深海で、私は分かれなかった
※短編です。続編は未定です。
空腹は、もう始まりではなかった。
いまだ、ずっと続いている。
重さとして、内側に居座っている。動かなくても減らず、耐えても薄まらない。
私がここにある限り、空腹もまた、ここにある。
私は動いた。
わずかに形を変えただけで、内部が削れた。失われた分だけ、空腹が膨らむ。以前なら耐えられたはずの動きが、今はそのまま終わりに直結している。
——ここまでか。
そう思った。はっきりと。
だが、終わらなかった。空腹は私を壊しきれず、私はまだ、ここにあった。
本来なら、この段階で私は分かれていてもおかしくなかった。
内部は引き延ばされ、境界が裂ける感覚が確かにあった。引き裂かれ、散っていく予感だけが先に走り、体の内側がほどけかける。
だが、次の瞬間、その感覚は引き戻された。
裂けかけた境界が、ゆっくりと重なり合い、私は再び一つの塊として留まっていた。
分かれたのか、分かれきれなかったのか——それすら、私には判然としなかった。
しばらく、動かない。いや、動かせなかった。
深海は静かで、何も起きない。
流れも、衝突もない。
ただ、重さだけが続いている。
空腹が、思考を削る。
動く理由が分からなくなり、止まる意味も分からなくなる。境界が曖昧になり、私という感覚が、穴だらけになる。
——今度こそは、と。
そう思った。
今度は、前より確信に近かった。これ以上、耐える形がない。
動いても、動かなくても、結果は同じだと理解した。
そのとき、空腹が、わずかに変わった。
静まったわけではない。消えたわけでもない。ただ、向きを持った。
私は、感じた。
遠くで、微かな違和感が生まれている。
圧でも、流れでもない。
だが、確かに、こちらへ続く何か。
本能としか呼べないものが、微かに揺れた。
それは警告でも、命令でもなかった。
ただ、このまま逃げてはいけない。
目を逸らしてはいけないという感覚だけが、私のいちばん深いところで、どくん、どくんと、繰り返し打ち鳴らされた。
私は、見た。
……
目があるわけでもない。見るという行為を知っていたわけでもない。それでも、そうとしか言えなかった。ただ、暗さの中に、暗さではないものがあった。
淡く、滲むような何か。
点でも線でもなかった。形と呼べるほど確かな輪郭はない。ただ、周囲の暗さを押しのけるように、そこだけが違っていた。
光に似た、それ。
発光しているわけではない。ただ、そこだけがわずかに軽く、暗さが沈み込めずに弾かれているように感じられた。
それが何かは、まだ分からない。
だが私は知っている。
この空腹は、そこへ向かっている。
深海の底で、私は初めて、終わりではないものを感じていた。




