第13話 北へ、そして西へ
4月8日
ノルウェー海
スカンディナビア半島大西洋側中部に位置する、ノルウェーの主要都市トロンハイムの沖合を、一隻の艦艇が航行していた。英国海軍G級駆逐艦の一隻、グローウォームである。
軍縮条約制限下の1934年から建造が開始された汎用駆逐艦であり、同型艦9隻が建造されたが、すでに一隻はイギリス本土近海で、もう一隻はアレクサンドリア付近で触雷、いずれにしてもドイツ軍の敷設した磁気機雷によって失われている。排水量制限により、重武装を施すことが叶わなかった上に広大な植民地を領有する国内事情から数の確保が優先されており、その船体規模は日本の八八艦隊計画で計画された神風型駆逐艦と同程度におさまっている。比較的小型の駆逐艦だった。
「周辺警戒厳とせよ! いつファシスト共と遭遇するかわからんぞ」
艦橋ではノルウェー海の海図を眺めながら、艦長ジェラルド・ループ少佐はそのように命じていた。
現在、ノルウェー近海を機雷封鎖を行うウィルフレッド作戦が海軍本部の計画に従って進行中。巡洋戦艦レナウンを旗艦とする部隊が、北東のドイツ鉄鉱石輸送ルートのナルヴィクにほど近い、ボードーにて機雷敷設を実施中であり、護衛艦であったグローウォームもそこにいるはずだった。
海軍大臣ウィンストン・チャーチルはことさらナルヴィクを重要視しており、現在英国に深刻な被害をもたらしているUボートによる通商破壊に頭を悩まされており、北海の制海権を握る英国海軍としては、その基地としてナルヴィクの港湾を使われる事を恐れた。この点はドイツ海軍総司令レーダーと共通の意識を持っている。
しかし、途上荒天に遭遇して乗員が波にさらわれ、その捜索中に本隊とはぐれ南へと流されていた。海上は未だ暗雲が垂れ込め、ときおり横殴りの雨が降り注ぐ酷い天候であった。
どうも嫌な予感がする…
ループは艦隊からはぐれた時から拭いようのない不安に襲われていた。ドイツ軍が北欧に対して大規模行動に出るであろうことが予測される中、今グローウォームが航行しているのは、まさにドイツ軍の目標である重要拠点ナルヴィクとドイツ本国を結ぶ侵攻ルート上に位置しており、情勢から判断するのであるならば、非常に危険な状態といえた。
ノルウェーの海は荒れ狂い、波しぶきが船体全てを洗う中、見張り員はそのしぶきを受けて目を細めながらも、周囲の警戒を続けていた。
「右前方に接近する艦影あり! 距離6000ヤード!」
「艦種報せ!」
ちぃ!と舌打ちを鳴らし、ループは報告のあった方向を睨みつける。やっぱりいやがった。
「砲4、ないし5門を確認、デストロイクラスと認めます!」
ありがたくない報告だ。グローウォームは4.7in単装4門、砲撃力では本艦が不利。魚雷は積んでいるが高速で動き回り小型の駆逐艦相手では命中は望めないだろう。
「どうしましょうか艦長?」
副長が判断を求める。
「ノルウェー海軍艦艇に対しての先制攻撃の許可は下りていない。発光信号にて確認! 貴艦の所属は如何なりや?とな」
直ちに信号が送られ、すぐさま(スウェーデン駆逐艦イェーテボリである)との返答が返ってきたが、これに艦橋内でループは苦笑いを浮かべる。
「バットジョークだ。親独中立のスウェーデンの艦が、このような海域にいる訳はない。ファシストの艦と認める。MarkⅩⅧ各砲塔はライアーに照準!」
嘘を言って逃れようとする訳があるのならば、こちらにとっては俄然有利となる。彼の艦は逃げようとしているとループは即断する。4門の4.7in120mm砲が巡航速度で遠ざかろうとしている駆逐艦に砲口を向ける。
「よろしいので?」
副長は再確認のために聞いてみる。もし本当にスウェーデン艦ならえらいことだが、こんな状況だ。それはありえんな。
「かまわん、メイク・ザ・ファースト・ムーブだ。砲撃始め!」
ループの命令の下、グローウォームの砲口から55ポンドの砲弾が撃ち放たれる。
グローウォームの砲撃に晒されたのは、ドイツ海軍駆逐艦ハンス・リューデマンだった。
Z17級、通称1936年型駆逐艦で呼ばれるドイツ海軍最新鋭駆逐艦の一隻で、5in砲単装5門装備とグローウォームのG級駆逐艦より砲撃戦能力で優位性を保持している。英国と違い活動領域がバルト海から北海までの狭い海域である事に加えて、対英戦勃発は5年後以降である事を見越して、航続距離を削って武装は比較的強力な設計となる。どちらかといえばより隣接するフランス大型駆逐艦を意図した武装とも言え、それは138mm単装砲5門装備と、同世代駆逐艦の砲槓装備として極めて強力だった。これを意識してか現在起工、進水を始めた次級Z23級は、一気に砲口径を拡大した150mm砲搭載艦となる。閑話休題。
この時、ヴェーザーユーヴング(西方演習)発動準備のため、ドイツ海軍は保有するほぼ全水上艦艇を動員してノルウェー方面へと進出を開始しており、グローウォームと遭遇したハンス・リューデマンは4月7日に巡洋戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウとともにドイツを出撃。しかし、グローウォームと同じく荒天のため、駆逐艦部隊はバラバラの状態で航行していた状態で、双方がまったくのはちあわせとなった遭遇戦だった。作戦発動日は明日9日である。
西方演習作戦の要項は、奇襲をもってすみやかにノルウェー沿岸主要都市を占拠することであり、ノルウェー軍の行動を封じ込めるため、低速の輸送船は使用せず戦闘艦艇に分乗して上陸を強行するものだった。さらにノルウェーの降伏をうながすため、国王ホーコン7世の保護も主要任務に含まれていた。
ノルウェー侵攻の前段階として、奇襲の効果を削がぬよう同日にドイツ、ノルウェー間のデンマークへの派兵も決定しており、機雷敷設艦に分乗した1個大隊が首都コペンハーゲンへと向かっていた。こちらもホーコン7世の兄、デンマーク国王クリスチャン10世の保護が任務に含まれる。両国王の国外脱出は極力阻止する事というヒトラーによる厳命だった。
派遣部隊はポーランド戦で第21軍団を指揮したニコラウス・フォン・ファルケンホルスト歩兵大将の指揮の下、1個山岳兵師団、5個歩兵師団からなり、更に空軍所属第7航空師団、後の降下猟兵師団と改名される落下傘降下部隊も作戦に参加する事が決定しており、これを空軍第10航空軍団(発展して第5航空艦隊に再編)が援護する。
粛々と進行するドイツの作戦に、ループの発言とは裏腹にイギリス、フランス連合国側は完全に後れを取っていた。しかし、中立国相手の政策に関して言えば直前までは明らかにイギリスが先行していた。
史実にそって言えば戦後ニュルンベルク裁判で、ノルウェーに対しての罪でドイツの人間を告発した事は「まったくの恥知らず」であると、英国軍事評論家として名高いリデル・ハートは身内を痛烈に批判している。
そして、連合軍もノルウェーへ向けた輸送船団が、イギリス・フランス・ポーランド連合軍20個大隊基幹、およそ2個師団に相当する18000名に上る兵力を搭載し、北欧介入の第一陣として英国海軍根拠地スカパフローの北に位置するカークウォールよりすでに出港していた。護衛にはクイーン・エリザベス級戦艦ウォースパイト、史上初の本格的空母となったフューリアスをはじめとする艦隊が護衛にあたり、アドミラル・グラーフ・シュペー捜索の任で本国艦隊から離れた空母アーク・ロイアルとグローリアスも、イギリス本国への移動を急いでいた。
そして、グローウォームの砲撃は、北欧を舞台とした英独の一大会戦の開幕となった。
ハンス・リューデマンは反撃を行いながら、速度を上げ逃走を始める。
「逃げの一手、ですな。一体何のつもりでしょうか?」
「わからん。我々にとってよからぬ事は確かだろうが、部隊からはぐれた本艦にとっては幸いだった」
まったくで。と副長は応じる。このまま仕留められれば一番ありがたいのだが。
砲撃はなおも続けられたが、G級とZ17級では武装はおろか速度、船体の安定性においてもZ17級の方が優位であり、荒天の海上でハンス・リューデマンの姿を見失う。
「逃がしたか…。仕方あるまい、本隊に合流しよう」
ループは再び舌打ちする。無事に済んだだけでも儲けものか。
全長で20m、排水量で500t、明らかに格上の相手であった。
しかし、直後の報告により事態は一変する。
「新たな艦影接近! 敵艦から砲撃!」
見失った艦とは別方向から現れた新たな駆逐艦。砲口から発した明滅する小さな閃光。後から現れたのはZ5級駆逐艦ベルンド・フォン・アルニム、先に逃走したハンス・ルーデマンには上陸部隊と砲迫、食糧を搭載していたため、その護衛として航行していたが、ドイツ側もこの荒天で対応が遅れていた。
「応戦せよ! これはただごとではない、本隊、ホイットワース中将宛に打電…」
「ほ、報告、敵艦後方より大型艦接近! クルーザー、いえバトルクルーザークラス!」
ループの命令が言い終わらぬうちに飛び込んだ絶望的な報告。一瞬、怒号に包まれていた艦橋は静まり返り、視線はループに集中する。海上には駆逐艦の放った砲弾が着弾し、波間に水柱を立てはじめる。
林立するその間から姿を見せたそのシルエットは、重厚な艦上構造物が遠目からでも見て取れた。
ドイツ海軍最新鋭重巡洋艦アドミラル・ヒッパーである。昨年4月に第一次大戦ユトランド沖海戦にて英国巡洋戦艦3隻を葬ったフランツ・ヒッパー提督の名を冠して就役し、ポーランド戦中も射撃訓練に明け暮れ乗員の練度も向上しているため、シャルンホルスト級とともにドイツ海軍の主戦力として期待されている。
トロンハイム攻略部隊である第2グループに属し、その護衛任務に当たっていたが、ハンス・リューデマンの発した救援信号を捉えこの海域に急行していた。
「一刻も早く沈めるのだ。たかだか一隻の駆逐艦にてこずっては、これから始まる作戦の支障となる」
アドミラル・ヒッパー艦橋で砲撃を開始したベルンド・フォン・アルニムを視界に収めながら、上陸部隊護衛艦隊司令官ロルフ・カールス海軍中将は艦長に催促する。作戦開始前日ということもあり、その表情は固い。
「は、主砲アントン、およびブルーノ、諸元入力が完了次第、順次撃ち方始め」
艦長ヘルムート・ハイエ海軍大佐も、ここで目の前の英駆逐艦を沈めなければ、送り狼となっていつまでも付いてくる可能性を考えた。上陸前、少なくとも内陸部に進入し制空権を確保するまでに英本国艦隊が動き出せば、最悪全滅の憂き目に合いかねない。それほどまでに英海軍と独海軍の戦力は隔絶した開きが存在していた。
アドミラル・ヒッパーの前部に二基背負い式に配置された、SKC/34 20.3cm連装砲塔がグローウォームを指向し、砲術長の命令の下砲撃開始。60口径の長砲身から270ポンドの砲弾が撃ち放たれ、グローウォームの至近距離へと着弾する。34年式の新型砲は戦艦級の大射程と重量砲弾により、至近距離で破格の貫徹力を誇る。
グローウォームが至近弾を受け、その衝撃で倒れ伏す者が相次ぐなか、ループはよろけながらも手摺につかまり態勢を立て直し、新たな強敵に小さく「ノー・チャンス・アゲンスト」そう呟いた。誰にも聞こえないように。もっとも着弾の衝撃と大音量にかき消され、聞き取れるものはいなかった。
降伏…
ループの頭の中にその文字が一瞬よぎった。撃沈必死のこの状況下、生き残れる可能性は一番高いその選択を選んだとしても、非難される言われはないであろう。乗員の生命を考えるのであれば、最良の選択と言ってもいい。しかしループは軍帽を正して、新たな命令を伝えた。
「雷撃戦に移行、発射管MarkⅤ用意! 煙幕を張って懐に飛び込む。敵は駆逐艦と本艦を侮っている。大英帝国海軍の恐ろしさ、思い知らせてやる」
駆逐艦が持つ奥の手、対大型艦用21in533mm魚雷。舷側150mm装甲を易々と貫徹可能な性能を誇り、4連装2基計8門を装備している。意を決したグローウォームは過負荷がかかるほどの全力運転で荒天の海を加速していく。高い波により船体が浮き上がるほど凄まじい動揺の中、無謀とも言える単艦突入を開始。
この様子はアドミラル・ヒッパーの艦上からも見て取れた。
「敵艦、本艦右舷に回り込みつつあります。魚雷発射を狙っているものと思われます」
「この状況で単艦で挑んでくるあの艦長は、中々敢闘精神旺盛なようだ。敬意を表したいが、感傷で当たってやる訳にはいかん。敵艦の行動に注意せよ」
落ち着いた様子で、ハイエは砲撃を続行させながらも、魚雷攻撃を警戒し回避行動に留意する。
アドミラル・ヒッパーは武装に関して言えば、列強各国海軍の重巡洋艦では強力な部類に入る。しかし、その武装に比して防御能力には若干問題があった。同時期に建造された日米重巡洋艦と比較するとその装甲厚は著しく薄く、米海軍軽巡洋艦ブルックリン級船体で設計された重巡洋艦ウィチタの装甲厚127mm、日本海軍軽巡洋艦最上型の140mmに対して、80mmと舷側装甲は劣っていた。ちなみに英海軍では重巡洋艦よりも軽巡洋艦の更新を優先していたため、1920年代後半に竣工したヨーク級を最後に重巡洋艦の更新を行っていない。それでも新鋭軽巡洋艦タウン級の装甲厚ですら、アドミラル・ヒッパーを凌駕している。
その事はハイエも理解しており、魚雷命中は深刻なダメージを受ける以上、発射前に撃沈、あるいはその阻止を狙う。
一発や二発主砲弾を喰らわしたとしても、あの艦長は諦める事はないだろう。まるで狼のような男だ…
「やはり、撃沈するしかないか…」
ベルンド・フォン・アルニムの砲撃を受けて、構造物の一部が炎上している敵艦を見ながら、そう呟く。やはり引き上げる気配は見られない。アドミラル・ヒッパーの砲撃は夾叉しており、全門斉射に移行しているが、命中弾を与えるには至っていない。それに司令官カールスは焦りと苛立ちをつのらせていた。
「射点に着き次第、全門発射だ! 砲撃は纏わりつくハエを狙え、なんとしても妨害を阻止せよ!」
すでに魚雷の深度調整は完了している。後は敵巡洋艦の砲撃を避け切って、その脇腹にぶち込んでやるだけだ。200mを超えるであろう巨体ならば、命中の可能性も高い。さすがに駆逐艦の砲撃まで気を回す余裕はないが、その駆逐艦はいつまでも食いついてくる。
しつこい…。このままでは魚雷発射管に被弾する恐れがある。もし誘爆すれば一巻の終わりだ。
そしてループの不安は現実のものとなる。直後にベルンド・フォン・アルニムの3発目の被弾が、後部マストと中央探照灯台の間に設置されていた2番魚雷発射管近辺に命中、幸い不発弾となったが発射管基部損傷により発射不能となった。射線半減の精神的にも大打撃を受け、状況はますます悪化する。
早く、もっと早く。
祈るような気持ちで射点へ向け疾駆するグローウォーム。あっという間の時間のはずだったが、ひどくゆっくりとしたものに感じられる。そして、砲撃を掻い潜りグローウォームは、北東方向に向け同航状態に持ち込むことに成功。距離3500ヤード、絶好の射点を確保したその瞬間。
「発射管全門、放て!」
ループの命令の下MarkⅤ魚雷が4本、1番発射管から圧搾空気によりうねり高い海中へと射出され、白い航跡を引いてまっすぐアドミラル・ヒッパーへと向かっていった。
「MarkⅤ、目標へ向け順調に遷移中! 命中コースです!」
この距離で扇状に放った射線、身を挺した必中の射線を外れてもらっては困る。これで撃沈できたならば、沈められたロイヤル・オークの敵を取れるというものだ。ループにとって、ロイヤル・オークの撃沈は暗い影を落としていた。
昨年10月14日、英国海軍根拠地スカパ・フローにおいてリヴェンジ級戦艦ロイヤル・オークが、ドイツ海軍潜水艦U―47によって撃沈される事件が起きているが、その捕捉に失敗した事が頭から離れないでいた。
「弾着まで10秒!」
懐中時計を持ちながら副長がコールし、その声にループは現実に戻される。これが命中すれば、まだ食らいついてくる敵駆逐艦も救助に向かわなければならなくなるだろう。その隙を突いて離脱する。
期待と興奮の時間。
「3、2、1、弾着!」
副長の声が響く。艦橋要員もアドミラル・ヒッパーに向けて視線が釘付けになった。しかし
高々と上がるはずだった水柱が上がる気配はなく、悠々と砲撃を続けるアドミラル・ヒッパーの姿があった。
「ガッデム!」
畜生めぇ! 神はここまで我々を見捨てるというのか!
かぶっていた軍帽を床に叩きつけながら、ループは赤らんだ顔で敵艦を睨みつけた。この時、発射した魚雷は命中コースに確かに入っていたが、荒天と最大速度の動揺、信管の不発と重なり、一発は艦底をすり抜け、もう一発は不発に終わっていた。
もう、後がない。
降伏、それだけが生き残る最後の選択となった。だが、ループがその選択をとる事はなかった。
「機関いっぱい、取舵」
恐ろしく静かな命令、轟音に包まれているはずの艦橋内にその声だけは聞き取る事ができた。その方向はアドミラル・ヒッパーが航行している方向。グローウォームは最期の悪あがきともいうべき、最終手段に打って出る。
「敵艦、速度を維持したまま突入してきます! 距離1500!」
「奴ら、正気か?!」
度重なる被弾により前部主砲はすでに炎上しており、戦闘不能であることは明白となっていた。魚雷は先ほど撃ったことが確認されており、それでも距離を縮めてくるなど、まともな判断ではない。
「主砲全門、撃ちまくれ! これ以上近づけるな!」
排水量10倍を誇るとは言えさすがに慌てずにはいられなかった。
まさかこんな方法で来るとは、想像だにしていなかった。これがかつて世界を席巻した海軍なのか…
ハイエは戦慄を覚えた。
アドミラル・ヒッパーの主砲弾が、ついにグローウォームの艦橋をとらえ、接触信管により艦橋内部で主砲弾が炸裂し、爆炎が艦上構造物を呑み込んだ。
これによりループ以下、艦橋要員全員戦死。しかし、神の意思ならぬ人の確固たる決意は、主を失ったグローウォームの船体をアドミラル・ヒッパーのもとへと導くかのように、向かわせている。
「駆逐艦との距離、50!」
恐怖によりひきつった声の報告がこだまする。その紅蓮の炎に包まれた船体は目の前に迫っていた。
「総員衝撃に備え!」
ハイエが命令を発した直後、グローウォームはアドミラル・ヒッパーの船首に激突。衝撃が艦全体を振動させた。金属が擦れ、引きちぎられる凄まじい音を立て、グローウォームは押し退けられる形で第2砲塔付近から船体が断裂、横転して波間に船底を露にしてしばらく浮かんでいたが、徐々に沈降していき重油の膜を残して海中に没した。
「船首の破口により浸水拡大中です。浸水による射撃姿勢にも問題が発生する恐れもあります。司令、この海域に長く留まるのは避け、一刻も早くトロンハイムへ向かうのが得策かと思われますが」
ハイエは憔悴したような様子で、カールスに意見を述べた。被害は500tの浸水、小破に留まり、幸いにして作戦行動は可能なレベルであったが、外洋の荒波ではどのように影響があるか分からない。
「よかろう、我々の本来の目的地に向かうとしよう。本来ならばナルヴィク攻略部隊はリッチェンスの担当だったが、思いがけぬ事になったものだ」
カールスもハイエの意見を認める。グローウォームはこの戦いの最初の戦果となったが、最初からこれでは先が思いやられる。尋常ならない後味の悪さを残しつつ、アドミラル・ヒッパーはナルヴィク攻略部隊と別れ、南東ゲイランゲルフィヨルドの奥にある要衝、トロンハイムへと南下を開始する。
「グローウォームから再度緊急信? 読み上げろ」
トロンハイム沖から北東300海里、ナルヴィクの玄関にあたるヴェストフィヨルドの西に位置するロフォーテン諸島沖。降りしきる雨の中、輪形陣を組んで西へと移動する艦隊の姿があった。機雷敷設を完了したウィルフレッド作戦任務群、英海軍B部隊である。12隻の駆逐艦が輪形を組み、その中央に一際巨大な艦が航行している。
巡洋戦艦レナウン。英国が保有する3隻の巡洋戦艦の内の一隻であり、その中にあって唯一大規模な近代化改装を施された艦であり、直立する塔型艦橋は新型戦艦に類似するもので、その点では時期的に日本戦艦比叡と同じ経緯とも言える。装甲の強化により現ノルウェー近海域では最強の艦と言って差し支えない存在。
その司令官室でウィリアム・ホイットワース海軍中将のもとに、グローウォームからの最期の通信が届いていた。
「は、我有力なる敵艦隊と交戦するも攻撃手段を喪失。撃沈必至の状況にいたり、よってこれより敵艦に突撃す。国王陛下万歳。貴官らに幸運のあらんことを。…以上です」
通信士官の報告によって伝えられたこの決別電の内容は、作戦が無事終わり安堵していたホイットワースに衝撃を与えた。
「そうか、あのジェラルドがな…」
ホイットワースは瞑目した。
熱い男だったが、何が彼をそこまで突き動かしたのか?
大英帝国海軍の伝統か、はたまた自らの意地であったのか、直接話す機会が喪われた以上、知る術はない。
ただ、今はっきりしている事は多数の艦艇を動員したドイツ軍の侵攻が、確実に進展しているであろうと言う事実である。直ちに参謀会議が招集され対応が練られる事になった。
しかし、この荒天下にドイツ海軍がフィヨルド内に侵入できるであろうか? それに上陸を行うならば、低速の輸送船団がいるはず、そうホイットワースは判断を下していた。
ドイツ軍が最重要拠点ナルヴィクを目指していることは確実であり、この海域で網を張っていれば遭遇は明後日以降になるであろうというのが、参謀達の一致した見解であった。
だが、その判断は誤ったものであった事を思い知らされるのは、早くもその翌日だった。
「無事に我々をエスコートしてくれた事に感謝する。ボンテ代将閣下」
「貴官の武運を祈ります。正直に申し上げれば、無傷で辿り着けたのは奇跡と言っても過言ではありません。海軍は可能な限り援護いたしますが、どうか御無事で。ディートル閣下」
重ねて感謝する、と敬礼するディートルに敬礼を返すボンテは、固い握手を交わした。
9日未明、秋の肌寒い、というよりも刺すような冷たさの風が吹きすさぶ、暗闇に覆われたオフォトフィヨルド。晴天であったならば、切り立った崖に囲まれた絶景が臨める場所だった。
しかし、普段は静かな港湾都市ナルヴィクの沖合はこの日に日付が変わって間もなくから、激しい砲声を響かせていた。このオフォトフィヨルドを防衛するノルウェー海防戦艦ノルゲとエイズヴォルドが、フィヨルド内に侵入したフリードリヒ・ボンテ海軍少将率いる第1グループの駆逐艦と戦闘に突入。当初は降伏勧告を行うはずだったが、ノルウェー軍はそれを拒否。至近距離から雷撃を受け、まずエイズヴォルドが弾薬誘爆により爆沈、ノルゲが横転して沈没した。1900年に就役しすでに40年の艦歴を誇る彼女達には、あまりにも荷が重すぎた。
駆逐艦群はナルヴィク港に接舷し、揚陸を開始。軽量小型のⅠ号戦車A/B型、それと同様の7.7mm、20mm高射機関砲装備の限定的に対空射撃可能な装甲戦闘車輌SdKfz222といった機甲部隊もノルウェーの大地を踏んだ。ノルウェー軍は長らく中立政策を維持してきたため、欧州最弱という不名誉なレッテルを貼られていた。この部隊であっても十分戦えるだろうという公算の下、主力と言えるⅢ号、Ⅳ号戦車の配備は全くといいほど行われてはいない。もっとも、それは地形によるものと、来るべき大作戦に大多数が投入されているがゆえにである。
上陸は順調に進み、およそ3000名のエドゥアル・ディートル陸軍少将揮下山岳兵師団が無事に上陸を完了し、周辺部航空基地の占領へと向かった。空軍の援護を容易ならしめるためである。
しかし、欧州最弱と言われながら、北欧において最初の大戦果をあげたのはそのノルウェー軍だった。
同時進行で、ノルウェー南部に位置する首都オスロにおいて発生した、オスロフィヨルドの戦いにおいて、先頭を進んでいたアドミラル・ヒッパー型二番艦ブリュッヒャーが、フィヨルド防衛線となるもっとも水道が狭くなる場所に設定されていたオスカシボルグ要塞から、探照灯照射の下、旧式ながら28cmクルップ重砲による至近距離からの激しい砲撃を受け、前部砲撃指揮所被弾、航空機格納庫破損、積載陸軍兵器弾薬炎上、舵損傷の致命的打撃を受け沈黙。防御が厚いはずの後続のリュッツォウ(元ドイッチュラント)も砲撃不能に追い込まれる。陸上砲台の脅威は海上艦艇の砲撃の比ではない。首都防衛の重責か、激烈な抵抗を要塞線は示し、その最中、ブリュッヒャーは沿岸に設置された魚雷発射管から発射された英国製魚雷を至近で受け、大破航行不能に陥りフィヨルド内で転覆、乗員、陸軍上陸部隊計800名と共にオスロ沖に沈没した。この間隙をついて国王ホーコン7世は、オスロを空路脱出し、対独徹底抗戦を亡命先のロンドンで主張する事となる。デンマークはドイツ軍侵攻により内政不干渉を条件に即日降伏し、理想的被占領国と言われることになる。
しかし、躓きはあったものの、ノルウェー軍内の親独派の裏切りもあり、ウェーザーユーヴングは順調な推移を見せていた。上陸した各部隊は迅速に各航空基地を占拠し、空軍機の進出が開始され、上空を守る傘が展開されていく。
陸の戦いは完全にドイツが優位を確保したが、海上では圧倒的優位を誇る英海軍に押されていた。
9日から10日にかけて、ナルヴィクにおいて発生したナルヴィク沖海戦では、ウィリアム・ホイットワース海軍中将指揮の巡洋戦艦レナウンと、ギュンター・リッチェンス海軍中将指揮のシャルンホルスト、グナイゼナウが交戦し、レナウンとシャルンホルストが双方被弾し痛み分けに終わり、オフォトフィヨルドにおいては、フリードリヒ・ボンテ少将指揮の第1グループの駆逐艦群10隻に対して、グローウォーム報復に燃えるウォーバートン・リー大佐指揮の駆逐艦4隻が突入し、両指揮官が戦死する激しい乱戦に発展し、こちらも駆逐艦2隻沈没、2隻大破の引き分けとなった。
後日、連合軍によるノルウェー逆上陸が開始され、護衛に当たっていた戦艦ウォースパイトに将旗を移したホイットワースは、残存するドイツ駆逐艦群に対して再度の攻撃を実施し、この二度にわたるナルヴィク沖海戦により、第1グループ駆逐艦は全艦が撃沈されて消滅。汎用艦であるこの駆逐艦の喪失は、あまりにも痛手となった。
トロンハイムとナルヴィクの間に位置するナムソスと、要衝ナルヴィクには数で勝る連合軍が上陸し、駐留するドイツ軍と交戦したが、制空権はドイツ空軍が確保しており輸送船多数が撃沈され、装備で劣る連合軍は苦境に立たされていた。
5月1日に中部ノルウェー、オンダールスネスから連合軍が撤退し、南部は完全にドイツが占領しノルウェー戦線はドイツの優位が確定した。
これら一連の戦闘が発生したノルウェーは、地上戦において英独両軍が激しくぶつかった最初の場所となった、世界で最も熱いホットスポットとなっていた。もちろん大損害を受けたドイツ海軍にとっては本命であったのだが、あくまでこれらの戦闘はドイツにとっての本命ではない。
北欧戦線の安定は世界大戦を次の舞台へ誘う。ヒトラー、ナチス・ドイツの矛先は北欧から西欧へと移る事になるのである。当時、自他共に認める世界最強と謳われたフランスへの侵攻である。




