

 有力なフランス第4機甲師団は再編成を余儀なくされたが、ホート装甲集団の左翼を固めるべきマンシュタイン率いるドイツ第ⅩⅩⅩⅧ軍団もまた、ド・ゴールとの戦闘で大損害を受け第57歩兵師団が半壊で痛み分け、即座に動ける状態ではなかった。

 とにもかくにも、ロンメルと後続のハートリープ両装甲師団は、大胆にも拠点の間をすり抜けるという荒業をもって、フランス軍戦線の中央部を侵食していった。

 フランス軍の両翼は何ら動きをとる間もなく、ホート装甲集団の突破を許した。尤もこの時点では突破口は、小さな線に過ぎなかったが狼狽した前線の一部分が後退を開始。

第10軍は撤退を開始すると事後報告を入れる。


 第3軍集団司令官アントワーヌ・ベッソン将軍はこの報告を総司令部に入れる時、戦々恐々としていた。

ウェイガンの命令は死守せよとあるだけであり、どのような叱責を受けるか分からず、悪くすれば解任である。第9軍崩壊に隣接していながら十分な援護できなかった後ろめたさもあった。

 しかし、返答は「今回は軍事作戦上の戦術的撤退」として容認するものだった。

 この瞬間、ウェイガンラインは一気に崩壊の道を辿る事になった。



 時を同じくして東へ200km、エーヌ河とソンム河の上流域に挟まれた地続きの部分、この地峡部を守るフランス第7軍に対して、ドイツ第6軍に配備されていたクライスト装甲集団が攻撃を再開。

 当初、この方面を担当する第6軍司令官ライヒェナウは、指揮下のクライストに対して「4個装甲師団を全て投入し、速やかに敵の抵抗を粉砕せよ」と簡潔な命令を下した。

 戦車を最初から投入し一気に蹴りを着けることをのぞんでいたが、慎重派のクライストは歩兵による全線攻勢をかけ、弱点を見極めた後の戦車投入を求めた。しかし、積極果敢な上司ライヒェナウを説得するには至らず、やむ無く攻撃を仕掛けたが、ホート装甲集団と同じく敵拠点の抵抗に遭遇して頓挫した。

 戦車に全幅の信頼を置き性急なる突破を求めたライヒェナウの作戦は不発に終わり、クライストの歩兵と協力する運用がこの時は正しかったと証明された。

 ダンケルクであっさりと撤退した連合軍の戦意は低迷しており一撃で粉砕できると、珍しくライヒェナウが敵を侮った判断を下した結果だった。

 そして、クライストは指揮下のラインハルト・ヘープナー両装甲軍団を再度投入。損害の比較的少なかったヴェルナー・ケンプフ少将指揮第6装甲師団を中心に波状攻撃を実施。

 戦車を用いた浸透突破によって、この方面のフランス第7軍も戦線を支えきれず、ソンム河の防衛ラインは崩壊。

 首都パリまでの距離はおよそ120km。歩兵の行軍速度であっても3日程で到達可能な距離にまで迫った。

 第一次大戦でドイツ軍を食い止めた扉は、ついに開け放たれた。



 更にその東、5月13日にアルデンヌ突破の終着点であったスダンの南東、エーヌ河とマーズ河の間隙部に再びグデーリアンは戻って来ていた。

 実に半月ぶりにかつて一時的に相対したフランス第2軍を撃滅するべく、第9装甲師団の増派を受け、口やかましいクライストの束縛から解放されたグデーリアンは意気軒昂だった。

 逆にクライストの方が今度は束縛を受ける羽目になったのは皮肉である。どちらかと言えばライヒェナウとグデーリアンの方が、性格的には似ている相性の良い部分があった。何しろグデーリアンの機甲部隊運用を全面的に後押ししていたのは、他ならぬライヒェナウであったのだから。

 この方面の敵が弱体であることは既に把握しており、フランス軍最高司令部がパリの防衛に多くの予備を投入していたため、こちらまで手が回りきっていなかった。予備の大半は第3軍集団に配備されていた。

 それもそのはずで、ダンケルクで包囲されたのはマジノ線から海岸までのおよそ600kmをカバーしていた部隊であり、その部隊の代用を求めるなど一朝一夕でできるはずもなく、どうしても穴が空いていたのだ。

 その穴こそ、グデーリアンの正面の脆弱なままの第2軍だった。二線級歩兵師団の寄せ集め。約250輌編成4個装甲師団、計1000輌からなる装甲部隊の猛攻に耐えられるはずもない。


「敵戦車視認! H35、距離800!」

 キューポラから外を覗き込んだ車長は声を上げる。3輌ばかりの戦車分隊、出会うのはこんな小規模な部隊ばかりだ。 

 広く知られている通り、フランス戦車のごく一部分を除いては小隊ごとに分散配置され、戦車は体の良い弾除け代わりに使用される事例が多々あった。

 せっかくの戦車もこれでは報われまい。敵ながらも同情を禁じ得なかった。

「了解! 中隊各車、横隊に展開!」

 通信士が無線で僚機に連絡。12輌編制のⅢ号戦車と38t戦車が一斉に動き出す。行動は極めて迅速だった。

 例え強力な戦車が出現したとしても、この素早い連携行動と、陣形を駆使した集中射をもってすれば撃破は十分可能。もっとも火力が強いに越したことはない。


 歩兵の支援に現れたオチキスH35、鋳造による曲面装甲は被弾径始に優れ距離によっては主砲弾もはじく場合もあったが、数を叩きこめばなんということはない。

「多少外れてもかまわない。周囲の歩兵ごと吹き飛ばせ!」

「ヤー! 撃てっフォイヤッ!!」

 Ⅲ号戦車に比べ小ぶりなH35とその周辺に多数の3.7cm弾が浴びせかけられ、たちまち1輌が足回りを破壊され停止し擱座。それでも残りの2輌は果敢にも撃ち返してくる。


「敵戦車、発砲!」

「了解!」

操縦手はギアを切り替え、小刻みに移動を繰り返す。

 戦車戦の基本、敵前での停止は的になる事を意味する。フランス戦車兵もそのことは理解しているようで、的を絞らせまいと必死に動き回っている。

 移動するたびに主砲の照準を修正しなければならなくなるが、そこは砲手の腕の見せ所だ。その点で専属の砲手がいないフランス戦車は圧倒的に不利な立場に追い込まれる。そして数の違いは更に追い打ちをかける。

 抵抗できないほどの滅多打ちにされたH35は時間を置かずにスクラップ同然の姿となって、原野によこたわっていた。乗員はいわずもがな。

「偵察大隊に連絡、敵の抵抗を排除した。引き続き前方区の警戒に当たられたし」

「ヤー、連絡します」

 各装甲師団にはその任務の都合上、1個偵察大隊が付随している。

 その突破力を有効に活用するためにも、偵察は不可欠。偵察機シュトルヒは扱いやすく、滑走路も必要としない便利な機体ではあったが、天候に左右される場合や遮蔽物に隠匿された敵陣地を見落とす可能性もあり確実とは言えない。Sd.Kfz221~223までの軽偵察車輛であり、各大隊は50輌を装備し偵察活動に従事していた。

 装輪と無限軌道の装甲車で、装備はMG7.92mm機銃で、対歩兵戦闘であれば無難にこなせる。222は20mm機銃装備なのでかなり強力だったが、さすがに戦車とやりあうのは無理があった。戦車に遭遇すれば師団主力を呼び寄せ、数の暴力で無力化する。大概は小隊単位での遭遇なので、一方的に撃破されてしまう事は滅多にない。


 とにかくフランス第2軍はグデーリアン集団の攻撃に耐えきれず突破を許し、これにともないヴィルヘルム・リスト上級大将のドイツ第12軍が南東に大きく突出部を形成。

 それと平行して、すぐ東に展開するエルンスト・ブッシュ歩兵大将の第16軍が、マジノ線とフランス第2軍、第3軍連結部に対して攻撃を開始。フランス第2軍壊滅。

 フランス軍の防衛線は3カ所で突破口を開かれた事により、計画そのものが破綻した。




6月10日

フランス首都・パリ


「首都機能をトゥールに移転する」

 慌ただしい状況の中で開かれた幕僚会議で、レイノーはそう告げる。

 首都機能移転の候補は3カ所。ブルターニュ半島、ボルドー、北アフリカであり、ブルターニュはイギリスとの連絡を重視したもので、半島の付け根に陣地を構築しイギリスと協力を維持しながら抗戦をはかるものだったが、ホート集団の進攻が予想以上に早く2、3日しか保持しえないと廃案となった。

 北アフリカは安全面では最も有力だったが、移動手段、なにより本土を放棄するという士気の都合上、どうしても容認できないものがあった。

 消去法でボルドー方面への移動が決定されたが、極度の混乱に陥っていた。

「ルブラン大統領、申し訳ありません。パリの陥落を阻止できませんでした……」

 レイノー、そしてウェイガンが深く頭を下げる。

「それは違う。君たちの責任ではない、この時局を見誤り、国をまとめ舵を取るべきだったのに何ら手立てを講じられなかった私の責任なのだ。決して君たちのせいではない」

 7年に渡って大統領を務めたアルベール・ルブランはその責任の重さを痛感していた。沈痛な面持ちでレイノーの肩に手を置きながら話しかける。

「ウェイガン閣下、貴官の奮闘に敬意を表します。貴方の指揮がなければ、なすすべなくパリは陥落していたでしょう」

 ルブランは老将の功績を讃えた。最も困難な時期から司令官に就き、粘り強い奮闘を見せつけたこの将軍は間違いなくフランスの至宝であると。

「……まだ第2軍集団が健在です。可能な限り抵抗を続けます。大統領はトゥールへお急ぎ下さい」

ウェイガンに促され、ルブランは会議を後にした。

「ウェイガン、勝算はあるのか?」

 そういってルブランを見送るウェイガンに話しかけたのは、前大戦の英雄の一人、元帥フィリップ・ぺダン。齢80の老齢でありながら、レイノーに乞われ副首相に就いている。

「いえ、もはや絶望的です。マジノ線全面撤退を行っても45個師団に過ぎません」

 フランスの心の拠り所であるマジノ線放棄を口にするウェイガン。精神的な主柱である。

これを放棄すれば、民衆に与える不安は絶大だったのだ。

「我々が戦う理由。それはフランスと、その軍旗に与えられた名誉をただ守らんが為だけです…」

苦悶の表情、その顔には彼の辛さが滲み出ていた。

「そうか……」

ぺダンにかけられる言葉を持ち合わせてはいなかった。ただ無念であると。

「私とジョルジュも司令部を引き払い、ブリアールへ向かいます。何やらアルプス軍団からの不穏な兆候が見られるとの報告もありますので」

「……イタリアか。ふん、恥知らず共が」

 ぺダンは吐き捨てる。まったく死肉を漁るハイエナのようではないか!

「政府内では懐柔して参戦を止めようとする連中もいるようですが、奴らにアルパイン線を越えさせはしません」

ウェイガンはそのように言う。落ちたとは言えパスタどもに遅れをとるほど落ちぶれてはいない。

「お仕置きをしてやらねばならんな」

フランスの怒りは宣戦布告の翌日に即座に実行に移される事になる。

 ソンム河防衛線が抜かれ、北西に孤立したフランス第10軍の左翼、英軍ハイランド師団をはじめとした部隊がサイクル作戦により英本土へと撤退。これでフランスに残った英軍はブルターニュ地方へ後退中の部隊だけとなった。

 フランス第10軍、ルーアン以南セーヌ防衛線まで後退。

 フランス第6軍もドイツ第9軍の攻撃を支えられず早々にエーヌ河の防衛線から後退。左翼第10軍、右翼第6軍が相次いで後退したことによって、第7軍が包囲される危険が生じ後退に追い込まれる。

 パリ防衛を目的として、パリ軍新設。目まぐるしく戦況は変化していたが、もはや誰の目にもフランスの崩壊が近いことは明らかだった。

 この日、パリ中心部では複数の立ち上る煙が見られ、市民は不思議がっていた。各省庁、軍関連の機密資料の焼却が行われ、避難する車両で郊外へ抜ける道路は大渋滞を巻き起こしていた。

 この混乱の中、ドイツと鋼鉄同盟を結んでいた隣国イタリアが連合国に対して宣戦布告。準備不足であると軍部から反対の声が多く聞かれる中、ローマ帝国の復活を目論む総統ドゥーチェベニート・ムッソリーニは大戦に参戦の決意を示した。

 これに対しレイノーは声明を発表。「フランスが言うべきことは何もない。世界が裁きを下すだろう」

 アメリカもまたルーズベルトが声明を発表。「イタリアは背後から隣人をナイフで突き刺した」として非難した。



6月8日

大日本帝國



「駐仏武官より報告であります! パリ無防備都市を宣言!」

夕闇が押し迫る海軍省三階の一室。赤レンガの建物の外れに位置する部屋に慌ただしい様子で、少佐の階級章と濃紺の制服に身を包んだ中年が入ってくる。


「予想よりも早かったではないか。貴様の予言通り、と言ったところか?」

 軍事参議官室の応接間に二人の男が向き合って、煙草を吹かしている。どちらも堂々たる体躯で、階級章はいづれも最高階級に当たる海軍大将である。

「予言、と言ったオカルトじみたけったいなものではありません。状況から導いた当然の結果と考えております」

刺の刺さる言い回しに、険悪な雰囲気が流れる。その雰囲気から逃れるように参議官副官は「失礼します」と言ってそそくさと部屋を出ていく。

「無礼な物言いは貴様の専売特許だ。一々気にしていたらきりがない。だが、貴様を許せんのは日独伊三国同盟に賛成の立場を示している点だ。若いもんに要らん事を吹聴してまわりおって……」

「何の事でしょうか?」

「次長の近藤や石川の事だ!周囲にどれだけ影響を与えているのか、参議官と言う要職にありながら自覚と言うものはないのかと言っている!」

 とぼけた態度に激昂しながら大声を上げるのは百武源吾(ひゃくたけげんご)海軍大将。温厚な人柄で知られる百武がこのような声を上げるのも珍しい。

 現役将官の中で最先任の条約派の雄、加藤友三郎(かとうともさぶろう)から谷口尚真(たにぐちなおみ)山梨勝之進(やまなしかつのしん)寺島健(てらじまけん)堀悌吉(ほりていきち)へと連なる筋金入りの対英米協調派の現役筆頭の立場にある。

 対面の男はその対極に位置する。東郷平八郎(とうごうへいはちろう)から伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう)加藤寛治(かとうひろはる)末次信正(すえつぐのぶまさ)高橋三吉(たかはしさんきち)に連なる、やはり筋金入りの艦隊派にして対英米強硬派、元帥伏見宮を別格とすれば現役最先任に当たる。

 しかも、艦隊派の一員として、条約派の重要人物を尽く排除した悪名高き大角人事を画策して、断行させた非情の面を持ち合わせた冷徹な男。

 条約派と艦隊派の濃縮された因縁を持つ最悪とも言える間柄だ。

「参議官など、名ばかりの暇潰しに過ぎません。結局、私もあなたも同じような道を辿るのですよ。それに若手が勝手にやっているだけの話しで、ただ時流に乗っているだけですから。我々がどうこうできる問題ではありませんな」

 飄々と百武の追及を避け、あげくに皮肉まで言う始末。

 若い時であったならば殴りあいになっていてもおかしくないが、その内容が事実であるだけに余計たちが悪い。

 苦言を呈したところで何も変わろうはずがないと、百武は深い溜め息を吐き出した。

「海軍は同盟反対で一致しており、吉田はもちろん殿下もその意向だ。貴様の出る幕はない」

 百武の出した殿下、伏見宮博恭王の名を聞いて一瞬反応を見せる。

 越えようのない壁。海軍内における絶対的権力。

 この男にとっての殿下の名は、他の者達とは意味合いが異なっていることを百武はよく知っている。

 軍令承行令、海軍の指揮継承順位が明確に定められる中で、この男は海軍内で第五位。百武は第四位。因みに第二位は大角岑生(おおすみみねお)海軍大将、第三位は永野修身(ながのおさみ)海軍大将である。

 軍令部総長は現役最先任がなる事がほぼ確定しているので、伏見宮博恭王が君臨されている間は論外であるが、鎮守府長官以上、海軍大臣、または連合艦隊司令長官のいわゆる三顕職が継承順位の低い吉田や山本がその役職に就けているのに、常に候補に名前が上がりながらその就任は流れてきた。

 偏屈として海軍内で知られる百武であっても連合艦隊司令長官を務めた事すらあるのに。

 そもそも伏見宮は皇族らしからぬ現場を歩いてきた叩き上げの海軍軍人であり、本来は寛大な精神の持ち主ではあったが、極々少数の人間には厳しい面があったのだ。

閑話休題。


「否応なしに状況は変化しつつあるのです。例え誰であろうとも、流れを押し止める事は不可能であるとだけ申し上げておきます」

 意には介したであろうが、考えを変えるつもりはないとハッキリと宣言する。

 かつて日本海海戦のおりは、戦艦富士にあって同じ航海士官として、寝食を共にし戦った間柄ではあったがいつしか道は違えていた。

 御し難い男だ。そう百武は改めてこの男を見た。

 同時に哀れであるとさえ思った。

 この男は先が見えすぎている。そして愚直なまでに真っ直ぐに自らの歩む道を変えることを良しとしない。

 良く言えば孤高、悪く言えば独りよがり。

 だが、その未知数の能力を見抜き、彼を自分の手元に置こうと考えたのは、誰あろう思想的に反対の立場にある英米協調派の最高位であった元帥・加藤友三郎。

 冷徹、非情を持って知られる当時の海軍のカリスマ。軍令部権限拡大を画策した者達を容赦なく予備役に送った事から(首切り加藤)の異名を持つ海軍の恐るべき独裁者。


 日露戦役、日本海海戦において東郷平八郎を補佐、第1次大戦時から関東大震災直前までの7年に渡る長期間海軍大臣を歴任、後首相。八八艦隊計画推進者にして、ワシントン海軍軍縮条約締結、シベリア撤兵を遂行し強烈な指導力を発揮した偉大なる提督。東郷平八郎と並ぶ帝國海軍が誇る至宝。


 その加藤が命尽きる直前、病床にこの男を呼び、自身の家督、加藤の家名と国家に対して功ある者に特別に贈られる子爵位を譲ることを約束した。

 爵位叙勲が減少傾向にあり、男爵になることすら困難な大正期に華族皇族、或いは元帥位に匹敵する子爵を、当時無名の一大佐に過ぎなかったこの男に、周囲の反対を跳ね除けて与える事を約束した。 

 これより高位にあるのは、海軍では東郷平八郎(侯爵)、山本権兵衛(やまもとごんのひょうえ)(伯爵)、伊東祐亨いとうすけゆき(伯爵)といった海軍創設期からの提督が名を連ねるのみ。

 いずれも日露戦役の連合艦隊司令長官、海相、軍令部長の三顕職であり、破格、これほどの栄誉を手にできる者がそういるものではない。現在、海軍内における元帥最有力候補。


 元の性は船越だったが、この機に性を加藤に改める。名は隆義。

 爵位ある家柄ながら、窓際に送られている不遇の提督。

 友三郎は娘を嫁がせたが、その関係は冷え切っていた。その隆義を養子として迎えることに反対の声は多かったが、その声を友三郎は押しきった。

 しかも加藤友三郎と言えば、帝國海軍の強烈過ぎる光である軍神・東郷平八郎の説得が可能な、他の提督たちとは一線を画する唯一無二の存在。

 かの有名な東郷ターンの絶妙なタイミングを見計らって、進言し同意のうえで命令を下したのは、誰あろう参謀長を務めていた友三郎だった。阿吽の呼吸の体現。

 同郷者であっても厳しい姿勢から冷血と知られるそんな彼が、漫画に嵌っていてオタク首相などとよばれており、また孫をかわいがる好々爺のような姿を見せたの、普段の冷たい印象からは想像もつかないといわれたのもこぼれ話であった。


「フランスの敗北はもはや避けがたい事実。これがどのような影響をもたらすか、よくよく考えていただきたい。百武さんはもちろん、殿下もその認識を改めさせられる事になります。欧州介入の機会を窺うとともに大陸利権を欲するアメリカの野心は明白。大陸から我が軍が手を引けぬ以上衝突は避けられぬ、と考えます」

 夕闇が辺りを支配し、白熱球に照らされた部屋を出ていこうとする百武に対し恐ろしいことを口にする。

「……貴様こそ、その加藤の名に恥じることが無いようにするべきだと思うがな。元帥であらせられた義父ぎみの功績に泥を塗るような真似は決してするな!」

 百武にとって加藤友三郎は畏敬の対象に近いものがあった。その宥和の精神は脈々と受け継がれている。アメリカに屈従もやむなし、の信条の百武も薄々は感じているがゆえに痛いところを突いてくる。

「たしかに、承りました」

 丁寧な口調ではあったが反骨精神ゆえなのか不遜な態度に見えてしまう。本来ならとっくに予備役に入れられても文句は言えない状況だが、例え殿下の威光をもってしてもそれが為し得ないのは、ひとえに加藤友三郎の残した爵位と家名、そして陛下の信任を得ている点なのだ。

 そして、同郷の者であろうが「私は同郷人であっても優秀な人物であれば取り立てるし、同郷人であっても能力が無ければ取り立てない」と言い場合によっては容赦なく切り捨てる、冷血として知られた友三郎が買った才能。それは友三郎の発言が意味している。

 1930年代前半期における海軍航空の発展は、彼の働きなくしては進まなかったであろう。主に艦艇に搭載される対空火器は、彼の航空行政に携わる時期とほぼ一致する。採用された時期と僅かにズレが生じたせいで注目を集めなかったが、周囲にその片鱗を見せつけた。

 その職を離れて以来、対空火器の発展はおざなりにされている。結局、十年近く経っても彼の当時最良の選択から、抜け出せないまま時が過ぎ去った。

 航空機に関しては、九六式戦闘機、九五式陸上攻撃機、九六式陸上攻撃機と言った、後の名機を産み出した母体群の開発開始時期に携わっている。これらの開発を経て、帝國海軍は世界屈指の航空部隊へと発展し、一時的とは言え世界最強の空母機動部隊を保有する事となった。

 艦艇の、特に戦艦の改装も実行が可能であるかはまた別問題として、意欲的に行われた時期でもあり、一号艦は高速戦艦であるべしと主張。

 無能とは程遠い能力を持ちながら、それは意図的に隠されているのは不幸とも言える。

 そして、彼に類する者達が不遇を被っているのもまた哀れな話だった。






 フランスの敗北は決定的であった。

 6月10日から12日にかけて、グデーリアン装甲集団の突破を阻むべく第3機甲師団を母体に編制されたフランス第2機甲集団がオート・マルヌで最後の激戦を繰り広げたが、その攻勢を留めることはできなかった。

 6月11日 レイノー、チャーチル、ウェイガン、ブリアールにて三者会談。フランス単独講和の是非について。

 6月13日 政府機能トゥールから、総司令部ブリアールからボルドーに移転。

 6月14日 ドイツB軍集団パリ無血入城。フランス第4軍集団、南西部で再編。

 6月16日 グデーリアン装甲集団、アルプス・スイス国境に到達。

挿絵(By みてみん)

 フランス軍の戦線は形骸化し、唯一の組織的戦力を有しているフランス第2軍集団の3個軍は、グデーリアンの戦略機動により包囲されている。西側一帯には戦線を構築する事すら不可能な状態であり、ホート集団はブルターニュ半島へ向かい、クライスト集団はここから南西への機動を描き、フランス軍の完全なる崩壊へと導く。


 この状況に至り、ヒトラーは最後の総仕上げとして総統命令第15号を発令。内容はマジノ線の突破と、フランス第2軍集団の包囲殲滅。

 最後まで温存していたC軍集団を本格的に投入した。ここまで慎重になったのは、やはりマジノ線の堅牢さがあったため、正面から当たればその被害は計り知れない。フランス軍最高司令部がマジノ線から兵力を抽出しつづけ、完全に手薄になる機会を待っていたのだ。

 ヒトラーをしていわく「古代ローマとの戦いにおけるハンニバルが為し得た、カンナエの戦いの現出である!」と言わしめた。


 マジノ線は全長1600kmに及ぶ長大な要塞で、スイス以南はアルパイン線と呼ばれる。25の大堡塁だいほるい、27の小堡塁しょうほるいと多数のトーチカ、対戦車壕など5000基を超えるコンクリート製構築物で防護されており、側面、天井の厚さは実に4mに及び、その破壊は尋常なものではなかった。

 武装は400mm、370mm列車砲に始まり各種砲兵が操作する75mm~135mmの隠顕式砲塔、47mm対戦車榴弾砲、重迫撃砲、重機関銃などの陣地が隠蔽されてハリネズミのように配置されていた。地下では鉄道が弾薬を運搬し、発電所、毒ガスに備えた空調設備。正面からであれば正に鉄壁の要塞。

 前面に戦車の突破を防ぐ対戦車壕、その背後には歩兵の侵入を阻む鉄条網、トーチカ機関砲陣地、背後には迫撃砲陣地、堤防状の三段の稜線の上からは隠顕式重砲が狙い撃つ、前に立つものに絶望を味あわせるにたる地獄の壁。フランスが誇る世界最大の要塞。

 C軍集団に所属する第1軍、第7軍は黄色作戦当初より砲撃戦に終始していたが、なんら効果を及ぼすことなく弾薬を浪費していった。しかし一連の作戦行動により、フランス第2軍集団の側面が曝け出されたことにより司令官ガストン・プレトーラ大将は総退却命令を発令。段階的にマジノ線から20万の兵力を引き抜かざるをえなくなった。

「最高の機会が訪れた!」

C軍集団司令官ヴィルヘルム・フォン・レープ上級大将は、虎作戦を発動。第1軍エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン大将にマジノ線突破を命じる。

同時に左翼、ライン河方面の第7軍フリードリヒ・ドルマン大将は小熊作戦を発動。

目標がマジノ線と後方に控える部隊の殲滅へと移行したことにより、グデーリアン集団と第16軍がC軍集団へと配属が替わった。


 フランス第2軍集団は本土との連結を絶たれ、ドイツC軍集団に完全に包囲される。総兵力は3個軍21個師団、要塞師団を含めた約50万名。これは史上最大規模の包囲戦となった。


 虎作戦はこの包囲戦の北面の作戦で、第1軍3個軍団9個師団が参加。

 特に防御が薄くなっている、ドイツ側はそう判断している、サル要塞地区とフォルクモン要塞地区に対して14日早朝から猛烈な準備砲撃を開始。ドイツ軍はこの攻撃のため、特別編成されていた砲兵軍団を投入した。

 チェコ・シュコダ製420mm榴弾砲装備の2個中隊、計4門。同じく355mm榴弾砲装備の1個中隊2門。これは最強の砲熕兵器であり、他にもマウザー21cm迫撃砲、15cmsFH18榴弾砲、計650門以上の砲迫をもって攻撃を開始。

 比較的防御が薄いと言われたサル・フォルクモン要塞ではあったが、その備蓄された砲弾薬は豊富であり、壮絶な砲撃戦に発展。

 突入した各大隊は機関銃陣地からの猛射を受け、大損害を受けた。主に要塞を破砕するための工兵部隊であったが、その被害は初日にして1000名以上が戦死、5000名以上の負傷者を出すと言う甚大な被害をもたらした。

 マジノ線健在なり。

 初日の砲撃では、対戦車壕の破壊にすら失敗する。コンクリートで分厚く覆われた壕の破壊は困難であり、機銃用トーチカもアハトアハト数百発を撃ち込んで完全に粉砕されるまで、頑として抵抗をやめなかった。

 そうしたトーチカに取り付くまでに、機関銃で薙ぎ払われた歩兵が累々と重なる他の戦場とは異なる戦場がここにはあった。

 マジノ線を突破できたのはそれから五日後、グデーリアンの後方遮断が確実になったことが時間差をおいてフランス軍に伝わり、戦線を形成するために維持に必要な最小限まで戦力を引き抜かれ、ようやくであった。要塞線最強を誇るアグノー・ヴォ―ジュ・ロアバッハ最東部に位置する旧要塞地区は結局、攻略することはかなわず、休戦まで抵抗を続けることになる。


 そして、南方アルパイン線。

 「薄汚いハイエナども」とフランス軍が蔑んだイタリア山岳兵が残雪に覆われたアルプスを踏破し、フランス・アルペン猟兵大隊と戦端を開いた。

 これに先立ちイタリアと英仏連合軍との戦闘は、イタリアが宣戦布告した翌日、連合国側からの空襲とフランス地中海艦隊による攻撃から開始されていた。

イタリア・ジェノバをはじめとした西部港湾都市をフランス第3艦隊所属の重巡洋艦アルジェリー、フォッシュ、2個駆逐隊駆逐艦6隻。重巡洋艦コルベール、デュプレ、2個駆逐隊駆逐艦5隻の2個打撃任務部隊が砲撃を見舞った。同時に英ビッカース・ウェリントン爆撃機が内陸部工業都市を爆撃した。ハドック作戦である。

 4隻の条約型巡洋艦は、イタリアレジエ・アエロナウティカ王立・ミリターレ空軍・イタリアーナの哨戒圏内を突破して一撃離脱により損害を受けることなく避退する。連合軍が枢軸国側の本土攻撃を行った最初の事例となった。

 宣戦布告を行ったもののイタリア軍自体の戦意は乏しいままだったが、この攻撃はイタリア軍の戦意を高揚させる結果となる。イタリア空軍もまたフランス南部の都市に報復爆撃を開始。空中艦隊構想のもと整備された爆撃機群は強力でありサヴォイア・マルケッティSM.79、フィアットBR.20などが延べ700回にも渡って空爆を行った。

 この攻撃に激怒したムッソリーニは、総司令官ピエトロ・バドリオ元帥に総攻撃を開始するように迫った。

 この命令に従って、皇太子ピエモンテ公ウンベルト2世を司令官とする、第1軍、第4軍、第7軍の3個軍を基幹とするイタリア西方軍集団総計45万が20日から総攻撃を開始。

 しかし、この攻撃はバドリオの反対した通りに大敗北に終わることになった。

 アルプスの気候は霧に覆われた悪条件下で、山岳戦と対要塞戦も想定してしかるべきところ攻撃準備の整わない中で強行されたものであった。

 山岳帯に間隔を置いて配置されたフランス要塞群重砲の射程に侵入したイタリア兵は、その砲弾の洗礼を浴びせかけられ、粉砕される者、崖から滑落する者が相次ぎ、接近した者も機関銃陣地からの攻撃を受け甚大な被害を被った。

 フランス側の死傷者120名に対しイタリア側は2200名と、実に20倍の損害を与えた。



6月21日


 破局的な状況に置かれたフランスはついに休戦交渉の席に着いた。

 この時、クライスト装甲集団はフランス中央から南西へと矛先を転じ大西洋岸を南へ向けて爆進を続けており、グデーリアン装甲集団はフランス第2軍集団を南西から締め上げ、ホート装甲集団はブルターニュ半島を制圧した。

 ブルターニュ半島先端に位置するブレスト港からは、フランス新鋭戦艦リシュリューが辛くも脱出を果たした。特にロンメル率いる第7装甲師団の進撃速度は驚異的であり、幽霊師団の名で恐れられる存在となっていた。

 フランス政府内でも徹底抗戦を主張するレイノーは、ぺダン、ウェイガンらの軍部の支持を失い退陣。ドイツに降伏する事を良しとしない国防次官ド・ゴールや、フランスに身を寄せていたヴワディスワフ・シコルスキ率いる自由ポーランド首脳陣はロンドンへと脱出。後に禍根を残すことになった。


 フランスが休戦交渉に入る事を受諾する旨を伝え聞いたヒトラーは、第一次大戦敗戦の屈辱を晴らすためのパフォーマンスとして、かつて休戦協定が結ばれた食堂車2419Dアルミスティス号を、保管されていた博物館からわざわざ引っ張り出し同じく協定を結んだ場所であるコンピエーニュの森の同じ場所に設置し、フランス代表使節団と相対することにした。

 皮肉にもフランスの英雄フォッシュ元帥の石像が見下ろす場所で、である。食堂車に入るヒトラーは感慨深げな面持ちでフォッシュ像を一瞥した後車両に乗り込んだ。付き従うのは空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング、海軍総司令官エーリッヒ・レーダー、陸軍総司令官ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ、国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル、外相ヨアヒム・フォン・リッペンドロップ、副総統ルドルフ・ヘス。


 使節団代表シャルル・アンツェジ大将がパリ市内の渋滞に巻き込まれて、かなり遅れてコンピエーニュの森に到着した。

 用意された会談の場に唖然としたアンツェジではあったが、もはや気にするような時は過ぎた、と諦めた様子で随伴する空軍と海軍の二人の将官とともに車輛に乗り込む。中で待っていたドイツの独裁者は、かつてフォッシュが腰を下ろした席で侮蔑する表情で迎えた。

 中央のテーブル、窓際の席にヒトラーとリッペンドロップとカイテルが、その対面の窓側の席にフランス使節団の3名が、ヒトラーから見て右側の席にゲーリングとレーダーが、左側にはブラウヒッチュとヘスがそれぞれ席に着いた。

 フランス側の憔悴ぶりは明らかだったが、その毅然とした態度は崩していなかった。

 ヒトラーは隣のカイテルに無言のまま手で合図を送ると、カイテルは声明文を読み上げ始めた。

 内容は今大戦の責任は全て連合国側にあり、その奮闘ぶりは称賛を示しつつ、前大戦の連合国の誤りを問うものであった。両国代表団はそれを静かに聞いていた。

 カイテルが読み上げた口上が終わると、ヒトラーは立ち上がり客車を後にした。

 その後の交渉は、ドイツ側が提示した24条の休戦協定を認めるか否かの二者択一を迫られた。

 アンツェジはボルドーのウェイガンに電話連絡で内容を伝えるとともに、使節団がアルミスティスで交渉を行っていることも告げた。敗戦の屈辱にまみれたドイツ側からすれば痛快であったはずだろう、なにせ前大戦の休戦協定をその場で読み上げたのはウェイガンその人であったのだから……

 一字一句に渡るまでの細かな調整を巡って紛糾し、丸一日を費やし最後に業を煮やしたカイテルが最後通牒を突き付け決着がつく。

 「我が最良の時」とこの時の事をカイテルは回想している。


6月22日 18:50

カイテルとアンツェジが休戦協定に署名。これにより正式に独仏休戦協定締結。

 前大戦の戦勝を記念して建造された物はフォッシュ元帥の像を除きことごとく破壊されることになった。

 開戦からわずか6週間でフランスは崩壊。

 予想を覆す圧倒的な勝利は列強各国に衝撃を与え、大戦は次の段階へと進んでいく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ