祭囃子
最近はお祭りの季節が暑すぎて…
でも、祭囃子って聞くとわくわくするので、大体暑いと言いながら行ってしまいます。
トントンカーン トンカンカン
シャンシャン ピーヒャララ トンシャンシャン
ヤーレヤーレ ホイホイホイ
お祭りのお囃子が、遠くからほのかに聞こえてくる。
なんだか楽しくなるその音を聞きながら、ゆらゆらと意識は眠りへと落ちていく。
ギラギラと照り付ける日差しがやわらいで、夕日が優しく差す。エアコンの効いた教室は、自分をいかに早く眠らせられるか試しているのではないかと思うくらい、睡魔が押し寄せている。
ハァッ ヨイサ、ヨイサ——
楽しそうだな、と思いながら意識は落ちていく。
すっと、音もなく、深く深く……。
浮遊感が気持ち良くて、もう少し眠っていたい。
唐突に体がびくりと跳ねて、一気に目が覚めた。
授業はまだ続いていた。クラスメイトの大半は真面目に聞いているけれど、中には諦めて堂々と寝ている人もいる。
夕方のこの時間は疲労もあって眠いよね、分かる、と思いつつ自分のノートを確認して、黒板の内容を書き写し始めた。
ようやく授業が終わり、眠気はまだまだ抜けないけど、あくびを噛み殺しながら帰宅準備を始めると、後ろから声と共に柔らかな衝撃が背中へ飛び込んできた。
「まーゆこっ」
「うぇっ! ちょっと、由香ぁ~くるしい……」
「わわっ、ごめえん!」
小柄なのにかなりのグラマーで、腰はほっそいという素晴らしいプロポーションに、人懐っこさを併せ持った天下無敵の美少女は、私の親友だ。
にこっと明るく笑う由香は可愛い。
「まゆこ、めっちゃ眠そうだったけど、だいじょーぶ?」
「うん。昨日もちゃんと寝たんだけど、なんか眠かったんだよねぇ……まあ放課後前の最後の授業だし、しゃーないよねっ」
「わかる~あたしもめっちゃ眠たーい」
そんな他愛のない話をしながら玄関に向かうと、昇降口から既にむわっとする湿度の高い熱い空気が嫌になる。
日本は四季から二季になったって去年ニュースで言っていたけど、正直勘弁して欲しい。私も由香も日傘とハンディークーラーを使いながら駅へと向かっていると、夏祭りのポスターを見つけた。
「由香~夏祭りだって」
「いついつー?」
「今週末らしいね」
「いいじゃん。いくっしょ?」
「浴衣?」
「うう……浴衣暑いけど、可愛いんだよねぇ」
「アイスリングとかつけたいけど、だっさくなるしね」
そう、オシャレは常に根性を試されるのだ。暑い真夏の浴衣も、真冬のミニスカも!
JKとしては譲れないから、しんどいのは気合で乗り越える。
由香と話しているとクラスメイトが合流して、女子5人でそのまま浴衣や髪飾りを見に行こうという話になり、商店街を抜けてイオンへ向かうことになった。
シャンシャン ピーヒャララ
ヤーレヤーレ 祭りじゃ祭りじゃ
ふと聞こえたお囃子に振り返ると、右手の小道の奥に社が見えた。
「まゆこー?置いてくよー?」
「あ、ごめん!待って待ってー!」
みんなを追いかけながら振り返るけど、お囃子はもう聞こえなかった。
「ねね、あそこの神社でもお祭りあるのかな?」
「えっ、神社?」
「真由子が見てた方?あっちに神社あったっけ?」
「えっ!?」
「まゆこーまたうたたね?」
「ちょっ!由香、違うし!」
みんなは次々と浴衣の話で盛り上がっていて、私も笑って相槌を打ちながら一緒に歩く。
それでも、胸の奥には小さな違和感だけが残っていた。
「見間違い、かぁ……」
気にかかったけど、本当に見間違いだったのかもしれないから、一旦忘れよう。
その後は、みんなとイオンに行ってお互いの浴衣や小物を楽しく見て回って、お気に入りの淡い紫陽花の浴衣に合う髪飾りも買えたし三日後のお祭りが楽しみになった。
――翌日、私は由香や昨日のメンバーと一緒にお互いの浴衣や、当日髪型をどうするか話していた。
詩織は手先が器用で、当日は気合入れてアップにすると言い、愛美は長いストレートヘアを活かすからポニーテールと言っているが面倒なだけなのはみんな知っている。綾はシンプルにアップにするらしい。
私と由香はゆるく編み込みして下ろすことにした。
もう気分は完全にお祭りで、準備は万端。
そんなそわそわした気分のまま、授業が始まった。
全然授業の気分じゃなくて集中できないけど、期末考査が近いから完全には気を抜けないのが辛い所。
しかも、数学。なんで定理とか定義がこんなに多いんだろうと思いつつ、黒板の内容をノートに写しながら教科書も確認していると、ふと何かが聞こえた。
ヤーレヤーレ
ハァッ ヨイサ、ヨイサ——
シャンシャン トンカララカン!
トトン シャン
昨日、放課後前の授業で聞こえたお囃子っぽい。
遠くから響いてきているお囃子が、やけにはっきりと聞こえる。
ヤーレヤーレ 祭りじゃ祭りじゃ
夜の社の 提灯が灯りゃ
祭りの始まり――
楽しそう。でも、一体どこから聞こえるんだろう?
そうぼんやり考えていると、肩をトントンと叩かれた。
ハッとして、前を見ると先生はまだ黒板に式を書きながら説明していた。焦った。
お囃子に集中していたせいか、今になって、チョークが黒板を走る音や、みんながノートを取る音が耳に戻ってきた。
後ろからメモが渡されたのでそっと確認すると由香からだった。
【真由子、完全に寝落ちそうだったよー。どした?最近寝れないの?】
そっと後ろを向くと少し離れた席にいる由香と目が合い、由香がにこにこと小さく手を振っている。
私の親友は本当に可愛いなあ、とほっこりしながら、親指をグッと上げて問題ないとだけ合図をした。
由香も同じようにグッ!と返してくれる。
でも、これは「後でちゃんと聞くよ」の合図だと、分かっている。参った。
お昼休みは案の定由香に連行されて学食の定位置に行った。今日は毎回争奪戦になる人気メニューに、私も由香もさっさと並び、無事ゲットできた!
私たちの2~3人後で終わったっぽいのでギリギリだった。
「それで?どしたん??」
食事を終えた辺りで由香が切り出してきた。
「ん~~~眠れてない訳じゃないんだけどね。なんか気付いたら寝落ちてた……」
「じーーーーー」
「いや、マジで!口で効果音言わなくても、本当に本当だから」
そう言っても由香はジト目で私を見ている。
「参ったなぁ~本当に体調悪くないし、昨日も0時には寝たんだよ?ほら、これ」
仕方なしにスマホの健康管理アプリを見せる。スマートウォッチと連動しているそのアプリは、睡眠時間や眠りの深さも記録している。
「寝てないじゃん!」
「ええっ!?」
「ほら、ここ見てみ」
由香に示された睡眠波形には、確かに午前2時頃に1時間近く起きていたと出ている。
「うそぉ~全く記憶ないんだけどなぁ」
「むーーーー。まあ、真由子が嘘ついてるとは思ってないんだけどさ、なんか気にかかってることでもある?」
「どうだろ……あー、1こある。由香、自分でも変な話だって思ってるんだけど聞いてくれる?」
「おう!どんとこい!だよー」
苦笑しながら、昨日の授業中、みんなと歩いていた時、そしてさっき聞こえたお囃子の話をすると、由香は真面目に聞いてくれた。
「むーーーお囃子かあ……なんだろうねぇ」
「思い当たる節がないんだよね~」
「ぱっと考えて思いつくのは、先々週くらいに有名な作家さんのお祭りの詩をやったじゃん?」
「あー!そう言えばそんなこともあったね!」
「アレ、先生がテストに出すって言ってたよ」
「やっば、プリント探しとくわ」
「んで、2つ目が今お祭りの時期だから、テレビとか商店街で流れてたとかで聞いた。ぶっちゃけ昨日の商店街はそれじゃないかなって思ってる」
目から鱗だった。言われてみれば、確かに小さな店の中から漏れ聞こえてきた可能性はある。
「由香、天才!」
「だろう?褒めてくれていいのだよ!」
「マジ天才!!さいこーー!!」
「まあ、だからさ、それが無意識で残っていたんじゃないかな?ちなみに内容は覚えてるん?」
「ん~~……大して覚えてないけど、祭りじゃ祭りじゃって何度か言ってたなぁってくらいかな?」
「ありそうなフレーズだね」
「確かにありがちー」
お互い苦笑しながら、食器を下げて授業前まで話しながら教室に戻った。来週は期末考査に向けて詩のプリントも探さないといけない。
午後の授業でもきっとテストで出る内容の話とかもあるだろうから、しっかり目を覚ましておいて聞かないと。
特に、社会はあまり興味がないから気を付けないと、そう思っていた。
なのに――
周囲の音が遠のき、シャンシャンと鈴の音だけが聞こえてくる。
苦手なブラックコーヒーを飲んで準備したのに、意識が音の方へ行く。
ハァッ ヨイサ、ヨイサ——
ヤーレヤーレ
白いお狐 先に立つ
鳥居の向こうは 神の庭
ヨイサ、ヨイサ!
ヤーレヤーレ 祭りじゃ祭りじゃ
人の子おいでよ 神の道
歌と共に踊っているような感覚だった。
真っ白な何かが跳ねている。あれが狐なのかな?ついて行かなきゃ……。
「先生!」
突然の声に驚いて、覚醒する。今の声は由香……?
「片桐さん、どうしました?」
「真由子、新島さんが体調悪そうなので保健室へ行かせてください」
えっ、と戸惑っていると先生が私の席まで来て、私を見て心配そうな表情をする。
「真っ青じゃない、新島さん。片桐さん、一人で連れていけそう?」
「はい!まゆ、立てる?」
「う、うん……」
そのまま由香に手を引かれながら廊下へと出た。授業中の廊下は静まり返っていて、不思議な感覚がした。
横を見るとみんな前を向いて真剣にノートを取っている。たった扉を一枚隔てただけなのに、廊下は静かで、なんだか取り残されたような気分になっていく。
「真由子?」
「っ!ごめん、ぼーっとしてた」
「ううん。とりあえず保健室に行こう、そこでお話し聞くよ」
「うん。ありがと」
シャン、と小さく背後で聞こえた。
急いで振り返ったけど、廊下には誰もいない。幻聴ではない、その自信はある。
「真由子、大丈夫?」
「由香、今の鈴の音……聞こえた?」
「鈴?どんな?」
「シャンって」
「うーん、聞いてないかも」
由香の返答に血の気が引く。
やっぱり幻聴だったのかな。一気に自信がなくなる。
由香が私に嘘をつく必要もないし、そんな子じゃない。
「真由子、もしかしてまた聞こえたの?お囃子……」
「っ、うん。今は、鈴だけだった」
「寝ぼけてるんじゃなさそうだけど、顔色悪いし今は保健室へ行こう?」
「うん」
保健室で養護教諭の先生と話して、変な音が聞こえると話したけれど暑さと睡眠不足による可能性が高そうと言われた。家に連絡して帰るか?と聞かれたけど、一旦保健室で休むことにした。
炎天下の中一人で帰れる自信もなかったので、先生も「眠れるなら少し寝なさい」と言って寝かしてくれてホッとした。
ベッドに横になると、一気に体の力が抜けた。全身が重く、瞼も下りてくる。
「由香」
「ちゃんといるよ」
「良かった」
手を握ってくれている由香の手が温かくてホッとして、自然と意識が遠のいていく。
寝たく、ないのに……。
黒い川の向こう岸に、無数の提灯が浮かぶように灯っていた。
橋はないのに、みんな水の上を歩いて渡っていく。
鈴と太鼓が奏でる軽やかな曲は楽しげで、私はいつの間にか踊っている。
ハァッ ヨイサ、ヨイサ——
ヤーレヤーレ 祭りじゃ祭りじゃ
ホイホイホイ ヤーレヤーレ
鶴が唄い 亀が躍る
甘い香りが 風に舞う
縁起の良い歌と音楽と踊りが周りを賑やかに彩っている。
なんでここにいるんだろう?と思うけど、周りが楽しそうで、私も徐々に楽しくなっていく。
祭り囃子は岸の向こう
囃子に合わせ 手を合わせ
ホイホイホイ ヤーレヤーレ
ハァッ ヨイサ、ヨイサ——
周りの人たちと一緒に踊りながら進む。気付けば私も「ハアッ ヨイサ!ヨイサ!」と合いの手を入れていた。
なぜか昔から気心の知れた人たちのように感じられて、みんなで踊るのが楽しかった。
なにげなく後ろの人の方を振り向くと――
無があった。
顔があるべき場所は、真っ黒に塗りつぶされていた。
何も見えない。なのに、相手が笑っていることだけは分かる。
「きゃああああああ!!」
視界が真っ暗で、誰かに抱きしめられているのが分かった。
まさか、さっきの黒い顔の誰かなのかと、一気に恐怖が蘇ってパニックになりながら「離して、離して!」と叫んだ。
その声にかぶさるように、「まゆ!!」と由香の声が聞こえた。
泣きそうな由香の声に、体の力が抜ける。細い腕、柔らかな胸に抱き込まれながら、ドキドキと鳴る心臓の音が聞こえる。
すごく、早い……。
「真由子?落ち着いた?」
由香の腕が緩んで、ゆっくりと見上げると、由香が泣きそうな顔をしていた。
「ゆ、か……?」
泣き笑いで頷いた由香が、今度は優しく抱きしめてくれた。温かい。
私が落ち着いてから、由香が私の様子を教えてくれた。
私は由香に手を握られながらすぐに寝てしまったらしいんだけど、10分もしないうちにうなされ始めたという。「嫌、来ないで!」と暴れ始め、悲鳴を上げて起き上がった私は自傷しかねないくらい暴れたから、由香が抱きしめていてくれたらしい。
「ごめん……由香、引っかいちゃってる」
「いーのいーの!親友を守れた勲章だしね!」
「なにそれ、どこの戦士よ」
由香の明るさに救われる。
「そいや先生は?」
「職員室だよー。先生が戻る前に落ち着いてよかった。あの状態見られたら、そのまま病院だったかも」
「あっ、そうだね」
「でも、ワンチャン行った方がいいかもだけど。病院ってすぐ薬出すって言うしね~」
「……コワッ」
病院と薬って言葉だけで、なんとなく怖い。受験とかにも響いたらどうしよう、なんて考えてしまって、無理。
「真由子、何を聞いたの?何を見たの、かな?」
「どっちもだよ」
「内容とか、覚えている?」
「全部じゃないけど、白いお狐が……言葉は忘れたけど、お使いとかそんな意味っぽい感じで、あと神の庭だって。
それから、鶴が歌って、亀が躍って、みんな凄く楽しそうだった」
「めっちゃおめでたい感じだね」
「うん。お正月かなってくらい、おめでたい感じで、周りみんな感じ良くて――私も一緒に踊っていたの」
「うん」
その後の話を思い出すと、あの恐怖をなんと言えば伝わるのか……。
「真由子、考えすぎー。思ったまま話しちゃいなよ」
「……うん。ふと、ね。気になったの」
「うん」
「みんな優しい素敵な人だけど、あれ?だれだっけ?って。
それで振り返ったら、真っ黒だったの。顔がないとかじゃなくて、本当に何もなくて、真っ黒で何も見えなくて、それなのにその人は私を見てニヤリと笑っていて、私に手を伸ばしてきて!!!」
「まゆ!!」
気付いたら、私は自分の両手の爪を自分の顔に突き立てていて、由香が必死に止めていた。
ふっ、と息をついた瞬間、両手から力が抜けて、今度は由香が支えてくれていた。
「ごめんね、まゆ。嫌なことを思い出させちゃった」
「ううん。……由香、私、どうしちゃったんだろう?」
「うーん、流石に私も分からない。何もないって確認するために病院も行った方がいいとは思う。でも、凄くオカルトじみてるから、まずは帰りに神社に行ってみる?」
「神社?」
「そ。厄払いして、お守り貰おうよ。気休めかもだけど、信じる者は救われるって言うしさ」
「ふふ、ありかも」
「だろう?じゃあ、もうちょいで授業も終わるし、隣駅に霊験あらたかな有名な神社があるらしいよー」
そんな軽口で心を軽くしてくれる由香が一緒にいてくれて、本当に良かったと心から思った。
由香と一緒にクラスに戻って、クラスメイトたちに心配されながら帰り支度をする。
由香がいつものノリで「真由子は私がしっかり送って行くから、心配無用!」と話すと「送り狼になるなよー」と突っ込まれ、由香は悲劇のヒロインのようにしなを作りつつ「そんなぁ!私の特権なのにぃ!」とわざとらしく言って笑わせる。
詩織、愛美、綾も「真由子、お大事にね~」と労わってくれた。
いつもの、普通の会話が、なんだか今日は凄く嬉しくて胸が詰まる。
「まーーゆこっ!さあさあ、さっさと靴を履き替えていくよー!」
「ふふ、はーい!」
夕方になっても暑い日差しが、今日ばかりはちょっとありがたい。夢じゃない。ちゃんと、私は由香の隣を歩いている。
うるさくてしょうがないセミも、あいつのせいで暑さが二割増しになるといつもは思っているけど、許す。
「早くツクツクボウシに変わって欲しいな~」
「セミの一種だよね?由香、セミに好みあるの?」
「ないない。ツクツクボウシが鳴くと夏もそろそろ終わりって言われてるんだけど~」
ミーンミンミンミーン
ジジジジジ…
「……まだまだ暑いみたいね」
「由香さんが溶けて床に同化してしまう~~」
「溶けないでーー」
そんなアホな会話をしつつ、自販機で買ったアイスを食べながら隣の駅で降りる。
……電車の中から、線路沿いに白い狐が見えた気がした。
振り返ると、いなかった。気のせいだ、と信じたい。
目指すは電車の中からも見える線路沿いにある大きな神社だ。
階段を上って境内に入ると、暑さは変わらないのにスッと身が引き締まるような不思議な空気があった。
「神社って、やっぱ違うよね」
「うん。あまり気にしたことが無かったんだけど、ここは凄いね」
ここの空気は、少し軽い。自然と背中が伸びて、息がしやすい。
由香は受付を見つけると、さっさと厄払いの申し込みをしてくれていた。
「では、15分後にあちらの控室にお願いします」
「はーい、ありがとうございます!」
巫女姿のお姉さんは優しく笑顔で会釈すると、厄払いの申込用紙を持って行ってしまった。
私と由香は控室に行くと、エアコンが効いていて涼しい。平日の夕方だからか、私たちの貸し切り状態だった。
「生き返る~」
「本当に、気持ちいいーー」
きっちり15分後、拝殿へ案内されて神主さんが祈祷を始めてくれた。
普段聞くことのない祝詞が、体に染みるように響いている。この時、私の様子を由香がじっと見ていたことに私は気付いていなかった。
「これにて新島真由子様の厄払いの祈祷は完了となります」
神主さんの言葉に、私と由香は合わせて頭を下げる。
「神主様、ご相談をできるでしょうか?」
「由香?」
真剣な由香の表情に、神主さんは優しい笑顔で頷いてくれた。
「私がお答えできる内容であれば」
「まず、質問なのですが、お祭りとかで歌われるお囃子。アレって祝詞と同じように力を持つ言葉ですか?」
「ふむ……難しい質問ですね。そうでもあり、そうでもないと言えます。ただ、神を称える内容である事は間違いありません。キリスト教などで言う賛美歌に近いものではあります」
「なるほど。この子、真由子はここ二日、聞いたことのないお囃子を聞いています。まゆ、自分で話せる?」
「う、うん」
私はなるべく冷静に、聞いたこと、見たことを話すと神主さんは非常に難しい表情で聞いていた。
「お囃子はその地域、神社などで様々ですが、今伺ったお囃子は聞いたことがありませんでした。
ちなみにどのような状況で聞きましたか?」
私は最初は学校で、次は商店街で、三回目と四回目も学校で。そして私以外には聞こえていないこと、徐々に歌詞が増えていることを話した。
神主さんは躊躇いながら、私を正面から見るとはっきり言った。
「結論から言います。非常に危険な状態であると、思われます。
素人が作ったものとは思えません。その上、まだお囃子の歌が終わっていない」
「終わって、いない?」
「はい」
真剣な目をした神主さんに気圧された。
「まず祭りが始まり、白いお狐様に神の庭に導かれ、鶴と亀に歓迎され、踊る。
この先の歌詞次第では、神を称えるだけの歌にもなります。ですが、人を連れ去る呪歌になる可能性もあります」
「呪歌って、真由子は誰かに呪われている可能性があるんですか?」
「それも、現段階では分かりません。本来、歌だけで人を害するものではありません。しかしあなたの場合、既に歌の中へ入り始めている」
「なるほど……。まだどうなるか分からない、けど現実に影響が出始めている」
「はい。ただ、危険を冒す必要はありません。ならば避けるべきです」
「君子危うきに近寄らず」
神主さんはしっかりと頷く。
言葉が出ない。嘘だと言いたいけど、その通りだとしっくりと胸に落ちる。
歌の終わりは、聞いたらダメだ。
「でも……なぜ、真由子なんですか?」
「波長が合った、気に入られた、そのくらいしか」
「理不尽!!」
「ふっ。失礼。ですが、仰る通り、神は昔から理不尽なものです」
「あ、あの……歌が終わるとどうなるんですか?」
神主さんが悲しそうな表情をする。聞きたくない、希望を奪わないで欲しい。
「申し訳ございません。私にも分かりかねます」
「そんな……!」
本能的にダメなんだと、終わるのだと心が悲鳴を上げている。
「歌の終わりを避けるにはどうすればいいですか?」
「聞こえないようにできれば良いのですが……」
「歌を最後まで聞かなければ、大丈夫なのでしょうか?」
「恐らく。ただし、必ずしも耳から聞こえているとは限りません」
神主さんと由香の会話が他人事のように、徐々に遠のいていく。
なんで、こんなことになったのだろう?
なんで、私なんだろう?何もしてないのに……。
唐突すぎる展開に私の心がついて行かない。
考えが全くまとまらないまま、周りから音が消えていく。
遠くでシャンシャンと鈴の音が聞こえる。
笛が歌って、太鼓が鳴れば祭りが始まる。
祭囃子を待っていた私の意識を戻したのは、リーンという澄んだ鈴の音だった。
「っ!!」
顔を上げると由香が泣きそうな顔をして、神主さんが眉間に皺を寄せて厳しい顔をしていた。
「これは、深刻です。すぐにあちらへ呼ばれてしまう。
この鈴をお守りとしてお二人に差し上げます。これは基本鳴りませんが、鳴った時は危険の合図です」
渡された鈴を振ってみても何も鳴らなかった。
「この鈴の音は、私にも聞こえました」
「それは幸いです。片桐さんが新島さんをこちらに留めている大切な理由なのでしょう。
新島さん、この鈴の音は不快でしたか?」
「いいえ、澄んでいて綺麗でした」
「それなら良かったです」
その後、神主さんはくれぐれもお気をつけて、と私と由香に鈴を一つずつくれた。可愛い鈴はストラップにするのにちょうど良かったので、由香とお揃いでスマホにつけた。ついでに神社を出た後、駅前の雑貨屋で和柄のチャームを買って可愛さマシマシにした。
「結構いい感じにできたねー!」
「うん~!おそろー!」
「いえーい!」
二人でストラップを見せながら久々にプリクラを撮ってみた。色々盛れるから、盛るので時間がかかるのはお約束。
「真由子ー」
「うん?」
「明日さ、市のでっかい図書館いこ」
「なんで?って、もしかしてお囃子?」
「そ。民俗学の本とか探したらワンチャンあるかもじゃん?」
物凄く真剣に私のことを考えてくれている由香が格好良くて、頼りがいがあって、一人じゃないんだと思うと、目が潤む。
「親にもこんな話言えないでしょ?」
「うん……!わ、わたし、急にこんな……」
「うん。ほんと、突然だもんね。なんか、切っ掛けがあったなら、想像もつくんだけどね」
「うーん……昨日の朝とか一昨日、まあ、ここしばらくでって感じだよね?
連休もないし、普通に学校と部活とバイトくらいしか」
「だよねぇ。学校でなんかあったら覚えてるしね~」
由香とは、鈴が鳴ったらイヤホンをつけ、家にいるなら音楽を大きめにかけると決めた。
寝るときは、ヒーリング系の音楽を流したままにする。眠っている間は大丈夫だろうと思っていたけれど、由香に「念には念を入れてね」と言われた。
その夜、夢の中でリーンとお守りの鈴が鳴ったような気がする。
私はそのまま、また寝てしまったけれど、翌朝起きた時にはスッキリしていた。スマートウォッチで睡眠状態を確認すると、深夜2時頃に1時間ほど覚醒していた記録は残っていた。でも、相変わらずその間の記憶はない。
いつもより少し元気な気分で登校すると、学校近くで由香が待っていてくれたのが見えて手を振る。
「おーはよっ!」
「おはよー」
「しっかし、あっついね~日傘さしてても暑い」
「もう溶けちゃう~」
ケラケラと笑いながら由香と一緒に教室へと向かった。
いつも通り変わらない賑やかな一日が始まった。
今日は幸いなことに鈴が鳴ることがないまま、放課後を迎えられた。由香と一緒にホッとしながら、表向きはテスト勉強ということにして、中央図書館へ来た。
「生き返る~」
「いっそ寒いまであるよ!?」
書籍の保管のためにも冷やされた図書館内は寒いくらいに涼しい。気温のギャップで風邪ひきそう。
さっさと蔵書検索用の端末へ行って「祭囃子」で検索すると結構な数の書籍がヒットした。幸いなことにまとまっていたので、由香と二人、ドキドキしながら本を確認すると歴史や由来などは載っているけど、お囃子には唄を伴うものも多いと書かれているのに、肝心の歌詞はほとんど載っていなかった。
神楽歌、というものがあるらしいけど、これはもっと儀式めいたもので、私の聞いたものとは全然違う。
「ないね」
「うん」
「ヒントになりそうなものもないなぁ~」
「1つ気付いたのは、私が聞いているのってわらべ歌に近いかも」
「たしかに!」
「まあ、だからなに?だし、なにも分からないのは変わらないんだけど」
「くぅっ!!」
2時間、様々な本を探して読み漁り、私と由香が使っているテーブルは本の山となっていた。
「まゆ、成果は……?」
「ぜろ」
「だよねぇ」
「あ、でもね、気になった文が1つあったんだ。あった、あった、これ」
『夏祭りの夜、名を呼ばれても返事をしてはならない』
昔のお祭りや神様についてまとめてある本に書かれていた一文。
お祭りは神様も機嫌が良くなるので、気に入った子はお迎えされる、というお話だった。
どちらともなく溢れるため息とともに、由香はテーブルに沈んだ。
その時、リーン!と澄んだ鈴の音がした。リーン、リーンと何度も鳴る鈴に血の気が引いていく。
澄んだ音に、シャンシャンと別の鈴の音が混ざっているのが聞こえる。
かすかに聞こえる太鼓と笛の音が軽やかで、楽しくなってくる。子供の頃に、両親と行ったお祭りみたいにキラキラした状況が目に浮かぶ。
ドンドンドッカラカッカッ!
ヤーレヤーレ 祭りじゃ祭りじゃ
さあさ踊れよ さあさ歌えや
ホイホイホイ ヤーレヤーレ
「まゆっ!!」
「!!」
由香の声と共に、エアコンの冷たい風が目を覚ましていく。
「わた、し……」
「鈴が鳴って、真由子は焦点が合ってなくて、ぼうっとしていたの」
「あ、ご、ごめん……」
「ううん、戻ってこれて良かった。真由子、ちょっと嬉しそうで、連れて行かれそうで怖かったよ」
「ご、ごめん」
そう、たしかに私は、楽しかった。
その事実が、自分で恐ろしかった。どこか懐かしくて、楽しくて、気持ちはお囃子の鳴る方へと向かっていた。
私は、どうなってしまうのだろうか。
「真由子」
「うん」
「明日のお祭りさ」
「……うん」
「行くのやめよ?その代わりさ、少し遠いけど花火大会に行こうよ」
「花火?」
「そう!詩織、愛美、綾も誘ってさ!」
由香がちょっと泣きそうになりながら、必死に考えてくれているのが嬉しくて、私は頷いた。
でも、心のどこかでは分かっていた。
私が行かなくても、あのお祭りの方から迎えに来る。
それでも、由香やみんなと、まだまだ一緒にいたいから精一杯抗ってみようって、決意した。
そして、翌日はあっさりやって来た。
由香には言えていないけど、スマートウォッチの睡眠状態を確認すると毎晩午前2時頃に私は1時間覚醒しているらしい。
鈴は鳴っているのかもしれないけれど、記憶にはないので、なんとも言えない。
抗うと決めたはずなのに、眠るたび、向こうの景色が鮮明になっていく。
帰ってこられない場所だと分かっているのに、懐かしいと思ってしまう。
そのことが、何より怖かった。
重い気分と身体を無理やり起こして、部屋を出る。
由香たちとは午後に待ち合わせだから、それまではまったりと自宅で過ごすことにした。
お気に入りの曲を聴きながら、お気に入りの本を読み、大好きなアイスティーを淹れて優雅に過ごす。週末だし、受験生にも息抜きが必要だよ!って親には言い切った。
子煩悩な両親は苦笑しながらも、今日くらいはいいんじゃない?と好きにさせてくれる。
自慢の両親だ。兄貴はちょっとウザいけど、めちゃくちゃ心配性で優しい。
本当は、怖いし嫌だけど、私は心の奥ではもう諦めてしまったのかもしれない。
大好きな家に帰れなくなり、家族にももう会えなくなるって、どこかで認めてしまっている。嫌なのに。
涙が溢れてきた時に、コンコンとノックがあって母がお盆を持って部屋へ入って来た。
「真由子?」
「うん?」
「まあ、どうしたの?」
母は、私の部屋へおやつを持って来ると、隣に座って抱き寄せてくれた。
温かい。母さんの、優しく甘い匂いが心地良い。
「なにか悲しいことでもあったの?」
「ううん、ちょっと疲れてたみたい」
「そう、勉強頑張っているしね。いいこいいこ」
「もうっ、小さい子じゃないよ?」
「うん。でも、ママの可愛い娘よ?」
その後、母は今年も浴衣を着付け、髪を可愛く編み込んでくれた。
私も切り替えて、みんなと待ち合わせをしている駅前に向かう。
花火大会は混み合っていて、凄い人だったけど由香のお父さんが関係者だったから、私たちは特等席で花火を堪能しながら、焼きそばに綿あめ、りんご飴、イカ焼きと、出店の味も好き放題に楽しんだ。
嫌なこと全部吹き飛んで、女子5人でキャーキャーと姦しくはしゃいだ、最高の夜!
そして、花火大会は大盛り上がりで終わった。
もちろん、帰りは人、人、人とひしめく人の流れには逆らえない。私たちは人の川に流されながら、これも「花火の醍醐味だよね」と笑っていた。
「まゆ!っ真由子!!」
気付くと、私だけがみんなから離されていた。
由香が泣きそうな顔で、必死に手を伸ばしてくれている。
でも、私たちの間には何人もの人がいて、私も手を伸ばしたいのに、人に押されて流されていく。
必死に、私の名前を呼んでいる由香、こんなに親友に大切に思われているのが嬉しい。
大勢の人に押され、由香の姿が見えなくなった。
いつの間にか、静かな小道に私は立っていた。
明かりもわずかな、暗い小道。
さっきまでの人の多さと騒めきは無く、耳が痛くなるほどの静かだった。
スマホもスマートウォッチも、なぜか画面がつかない。
今が何時なのかさえ分からなかった。
ずっとこうしていたような気もするし、ほんの一瞬なのかもしれないけれど、私には判断できない。
突然、静けさを切り裂くように、神主さんにもらった鈴がリーン、リーンと目覚まし時計のように鳴り始めた。
その時が来たのだと、分かっていた。
シャンシャン ピーヒャララ
ホイホイホイ ヤーレヤーレ
私を誘う、楽しそうな祭囃子が聞こえてくる。
さあさ踊れよ さあさ歌えや
岸の向こうは 宴や宴
ヤーレヤーレ ホイホイホイ!
お遊びは 楽しゅうて
夜明けになったら もうおらぬ
ホイホイホイ ヤーレヤーレ
白いお狐様が跳ねている。
さあ、お祭りはここから本番。櫓を囲んで、神を迎える踊りを始める。
……由香、ごめんね。大好き。
――結局、真由子はあの後見つからなかった。
電話は繋がらず、家族が警察に行方不明届を出してから二週間が経った今も、真由子の手掛かりは何一つ見つかっていない。
「まゆ、寂しいよ……」
私の手元に残った、真由子とお揃いの鈴は今日もリーンと綺麗な音で鳴っている。
遠くから、かすかに祭囃子が聞こえる。
私は――あと、どれくらい正気でいられるのだろう。
真由子のもとへ行きたい気持ちがある。
あの音に、応えてしまいたくなる。
けれど同時に、強く拒んでいる自分もいる。
行ってはいけないと、どこかで分かっている。
現実を受け入れることもできず、
かといって、あちら側へ踏み出すこともできないまま――
ただ、遠くで鳴り続ける祭囃子を聞いている。
……最近は、
祭囃子の中に、ときどき真由子の声が混じる。
『由香』
優しく私の名前を呼ぶ、真由子の声。
あれが本当に彼女なのか、私には分からない。
それでも――耳を澄ましてしまう自分がいる。
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