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都合のいい男だから ~「どうしたの?話聞こうか?」と傷心中の女に付け込む男が、実は執着心バリバリだった場合とその顛末~  作者: 瑠美るみ子


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5/5

05 手遅れ

 翌日、バレンは迷っていた。


(あー……どうしよう)


 約束通り図書館に来た彼は、気になっていた小説を手に取ると、すかさず閲覧席に向かった。


(やばいな……俺……)


 だが、いざ閲覧席が視界に入ると、足が止まった。近くの本棚を影にして、遠目から観察する。一番左の席に黒髪の彼女の姿を見つけると、バレンの胸が高鳴った。

 カシアはいつも通り本を読んでいた。少し猫背になって、目の前の分厚い書物に集中している。その真剣な横顔にバレンの心臓はさらに速くなり、彼は脇で挟んでいた本を手に持ち直して、熱くなっていく顔を隠した。



(本気になっちゃったよ……)



 昨日のやり取りがきっかけで、バレンはカシアへの恋を自覚してしまった。

 まさか自分が、と。バレンは何度も考え直した。カシアを口説いていたのはあくまでも腕試しのつもりで、手応えがなくても構わず彼女にちょっかいを続けているのは、変わった暇潰しのつもりだった。

 読書して本の感想を交換するなんて、なんて地味な趣味だと見下していた。

 だけど、案外悪くないと思い始めたのはいつからだっただろう。

 退屈で、刺激的な遊びとは程遠いのに。所詮、文字の上の空想でしかなく、現実の出来事には敵わないと思っていたのに。

 本を読んで知らない世界を知って、物語の感動をカシアと共有することに、いつの間にか心地よさを覚えていた。

 紙の上の文字に夢中になって、眠気よりもページを捲る手を優先し、読み終えた時の達成感と喪失感を誰かに知ってほしかった。


 そんな時、バレンの脳裏にカシアの顔が思い浮かぶのだ。


 カシアとの会話は嫌いじゃなかった。あだ名と違って、意外にも彼女はお喋りで聞き上手だ。バレンが伝えたい感情を上手くくみ取って、代わりに言葉にしてくれる。決してこちらの感想を馬鹿にしない。良くも悪くも、カシアはバレンワートという男の振舞いを気にしなかった。

 だからか、カシアの隣にいると、バレンは素の自分でいても許される気がした。

 「遊び人のバレンワート」ではなく、ただのバレンワートとして、受け入れられている気がしたのだ。


(ありのままを受け入れてくれたから惚れたとか、だせぇよ……子供じゃねえんだからよ……)


 バレンは本棚に隠れたまま、顔を隠して座り込んだ。

 彼は己の悪評を自覚している。「遊び人」と周囲から揶揄されても、自分自身の行動が原因なのだから何とも思わなかった。それどころか、評判を逆手にとってさらに女遊びを繰り返した。例えそれが彼の癒えぬ孤独を和らげる手段だとしても、他人には関係ないだろう。


(カシアみたいなタイプは、俺みたいな男好みじゃないのわかりきっているのに。何なら、今更俺が本気になったって、多分伝わらない……)


 バレンは大きく溜息を吐き、のろのろと立ち上がった。

 カシアへの恋を自覚したとて、今後どのような顔をして接すればいいのか。きっと、バレンが彼女を口説いても相手にされないだろう。悪ふざけの類だと思われるだけだ。完全に身から出た錆である。


(だからって、焦って強引にいっても失敗するだけ。最悪、二度と口を利いてくれない可能性もある。イブの言う通り、引き際が悪くなったな……)


 友人の一人を思い出して、バレンは憂鬱になった。あの悪友の助言に従っていれば、今頃バレンはこのような想いをしなかったかもしれない。恋を自覚したところでろくでもないことにしかならないと、彼の勘が告げていたのだ。

 バレンは過去に何度か、女側から本気でアプローチされたことがある。それまで割り切った関係だったというのに、断れば急にバレンを責め始め、別れるのが一筋縄では無かったのも共通していた。

 恋は人を変えるというが、それが必ずしも良い結果をもたらすとは限らないと、彼は経験則から導き出していた。


(……やっぱり、少し距離を置こうかな。せめて、友人として付き合える程度には落ち着いてからの方が──)


 バレンはもう一度カシアを見た。昨日励ましてくれた彼女には悪いが、この恋心が冷めるまで会わない方が良いと判断した、その時だ。

 ふと、カシアが本から顔を上げた。そのまま、きょろきょろと周囲を見渡したあと、机の上で頬杖を付いて思案に耽る。しばらくの間そうしていたが、やがて肩を落として、また本に視線を戻した。

 まるで誰かと待ち合わせしているような仕草に、バレンの心臓がドキリと跳ねた。


(──もしかして、俺を待っているのか?)


 まさか、そんな。勘違いだったら、などと。バレンは思いもしなかった。

 気付けば本棚から飛び出し、早足で閲覧席に向かった。カシアの隣の席に座り、彼女の肩を軽く叩く。


「──か、カシアちゃん。昨日ぶりだね。元気だった?」


 声は少し裏返ってしまった。挨拶も無難なことこの上ない。だがこれが今のバレンの精一杯だった。

 バレンの緊張など露も知らず、カシアはちらりと彼が持っていた小説を一瞥した。題名を読んだあと、バレンを見てフッと笑った。


「……遅かったわね。待ちくたびれてたところよ」


「──っ、は、ハハっ。約束は守る男だからね、俺は。健気でしょ、惚れてくれる?」


「その口がもう少しまともになったら完璧なのに。残念な男」


 辛辣な言葉とは裏腹に、カシアはどこか嬉しそうな口調であった。彼女は視線を手元に戻し、上機嫌に本のページを捲っていく。

 会話は終わりだ。バレンも机の上で本を開き、小説を読み始めた。が、彼の内心はそれどころではなかった。


(──やばいやばいやばいやばい……!)


 どっどっどっ、と心臓が早鐘を打つ。全身がカァッと熱くなり、ページを抑える指が微かに震えている。目の前の文章を追う余裕などあるはずがなく、バレンは小説を読むフリをしながら大はしゃぎしたくなる衝動に耐えていた。


(本当に待っててくれた……! 勘違いじゃなかった……!)


 じわじわと嬉しさが広がっていき、バレンは無意味に足を組み直した。途中、長い脚が机の高さを見誤って膝をぶつければ、痛みに呻くバレンにカシアが声をかけた。


「バレン、大丈夫?」


「えっ!? あ、ああ、平気平気……!」


「そう? ふふ、ドジね」


 カシアは小さく笑って読書を再開した。彼女の微笑が、バレンの頭の中で反芻される。ふわふわと雲の上に立っているような気分に、彼はすぐさま顔を伏せた。


(う、うわあ……!? なんだこれ、心がポカポカする……!? お、俺が……! 百戦錬磨のバレンワートが、こんなことで喜ぶなんて……!)


 まるで子供の初恋かのような慌てぶりに、バレンは少なからずショックを受けた。遊び人の余裕などない現状に、彼は頭を抱える。


(なんだよ、諦めるとか全然無理じゃん……)


 バレンは先ほどまで考えていた「しばらく距離を置いて恋心を冷ます」案を早々に捨てた。ほんの少し会話しただけでこれほど浮かれているのに、今からカシアを諦めるなど無理だと思ったのだ。

 過去の恋人達とは違う安らぎを知ってしまった。ただ隣にいるだけで満たされていく幸せを知った今、そうやすやすと手放せるわけがない。

 カシアの隣にいたい。ずっと一緒にいたいと、バレンの本心が訴えていた。一人の女に執着するなんて今まで無かったのに。バレンは自分の単純さに、苦しめられていた。


(カシアの方は絶対脈ナシなのに。そもそも、どうやってアプローチすればいいかわからねえし)


 頭が痛くなるほど悩みながらも、バレンは顔を上げた。


(あー、もう……徐々に距離を縮めていくしかない。時間はかかるけど、結局、それが最善だ)


 そう心に決め、バレンは隣のカシアを覗き見た。真剣な顔をして本を読んでいる彼女に、どうしようもない愛おしさを覚えた。その時だった。



「カシア君。少しいいか」



 後ろから、低い男の声が聞こえてきた。バレンが振り返る間もなく、足音と共にカシアの傍に声の主は現れた。

 三十手前ぐらいの男だった。カシアと同じ文官服だが、襟元は彼女と違って青く染まっていた。生真面目さを表すかのように髪も服もきっちり整えられていたが、顔は生気が薄く目の下にはクマがあり、どこか幸薄そうな雰囲気を纏っていた。


「……! シ、シリアさん。お疲れ様です。どうされましたか」


 カシアは急いで顔を上げて男の名を呼んだ。上擦った声だった。顔をわずかに赤くし、栞も挟まないで本を閉じたカシアに、バレンは思わず目を見開いた。


「終業後にすまない。連絡不備で、ドロエの稟議書を明日までに提出するはめになってな。時間があれば、過去の類似案件で流用できる部分を教えてもらえないだろうか……?」


「え、ええ、もちろんです。ドロエは前に担当しましたから、お力になれるはずです……!」


 どうやら仕事の話だったらしい。男が申し訳なさそうな顔で残業を頼めば、カシアは二つ返事で了承した。慌てて鞄と本を抱えたあと、バレンに小さく頭を下げた。


「ごめん、バレン。せっかく来てくれたのに。私、職場に戻るね」


「あ、ああ……むしろ、お疲れ様。仕事頑張ってね」


「ありがとう。また明日、会えたら会いましょう」


 カシアは席を立って、シリアの隣に並んだ。


「本当にすまない。無理矢理残業を頼んでしまって」


「気にしないでください、シリアさんはまだこちらに赴任したばかりなのですから。私でよければ、存分に頼ってください」


 穏やかに会話をしながら、二人は図書館を後にする。そして、遠ざかっていくカシアの姿を見送っている最中、バレンは気付いていしまった。

 カシアがシリアという男を見る目に、熱が籠っているということを。


(えっ?)


 バレンはそれを知っていた。過去の恋人達が自分に向けてきた時の目と同じだ。

 そしてきっと、先程までバレンがカシアを見つめていた時にしていたものとも同じで。


(……えっ?)


 恋した女の目で、カシアはシリアを見つめていたのだ。


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