第二章 不器用な愛情
第二章 不器用な愛情
「おっはよー!」
勢いよく教室に入るあたしだったが、クラスの皆の視線は別のところへ集まっていた。
「あんた、いつもこの本読んでるわね。そんなに面白い?」
「やめて、返してよ」
聞き覚えのある猫のような声と、大人しい栗鼠のような声が飛び混じっている。
「辞めなさいよ宇津木さん。瑠璃が嫌がっているじゃないの」
沙耶が止めようとしている。
「何よ良い子ぶっちゃって。私のお兄ちゃんと付き合ってるからって調子に乗ってんの?」
今思えば、宇津木さんのお兄さんと沙耶が付き合ってから、宇津木さんの性格に異変が起こったのかもしれない。
「関係ないでしょ」
「お兄ちゃんは私のものなんだから。早く別れなさい」
「辞めてよ二人とも……」
「あんたは黙ってなさい。この本破り捨てるわよ」
誰がどう見ても、宇津木さんを好きになれるような状況じゃない。
不器用なあたしは好かれる方法も好きになる方法も分からなかった。ただ、沙耶と瑠璃ちゃんが困っている様子を放っとけなかった。
「ねぇねぇ宇津木さん!メアド教えてよ!」
あたしの場の空気に合わない台詞が独り歩きした。
「はっ?」
「良いから良いから!」
あたしの手は勝手に宇津木さんのポケットに忍び込み、携帯電話を掴んだ。
「ちょ……、あんた、何してんの!?」
「赤外線交換しちゃうよー。はいっと!」
みんな、呆気にとられている。
「マジ意味分かんない!」
無理矢理引っ張られ、宇津木さんの手元に戻る携帯電話。
「マジしらけるし」
そう言い捨て、宇津木さんは教室を出て行った。
教室には、あたしを見つめる皆の視線だけが残る。
泣いている瑠璃ちゃんをなだめながら、沙耶が口を開いた。
「あんた、何かあったの?宇津木さんとアド交換したりなんかして。何かおかしいよ……。隆次先輩の事……」
「黙って!」
それ以上は聞きたくなかった。沙耶の言葉を聞いてようやくあたしは自分のやってしまった事に気付いた。もっと、他にやり方はあったはずなのに、ただ、あたしなりの愛情表現がぶっきらぼう過ぎた。大好きな沙耶にも迷惑をかけてしまった……。
気付いた時にはあたしは教室を飛び出していた。
「ちょっと千夏!」
沙耶の声はあたしの耳には届かず遠のいていく……。
気付くとあたしは保健室にいた。健康が取り柄なあたしが2日連続で保健室に行くなんて初めての事だ。ただ今日は、怪我をしたわけでも具合が悪い訳でもない。
「律子先生……」
「あら千夏?どした?って、また泣いてる」
先生の言葉であたしの目元が濡れているのが分かった。
「あたしね、嫌われてる人に好きになってもらうように頑張ったんだ。でもね、空回りしちゃった」
先生は驚いた表情を見せた。きっと、先生の何気ない昨日の言葉が、あたしをここまで動かした事にびっくりしたのだと思う。
先生は少し考え、空のカップにティーバックを乗せ話し始めた。
「千夏、人を好きになるってとても難しいわよね。でもね、今は結果は出なくても、千夏が起こした行動は必ずあとのなって意味を持つようになるわ。」
「うん……」
先生は突っ走りすぎるあたしのアクセルにブレーキをかけようとしてくれた。あたしは先生の言葉を信じた。あたしの行動を信じたかった。
「それと、友達は大事にしなさい」
「うんっ」
そう返事し、あたしは先生が注いでくれた一杯の紅茶を飲みほした。
「ありがとう先生。教室に戻るね」
先生の優しい微笑みが、あたしの背中を見届ける。
「あ!やっぱりここにいた」
心配した様子の沙耶が、保健室から出るあたしに駆け付ける。
「沙耶っ!あの……さっきはごめんね」
「ううん……私のほうこそごめんなさい」
「さっき瑠璃ちゃんと話してたんだけどさ、学校終わったらカラオケでも行かない?良い気分転換になるしさ」
「……うん!行く!行く!」
元気づけようとしてくれた沙耶と瑠璃ちゃんの気持ちが、素直に嬉しかった。
「沙耶、あたしね、嫌われてる人に好かれるように頑張ったんだ」
くすっと沙耶が笑った。
「やっぱ千夏は面白いわ」
「何さ」
「私は宇津木さんにアドレスを聞く気も、あの場で聞こうとする度胸も無いもの」
「あたしの頑張りを馬鹿にしないでよっ」
あたしの頬は風船のようにぷっくらと膨らんだ。
「ごめん千夏、馬鹿にしてるわけじゃないの。千夏が頑張ってくれたおかげで、結果的に瑠璃ちゃんは助かったんだし。私は頑張ってる千夏が好き」
「……ありがと」
あたしは俯いた。頬は萎み、赤らめた。
先生の言っていた言葉が、なんとなく分かった気がした。
あたし達は無我夢中で歌っていた。隣町のカラオケBOXを出る頃には、街頭や車のライトが暗闇の街を照らしていた。あたしの住んでいる場所と一駅しか変わらないのに、ここは別世界だった。
「いやぁ、歌ったねぇ!なんだかスッキリした!」
「元気が戻って良かったよ。ってか最後私の服にジュースこぼすし」
「気にしない気にしない!それにしても瑠璃ちゃん歌上手かったねぇ」
「話そらすなっ」
「……」
「瑠璃ちゃん?」
あたしたちの話に耳を桁向ける余裕もない様子の瑠璃ちゃんが、何かを見つめていた。
その視線の先には、繁華街の輝きに負けないくらい綺麗な女性と、その女性に引けを取ら
ないぐらいの凛とした男性が歩いていた。
「えっ?」
見とれている間もなく、あたしは何度も何度もその二人を確認した。
──やっぱり間違いではなかった。その二人はあたしのよく知る二人。宇津木蘭と、隆次先輩だった。
その雰囲気に圧倒されたのか、その事実を受け止めたくなかったのか、あたしの足は魔法をかけられたように固まり、その場から動けなかった。
「行こっ」
沙耶が魔法を解いた。
あたし達の足は駅へと向かうのに、視線だけはあの二人から離れなかった。夜の街へと消えていく二人を、あたしは最後まで見届けた。
「付き合っているとは限らないじゃん」
夜の鈍行列車で、塾帰りの学生や帰宅ラッシュの会社員の賑やかな声よりも、あたしの耳には沙耶の声だけが入って来る。
「そうかな……」
あたしはそう答えるのがやっとだった。
「ごめんね、私が気付かなければ良かったんだ……」
瑠璃ちゃんが悲しそうに謝った。
「そんな、瑠璃ちゃんは悪くないわ」
「ありがとう……。でもね、私の目には、二人は幸せそうに見えなかった。
二人の目はとっても冷たかったんだよ……」
「そうよ、二人は手も繋いでなかったし、何か急いでる感じだった」
沙耶も瑠璃ちゃんの意見に賛同した。
あたしは二人の言う事も信じたかったけど、何より、大好きな隆次先輩がなんであんな女と歩いているの!と、嫉妬心を抱き、隆次先輩がずっと遠くに行ってしまった気がして、ただ、ただ、虚しかった。
その日の夜、あたしは何度も何度も携帯を開いた。
電話帳の『あ行』を確認しては、『宇津木蘭』にカーソルを合わせていた。
コソコソしたり、モジモジしいても仕方ない!本人に直接確認して、隆次先輩と付き合っているなら、きっぱり諦めようと決心した。
思いきって電話をかけたが、コールが鳴り始めるとあたしの心臓が張り裂けそうになった。電源切ってなさいよ!というあたしの矛盾した心の叫びを跳ね除け、コールは回数を重ねる。
「──こちらは、留守番電話サービスセンターです……」
心臓の鼓動が納まった。
冷静になったあたしは、無理矢理番号を交換した人の電話なんて、出る訳がないと当たり前の答えを出した。
当然メールを送ろうかとも思ったが、アドレスを変えらていたって不思議じゃないし、何より自分が情けなく思えてしまった。
「何やってんだろあたし」
そう呟き、携帯を枕元に放り投げ、ベッドに横になった。